「牡丹酒 深川黄表紙掛取り帖(二)」 山本一力著 講談社文庫
実に気持ちの良い物語である。土佐の酒・司牡丹を江戸の町で販売するため、深川の若者4人組が徒歩と船の旅で遙か土佐まで旅する。首尾良く蔵元との交渉をまとめ、江戸に戻って司牡丹のお披露目イベントをしかけるまで。
登場人物は、気持ちの良い人物ばかりだ。たまに意地悪なヤツや、心がささくれている人も出てくるが、主人公たちの人柄の良さに触れて、嫌なヤツも、やがては良い人になっていく。しかし、私には、あまりに気持ちの良い物語であることが、軽いストレスだった。
だいたい、いい人しか出てこないってことが、物語として、かなり不自然な気がする。江戸時代の船旅ということで、もちろん、海が荒れて苦労することもあるのだけれど、長旅の苦労はその程度。交渉ごとも、紹介状が功を奏したり、4人組の人柄の良さゆえに大概スムーズに進む。そもそも、4人(男3、女1)の旅の後ろ盾になっているのが、江戸幕府の要人・柳沢吉保と豪商・紀文。経済的にも恵まれた状態で、宿泊する宿はかなり立派目なところだし、交渉先の奥さまに高価な珊瑚細工の土産ものを買ったりなんかして、やることがスマートだ。
せっかく、江戸から土佐まで旅しているというのに、アドベンチャーストーリーとしてのワクワクドキドキハラハラはほとんどない。これが現実世界であれば「いい人ばかりでよかったね~。長旅に大きなトラブルもなくてよかったよかった」なのだけど、物語には多少の盛り上がりがないと、なんか、拍子抜けしてしまう。
だいたい、江戸時代に大阪から土佐まで独身の男3人、女1人で船旅なんてことが可能だったのだろうか―と意地悪な疑問が頭をもたげてくる。現代のフェリーには、客室もトイレもついているけれど、江戸時代の船には、そんなことは望むべくもないだろう。そんな環境で、乗り組み員も全員男、旅仲間も全員男の中の紅一点で旅するのって、ほとんどありえないことのように思えます。
なんとなく、いい話すぎて嘘っぽい、そんな印象の物語でした。
で、この物語に出てくる「司牡丹」という土佐の酒、虚構かとおもいきや、実在していました。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の中では、竜馬が愛した酒として登場するらしい(司牡丹酒造のウェブサイト情報であります。私は「竜馬がゆく」未読)。でも、「司牡丹」とネーミングされたのは、竜馬没後なんだそうです。