おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

「今朝の春」 高田郁

2010年09月26日 | た行の作家
「今朝の春」 みをつくし料理帖 高田郁著  ハルキ文庫 2010/09/25読了 

 料理人・澪のシリーズの4冊目。相変わらず、ヒーリングなストーリーです。

 行き着くところは、手を掛け心を込めた料理を食べることの幸せと、そして、食べる人を思って料理を作ることの幸せに勝るものはないということでしょうか。巻末付録についているレシピの記述にまで、著者の優しさ、食べることへのこだわりがにじみ出ていて、読んでいる私まで幸せな気持ちになります。

 今回、登場した料理で、純粋に「美味しいそう~」と思ったのは「寒鰆の昆布〆」。ストーリーとして素敵だなと思ったのは、澪が思い人である小松原さまのために作る「ははきぎご飯」。澪の恋がほんの少しだけ進展しそうな予感が漂っていて、それもまた楽し。

 でも、大好きなシリーズだからこそ、マンネリでうんざりする前に潔く完結してほしいなあ。ストーリーの底流に一貫している「料理は人を幸せにしてくれる」というメッセージを体現すべく、第5巻で澪と小松原さまが結婚して大団円を迎えるのが理想です。ヒネリも、小技も一切必要なし。脱力するぐらいに平凡で、当たり前なハッピーエンドこそが、この物語の結末にピッタリです!

「星と輝き花と咲き」 松井今朝子

2010年09月26日 | ま行の作家

「星と輝き花と咲き」 松井今朝子著 講談社 2010/09/25読了 

最近で言えばAKB48、ちょっと前ならモーニング娘。でも、私の世代では、アイドルと言えば、圧倒的に聖子ちゃんだった。好きか・嫌いかは別として誰もが聖子ちゃんを知っていたし、テレビを点ければ、雑誌を開けば、そこに聖子ちゃんがいないということはなかった。

 物語は、明治期に一世を風靡した日本初のアイドル・女流義太夫の竹本綾之助のデビューから電撃引退までをフィーチャー。今も昔も、彗星のように現れるアイドルの背後には、ステージママがいたり、天才的プロデューサーがいたりして、普通の女の子を偶像に仕立て上げてしまう。一旦、偶像に祭り上げられると、本人の意志で祭壇から降りることは容易なことではない。偶像を作り上げるためにたくさんの人が力を貸し、偶像を飯のタネとして生きている人達がたくさんいるからだ。偶像になってしまった女の子の人生は、もはや、一人の人生ではない。たくさんの関係者の人生を背負ってしまう。でも、元は、普通の生身の女の子なのだ。

 綾之助は浄瑠璃を語る天賦の才能と少年を思わせる美しい容姿に恵まれ、スター街道を駆け上がる。ステージママが追っ掛けを蹴散らし、ゴシップ記事には、いちいちクレームを付けて訂正記事を出させる-など管理を徹底。しかし、ある時、綾之助は追っ掛けの男と恋に落ち、偶像としての自分を捨て、普通の女の子として生きる決断をする。

 恋の入口に立った綾之助が、浄瑠璃の中で人の人生を何度も繰り返し、時に姫となり、恋に身悶えるのに-現実の自分自身は何も知らないということにハッとする場面がなんとも味わい深い。そして、ふと、「恋愛禁止」がルール化されているというAKBやモーニング娘。のことを考えてしまった。今どきの、生身の女の子たちに恋愛禁止を強いておきながら、愛だの恋だのを歌わせるというのは-ずいぶん残酷だなぁと思いましたが、でも、偶像であるということは、それぐらいの覚悟がないとできないし、生身であることを捨てなければ、偶像にはなれないということなのかもしれません。

 さて、この物語を「アイドル論」として読むのであれば、まぁ、「なるほどな」と思うところがないわけではありません。でもその割には、結末であっさり、綾之助が3人の子どもを産んだあとに現役復帰したと書いて終わっていたのは拍子抜けだった。聖子ちゃんが結婚しても、子どもを産んでも、50歳に近づいても聖子ちゃんで有り続けているように、一度、偶像になってしまった女は完全に生身の女の子には戻ることができないことと、そこにはどんな葛藤があるのかを書きこんで欲しかった。


一方で、綾之助の人生のフィーチャーとして読むには、あまりにも綾之助の内面の描き方があっさりしているし、強烈なキャラクターとして綾之助が浮かび上がってこない。チョイ役ながら文楽の大名跡が登場したり、「太十=絵本太功記の十段目」「阿波鳴=傾城阿波の鳴門」「酒屋=艶容女舞衣」など、文楽ファンの心をくすぐるパーツがいっぱい散りばめられている(逆に、文楽や歌舞伎を見る人でないと、ちょっとついていけないぐらいマニアックな内容を含む)ので、もっと、文楽ファンを引きずりこむような芸人としての綾之助を描いてもよかったんじゃないでしょうか。

いずれにしても、松井今朝子作品としては、ちょっと物足りないなぁ…。と、思ったら、悪名高き(?)、「書きおろし100冊」シリーズでした。



「船に乗れ!」ⅠⅡⅢ   藤谷治 

2010年09月18日 | は行の作家
「船に乗れ!」ⅠⅡⅢ  藤谷治著 ジャイブ 2010/09/18読了  

 芸大付属高校に落ち、小さな挫折を味わった三流音楽高校の生徒である「僕」がいかに大人になっていたか-の成長物語。

一人一人にとって、自分の人生はとてつもなくドラマチック。それは、他人にとって取るに足らないような出来事であっても、その出来事に向き合う本人にとっては、頂上が見えないほどに高く、険しい絶壁のように立ちはだかる。そして、時には、それを乗り越えられずに逃げ出してしまうのもまた人生。それでも、人は大人になり、ドラマチックではないけれど、人生はずっと続く-そんな物語でした。

 正直なところ、第2巻で「僕」の純愛の相手である南枝里子が、「僕」が数週間の短期留学をしている間に、好きでもない男と寝て、妊娠して、学校を辞めてしまう-というあまりに安っぽい学園ドラマ風事件に、かなり、ゲンナリしました。が、まあ、でも、3巻全体を通してみると、不格好だったけれど、私なりに精いっぱいだった中学・高校時代が懐かしく、愛おしく思えるような、そんなストーリーでした。

 そして「船に乗れ!」というメッセージがいい。「僕」が、壁を超えられずに自暴自棄になった時に、生贄として傷付けてしまった相手から送られたニーチェの言葉。恐らく、「僕」は自分の犯した罪の代償として、一生、負っていかなければいけない言葉。それは「生きろ」「もがきながらでも生きろ」というメッセージであり、命じられるまでもなく「それでも、人は生きていく」という現実を伝えているようでもある言葉だった。

 個人的には、本牧や紅葉坂の県立音楽堂、県民ホール-私の高校生活にとっても馴染み深い地名がたくさん出てきたことが、ちょっと嬉しかった。そして、やっぱり、2巻の冒頭の方で、純愛の2人が初めて手をつなぐ場面はキュンとしました。

 出版社の「ジャイブ」って気になるなぁとずっと思っていたのですが、「雨にも負けず粗茶一服(松村栄子著 2008/09/07読了)」の文庫版を出していた会社でした(私は文庫を待ち切れずにマガジンハウス版のちょっと高いのを買いましたが…)。青春モノを得意とする本屋なのだろうか? 疲れたおばちゃんも、たまに、こういうビタミン剤をもらうと元気になれます! 


「船に乗れ!」Ⅱ独奏  藤谷治

2010年09月18日 | は行の作家
「船に乗れ!」Ⅱ 独奏 藤谷治著 ジャイブ 2010/09/18 読了

 1巻を読み終わった時の高揚感を引きずって2巻の出だしもキュンとした甘酸っぱい気分のままスタート。なんといっても、「僕」が彼女である南と本当は手をつなぎたいのに、手に触れたら嫌われてしまうのではないか、ああ、でも手をつなぎたい-と逡巡する場面がなんとも切ない。そして、ついに、2人が手をつなぐ瞬間は、私までドキドキ。ここが最高のクライマックスシーン。 2人が音楽を通じて絆を深めていくというのも、なんか、奥ゆかしいなぁ…。 

 しかし、ストーリー的には、どんどんと高揚感が剥落して「どうして、そんなこと…」と思うような、高校生にとっては耐えがたい辛いできごとと、高校生がその辛さを乗り越えるために生贄を必要としてしまう残酷さとが続く。

 ま、確かに、高校生の淡く甘い恋愛だけで3巻も展開するようなストーリーでは退屈極まりないだろうから、どこかで、マイナスベクトルのエピソードを差し挟まないといけないにしても…なんか、一挙に陳腐感が高まってしまったかも。月9にしては幼稚すぎるけれど、土9のドラマになりそうな感じかな。

 2010年の本屋大賞の7位。1巻読み終わった時点では「めちゃめちゃステキ~」と思いましたが、2巻までくると「なるほどねぇ。7位だよねぇ」と納得。ちなみに、私的には本屋大賞8位にランクしている「植物図鑑」(有川浩)の方が圧倒的に面白かったなぁ…。

 とはいえ、まだ3巻が残っているので、最終評価はペンディングです。
 
 



「船に乗れ!」Ⅰ 藤谷治

2010年09月17日 | は行の作家
「船に乗れ!」Ⅰ 合奏と協奏 藤谷治著 ジャイブ 2010/09/16読了 

 「昭和って、甘酸っぱい」-そんな気分にさせられるストーリー。
 
 実は3巻モノなので、最後まで読んで感想を書くつもりでしたが、1冊目後半からテンションが上がってしまったのでとりあえずの中間まとめ。

 芸大付属の試験に落ち、挫折感を抱えたまま高校生になった「僕」を主人公に、音楽科のある三流高校を舞台とした青春ストーリー(とりあえず1巻までは)。はっきりとした年代は書いてありませんが、明らかに、濃厚な「昭和感」が伝わってきます。小ナマイキな中高生が理解できもしないくせに背伸びして読む本のタイトル、今からしてみると恐ろしくダサダサな(でも、当時としては精いっぱいな)女の子の「お出掛け」ファッション-目を閉じれば、それは、そのまんま、私の中高時代の光景なのです。

 お互いに好きとわかっていながら、なかなか、それを口に出すことができない、もどかしいぐらい切ない初恋。今の、若い子たちが読んで、この不器用さ、純粋さって伝わるのでしょうか。ケータイもメールもなかったあの頃って、友だちとも、好きな人とも、今とは違う「繋がり方」してたよね-って思える。

 そして、やはり音楽高校ならではの合奏・協奏のシーンにテンションが上がりました。プロフィールによれば筆者自身が音楽高校の卒業生。きっと、曲を作り上げていく苦しさと興奮を知っている人ならではの文章だなぁと思いました。

高校時代、成り行き上、管弦楽部に引きずり込まれました。マジメに音楽を志していた小説の主人公たちとは違い、私は超初心者で、最初はそれほど乗り気だったわけではありませんが、それでも、演奏会の日程が決まり、パートごとの練習から、合奏へと進んでいくごとに、少しずつ気分が高揚していくのが自分でもよくわかりました。そして、思い返せば赤面するほど拙い演奏だったけれど、でも、やっぱり、発表会で弾き終わったあとの興奮は特別なものでした。

というわけで、私的には、直球ド真ん中で「懐かしい~!」系の小説です。でも、こんなに昭和に郷愁を感じちゃうのって…やっぱり、年をとったせいですかね?

 で、今のところ、なんで音楽の小説で「船に乗れ!」なのかは、判明していません。


良弁杉由来 & 鰯売恋曳網 @ 国立劇場

2010年09月12日 | 文楽のこと。
良弁杉由来 & 鰯売恋曳網 @ 国立劇場 9月文楽公演

 「昼寝に6500円お支払い」というぐらいに、ひどく爆睡してしまいました。

「良弁杉」は特に辛かった。楽しかったのは「桜宮物狂いの段」ぐらいでしょうか…(それでもちょっと寝ました)。清治さん率いる三味線軍団と、呂勢さん&咲甫さんの浄瑠璃が華やか、かつ、フレッシュ感があってちょっとテンション上がりました。やっぱり、清治さんの三味線の音は、切れ味鋭くてステキ。そして、清治さんの隣に座っている清志郎さんは、まぎれもなく、「清治さんの音」の継承者なんだなぁ-と感じます。

フィナーレの「二月堂の段」は、完全に、沈没。「あ~、この調子っぱずれ、どうにかならないかなぁ」「なんで、三味線がこんなに唸っているんだろう…」などと思いながら聞いていると、まるで、物語が頭の中に入ってこない。というか、ストーリーは知っているのに、全然、浄瑠璃が心に響かない。もしかして、会場で何人か泣いている人がいたようで、ちょっと鼻をすするような音が聞こえてきた時には「私は、こんな程度では泣けないよ」と冷めた気持ちになりました。

途中、何度も沈没してハッと目が覚めるたびに、大夫の床本をチラリと確認。「まだ、半分以上残っている…。早く、終わんないかなぁ…」と再び眠りの世界へ。

実は「良弁杉」は、2008年春に、女流義太夫の人間国宝・駒之助さんと文雀さん和生さんグループのイベント公演がありました。その時は、まだ、文楽を見始めたばかりで、浄瑠璃を聴きとれない部分もたくさんあったと思うのですが… それでも、駒之助さんの語りはストレートに心に響いてきて、「良弁杉」の親子の情愛が痛いほどに伝わってきました。そして、私なりに、駒之助さんの語りが、完全に人形を喰ってしまっているなぁ…と思ったのでした。

今回の公演での床は、まるで、駒之助さんのような迫力も熱い思いもなく(それ以前に調子っぱずれだし…)、人形もなんかなぁ…。良弁よりも簑紫郎さんの僧侶の方が、哀しみがにじみ出ていたように見えてしまいました。

「鰯売恋曳網」。三島由紀夫原作の作品として、今回の公演の話題の一つ。もともと、歌舞伎ではよくかかる演目らしいのですが、文楽公演としては初上演。傾城に恋をした鰯売りが、大名に化けて傾城に会いにいく-という物語。肩の凝らない、気楽なアミューズメント作品でした。咲甫さんの浄瑠璃、とっ~ても楽しかった。もともと咲甫さんの声は大好きですが、直前の「良弁杉」の調子っぱずれでイラ立っていたせいか、いつも以上にウキウキしました。そして、勘十郎さまの人形が、秀逸。人形ではなくて、猿源氏という鰯売りが、本当に、そこにいるかのよう…。

…と断片的には楽しめましたが、「新作」の存在意義は、「古典作品」の素晴らしさを再認識するためのもののような気がします。やっぱり、300年、400年熟成させた作品の重さは違うよなぁ。というわけで、後半の咲大夫さん&燕三さんの床のところは、半分ぐらい寝ていたかも。

今公演、圧倒的に2部(阿漕&桂川)が素晴らしくて、6500円以上の価値あり。かたや、1部(良弁杉&鰯売)は、お昼寝するのに6500円は高すぎ-という気分。これは、国立劇場のプログラムミスなんじゃないでしょうか…。


勢州阿漕浦&桂川連理柵 @ 国立劇場

2010年09月05日 | 文楽のこと。
勢州阿漕浦&桂川連理柵 @ 国立劇場9月文楽公演

【勢州阿漕浦】
 初見の演目。ほとんど予習なしで見たわりには、ストーリーに入りこみ易く、楽しめました。なんといっても、玉也さんが遣われる治郎蔵がイカしてるんです♪

 伊勢神宮の御料地では殺生が禁じられていて、漁をすることも禁止。しかし、平治は母の病気を治したい一心で、病気に効くと言われる魚を深夜に密漁しようとする。網にかかったのは、魚ではなく、三種の神器の一つである「十握の剣」。しかし、その様子を、平瓦の治郎蔵に見とがめられ、つかみあいの争いをした結果、「平治」と名前を書いた笠を奪われてしまう…。

 まあ、その後は、いかにも文楽的にはよくある展開で、犯人である「証拠」を残してしまった平治は、あやうく身柄を捉えられそうになる。ところが、「実は」治郎蔵は平治の家来筋にあたることが判明し、最後の最後、治郎蔵が平治のために一肌脱いで、「笠にある平治の文字は平瓦の治郎蔵の頭の文字をとったもの」と言って、身代わりとなって平治の危機を救う。

 治郎蔵、脇役なのに、主役を食ってましたね。「阿漕の平治殿といふはここでえすか」「アイヤ、大事ないものでえす」。この「でえす」という、朴訥な口のきき方にハートくすぐられてしまいます。玉也さんが遣われるお人形は、いつも、キャラクターがきっちりと作られていて、観る者がそれに素直に乗っかっていかれる。だから、本当に、見ていて楽しくなるのです。最後に、治郎蔵が男気を見せるところは、あまりにもカッコよくて、大きな人形が一段と大きく見えました。

 勘弥さんの女房お春も、ふとした仕草に、子どもへの気遣いとか、夫への思いが溢れていてとってもよかったです。
 そして、清十郎さんは代官役でしたが… やっぱり、私、清十郎さんは女形の方が、圧倒的に心に響いてきます。

 住師匠、1時間半に渡る語りは圧巻でした。80歳を過ぎて、これだけの長丁場、たった一人で大熱演。本当に頭が下がります。予習なしでストーリーについていけたのは、住師匠のナビゲートあってこそ。でも、やっぱり、私が文楽を見始めてからの2年半の間にも、少しずつ、声量が落ちてきているような気はします。


【桂川連理柵】

 ブラボー嶋師匠! ブラボー簑師匠!
 いやぁ、この2人に完全にヤラれました。凄過ぎます。
 
 桂川は8月22日の内子座文楽で拝見したばかり。内子で「帯屋」を語った呂勢さんが、あまりにもノリノリで楽しくって、逆に、本公演を楽しめなかったら勿体ないな-と、ちょっとだけ心配していました。しかし、それは、まったくの杞憂でした。 もちろん、内子座での呂勢さんが素晴らしかったのは間違いないし、いずれ呂勢&咲甫時代が必ず来ると思いますが、でも、やっぱり、嶋師匠は別格なんです。観客を物語の中に引きずりこむ吸引力が強烈。有無をいわせず、一挙に、劇場を支配してしまうような勢いがありました。

 今回、妙に印象に残ったのは儀兵衛を遣われた玉輝さん。正直なところ、これまで、私的には全くのノーマークでほとんど記憶に残らない方だったのですが… 今回、とっても楽しそうに遣われているオーラが溢れていました。人形遣いをノリノリにさせるのも嶋師匠パワーでしょうか。

 そして、やっぱり、簑師匠のお半はイヤらしかった。最初の登場シーンからして、長右衛門に送る視線が、もう、「まだ14歳の少女の視線」ではなくて、あきらかに「少女であることを武器にした女」なんです。どう考えても、長右衛門が年若い女を手籠にしたのではなくて、間違いなく、お半が、最初から長右衛門をハメるつもりだったんだと思います。 やっぱり簑師匠ってすごいなぁ。どれだけ女を泣かすと、こういう演技ができるようになるのか、一度、お聞きしたいものです。

 通常は「帯屋」のみなのですが、今回は「帯屋」を挟んで前後の段も上演されたことで、ストーリーが立体的になり、これまで、今一つ、唐突感のあったエピソードの意味がよくわかりました。登場人物のキャラクター付けも明確になるし、エンタメ性も十分にあるので、圧倒的に「通し」の方が良いように思います。

 それにしても長右衛門…。この絶句するほどのロクでなしぶりは何なのでしょう。女たらしとはちょっと違う。というか、長右衛門は、まったくもって、遊んでいるつもりはないんでしょうね。全部、本気。お絹といる時には、お絹が大切。お半といれば、お半がすべて。で、多分、遊女といれば遊女に本気。いい加減、自分のそういう性格が周囲の人を混乱させ、迷惑をかけていることに気付けよ~と思いますが、まるで自覚なし。

 さすがに、勘十郎さまが遣われていても、こんなヤツには惚れられません。

 やはり、この物語は、お半とお絹という、怖い女2人がいて成り立っている物語なんだと思います。簑師匠のお半は、あざとさ全開! 紋寿さんのお絹は控えめで、ひたすら夫を立てる妻のそぶりをして、実は、一番、男を追い詰めるタイプ?

 床は、ともかく嶋師匠が圧巻でしたが、六角堂の文字久さん&富助さんもステキ。この2人、とってもいい組み合わせのような気がします。 三味線の連れ弾き。元締め役が清治さんの時と、寛治師匠の時とでは、音質が違うように感じます。世話物には、やっぱり寛治師匠のふくよかな音がよくあっているような気がします。

 ところで、清志郎さんって、最近、音だけでなく、顔も清治さんに似てきているような気がするのは、私だけでしょうか?

「深淵」 大西巨人 

2010年09月04日 | あ行の作家
「深淵」上・下 大西巨人 光文社文庫  2010/09/04  

今までの人生の中で読んだ本の中で、最も、不思議で、不可解で、理解不能な小説でした。凡人の私には、まったくもって、近寄ることが許されない領域と思われます。

 1985年から1997年までの12年間に渡って記憶を失っていた主人公の浅田布満が、覚醒した後に、自分は誰なのか、なぜ記憶を失ったのか、その間、何をしていたのか-を探る、精神的な旅の物語-なのだろうか?(あまりに理解できなかったので、まるで自信なし)

 既に、胡乱な記憶ではありますが、三浦しをんの書評集(多分、「三四郎はそれから門を出た」だったような…)の中で、大西巨人の「神聖喜劇」が大絶賛されていて一「一度は読んでみよう」と思っていた作家でした。たまたま有隣堂で「深淵」を発見して購入したものの、1ページ目からかなりメゲました。内容が理解不能である以前に、あまりにも難解な文体に頭がついていけない。大づかみにストーリーを理解して、少しは、物語の中に入っていきたいのですが、枝葉末節のさらに末節が縷々縷々縷々縷々書き連ねられていて、幹の部分がどこなのかが分からなくなってしまう。最も強烈なのは、記憶喪失から戻った主人公が、妻のもとに戻りセックスするシーン。いったい、なんなんでしょう? 多分、あらゆる小説の中で、最も、萌えないラブシーンなんじゃないかと思われるような記述でした。

 ただ、作者はもちろん読みづらい文体、つかめないストーリーであることは確信犯であります。登場人物の言葉を借りて、「大衆迎合の小説はいか~ん」というメッセージが伝わってきました。そのやり玉に挙げられているのが、村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」。 私は、村上小説の中では「世界の終わり~」が一番好きなんだけどなぁ…。 

 小説は、私のような普通のおばちゃんが、難しいこと考えずに、電車の中でほんのひと時、現実とは違う世界にトリップして、明日に向かう元気が出れば、それで十分じゃないですか。大衆が読むんだから、大衆迎合で結構! と、まったくもって「深淵」を理解できなかった凡人の遠吠えでございます。

ひばり山姫捨松 @ 内子座文楽公演

2010年09月04日 | 文楽のこと。
鶊山姫捨松 @ 内子座文楽公演

 色々あって感想を綴る間もなく、かれこれ2週間が経過してしまいましたが…内子座文楽、やっぱり、楽しかった♪

 もう一つの演目である桂川は世話物、鶊山は時代物ですが、共に、「継子いじめ」がモチーフになっています。鶊山は、なんといっても、玉也さんが遣われた継母・岩根御前が秀逸でございました。割り竹で中将姫を、叩いて、叩いて、叩きまくるシーン。もちろん、全く笑うべき場面ではないのですが…私は、一人、ニタニタ笑ってしまいました。悪役でない玉也さんも大好きなのですが、でも、やっぱり、悪役商会の玉也さんもステキ。叩いたり、斬ったり、暴れたりは、他の遣い手さんとは切れ味が圧倒的に違います。本来なら、嶋さんの語りに耳を傾けつつ、可哀想な中将姫に肩入れして涙すべきところ、私の気分はついつい「もっとやれ~」と盛り上がってしまいました。

 勘弥さんの桐の谷が、上品で気高くてステキ。今年の春巡業の廿四孝で勘弥さんが腰元・濡衣を遣われた時、はからずも「ああ、簑師匠の濡衣よりも、好きかも…」と思ってしまったのですが…勘弥さんが遣われるお人形は、気高い女オーラがほどよく出ていてキレイだなぁと思います。

 清志郎さんのお三味線も心地よく、もうちょっと長く聴いていたいなぁ…という感じでした。