おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

「阪急電車」 有川浩

2008年02月28日 | あ行の作家
「阪急電車」 有川浩著 幻冬舎 (ギリギリ08/02/27読了)

 アッという間に読んでしまいました。有川浩という人は才能あるんだろうなぁ。阪急電車・今津線に乗り合わせた人のドラマ。駅ごとにストーリーがあり、たまたま、乗り合わせた人たちの物語が少しずつオーバーラッブする。オムニバスの一つ一つが完結するストーリーであるけれど、全体を通しても、一つの物語にもなっている。凄いストーリーテラだと思う。でも「図書館戦争」シリーズの衝撃を知ってしまったあとでは、なんか、物足りないような…。生クリームこってりの甘~いケーキ食べたあとに、ほのかに甘酸っぱいサクランボ食べても味わからないし-みたいな気分。

ブッ飛び過ぎて訳がわからないのにめちゃめちゃオモシロイ「図書館戦争」は、有川浩にしか書けなかった。でも、「阪急電車」のような、ふんわりと幸せで、優しいキモチになれるいい話って、有川浩が書かなくても、別の人が書きそう。有川さんには、オタク道を究めていただき、図書館戦争並みの妄想系エンターテインメントを展開していただきたいなと思うのです。

電車ストーリーだけに、電車で読むのにぴったり。一話一話がコンパクトにまとまっているので、駅間でサラッと読み終えることができるのもナイスです。ちなみに、私は、登場人物の中では、犬好きの時枝さんのファン。あんな、大人になりたいものです。そして、ストーリー中に出てくる「正しい行きずりのあり方」という表現も素敵です。

ストーリーとは関係ありませんが、直前に読んだ吉田修一の「悪人」は徹底的な九州弁小説。そして、「阪急電車」はバリバリ・関西弁。関東人の私には、やや、重荷でした。



「悪人」 吉田修一

2008年02月27日 | や行の作家
「悪人」 吉田修一著 朝日新聞社 (08/02/27読了)

 初・吉田修一。分厚い本なのに、スピードに乗って読んでしまったのは、著者の筆力ゆえでしょうか。「表面的には仲の良い、同じ会社の寮に住む若い女同士が、内心では相手を見下し、反発しあう微妙な心理」「恋人も友だちもいない冴え無い三十路女の日常」「都会でなに不自由なく暮らす老舗旅館のぼんぼんの傲慢」-こういったディテールの部分が過不足なくリアルで、ついつい、自分の周囲の人に引き映しながら読んでしまったような気がします。

 装丁は…白地に赤い色でおどろおどろしげな「悪人」の文字。でも、読み終わってみて、犯人は悪人だったのだろうか-と考えてしまうのです。罪を犯したという事実は取り消すことはできないし、一生、重荷を負って生きていかなければならないのでしょう。でも、少なくとも、彼は、極悪人ではないのです。そして、ふと、裁判官志望で司法浪人をしていた友人(その後、合格したのだろうか??)の言葉を思い出しました。「本当は裁判官を目指すことが怖くなることがある。憎しみや、恨みは誰の心の中にもあるけれど、どうして、人を殺してしまう人と、殺さないで踏みとどまる人がいるんだろう。もしかしたら、遺伝子とか、水道水の成分とか、本人の意思とは違う何かが作用しているとしたら、自分は人を裁けるのだろうか」-。もちろん、この友人の発言は、ちょっとエキセントリックすぎるような気がしますが、でも、罪を犯す人と犯さない人の境界線というのは、私たちが思っているのよりも、ずっと、曖昧なものなのかもしれないな-と思わされる一冊でした。

 決して、明るい小説ではありません。読みながら浮かび上がる映像はずっとモノクロでした。途中で「このまま、読み終わったら、今日は暗い気分かなぁ」と心配になったのですが、最後の最後、映像に色がつきました。スカッと抜けるような結末ではありませんが、それぞれの人に、ささやかな救いがもたらされたよかったと-としみじみと思いました。


「ガール」 奥田英朗

2008年02月25日 | あ行の作家
「ガール」 奥田英朗著 講談社 (08/02/25読了)

 相変わらず「痛い」です。というか、「痛すぎる」。オムニバス形式のストーリーは、いずれも、都会で働く女性の弱気になったり、弱気な自分を克服するため、無理に強気に振舞おうとする微妙な心理を切り取ったもの。主人公たちは、チヤホヤされる年代をとっくに通り越してしまったのに、いまだに、気分は“ガール”である自分から卒業できていない30歳代!ディテールの心理描写は天才的。商社の給湯室に一週間潜入取材しても、女の心理をここまで書けるだろうか-と思わされます。

 ガールを卒業できないオバちゃんたちを、それぞれのストーリーの結末でそれとなく救済してくれているのが奥田英朗流の優しさなのかもしれませんが、でも、やっぱり、私には、ちと、痛すぎます。何しろ、もっとも、人に見られたくない女の心のうちを、白日の下にさらすことによって、この本は成り立っているのですから。

 もちろん、否定しているのではありません。やっぱり、凄い才能の人なんだと思います。でも、女性が読むのであれば、揺れる男心をテーマにした「マドンナ」の方が、客観的で気楽かなぁと思うのです。

「こころげそう」 畠中恵

2008年02月25日 | は行の作家
「こころげそう」 畠中恵著 光文社 (08/02/24読了)
 
「まるで、お江戸版・ふぞろいの林檎たち!(しかも超ユル)」と突っ込みを入れたくなりました。と、「ふぞろいの林檎たち」を見たこともない私が言うのも無責任ですが…。でも、女子は男勝りのおきゃんな娘とおとなしいお嬢様、男子は頼れる兄貴分や、悪意はないけれど目先のことしか考えられない軽いヤツなどバリエーション豊富な男女混合のお友だちグループ。その中で、思い・思われ、横恋慕あり、失恋あり、死別ありと、きっと、「ふぞろいの林檎たち」もそんなような話だったのでしょう。

 それにしても、ユルイ、ヌルイ。ドロドロの恋愛ドラマにしないまでも、お友だちグループのメンバーが「みんないい人」キャラっていうのも、いかがなものでしょうか。共感するポイントを見つけらないまま、最後まで読んでしまいました。サブタイトルにある「男女9人、お江戸の恋物語」の9人のうち2人はオムニバスの第一話から、既に、死んでしまっているということが、このストーリーの刺激というか、エッセンスなんでしょうが…どうせ「人ならぬもの」をストーリーに登場させるのであれば、「しゃばけ」ぐらいにブッ飛んだストーリーにしてほしかった。川で溺死した成仏しそこないの若い女(第一話の冒頭の方からこういう設定になっています。何もバラしていませんから、ご安心を)っていうのが、中途半端に生々しく、でも、気味悪い存在としては描かれていないのが、なんとも、やっぱり中途半端。

 私としては、圧倒的に、「しゃばけ」シリーズを推奨したい気持ちです。ちなみに、「こころげそう」の「そう」は「草子」の意味かと思いきや、「心化粧」なんだそうです。勉強になりました。

「対岸の彼女」 角田光代

2008年02月22日 | か行の作家
「対岸の彼女」 角田光代著 文春文庫  (08/02/22読了)

 初・角田光代です。本屋で平積みになっている「八日目の蝉」には“爆笑問題の太田光氏も絶賛”みたいなキャッチがついていて、ちょっと気になります。話題の本を読む前の準備運動のつもりで「対岸の彼女」を手にとった次第。

 確かに、30代ぐらいの女性の「ああ、高校生の頃の私って…」「こんな歳になっても私って…」という心理をうまく捕らえているなぁと思います。細かな表現で「そうそう、そうそう」と頷いてしまうところがいくつもありました。しかし、「駄目な私って、私たけじゃなかったんだ」っていうことを確認するだけで読み終わってしまって、読後のスッキリ感はイマイチ。傲慢な読者の我侭ですが、やっぱり、ダメな私を乗り越えるために、もうちょっと背中押してほしいなっていうのが本音です。その点、荻原浩作品の読後にジワジワと「しっかり前を向こう」という気持ちが湧いてくるのが好き。それにしても、これが直木賞受賞作って、ちょっと意外な感じがします。

 というわけで、なんとなく「八日目の蝉」は文庫になってからでもいいかなぁという気分です。

「人形は口ほどにものを言い」 赤川次郎

2008年02月21日 | あ行の作家
「人形は口ほどにものを言い」 赤川次郎著 小学館文庫 (08/02/21読了)
 恥ずかしながら、初・赤川次郎です。学生時代、友人たちの間で「三毛猫ホームズシリーズ」が流行っているのは、もちろん、知っていましたが、自ら手に取ろうという気持ちはまるでなかったのです。そして、読んだこともないくせに「子どもだましの本を書いている人」と勝手に決め付けていました。その誤解を、深く深く懺悔したい気持ちです。

 この本のサブタイトルは「赤川次郎の文楽入門」。小学館のPR誌に30回に渡って掲載されたエッセイをまとめたものです。まず、驚かされるのが、赤川さんが文楽のみならず、歌舞伎、オペラ、ミュージカル、映画と幅広く芸術に触れ、深い造詣を持っていること。エッセイの中には「創作のヒントを得るために文楽を見ているわけではない」という趣旨のことが書かれていましたが、しかし、肥沃な土があってこそ、豊かな実りがあるということなのか-と感じさせられました。

 そして、必ずしも「文楽はすばらしい」とだけ絶賛しているわけではなく、かなり辛らつに批評している場面もあり、古典芸能を後生に引き継ぐためには、伝統だけではだめだと、かなり斬新な提言をしたりと…子気味良い気分で読めました。文庫化の際の「おまけ」として収録されている赤川さんと桐竹勘十郎さん(人形遣い)の対談も楽しいです!

 文楽未体験の方には、三浦しをん著「あやつられ文楽鑑賞」をおススメ。こちらは、より、ミーハー度が高いので、素人にも読みやすい。私は、そのミーハーに感染して、過日、ついに、初めての文楽鑑賞をしてしまいました。たかが人形劇と侮るなかれ、歌舞伎よりも、はるかに面白いのです!あまりの楽しさにハマりそうです。その状態で「人形は口ほどに…」を読むと、とっても、とっても勉強になると思います。


「明日の記憶」荻原浩

2008年02月20日 | あ行の作家
「明日の記憶」 荻原浩著  光文社文庫 (08/02/20読了)

 そもそものキッカケは映画の予告編の映像が印象的だったのです。渡辺謙と樋口可南子が夫婦役。若年性アルツハイマーとなり、記憶の機能が失われていくことに戸惑い、焦る夫。同じように戸惑いながら、現実を受け入れざるをえない妻。予告編のほんの15秒のCMにもその情景はとても美しく映し出されていました。(でも、映画は見てません)

 原作の小説も期待に違わぬ秀作でした。しかし、映画の配役に引きずられすぎました。配役にケチをつけるつもりはありません、というか、ツボにはまりすぎているのです。小説を読みながら、台詞部分をいちいち、渡辺謙調、樋口可南子調で読んでしまうという罠から抜け出せませんでした。

これまで荻原浩さんの小説を何冊か読んでいますが、これは、他のものとはちょっと違うなという印象でした。ありきたりのハッピーエンドではないけれど、ほろ苦く、でも、こんな道があってもいいんじゃない-と思えるような、アナザー・ハッピー・エンドを提示してくれる人というのが、私の、荻原浩像です。しかし、重いテーマだけに、「明日の記憶」にはアナザー・ハッピー・エンドはなかったような…。でも、決して、読後感が悪いわけではありません。それでも、やっぱり、生きて行く強さが伝わってくる、そんな、小説でした。

「ララピポ」「明日の記憶」と、私には“やや重め”が続きました。次は、ちょっと、気分を変えてお気楽に読めるものを…。


「ララピポ」 奥田英朗

2008年02月19日 | あ行の作家
「ララピポ」 奥田英朗著 幻冬舎 (08/02/19読了)

 昨晩は積み残しの仕事を家に持ち帰り、夜中に片付けてしまうつもりでした。しかし、飲み会で会った後輩が貸してくれた奥田英朗のユウワクにあっさり陥落。結局、朝4時まで読んでしまいました。2時間ほどソファで仮眠して、積み残しの仕事を片付けてから出勤。おかげで、死ぬほど眠い午後です。

 そして、貴重な睡眠時間を献上してまで読んだ奥田英朗は、なんか、ちょっと、後味わるいなぁという気分。本の帯には「最新、爆笑小説誕生!」と明るく書いてありましたが、全然、笑えないって。帯には、さらに、「いやん、お下劣!」とアイキャッチーな文字が躍りますが、お下劣というよりも、「いと、ものがなし」と独りごちたい気分です。

 「マドンナ」を読んだ時には、「奥田英朗という人は、決して、尖った針でなんかつついてこないところが巧妙だ!」と思ったけれど、「ララピポ」では、思い切り、尖った針使ってます。オムニバスの最後のストーリーで「ルーザー(負け組)の祭典だ!」というセリフはリアルすぎて寒々しいぐらい。どうせ虚構の世界なら、ちょっとぐらい救われて、楽しい気分になりたいと思っている私には、荷が重過ぎました。

 ちなみに、おかしな呪文のような「ララピポ」という言葉の意味は、やはり、オムニバスの最後のストーリーで明らかになります。もしかしたら、これが、作者から読者への救いのメッセージなのかもしれないのですが…。

 「マドンナ」と「ララピポ」、あまりに、点差がありすぎて比較できず。  

 


 

 

「マドンナ」 奥田英朗

2008年02月19日 | あ行の作家
「マドンナ」 奥田英朗著 講談社文庫 (08/02/18読了)

 私にとって、奥田英朗デビューとなった伊良部シリーズ(真夜中のプール/空中ブランコ/町長選挙)があまりにも鮮烈だったので…正直なところ、あまり期待しないで読み始めました。どんなに才能があったって、傑作ばかり書けるハズはないでしょう-と勝手に思い込んでいました。とんでもないです。伊良部ワールドとは様相を異にしますが、「マドンナ」もまさしく傑作です。というか、「たり~ぃな~」という気分で書いちゃった(というのは、私の勝手な想像です、なんの根拠もありません。奥田さん、ゴメンナサイ)「町長選挙」よりも、はるかに、完成度が高いと思いました。

 私も毎日、東海道電車で通勤するしがない会社員ですが…そんな、私の、人にはあまり見せたくない、心の隅っこを、チクチクッと突いてくるのです。奥田英朗という人が「なんと巧妙なんだ!」と思うのは、絶対に、尖った針なんて使わず、道端に生えているような草っぱで突いてくるところです。痛くない、でも、ちょっとくすぐったいよっていう絶妙な感じ。そして、こんな弱い私、誰にも知られたくなかったけれど、もしかして、こんな思いをしていたのは、私だけじゃなかったのかなって思わせてくれる短編たち。一編、一編が傑作です。そして、一人一人が愛すべき登場人物。中でも、私のお気に入りは「ボス」に登場する、隙の無さそうな女性上司!とっても、ナイスです!あまりにも渋~い彼女の趣味(でも、行動はただのミーハー)に感銘を受けました。

「エイジ」 重松清

2008年02月18日 | さ行の作家
「エイジ」 重松清著 新潮文庫 (08/02/17読了) 

 私にとっては、初・重松清です。この人もなんとなく食わず嫌いで過ごしてきましたが、読んでみて、嫌う理由はなかったと認識。

 ニュータウンで暮らす中学生が主人公。連続通り魔事件の犯人は、同じクラスにいる、どちらかというと目立たない男子だった。特に親しかったわけではないけれど、どうしても、気になって仕方がない。なぜ、クラスメートはは犯人になってしまったのか、なぜ、それをやったのは自分ではないのか。もしかしたら、自分もキレてしまうのではないか-と自問しながら、何度も、通り魔事件を起こす自分、ガールフレンドをナイフで傷つける自分、コンパスで前の席の男子を刺す自分を心の中でシミュレーションする。

 自分が中学生だったのは遥か昔のことですが、でも、主人公の心の動きが手に取るように伝わってきました。大人が描く中学生という感じではなく、とても、リアルです。そして、脇役の描き方がめちゃめちゃうまい!と思いました。テレビドラマもいい役者さんたちが脇を固めると質がグーンと上がって、見ていて安心感がありますが、この小説も、まさにそんな感じです。クラスメートや部活の友だちが手抜きなく、きっちりと性格付けされていて、ますます、リアルです。

 うまいなぁ-と思います。でも、中学生の青春成長譚となると、どこか、客観的に読んでしまいます。中学生に自己投影するには、あまりにも、年をとり過ぎてしまっただけかもしれませんが…うまいなぁ、でも、のめり込みそこねました。重松清ファンになるかどうかは、もう1冊、別のものを読んでから考えます。