おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

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「羆撃ち」 久保俊治著

2013年01月28日 | か行の作家

「羆撃ち」 久保俊治著 小学館文庫  

  まだ1月も終わっていませんが、今年のMyBest確定を宣言したくなるような本でした。大学卒業後、日本で唯一の羆ハンターとして生きていくことを決意した著者が自らの半生を描いたノンフィクション。

  雪山で何日もビバークしながら獲物を追い、仕留め、皮を剥ぎ、解体する様を文字で追っているうちに、動悸が高まり、息が苦しくなってくる。山の中を黙々と進んでいくような、リズム良く、無駄の無い文章にどんどんと引きずり込まれていく。
 生きること、死ぬことへの最大限の敬意、パートナーである猟犬・フチとの強い絆に何度も何度も涙が出てくる。
 人と繋がるこによって得られるものもあるけれども、でも、本当の強さ、知性、コミュニケーションする力は、孤独に向き合い、孤独から逃げないことから生まれるのだと思わずにはいられない。

  そして、読み終わった後に改めて表紙を見ると、その美しさが心に沁みます。

  動物を殺すことを職業とした人のプロフェッショナリズムと、生と死への真摯な向き合い方という点では、佐川光晴氏の「牛を屠る」に通じるものがあります。どちらも、フィクションを超えたドラマがあります。

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「晴天の迷いクジラ」 窪美澄

2012年04月07日 | か行の作家

「晴天の迷いクジラ」 窪美澄著 新潮社 

 本屋大賞で2位だった「ふがいない僕は空を見た」に続く、著者第2作目。(個人的には、大賞だった「謎解きはディナーのあとで」より、断然、よかった!)

 すごくいい。

文句なくスカッと素晴らしい作品―というわけではない。文章もいまひとつこなれていないような印象だ。決して楽しいストーリーでもない。それでも、読み終わった後に、ずっしりとした読み応えと、長い長いトンネルの先に陽の光が見えた時のようなホッとした気持ちがなんとも心地よい。

  破綻に追い込まれた東京の小さなウェブデザイン会社の女社長と、一番若手の社員。「もう生きてるのもかったるい」というところまで追い詰められた2人が、最後の力を振り絞って見に行ったのが、湾に迷い込んできてしまったクジラ。

 近隣の住民たちは、あの手この手で、なんとかクジラを湾の外に出してやろうとする。でも、結局のところ、クジラが自ら泳ぎ出さなければ、クジラは湾から出られずに死んでしまう。

 あまりにも直球すぎる比喩なのだけれど、そのストレートさが却って心に響く。迷い込んできたクジラに、迷える人たちを投影している作者自身が、迷い、悩みながらストーリーを展開させているからこそ、最後に、光が見えてくる。生きているのはかったるい、それでも、生きていかなきゃという当たり前のメッセージがしっかりと伝わる作品。

 

 

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「なぜ、絵版師に頼まなかったのか」 北森鴻

2012年03月09日 | か行の作家

「なぜ、絵版師に頼まなかったのか」 北森鴻著 光文社文庫

  明治初期、文明開化の頃の東京・横浜を舞台にしたオムニバス形式のミステリー。松山から親類のツテを頼って上京してきた冬馬少年が、日本政府から招聘され東京大学で西洋医学を教えていたドイツ人・ベルツの給仕として働き始める。好奇心旺盛なベルツに引きずり込まれるように、2人で事件解決のための推理をするという運び。

  表題作でもある「なぜ、絵版師に頼まなかったのか」は、とにかくタイトルが秀逸。タイトルの意味を悟った時の「!!!」という感じは、なかなか爽快。行間からなんともいえない時代の雰囲気が漂ってくるのも、上手いなぁ…と思う。そして、ベルツ先生にしろ、冬馬少年にしろ、キャラクターとしての魅力も存分にある。

 しかし、ミステリーとして秀逸かと問われると、いまひとつ、切れ味鋭くないように思える。トリックはパッとしないというよりも、無理があるんじゃないか…。そんな感じ。

  解説を読むと、なるほど、とても凝った作品のようです。ベルツ先生はじめ、物語の登場人物は実在の人物が多く、しかも史実を下敷きにして創作している部分も多いらしい。そして表題作以外のタイトルも、海外の有名なミステリーのタイトルをもじるなどの工夫がこらされているなどなどなどなど。

  というわけで、歴史ファンとか、ミステリーオタクにはたまらない作品なのだろう。教養のある人にとっては、遊び心いっぱいで、作者と「ね、わかる人にはわかるんだよね~」とヒミツの会話を楽しむ悦びがあるんだと思います。ただ、教養もなく、単純に、ミステリーとしてのワクワク感に引きずり込まれたい私には、やや物足りなかった。

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「日本沈没」 小松左京

2012年01月12日 | か行の作家

「日本沈没」上・下 小松左京著 小学館文庫  

 

  恥ずかしながら、1973年の作品(執筆開始はなんと1964年!)を今さら初読する。子どもの頃、この映画が話題になっていたことはかすかに覚えている。でも、さすがに、まだ、こんな恐ろしげな映画を見る年齢ではなかったので、なんとなく「タイトルだけ知っている作品」のまま過ごしてきてしまった。

 

しかし完成から39年経った今読んでも、まったく古くささは感じない。それどころか、もしかして、小松左京という人は2011年の日本を見てきて書いたのではないか―と疑いたくなるような薄気味悪いぐらいのリアリティ。東京が震災に襲われる場面を読んで、311日の揺れを思い出して足がすくむような思いがした。そして、39年前よりも過密化が進んだ今、本当に直下型の地震が来たら、この小説の中で描かれている程度の混乱では済まないであろうことは容易に想像できる。

 

日本のSF小説の金字塔と言われているが、全くの空想小説ではなく、予見というか、警告的小説だったのかもしれない。さすがに、簡単に日本列島が沈没するようなことはないにしても、所詮は、プレートの境界に乗っている島に過ぎないという心構えでいなければ、

 

ちなみに、日本人のほとんどは当たり前のように地震とプレートとの関係を知っているが、その知識が広がったのは「日本沈没」がきっかけだったらしい。物語としての力があればこそ、人の心に知識を刻むことができたのだろう。 

 

 

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「ホテル・ピーベリー」 近藤史恵

2011年12月16日 | か行の作家

「ホテル・ピーベリー」 近藤史恵著 双葉社  

 

 ハワイ島にある日本人経営の長期滞在型のプチホテルを舞台にしたミステリー。

 

 正直なところ、かなり「イマイチ感」が強かった。「サクリファイス」「エデン」「サヴァイヴ」― 一連の自転車シリーズが秀逸すぎたので、私の中で近藤史恵株はこのところ高値安定していたのに…。これを読んだ途端「利食い売りに押され、値を消す」。

 

 カラクリは最後まで解らなかった。物語のフィナーレ「ああ、そうだったのか、そういうことか!」と謎が解けた時の清々しさはなく、「なんだ、そんなことか」というガッカリした気分になった。何よりも、たとえ物語の中であっても、「人を殺すってそんなに簡単でいいの?」というところに一番ひっかかった。人間が人間を殺すって、物理的にも心理的にもかなり面倒な事で、それをなし得るには相当なエネルギーが必要だと思う。犯人の中に、そういうエネルギーが充満している感じがしなかった。殺人犯をかばった共犯者の動機も希薄でつかみどころがなかった。近藤史恵の歌舞伎ミステリーも「おいおい、そんなことで、人が人を殺しますか?」という違和感があったけれど、それに似ている。

 

 殺人事件と、主人公がハワイ島に現実逃避の旅に出るまでのサイドストーリーの関係もイマイチよくわからなかったし、 雑誌連載時に、明らかに、最終回に焦って色々詰め込んだようなバタバタした風情も好きになれなかった。

 

このままでは安値圏に放置してしまいそう。「サクリファイス」シリーズagainで、もう1度、近藤史恵を好きになりたい。

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「笑い三年、泣き三月。」 木内昇

2011年10月12日 | か行の作家

「笑い三年、泣き三月。」木内昇著 文藝春秋社 2011/10/11読了

 

 「茗荷谷の猫」も「漂砂のうたう=直木賞受賞作」も、私にはイマイチ、響きませんでした。なんというか、不思議な空気感だけが残り、ストーリーとしてはつかみ所がないというか…そんな感じ。 

 

 でも、「笑い三年、泣き三月。」は、本屋に平積みしてあるのを見た瞬間に「ど真ん中にストレートが来るっ!」という予感がしたんです。というか…本に呼び止められたような気がしました。その直感は大当たり。

 

 江戸や明治を舞台としたこれまでの作品から一変、「笑い三年、泣き三月。」の舞台は敗戦間もない時期の浅草の小さな劇場ミリオン座。東京で一旗あげようとやってきた旅芸人の岡部善造、空襲で家族を失った戦争孤児の武雄、かつては映画監督を目指していたが夢破れ毒舌ばかり吐いている光秀、財閥の令嬢だったと言い張るストリッパーのふう子。登場人物1人1人の輪郭がくっきりとしていて、ページをめくるたびに物語に引き込まれていく。

 

 これまでに何度も資料映像で観て、ドラマや映画の題材になって「知識」としては知っていることだけれど、改めて、たった65年前、東京の町は何もかもが焼け尽くされた焦土だったんだ―ということを思い知らされる。特に、印象に残ったのは、ミリオン座の面々が、卵かけご飯を食べるシーン。いまとなっては、粗食、手抜き飯の代表格のような卵かけご飯が、当時の日本人にとっては、夢のようなご馳走。卵を口にするのは何年ぶりか―その興奮で鼻血を出してしまうほど。もう一つは、武雄が宝物にしているカメラに初めてフィルムを入れてもらい、考えに考え、悩みに悩みぬいてシャッターを切る場面。それまで、武雄はフィルムが入っていないままファインダーをのぞき、シャッターを切り、頭の中で現像した写真をイメージするしかなかった。高価なフィルムを無駄にすることのないよう、真剣に被写体に向き合いながら押すシャッターの重みに息苦しくなる。

 

 でも、この物語が伝えたかったのは、つい65年前の日本が貧しくて、辛い時代だったということだけではないと思う。ストリッパーのふう子がいい味を出している。周りの人がみんな、ウソだと知っているのに、頑なに「戦争でお父様が死んでしまって落ちぶれたけれど、私は財閥の令嬢だったの」と言い続ける。ストリッパーの仕事に加えて、売春をしてお金を稼いで善造や武雄を自分のアパートに住まわせ、「さあ、みなさんで一緒に食べましょう」「お裾分けをして差し上げるわね」と食べモノを分け与える。とてつもない見栄っ張りか、虚言症のようでもあるけれど、終盤の告白が泣かせる。「私は何の取り柄もない子どもだった。きれいでもないし、勉強もできなかった。でも、戦争が終わって、私には生き延びる才能があるかもしれないって気付いた。だったら、その生き延びる才能を大切に、エレガントに生きようって決めた」

 

食べるものもない、着るモノもない、暖を取るものもない、仕事もない。夢見ることが許されなかったというよりも、夢見る余裕すら無い時代を、日本人はこうやって生き延びてきたのだ。

 

 国債の格付けが最上位でなくたって、GDPが中国に抜かれたって、円高でヨレヨレになったって、そして1000年に1度の震災・津波に見舞われても、きっと、もう1度スタートラインに立ってやり直すチャンスが日本にはあるのだと信じたい。

 

 旅芸人出身の善造は、最初は「自分の笑いは東京でも十分に通じる」と自信に満ちあふれていたが…大きな劇場の舞台に出演するチャンスを自ら潰し、やがてはミリオン座の客からも飽きられ、再び、旅芸人の世界へと戻っていくことになる。それでも、善造のカラ元気なぐらいの前向きさに救いがある。「さあさ、皆さん、ご陽気に!」、善造のかけ声は今こそ、必要なのかもしれない。

  

 前書きも後書きもないので、作者がどんな思いでこの物語を書いたのかはわからない。木内昇は、私と同世代だ。この物語にあるような何もない時代から這い上がってきた世代を親に持ち、でも、自分自身は高度経済成長期のまっただ中に生まれ、右肩上がりだった時代に育った。貧しかった日本を実体験として持つ人から、直接、話を聞いた私たちの世代が、さらに、その伝聞情報を、どう、次の世代にバトンタッチしていくか。作家が、そういう課題を自らに課しているのではないか―と感じさせるようなストーリーだった。

 

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「潜入捜査」 今野敏

2011年09月22日 | か行の作家

「潜入捜査」  今野敏著 実業之日本社文庫   

 

 マル暴刑事の佐伯は、暴力団組織を憎むあまり、度を超した逮捕劇を何度も何度も展開し、ついに「環境犯罪研究所」へ出向を命じられる。 刑事の身分を剥奪されて気落ちする佐伯だが… 実は、この研究所は、暴力団の資金源となっている不法投棄・産廃ビジネスを根絶やしにすることを目指して、警察以上にアグレッシブに暴力団と戦う組織だった。

 

 久々の今野敏。期待と共に読み始めたものの、「文章もこなれていないし、そもそも、やくざ業界の産廃ビジネスって、なんか古典的なテーマだなぁ」と思いながら読了。そして、著者あとがきを読んで、ようやく納得。なんと、1991年、20年も前の作品だったのでした。つまり、今野敏超初期作品だったのですね。こういう作品を経て、「隠蔽捜査」という傑作が生まれたのかと思うと、それはそれで味わい深い作品ではあります。

 

 ちなみに、佐伯は蘇我入鹿暗殺で功を立てた佐伯子麻呂の末裔。佐伯一族は、古代より宮廷警護などにあたった軍事氏族で独自の武術を継承しているという設定。私は警察小説しか読んだことがないけれど、武術小説は今野敏のもう一つの柱。正直なところ、佐伯の武術があまりに凄すぎて、リアリティが無くなってしまっている。拳銃を持って、4人、5人でかかってくる敵を相手に、パチンコ玉と手製の手裏剣で戦うって…なんとなく、ジャッキー・チェンの香港映画みたいだな。格闘技フリークの心には響くのかもしれないけれど、警察モノはリアリティを追求した方が面白いと思います。

 

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「サヴァイヴ」 近藤史恵

2011年08月18日 | か行の作家

「サヴァイヴ」 近藤史恵著 新潮社 

 

もうちょっと長くこの面白さに浸っていたいのに…奥田英の「我が家の問題」に引き続き、あっさり一晩で読み切ってしまい、「ああ、もったいない」。

 

プロの自転車ロードレーサー白石誓(しらいし・ちかう/通称チカ)を主人公とした「サクリファイス」「エデン」の2連作からのスピンアウト作品。チカのチームメイトやライバルを主人公にした短編集。前作の人気便乗商品かと警戒したのは杞憂でした。面白い!本編2作に負けず劣らずに面白いです。

 

まずは、なんと言っても自転車のロードレースという競技の面白さがキッチリと伝わってくる。個人競技なのに、チーム力が問われること。エースとエースを勝たせるために競技に加わるアシストとの心理バランス。落車による怪我や死の恐怖との戦い。体力や技術だけではない駆け引きや知的ゲームの一面。一度、じっくりこの競技を見てみたいなという気持ちになる。その競技の面白さをベースに、人間ドラマが重なっていくのだが、かつての青春モノ、スポーツモノに特有なウェットな感動を誘う感じはなくあくまでも淡々としている。そこが、またいい。結末を書きすぎないで、かなりぶっきらぼうな終わり方をしているけれど、その方が読み手の妄想の余地が広がるし、余韻が楽しめて好き。簡潔でリズム感のある文章もいい。

 

近藤史恵さん、かつては歌舞伎を題材にしたミステリーを書いていて、その時は、設定の甘さとか、まだらっこしい表現が気になってしまったけれど、ロードレースシリーズは圧倒的にいいです!

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「漂砂のうたう」 木内昇

2011年07月04日 | か行の作家

「漂砂のうたう」 木内昇 集英社 11/07/03読了  

 

 物語の結末が近づくにつれ心が波立つ。というか、焦る。「そろそろ、面白くなってくるのかな」「ついに、次のページから盛り上がるのか???」 結局、高揚感無きまま読み終ええて「………もしかして、私、そんなに好きじゃないかも」と思う。

 

 第144回直木賞受賞作。根津遊郭の妓夫台に座る(今風に言えば、キャバクラの黒服のようなもの?)定九郎は、元は武士の身分にあった。無血革命と言われる明治維新を機に身分を失い、流れ流されていくうちに根津へとたどりつく。

 

 江戸幕府が終わり、開国した日本には西洋文化が流れ込み、「文明開化だ」「自由だ」と世の中は浮き足だっているけれど、底辺の世界に「文明」も「自由」もない。遊郭に囲われる花魁たちと同様、そこに携わる男衆たちも、澱んだぬかるみにもがき苦しんでいる。

 

 定九郎は「ここからは抜け出せない」という諦念を持って水底での生活を受け入れる一方で、「ここから逃げ出したい」という淡い期待、「逃げ出せるのではないか」というささやかな希望を胸の奥に温め続ける。しかし、その思いに付け入れられてドジを踏み、ますます泥沼へとハマッていく。

 

 直木賞の受賞会見か直後のインタビューで木内さんが「現代につながる時代小説を書いていきたい」と答えていたのが印象に残っている。そういう意味では「漂砂のうたう」は、そのまま現代に設定を置き換えても通じる普遍性がある。自分の意思とは関係なしに、ふとした出来事がきっかけで人間が没落するなんて簡単なことだ。しかし、一度、沈み始めたら、もう一度、浮上するのは簡単なことではない。もがき苦しみながら息絶えるまで水底での暮らしを強いられるのだ。

 

 普遍的であることと、陳腐であることは、隣り合わせなのかもしれない。冒頭から定九郎は「何か訳あり」な風情で描かれており、物語の途中で没落武士であることがしれる。その時点で、なんとなく物語の構造が透けてみえてくる。「でも、直木賞受賞するぐらいなんだから、意表をつく仕掛けがあるのではないか」「構造を見抜いた気になった読者を裏切ってくれるのではないか」というほのかな期待も虚しく、予定調和的に、水底に棲むものは水底から抜け出せないまま物語は結末を迎える。

 

 随所に「巧いなぁ」と思う表現や、書きぶりあり。恐らくは明治期の遊郭の様子を丁寧に研究し、再現されているであろうことはよくわかる。でも、期待していただけに、予定調和的すぎて拍子抜けってところでしょうか。まぁ、好みの問題だと思いますが、私にはあんまりしっくり来ませんでした。

 

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「赤目四十八瀧心中未遂」 車谷長吉

2011年05月08日 | か行の作家
「赤目四十八瀧心中未遂」 車谷長吉著 文藝春秋社 2011/05/07読了 

 朝日新聞の土曜日の別刷りbeの中の人生相談はなかなか楽しい。人生せいぜい80年(まぁ、時々100歳ぐらいまで生きちゃったりすることもありますが…)、誰も彼も、燃やされれば灰と骨になってしまうのだから、肩の力を抜いて、開き直っちゃおうよ―。そんなコンセプトに読者は癒やされるのだ。4-5人の回答者がローテーションで登場するのだが、中でも、断トツに突き抜けてしまっているのが車谷長吉である。

 ある時、中学か高校の教師からの相談で「生徒のことを好きになってしまった。でも、家庭も大切だし、どうしたらいいのでしょう」というものがあった。それに対する車谷長吉氏の回答が「その生徒とデキてしまいなさい。落ちるところまで落ちないから悩むのです。落ちるところまで落ちれば、そこから何か見えてくるものがあるのです」って、朝日新聞紙上で生徒にお手つき・不倫推奨を堂々としてしまう大胆さが痛快。その後、教師氏が長吉っあんのアドバイスに従ったかどうか定かではないが…結局のところ、誰に相談したところで、人生、最後は自分で決めなければならないのだということを長吉っあんは伝えたかったのかもしれない。

 さて「赤目四十八瀧心中未遂」も、落ちるところまで落ちた男の物語である。東京でサラリーマンをしながら、小説を書いていた男が、ふとしたきっかけで会社を辞め、転落人生を歩み始める。健康で文化的な生活から、不健康で、貧しく、文化も教養も無用の世界に落ちていく。病気で死んだ豚の臓物をさばき、安い串焼き用にひたすら串に刺す仕事をしながら、人生の一日一日を漫然と消化するだけの毎日。そこで、濁った池に咲く蓮の花のような女性に巡り会う。

 「答え」は最初から分かっている。小説のタイトルは「心中未遂」なのだ。2人は狂おしく互いを求め、「死ぬしかない」と決断して、死の道行きに出る。「生きるも地獄」と分かっていても、結局、2人とも生きることを選ぶ。

 「死」の瀬戸際まで行って見えてくる、どうしようもないほどの「生」への渇望こそ人間の本能なのだろう。「死ぬ気になったら、どんなつらいことにも耐えられる」などというきれい事ではない。人生には耐えがたいほどの辛いできごとが待ち構えているし、生きながら地獄を見ている人もたくさんいるだろう。それでも、やっぱり人間は生きたいのだ。

5年掛かりでようやく読み終えました。

本を購入してからはまだ1カ月も経っていないし、読み始めてからはほんの数日で読了しましたが、友人にこの本を薦められたのは…多分5年以上前。当時の私にとっては「心中モノ」というだけで、なんとなく忌まわしく、ちょっと心理的なハードルが高かった。

 文楽を見るようになってからは、「心中モノ」に対するアレルギーはだいぶ治まったのですが、1年ほど前に電子書籍で「赤目四十八瀧」を購入し、再び、つまづきました。電子書籍、フォントもページ繰りも工夫されているのはすごくよくわかりましたが、私は、全然、集中して読めませんでした。ページをクリックした瞬間、「あれ、今のページって、何が書いてあったっけ?」という気分になり、まるで頭に残っていないのです。紙の本を買って、ようやく、落ち着いた気分で読むことができました。やっぱり私は、活字派みたいです。
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