おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

「四十九日のレシピ」 伊吹有喜

2011年12月21日 | あ行の作家

「四十九日のレシピ」 伊吹有喜著 ポプラ文庫

 

 なんか妙にテレビドラマチックなストーリーだなぁと思ったのですが…まんまとNHKでドラマ化されていました。

 

 百合子がまだ幼い頃に病死した産みの親に代わり、愛情たっぷりに育ててくれた母親が急逝した。母親が嫌いだったわけではないのに…どこかで壁を作って、心を開くことができなかった。母親が死んで初めて、母親の人生に向き合う。母親が残した生活のレシピカードを見ながら、いかに母親が日々の生活を楽しみ、家族を慈しみ、周囲の人を大切にしていたかを知る。そして、いかに、百合子自身が母親を愛ししていたかに気付く―というのが、物語の骨格。

 

 と、思うのですが、サイドストーリーが賑やかすぎて、ドタバタ劇になってしまった感が否めませんでした。

 

ストーリーは、亡き母の遺志による四十九日の大宴会に向けて進んでいくのですが、なぜか、この四十九日イベントのお手伝い役として、突然、血縁のない若者2人(流行2周遅れぐらいの茶髪ギャルと、日系ブラジル人青年)が転がり混んでくる。登場人物に若者が組み込まれたことで、なんとなく、文化祭の準備を一生懸命やっている学園ドラマのような様相を呈してくる。

 

 若者2人もかなりキャラが濃いめなのですが、さらに、毒舌炸裂の百合子の叔母や、感情レベルが幼稚園児並みの百合子の旦那の不倫相手とか、無駄に存在感ありすぎる人が多数登場するため、どんどん散漫になっていく。

 

 お祭りのような勢いがあって、それなりに楽しめましたが、小説としての落ち着きというか…味わいには欠けるかなぁ。

 

 主人公なのに、濃い人たちの間で埋没している地味地味の百合子役に和久井映見を起用したNHKのドラマ、なかなか渋い!(ドラマ見てないけど…)

 


「ホテル・ピーベリー」 近藤史恵

2011年12月16日 | か行の作家

「ホテル・ピーベリー」 近藤史恵著 双葉社  

 

 ハワイ島にある日本人経営の長期滞在型のプチホテルを舞台にしたミステリー。

 

 正直なところ、かなり「イマイチ感」が強かった。「サクリファイス」「エデン」「サヴァイヴ」― 一連の自転車シリーズが秀逸すぎたので、私の中で近藤史恵株はこのところ高値安定していたのに…。これを読んだ途端「利食い売りに押され、値を消す」。

 

 カラクリは最後まで解らなかった。物語のフィナーレ「ああ、そうだったのか、そういうことか!」と謎が解けた時の清々しさはなく、「なんだ、そんなことか」というガッカリした気分になった。何よりも、たとえ物語の中であっても、「人を殺すってそんなに簡単でいいの?」というところに一番ひっかかった。人間が人間を殺すって、物理的にも心理的にもかなり面倒な事で、それをなし得るには相当なエネルギーが必要だと思う。犯人の中に、そういうエネルギーが充満している感じがしなかった。殺人犯をかばった共犯者の動機も希薄でつかみどころがなかった。近藤史恵の歌舞伎ミステリーも「おいおい、そんなことで、人が人を殺しますか?」という違和感があったけれど、それに似ている。

 

 殺人事件と、主人公がハワイ島に現実逃避の旅に出るまでのサイドストーリーの関係もイマイチよくわからなかったし、 雑誌連載時に、明らかに、最終回に焦って色々詰め込んだようなバタバタした風情も好きになれなかった。

 

このままでは安値圏に放置してしまいそう。「サクリファイス」シリーズagainで、もう1度、近藤史恵を好きになりたい。


番外 COSMOS / カール・セーガン

2011年12月08日 | Weblog

おりおん日記。番外「COSMOS/Carl Sagan DVD

 

 誕生日にカール・セーガンの「COSMOS」のDVD7巻セット)をプレゼントしてもらった。日本で放送されたのは1980年。もう、30年以上も前だ! 新進気鋭のイケメン(もちろん、当時、イケメンなどという言葉は存在していなかったけど)天文学者がナビゲーターを務めた13回シリーズの宇宙ドキュメンタリー番組。

 

 今の感覚で言うと、ドキュメンタリー番組で13回も放送するなんて、正気の沙汰じゃない。いったい誰がそんな小難しい話に2週間近くもつきあうというのだろう。視聴率は期待できそうにないし、故に、スポンサーもつかなさそうな…。しかし、当時、大袈裟に言えば「み~んなCOSMOSを見てた」ぐらいの勢いだった。カール・セーガンは社会現象と言ってもいいぐらいの時の人だった。恐るべし、イケメンパワー(でも、2011年基準で見ると、80年代のイケメンはちょっと野暮ったい。仕方ないか…)。

 

 もともと、星を見るのが好きで、部屋にはお小遣いで買った小さな望遠鏡があり、いまは無き渋谷の五島プラネタリウムには毎月通っていた。そんな折に、COSMOSの放送が始まったのだから、カール・セーガンの語る「宇宙」に心ときめかないはずがない。カール・セーガンの言葉を一言も聞き漏らすまじと(決してミーハーではなく!)、テレビにかじりついてました。

 

 その懐かしいテレビ番組のDVD30年ぶりに見て、原点に戻ったような気がしました。改めて「COSMOS」というドキュメンタリーは、私が今の私になるための不可欠の要素だったのだ―と思うのです。

 

 この30年間の自然科学の進歩は大きく、2011年の科学レベルでは、内容的に古くさい部分はたくさんあるし、カール・セーガンがアカデミックの世界では正統派とは認められていなかったことなど、諸々のことを考慮しても、あの頃のCOSMOSをきっかけにして抱くようになった宇宙に対する「畏怖」は決して間違っていなかったと確信しました。

 

 空を見上げ、望遠鏡で土星の環っかや、プレアデス星団を見ながら、宇宙は果てしなく大きく、人間は小っちゃいと漠然と感じていた。カール・セーガンの言葉が、その漠然とした思いを概念化してくれたのだと思う。子どもながらに、「宇宙カレンダー」は衝撃でした。宇宙の歴史を一年間に置き換えると、人類の誕生は1231日午後1030分なのだという。宇宙を砂浜にたとえれば、砂粒1つにしか過ぎない小さな星の上で、たった1時間半の歴史しか持たない生物が、憎しみ、殺し合い、核戦争に突き進もうとしている(当時は冷戦まっただ中!)とは、なんて愚かなのだろうと思ったのです。 そうと解っていても、煩悩まみれの私は、未だに嫉妬や失望や憎しみの感情から解放されていませんが、それでも、あの頃、いかに私がちっぽけな存在であるかということを、ネガティブな意味ではなく、ポジティブに理解したことは、私にとって大きな財産だと思う。

 

 ところで、今見ると、稚拙というか、手作り感満載な雰囲気なのですが、30年前にあのレベルのCG(あれ、当時はまだ、コンピューターグラフィックスなんてなかった?)って、すごかったんだろうなぁ。多分、莫大な予算と手間暇かけて作った番組なのだと思います。

 

宇宙開発って、結局のところは、地球を飛び出して、宇宙エリアでの陣取り合戦をしているということ。当時、人々をワクワクさせたボイジャー計画も、今年、日本人を喜ばせたはやぶさの帰還も、決して、きれいごとだけではないのだろうけれど…でも、人間が「所詮、人間なんてちっぽけだ」という原点に立ち戻れるだけの知恵ある存在でありたいものです。

 

おりおん日記。は読書記録&文楽鑑賞記限定にしようと思っていますが、私にとってCOSMOSは特別なので、番外で感想かいちゃいました♪

 


「ラジ&ピース」 絲山秋子

2011年12月07日 | あ行の作家

「ラジ&ピース」 絲山秋子著 講談社文庫 

 

 やっぱり私は絲山秋子が好きだ。ぶっきらぼうで、衝動的で、ブッとび過ぎて理解不能なところもあるけれど、でも、彼女の作品にどうしようもない吸引力を感じる。

 

 私にとって絲山秋子の魅力は、爆笑問題の太田光、フィギュアスケートのミキティーと似ている。精神的に不安定で、ちょっと危なっかしい。たくさんの友達に囲まれても、多くのファンから愛されても、孤独だ(というのは、単に受け取る側の主観で、ご本人たちはいたって安定しているのかもしれません)。そして、必死に安定しようともがく姿が、その才能を際立たせているように思える。

 

「ラジ&ピース」の主人公・野枝も孤独だ。容姿と性格に対する無用な劣等感を抱え、心の奥底から周囲と打ち解けあうことができない。学校でも、家でも、職場でも、そして東京という町そのものに対しても、自分の周りに壁をめぐらし心を閉ざしてきた。ラジオのパーソナリティとして仕事をしている時―それが、唯一、野枝が心を解き放てる時間だという。

 

そんな野枝がFM東北から、Jyoushu-FMに転職し、平日午後の番組を担当しながら、少しずつ前橋の町に馴染み、心の壁を低くしていく様子を描いた物語。東京でも、仙台でもなく、群馬に居場所を見つけるってあたりに、著者の「群馬愛」が溢れていていいなぁ。

 

そんな誰からも心を閉ざしているような人が地方局とはいえ、ラジオパーソナリティとして10年ものキャリアを重ねることができるのだろうか…とか、あまりにも唐突に野枝の心の壁を乗り越えてくる人が二人も現れるというあたりが、若干、ストーリーとして不自然な感じがしないでもない。でも、そこにこそ、不安定ゆえに安定を求める、自分で壁を作っておきながら孤独に負けそうになる人の気持ちがこもっているのかもしれない。

 

野枝がJyoushu-FMに転職して気付いた「ラジオの魅力」がなんとも言えずいい。きっと、絲山秋子もラジオ派なのだろうな…。「テレビ<ラジオ」の人にはジワリ沁みるものがあると思う。

 

 


「おれたちの青空」

2011年12月05日 | さ行の作家

「おれたちの青空」 佐川光晴著 集英社 

 

 「おれのおばさん」の続編。中学2年の時に父親が横領で逮捕されたために、名門私立中学を退学し、叔母の経営する児童養護施設から公立中学校に通うようになった陽介くんのその後。

 

 「おれのおばさん」は陽介を語り手とする長編小説だったが、物語の運び方を変えたようだ。「陽介の親友・卓也」と「おれのおばさん・恵子さん」を語り手とするスピンアウトの中篇2本と陽介が語り手の短篇1本。最初、語り手が変わっていることに一瞬、戸惑ったが、読み始めてみると、物語が立体的になって却って面白い。1人の語り手だと単調に陥りがちだけど、続編なのにフレッシュ感があった。

 

 著者のインタビュー記事や対談記事を読むと、この作品は子どもたちに向けたメッセージという思いが強いようだが、実は、大人の読者の方が多いような気がする。陽介からは、明らかに昭和のちょっとウェットな匂いが漂ってきて、なぜかそこはかとない懐かしさを感じるから。逆に、今の子たちって、陽介のメンタリティーって共感するというよりも、理解できるのだろうか…???

 

というわけで、この本に収録されている3つの小品の中では、昭和世代に青春時代を送ったであろう、「おれのおばさん・恵子さん」の語る「あたしのいい人」が、一番、楽しめた。

 

雑誌発表小説の常とは思いますが、どうしても、前作の紹介的な重複があるのは、まあ、仕方ないのかなぁ。「前作を読んでいない人も難なく読むことができるように」という配慮は、前作を読んだ私には、少々、鬱陶しかったなぁ。

 


「架空の球を追う」 森絵都

2011年12月01日 | ま行の作家

「架空の球を追う」 森絵都著 文春文庫 

 

 「ほろ苦く、最後にちょっと救いのあるいい話を集めました」的な短篇集。 機内誌とか、銀行の待合スペースにおいてある機関誌とかにちょこっと載っていそうなストーリー。

 

私はこういうのが一番苦手だ。どこにでもありそうな日常の光景を切り取って、こざっぱりと小品に仕立てあげているのは、「巧いなぁ」と思うところもある。一篇一篇は短かく、気楽に読める。でも、読み終わって最後のページを閉じた瞬間、「もう、どんな話が書いてあったか忘れちゃいました!」って感じ。

 

 「プチフール」と呼ばれる小さなケーキの詰め合わせみたいだ。箱を開けた瞬間は、色とりどりで、可愛らしくて、嬉しくなる。でも、実際には、大した食べごたえもなく、一口でお仕舞い。「あれ、今、食べたのは何の味だっけ?」と考えてもなかなか思い出せないような

 

 美味しいものを食べるなら、ゆっくり味わって食べたいのです!