おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

ミュージカル「キャバレー」 @東京国際フォーラム

2012年03月12日 | Weblog

 土曜日、知人から「1枚チケットが浮いてしまったので、行きませんか?」と、突然の誘い。ほとんど予備知識もないまま、開演3時間前に「行きます!」と返事して、勢いで行ってしまいました。日頃、ナマ舞台と言えば文楽しか観ないのですが、なぜか、「行くべし!」という神の声が聞こえた(ような気がする)。

 舞台は1929年のベルリン。キャバレー「キット・カット・クラブ」の歌姫サリーと、下宿屋の女主人シュナイダーという対照的な二人の恋を軸にして、「人生とは何か」「生きるとは何か」という根源的なテーマに迫る。

 歌姫サリーは藤原紀香。キャバレーの司会者兼物語全体のナビゲーターに元・光GENJIの諸星和己。この二人が集客の目玉なんだろうけれど、いやいや、単なる人寄せパンダではなく、超一流のエンターテイナーでした。              

 紀香ちゃん、こんなに歌上手かったのか…。少女と娼婦の両面を併せ持ち、自暴自棄になりながら、最後まで生きる執念を失わない瀬戸際の強さを完璧に演じていました。紀香主演ドラマはコケると言われているけれど、なるほど、この人のスケールはテレビの枠に収まり切らないんだと納得。最後に歌うシーンなんて、堂々としていて格好良かった。そして、涙が出た。 

 光GENJIに何の興味もなかったので、諸星くんの歌や演技をちゃんと観るのは初めてでしたが、ホンモノのプロフェッショナルです。歌も踊りも素晴らしい。物語のナビゲーターとして、観客の心を巧みに惹き付け、もてあそび、思い切り楽しませてくれました。サービス演出のローラースケートで踊る場面は絶品!

  キャバレーのショーのシーンは、ミュージカルの観客であることを忘れて、ショーパブの中に迷い込んでしまったような気分。淫らで、退廃的で、でも、何か楽し~い!

  と、ちょっとエロチックに弾けたミュージカルのようですが…ただ、楽しいだけじゃないのです。ラストシーンはあまりにもシュールで、最後にずしりと心に重石を置かれたような気分になりました。1929年のベルリンが舞台―つまり、ナチス台頭間近の時期を描いているのですが、過去の歴史物語としてではなく、今の私たちに「で、お前はどうなんだ?」「日本はどうなんだ?」と問いかけてくるような巧妙な脚本です。

  でも、何よりも、「裏主役」である下宿屋の女主人シュナイダーと果物屋を経営するシュルツの熟年カップルを演じた杜けあきと木場勝己が圧倒的に素晴らしかった。演技力も、歌唱力もずば抜けていて、この二人が出てくると、芝居は締まるけれど、妙な安心感が出てゆったりした気持ちになります。物語の主役は文句なしに紀香ちゃんのサリーなのです。でも、杜けあきという裏主役がいてこそ紀香ちゃんの美しさが輝き、奔放には生きられないシュナイダーがいてこそ、サリーの生き方が魅力的に見えてくる。

 脚本も、配役も考え抜いて作り込まれているのだと思います。でも、観ている間は、そんなことを感じさせず、キャバレーというanother worldに迷い込んでひとときの夢を思い切り楽しんだ。「エンターテインメントの力」を強く強く感じる作品でした。


番外 COSMOS / カール・セーガン

2011年12月08日 | Weblog

おりおん日記。番外「COSMOS/Carl Sagan DVD

 

 誕生日にカール・セーガンの「COSMOS」のDVD7巻セット)をプレゼントしてもらった。日本で放送されたのは1980年。もう、30年以上も前だ! 新進気鋭のイケメン(もちろん、当時、イケメンなどという言葉は存在していなかったけど)天文学者がナビゲーターを務めた13回シリーズの宇宙ドキュメンタリー番組。

 

 今の感覚で言うと、ドキュメンタリー番組で13回も放送するなんて、正気の沙汰じゃない。いったい誰がそんな小難しい話に2週間近くもつきあうというのだろう。視聴率は期待できそうにないし、故に、スポンサーもつかなさそうな…。しかし、当時、大袈裟に言えば「み~んなCOSMOSを見てた」ぐらいの勢いだった。カール・セーガンは社会現象と言ってもいいぐらいの時の人だった。恐るべし、イケメンパワー(でも、2011年基準で見ると、80年代のイケメンはちょっと野暮ったい。仕方ないか…)。

 

 もともと、星を見るのが好きで、部屋にはお小遣いで買った小さな望遠鏡があり、いまは無き渋谷の五島プラネタリウムには毎月通っていた。そんな折に、COSMOSの放送が始まったのだから、カール・セーガンの語る「宇宙」に心ときめかないはずがない。カール・セーガンの言葉を一言も聞き漏らすまじと(決してミーハーではなく!)、テレビにかじりついてました。

 

 その懐かしいテレビ番組のDVD30年ぶりに見て、原点に戻ったような気がしました。改めて「COSMOS」というドキュメンタリーは、私が今の私になるための不可欠の要素だったのだ―と思うのです。

 

 この30年間の自然科学の進歩は大きく、2011年の科学レベルでは、内容的に古くさい部分はたくさんあるし、カール・セーガンがアカデミックの世界では正統派とは認められていなかったことなど、諸々のことを考慮しても、あの頃のCOSMOSをきっかけにして抱くようになった宇宙に対する「畏怖」は決して間違っていなかったと確信しました。

 

 空を見上げ、望遠鏡で土星の環っかや、プレアデス星団を見ながら、宇宙は果てしなく大きく、人間は小っちゃいと漠然と感じていた。カール・セーガンの言葉が、その漠然とした思いを概念化してくれたのだと思う。子どもながらに、「宇宙カレンダー」は衝撃でした。宇宙の歴史を一年間に置き換えると、人類の誕生は1231日午後1030分なのだという。宇宙を砂浜にたとえれば、砂粒1つにしか過ぎない小さな星の上で、たった1時間半の歴史しか持たない生物が、憎しみ、殺し合い、核戦争に突き進もうとしている(当時は冷戦まっただ中!)とは、なんて愚かなのだろうと思ったのです。 そうと解っていても、煩悩まみれの私は、未だに嫉妬や失望や憎しみの感情から解放されていませんが、それでも、あの頃、いかに私がちっぽけな存在であるかということを、ネガティブな意味ではなく、ポジティブに理解したことは、私にとって大きな財産だと思う。

 

 ところで、今見ると、稚拙というか、手作り感満載な雰囲気なのですが、30年前にあのレベルのCG(あれ、当時はまだ、コンピューターグラフィックスなんてなかった?)って、すごかったんだろうなぁ。多分、莫大な予算と手間暇かけて作った番組なのだと思います。

 

宇宙開発って、結局のところは、地球を飛び出して、宇宙エリアでの陣取り合戦をしているということ。当時、人々をワクワクさせたボイジャー計画も、今年、日本人を喜ばせたはやぶさの帰還も、決して、きれいごとだけではないのだろうけれど…でも、人間が「所詮、人間なんてちっぽけだ」という原点に立ち戻れるだけの知恵ある存在でありたいものです。

 

おりおん日記。は読書記録&文楽鑑賞記限定にしようと思っていますが、私にとってCOSMOSは特別なので、番外で感想かいちゃいました♪

 


「シティ・マラソンズ」 三浦しをん・あさのあつこ・近藤史恵

2011年07月25日 | Weblog

「シティ・マラソンズ」三浦しをん・あさのあつこ・近藤史恵 文藝春秋社

 

 「身も心も」(光文社刊 盛田隆二著)を読了後、とある推理小説を読み始めたものの、見開き2ページを読み切れないうちに猛烈な眠気が襲ってくるほど催眠効果が強烈。1週間以上かかっても50ページぐらいしか進まず、毎日持ち歩いているのに、だんだんカバンから取り出すのがユウウツになり、ついに断念。救いを求めるような気持ちで「シティ・マラソンズ」を開いたら、面白いほどにサクサク読めて快適でした。肩肘張らずに楽しめるページターナーです。

 

 もともとはアシックスのウェブサイト上の企画小説。

 

「風が強く風が吹いている」(三浦しをん)/「バッテリー」(あさのあつこ)/「サクリファイス」(近藤史恵) スポーツ小説をヒットさせた女性作家3人にマラソン小説を依頼したわけですね。三浦しをんがニューヨークマラソン、あさのあつこが東京マラソン、近藤史恵がパリマラソンを舞台にしたストーリーを作成。意図してか、偶然なのか、そもそもマラソンとはそういうものなのかはよくわかりませんが、共通テーマは「自分に向き合う」。

 

企画モノweb小説の功罪。「功」は、「自分に向き合う」という重いテーマにもかかわらず、過剰に重苦しくならずに気楽に読めるということ。「罪」は…その時、作家が本当に書きたかったことを書いているのだろうかということ。もちろん、プロの作家であれば編集者のオーダーに合わせた作品を製作することもそれほど珍しいことではないのかもしれないけれど、でも、企画のために設定されたテーマと、締め切りと、字数の制限があるなかで、本当に面白い作品を作るのは難しいことだと思う。

 

三浦しをんバージョンは、横浜ローカルの不動産会社に勤める男が、突然、社長命令で明日、ニューヨークに飛んでマラソンに出場せよと命じられる話。元陸上部の長距離経験者とはいえ…たまにジョギングするぐらいの実質10年ブランクでいきなりフルマラソンを走れるのだろうか―と疑問が湧いた。 ニューヨークマラソンの「楽しさ」みたいなものは伝わってきたけれど、ちょっと設定に無理がありすぎのような。三浦しをんが文楽にハマッて、書きたくて書きたくて仕方がなかった「仏果を得ず」の気迫に比べると、流して書いているような印象は否めず。

 

あさのあつこバージョンは、ランナーではなくて、ランニングシューズを作っている人を主人公に仕立てたもの。(あっ、発注したアシックスの心をくすぐる度合いでいけば、これがナンバーワン?) 実は、あさのあつこの小説を読むのはこれが初めてのような気がするので、過去の作品との出来は比較しようもありませんが…。小サッパリとまとまっているけれど、深く心を揺さぶられることもないという感じ。ま、単に、私好みではない設定であるというだけのことかもしれません。思い・思われる微妙な三角関係のうちの誰かが早世してしまうことで、残された二人の関係のバランスが崩れていく―という「タッチ」方式(すみません、「タッチ」読んでいませんが…)のストーリーって、3人の誰かしらに自分を投影して読めるから共感を誘いやすいけれど、でも、なんか、安っぽい印象。

 

で、私好みだったのは、近藤史恵バージョンでした。才能が無いことを自覚したバレーダンサーが、現実逃避のためにパリに語学留学。走ることの喜びに出会ったことで、アスリートとしての自分に再会する。最も、真正面から「自分に向き合う」というテーマに向き合っている印象だったし、何よりも、街を駆け抜けていく気持ち良さが伝わってくるという点でも秀逸でした。近藤史恵バージョンが最後だったことで、後味よく読み終われました♪

 

 


ラスボスって…

2010年10月21日 | Weblog
ラスボスって…    2010/10/21記

 「ふがいない僕は空を見た」のところで書こうと思ってうっかり忘れていたことを…。

 「スリーピング・ブッダ」「ふがいない僕は空をみた」という何の脈絡も共通点も無い2作品に共通して「ラスボス」というワードが登場していた。文脈からして、それが「難敵」であることは読みとれたし、なんとなく、誰もが知っている有名なゲームに登場する有名なキャラなんだろうな…と勝手に想像していた。

 ところが「ラスボス」ってキャラの名前ではない…というか、固有名詞じゃないんですね。ラストポス-一番最後に登場する強敵。へぇ~。ゲームをしない私にとっては、全くの「初出単語」でしたが、今や、注意書きを付けなくても使えるぐらいの常識なんですね。いやぁ、大変、勉強になりました。
 


「舞台裏おもて 歌舞伎・文楽・能狂言」 吉田蓑助他監修

2008年03月07日 | Weblog
「舞台裏おもて 歌舞伎・文楽・能狂言」 吉田蓑助他監修 マール社 (08/03/04読了)

小難しい解説書ではありません。タイトルは「裏おもて」となっていますが、この本がステキなのは「裏」を思いっきり、気持ちよく見せてくれているところです。劇場に足を運べば(手抜きなら、教育テレビの劇場中継なんかでも)、舞台の上のできごとは簡単に見ることはできますけど、舞台が始まるまでの準備の様子がカラー写真付きで、克明に記録されているのです。「克明に記録」と言っても、淡々としたルポルタージュではなくて、ま、ちょっとしたファンの目線で楽しく見せてくれています。
私のお目当ては「文楽」の項目。監修は吉田蓑助さんなのですが、憧れの勘十郎さま(人形遣い)にスポットを当てて、舞台で使う人形に着物を着けていく様子が、何枚もの写真でちゃんとわかるようになっているのです。しかも、着付けのためのお道具袋の写真もあり。舞台での勘十郎さまはキレ味いい雰囲気でカッコイイのですが、舞台に上がる前も、たたずまいが美しく、ステキな人っ!!!! ってことが伝わってきました。
私の贔屓目もあるかもしれませんが、歌舞伎や能狂言よりも「文楽」の項目は、わかりやすく、楽しくできているような気がしました。