おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

「64 ロクヨン」 横山秀男

2013年02月06日 | や行の作家

「64 ロクヨン」 横山秀男著 文藝春秋社 

  主人公は地方の県警の広報官。タイトルは迷宮入りになりかかっている10年以上前の誘拐殺人事件を表す符牒。

何でも情報を寄こせという記者クラブと、全てを隠そうとする刑事部との板挟みとなり、精神的にも追い詰められていく。地方新聞の記者だった著者でなきゃ書けないような胸に迫る描写多数。

 ネタバレしないように…というよりも、切なすぎてこれ以上は書けず。

 個人的には、最初から最後まで胃が締め付けられるように痛かった。「クライマーズハイ」は傑作だと思うけれど、私がまだ学生だった頃の出来事をベースにした小説なので、ある程度、客観的に読めましたが、「64」は本当の意味でリアルでした。

 


「牡丹酒」 山本一力

2012年03月13日 | や行の作家

「牡丹酒 深川黄表紙掛取り帖(二)」 山本一力著 講談社文庫 

 実に気持ちの良い物語である。土佐の酒・司牡丹を江戸の町で販売するため、深川の若者4人組が徒歩と船の旅で遙か土佐まで旅する。首尾良く蔵元との交渉をまとめ、江戸に戻って司牡丹のお披露目イベントをしかけるまで。 

 登場人物は、気持ちの良い人物ばかりだ。たまに意地悪なヤツや、心がささくれている人も出てくるが、主人公たちの人柄の良さに触れて、嫌なヤツも、やがては良い人になっていく。しかし、私には、あまりに気持ちの良い物語であることが、軽いストレスだった。

 だいたい、いい人しか出てこないってことが、物語として、かなり不自然な気がする。江戸時代の船旅ということで、もちろん、海が荒れて苦労することもあるのだけれど、長旅の苦労はその程度。交渉ごとも、紹介状が功を奏したり、4人組の人柄の良さゆえに大概スムーズに進む。そもそも、4人(男3、女1)の旅の後ろ盾になっているのが、江戸幕府の要人・柳沢吉保と豪商・紀文。経済的にも恵まれた状態で、宿泊する宿はかなり立派目なところだし、交渉先の奥さまに高価な珊瑚細工の土産ものを買ったりなんかして、やることがスマートだ。

 せっかく、江戸から土佐まで旅しているというのに、アドベンチャーストーリーとしてのワクワクドキドキハラハラはほとんどない。これが現実世界であれば「いい人ばかりでよかったね~。長旅に大きなトラブルもなくてよかったよかった」なのだけど、物語には多少の盛り上がりがないと、なんか、拍子抜けしてしまう。

 だいたい、江戸時代に大阪から土佐まで独身の男3人、女1人で船旅なんてことが可能だったのだろうか―と意地悪な疑問が頭をもたげてくる。現代のフェリーには、客室もトイレもついているけれど、江戸時代の船には、そんなことは望むべくもないだろう。そんな環境で、乗り組み員も全員男、旅仲間も全員男の中の紅一点で旅するのって、ほとんどありえないことのように思えます。

 なんとなく、いい話すぎて嘘っぽい、そんな印象の物語でした。

 で、この物語に出てくる「司牡丹」という土佐の酒、虚構かとおもいきや、実在していました。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の中では、竜馬が愛した酒として登場するらしい(司牡丹酒造のウェブサイト情報であります。私は「竜馬がゆく」未読)。でも、「司牡丹」とネーミングされたのは、竜馬没後なんだそうです。

 

 


「放課後の音符」 山田詠美

2011年02月25日 | や行の作家
「放課後の音符」 山田詠美著 新潮社 2011/02/25読了 

 イマドキの高校生の生態はよく知らないが、私の世代からしてみると、ちょっと大人びた(というか、背伸びした)女子高生の恋物語短編集。高校生って、こんなに恋愛について悟りきっているものでしたっけ???  私なんて、この年齢になっても未だに悟っていないけどなぁ…。

と、思っていたのですが、最後のページで腑に落ちました。この短編集は1988~89年にマガジンハウスの「olive」に連載されていたもの。つまり、「セブンティーンなんて読んでいるお子ちゃまなんかには付き合っていられないわ」などと内心思っていたであろう当時のolive少女たちの選民思想を満たすべく、大人な恋のテキストとしてのストーリーだったわけですね。

それにしても「olive」懐かし~い、と思ってwikiで調べてみたら、いつの間にか休刊してました。こんな時、「ああ、年とったなぁ」と感じてしまいます。

年賀状に、時々、「気分は未だに18歳」などと書いている私ですが、さすがに、高校生主人公の小説はキツいなぁ。もちろん、読みながら、懐かしい気持ちが胸に広がり、すっかり忘れていた友だちの顔がフッと思い浮かんだりはしましたが、でも、登場人物に自分自身を投影するには、ちょっとオバサンになりすぎちゃったかな。

ちなみに、高校生の私は「月刊タイガース」は読んでいましたが、「セブンティーン」も「olive」 も読んでいませんでした。

「風味絶佳」  山田詠美

2011年02月17日 | や行の作家
「風味絶佳」 山田詠美著 文藝春秋社 2011/02/16読了  
 
 男子諸君、この小説は大変、キケンです。家に帰ってゴハンを食べるのが怖くなります!―と、とりあえず警告を発したくなるぐらい、できれば、男性諸氏には読まないでもらいたい。

 表題作である「風味絶佳」を含む6篇からなる短編集。私は、2番目に収録されている「夕餉」に打ちのめされた。愛する男の帰りを待ちながら、料理をする女の一人語り形式の小説。ひれ伏したいぐらいの気持ちになった。それは、「敬意」故ではなく、「恐怖」故にです。

 なんで山田詠美は、私の心のうちをここまで見透かしているのだろうか、ページを1枚繰るごとに、1枚ずつ身ぐるみを剥がされていくような、薄ら寒い気持ちに支配されていく。本当は「お願いだから、もうそれ以上は言わないで」と懇願したい。でも、その一方で、あまりにも巧みな話術に載せられて、最後は、もう自分で脱いじゃえ~と開き直りたくもなる。

 「夕餉」は女が料理を媒介にして男を支配しようとする物語。冒頭に収録されている「間食」は、「夕餉」とは全く異なる登場人物・設定だが、男が女の支配から逃れて息抜きする快感を描いていて、ちょうど対になっているようだ。「誰かのために料理する」という行為はエロチックでエゴイスティックだ。でも、それを受け入れて、共に食事をするということが、家族になるということなのかもしれない。
 
 実は、これまでずっと食わずギライ(読まずギライ?)を通してきて、山田詠美を読むのはこれが初めて。でも、若い頃に出会っていても、その味わいを堪能することはできなかったかもしれないし、心が弱っている時に読んだら負けてしまっていたかもしれない。この年齢になったからこそ、その醍醐味がわかるような気がする。まさに、プロフェッショナルの仕事でした。

 表題作である「風味絶佳」。どこかで聞いたことあるなぁ~と思っていたら、2006年に映画化されていたのですね。主演は柳楽優弥と沢尻エリカ。今にして思えば、なかなか、キワドく、話題性たっぷり配役であります。大学進学を拒否してガソリンスタンドで働くことにした青年。「とりあえず、大学に行っておけ」という両親を説得してくれたのは、米軍基地の近くで軍人相手の小さなバーを営む祖母。孫に「グランマ」と呼ぶように強要するおばぁちゃん役の夏木マリは絶妙のキャストだけど、柳楽&沢尻で、一挙に、お子ちゃま映画化したのではないか(見てないけど…)と、いらぬ心配をしてしまいました。

 ちなみに「風味絶佳」は黄色い箱の森永ミルクキャラメルのキャッチコピーです。子どもの頃は箱の文字なんて気にしていなかったし、大人になってから森永キャラメルなんて買わなくなってしまったので、そんなステキなコピーが書かれているなんて、今まで、全く知りませんでした。めちゃめちゃカッコイイ言葉。怪しい英単語をダラダラと並べるよりも、簡にして要。そして美しい。「風味絶佳」という言葉そのものが、甘く味わい深い。


「男は敵、女はもっと敵」 山本幸久

2011年01月25日 | や行の作家
「男は敵、女はもっと敵」 山本幸久著 集英社文庫 11/01/24読了 

 文章のリズムは良いし、主人公の高坂藍子はエラい美人だけど、ちょっとワケありで、なにやら、面白げな設定である。不倫していた男が、いつまでも妻と離婚しないことにキレて、手近にいる中で最も冴えない男と結婚するものの、凡庸で刺激の無い男との暮らしにウンザリしてあっさり半年で離婚。こういうふうに衝動的に行動出来る人にはちょっと憧れるな(でも、好きでもない男と結婚するのは、やっぱり得策じゃない)。

 で、藍子の元不倫相手、元夫、元夫の新しい妻、不倫相手の元妻―それぞれの思いや、恋愛模様をアンソロジー風に綴っていく。パーツ、パーツは「上手いなぁ~」と激しく頷くところも多々あり。人間関係の機微って難しいんだよね~と思わされる。

 でも、全体のストーリーとしては散漫だし、面白みがイマイチですなぁ。物語としての醍醐味は最後までわからないままでした。「いったいこの人は何のためにここにいるの???」と聞きたくなるような存在意義がよくわからない登場人物もたくさんいた。

 どうせなら、藍子とその不倫相手ファミリーに絞った方が物語としては面白かったんじゃないだろうか。不倫相手の息子がなかなかいいキャラなのだ。そして、もとの鞘に戻ることはないけれど、一度は別れてしまった不倫男と元妻が新たなつながり方を見つけていくエピソードはステキだなと思った。この4人をメインプレーヤーにして同じぐらいの分量の原稿にしたら、グッと心に響いてくるような気がする。

 ついでながら、文庫版の最後に「オマケ」として収録されているストーリーには著者の代表作である「笑う招き猫」のメインキャラクターである女性漫才コンビが登場する。「笑う招き猫」を読んでいない読者は、「なんでここで漫才コンビが登場するのだろうか?」という唐突さに困惑するのでないだろうか?山本幸久ファンにだけ通じる(私はファンではなくて、たまたま読んだことがあったというだけ)内輪ウケっぽいネタふりは、なんか感じ悪いなぁ。まぁ、オマケだからいいけど…。


 ところで、「男は敵、女はもっと敵」なのだろうか? 少なくとも、ストーリーからはそんなニュアンスは微塵も感じなかった。

「トーキョー・プリズン」 柳広司

2011年01月14日 | や行の作家
「トーキョー・プリズン」 柳広司著 角川文庫 11/01/13読了

 第二次世界大戦敗戦直後の東京を舞台にしたミステリー。

巣鴨プリズン内で相次いで2件の密室殺人が発生する。私的な調査のために巣鴨プリズンを訪れたオーストラリア人私立探偵のフェアフィールドが、戦犯として独房に幽閉されている元日本兵・キジマの推理力を借りて、事件を解き明かしていく―というもの。ちょっと「羊たちの沈黙」を彷彿させる。

まず、柳広司という作家の頭の中の引き出しにはとてつもない知識がつまっていることがわかる。恐らくはミステリーマニア(オタク?)として、古今東西、莫大な作品を読破したのであろうことに敬意を表したい。

そして、戦争に対して、著者が様々な「思い」を持っていることも伝わってくる。つきつめれば「大量殺人」でしかない戦争の虚しさ。拒否権もなく戦争に徴用されたり、家族を奪われたりした市井の人々の苦しみ―そうしたことを伝えようとする姿勢には共感する。

実は、私は著者と同世代。戦争を知らず、日本が右肩上がりの時代に育った幸せな世代だ。だからこそ、余計に私たちの世代が、戦争を「エンタメ」にしてしまうことに対して大きな抵抗感があり、ミステリーとして素直に楽しむことはできなかった。

著者の代表作「ダブル・ジョーカー」はいかにも架空のストーリーっぽいので割り切ってしまうこができた。でも、「トーキョー・プリズン」は、東京が舞台であり、もしかしたら実話かもしれない―という生々しさがあって、余計に、罪悪感が強まってしまった。

戦争を実体験した世代の方々が高齢化し、亡くなっていっている。私たちの世代は、体験していない戦争の記録と記憶を受け取り、さらに、もっと豊かになってから生まれた世代の人たちに引き継いでいかなければならない。その作業には、当然のことながら想像力が不可欠だと思うけれど…でも、やっぱり、私は「エンタメ」として楽しむほどスキッと割り切れない。

ただ、私たちの世代が戦争をエンタメにすることの是非の議論は置いておいても、「ダブル・ジョーカー」ほどには冴えた作品ではありませんでした。密室殺人のトリックも陳腐だし。今ひとつ、後味がよろしくない作品でした。


「深川黄表紙掛取り貼」  山本一力

2010年07月01日 | や行の作家
「深川黄表紙掛取り帖」 山本一力著 講談社文庫 

ピーターパンか? 少年探偵団か? お江戸深川を舞台にて4人の大人になりきれない若者4人が知恵を使って強欲なお金持ちを困らせたり、お金を巻きあげちゃうという話。

永代橋を渡った先、冬木町や佐賀町、富岡八幡宮に門前仲町と、以前、仕事で何度か行ったことがあるような場所が舞台となっていたので、個人的には、懐かしい気持ちになれました。そして、さすが、ベストセラー作家とあって、まあ、卒なく、小ざっぱりまとまっているよなぁという感じ。文章も読み易いし…。

 でも、最後に「へっ?」と脱力しました。

何の力もない町人が、知恵だけで勝負して金持ちを出し抜くことで、みんなをスカッとした気分にさせてくれる話なのかと思いきや、最後は、最高権力者に褒められていい気分になってお終いですか?  まあ、確かに、権力は蜜の味ですけどね…。なんか、陳腐だなぁ…と思いました。

「遺言状のおいしい罠」 山田健

2010年05月09日 | や行の作家
「遺言状のおいしい罠」 山田健著 ハルキ文庫(10/05/08読了)

 同じ著者の「ゴチソウ山」が面白かったので、ついつい、2冊目を買ってしまいましたが、こちらはイマイチ。

 都内で農業とアパート経営するヘンクツ地主が死ぬ。地主には身寄りがない。4000坪の土地の相続人として指定されたのは、アパートの住人4人。ただし、その条件は4人で4000坪の土地で農薬を一切使わず5年間有機農業をすること。

 マル暴のオジサン、水商売のお姉さん、自分探ししている大学生(しかも留年繰り返し中)、広告代理店勤務の若者―― いずれも、農業に不向きな4人が、それでも「都内の土地」に目がくらみ、農業を始める。

 最初は、いかに手抜きをして土地を手にいれるかということに策をめぐらすものの、徐々に、農業にハマッていく。

 いや、アイデアは悪くないと思います。だけど、とにかく、文章がザツ。多分、書き手なりに「これは面白い」というパーツが色々あったのだろうけれど、ただ、それをつなげただけでは、小説としていい作品にはならないことのお手本みたいなストーリーでした。


「すき・やき」 楊逸

2010年05月03日 | や行の作家
「すき・やき」 楊逸箸  新潮社 (10/05/03読了)

 初・楊逸。日本語を母国語をしない人としては、初めて、芥川賞を受賞した人。すごいなぁ。経歴を見ると、来日したのは20歳を過ぎてから。もちろん、来日前に日本語は勉強していたのかもしれませんが…それでも、大人になってから習得した言語で、ここまでの文章を書けるようになるというのは、センスもあるのだろうけれど、並々ならぬ努力をしたんだろうなぁと。ひたすら、敬服します。そして、日本で生まれ育って、日本語の中で何十年も生きているのに、ろくな日本語を書けない人たちに、「大いに反省しましょう!」と言いたいです。

 ただ、私には、純文学って、ようわかりません。前にも、芥川賞受賞作家の津村記久子作品を読んだ時にも、「…で、結論は?」「だから、何?」と聞きたくなってしまった記憶があります。

 日本で結婚している姉を頼って来日、日本の大学に入学した虹智(こうち)が、ちょっと高めのすきやき屋でアルバイトをしながら、日本式の接客に悪戦苦闘したり、ちょっと恋に揺れたり、姉の結婚生活を心配したり…という日常を綴ったもの。

 それなりに面白いエピソードもあったり、「ああ、わかる、わかる」と思うところもあるのですが、突き詰めて言えば、日々の生活をひたすら書き連ねているだけなのです。(津村記久子作品もそうでした)
 
 私は、単純脳なので「これがフィナーレっ」ていう、起承転結が分かりやすいストーリーが好き。お気楽に楽しめる直木賞系作品の方が私には合っています。 

「ゴチソウ山」 山田健

2010年05月03日 | や行の作家
「ゴチソウ山」 山田健  角川春樹事務所 (10/05/03読了)

 正直なところ、文芸作品としては全く洗練されていないし、「もうちょっと、メリハリつけて、ここをクライマックスシーンにしなきゃ」とツッコミを入れたくなったりするのですが…。そういう減点部分を相殺してなお、「おもしろかった~」と思える作品でした。

温泉街の高台にある旅館の近くで、大規模な崖崩れが起こるところから物語が始まります。直接の原因は、開発会社が土地の造成を始めたことなのですが… 単純に造成が悪いのではなく、「時期が悪かった」そうなのです。

開発エリアは孟宗竹が茂る竹林。竹林の下には、網の目のように地下茎が張り巡らされていて、通常はそれが地表近くの土を固める役目を果たしているそうです。ところが、筍の季節は、全栄養分を筍に集中させようとするため、地下茎はすかすかになってしまう。土地がもろくなったところに大雨の被害で地盤が緩み、付近の道路まで引きずりこむように地崩れを起こしてしまった。もしも、地下茎がたっぷりと栄養を蓄えている冬場だったら、ここまでの大惨事にならなかったかもしれない…。

へぇ~。ここまで聞いただけでも、竹に詳しくなったような気分で、少々のお得感あり。

そして、被害にあった住民が開発会社からなんとか補償金を勝ち取ろうと被害者同盟を結成するのですが、その中で、竹林が果たしてきた役割、竹林と雑木林の関係を学び、さらに、森と川、森と海の関わりを知ることで、我が土地を愛し、再生していくことに目覚めていくのですが…

単に「ええ話や…」という感動物語というわけでもないのです。「人を動かすのはカネだけではないけれど、でも、カネも重要である」という、冷静な現状認識がある。もちろん、ボランティアを活用する方法もあるけれど、ボランティアだけで里山再生などという大規模な事業ができるはずもない。どうやって行政や企業を巻き込んでカネを出させるのか。もちろん、税金を預かる行政、株主に利益還元しなければならない企業も美談だけではカネを出せない。カネの出し手を納得させるロジックをどうやって作っていくのか-。というところまで含めて、エンタメ小説に仕立ててしまったところが、なかなか巧妙。

私的にいちばん楽しかったのは、竹の器を活用した料理を紹介している場面。竹を飯ごう代わりにした炊き込みご飯や、竹豆腐… 是非に、食べてみたいものです。 

もちろん、この物語のように歯車が上手く噛みあうことなど現実の世界ではなかなか難しいことだとは思います。それでも、ほんのささやかな希望を与えてくれるような、元気の出る一冊でした。