おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

「隠居の日向ぼっこ」 杉浦日向子

2009年02月28日 | さ行の作家
「隠居の日向ぼっこ」 杉浦日向子著  新潮文庫(09/02/28)

 なんか、のほほんとしていて、気分が緩みます。そして、ちょっと懐かしい感じ。江戸の専門家が物の名前から、古き佳き時代を振り返るエッセイ。

 蚊帳、箱枕など、私も、ドラマでしか見たこともないようなものもありますが、「ああ、そういえば、子どもの頃はあったのに… いつの間にか無くなっちゃったなぁ」というものも。例えば「赤チン」。昔は、家の救急箱に必ず入っていた。学校の保健室でもちょっとした切り傷、擦り傷なら赤チン塗ってオシマイって感じの定番薬。今は、見かけませんねぇ。「ねんねこ」も姿を消し、最近は、おしゃれな抱っこ用の布(正式名は知りませんが…)になったし… 「櫛」なんて、最後に使ったのはいつだろう? 最近はホテルの使い捨て用のアメニティもブラシが主流になっているんじゃないか。

 などと、ツラツラ考えながら、ひと時、タイムスリップ。

 でも、こういうのって、一冊の本になってまとめて読むんじゃなくて、毎朝、新聞のコラムとして一編ずつ載っていたら嬉しいなぁ。


「螺鈿迷宮」上下  海堂尊

2009年02月28日 | か行の作家
「螺鈿迷宮」上・下  海堂尊著 角川文庫  (09/02/28読了)

 大ヒット作「チーム・バチスタの栄光」のスピンアウト物という位置づけでしょうか。不定愁訴外来の田口公平センセイは最後にちょこっと出てくるだけ。落第ばかりしている医大生・天馬クンが桜宮病院の闇をあばくべく潜入調査しようと思ったら…どんどん、泥沼にはまっていく。そして、ニセ医者として同じく桜宮病院に入り込んできた窓際・厚労官僚の白鳥と共に、大活躍?

 医者が書いている、病院が舞台の物語。だからといって、海堂作品は医療ミステリーと思ってしまって読んではいけないということにようやく気がつきました。はっきり言って、SFの世界です。いくら“お話”とは言え、病院による自殺幇助ビジネス、病院と関係法人の企業が患者を社員にして調理・配膳などの業務をやらせたり、妻が娘の死を受け入れられないからと言って死体を保存しつづける医者の家族。はちゃめちゃ過ぎます。物語というよりも、なんか、ロール・プレイング・ゲーム。

 でも、同じくはちゃめちゃ設定である有川浩の「図書館戦争」シリーズと較べると、いま一つ、心から楽しめない。というのは、結局、著者には、本当にマジメに主張したいことがあって、その主張が時折、顔をのぞかせる。すると、RPGの世界から、現実に引き戻されてしまうのです。「チーム・バチスタ」シリーズにはファンもいっぱいいて、続編も期待されているのでしょう。でも、いつか、真正面から、今の医療行政の問題に向き合って、硬派なミステリーを書いてほしいなと思ったのでした。

「猫を抱いて象と泳ぐ」 小川洋子

2009年02月22日 | あ行の作家
「猫を抱いて象と泳ぐ」 小川洋子著 文芸春秋社 (09/02/22読了)

 改めて、「情緒を解さない私」を認識。

リトル・アリョーヒンと呼ばれたチェスの名手の物語。棋譜はチェスを指す二人で奏でる音楽のようなものという、底流に流れる考えは好き。でも、ストーリーにはイマイチ、のめり込めなかったなぁ。

文芸春秋社のリーフレットによれば、「小川洋子の最高傑作」で「せつなく、いとおしい、宝物のような小説」なんだそうですが…なんか、不自然な設定ばかりが気になってしまいました。リトル・アリョーヒンは上下の唇が癒着して生まれてきて、足の皮膚を移植したために唇に毛が生えているとか(そういう症例が、もしかしたら本当にあったのかもしれないけれど、でも、毛の生えた唇は、この小説にどうしても不可欠な要素だったのか、私には理解できず…)。リトル・アリョーヒンのチェスを教えてくれた人は、廃車になったバスの中に住んでいたけれど、死んだ時にバスを壊さなければ遺体を搬出できないほどに太っていたとか(そもそも、それほど太っていたら、バスの中で暮らせなかったのでは?)、リトル・アリョーヒンのおばあちゃんは娘の死を乗り越えるために思い出のある花柄の布巾を四六時中握りしめて、鼻をかんだり、涙を拭いたりしているのだけれども、それはもう何年にも渡って一度も洗ったことがないとか(いくら思い出の品でも、さすがに、臭くて耐え難いんじゃないかとつい、考えてしまう)。
それに、「せつなく、いとおしい」というよりも、「せつない」ばかりなのです。なんで、こんな救いの無い結末なんだろう-と思いつつ読了。

でも、絶対に、このストーリーに多くの支持者がいることは想像できます。多分、心を洗われるような気持ちになる人がたくさんいるはずです。実際に、よくお邪魔させていただいている読書ブログでは最高評価でした。

ま、あくまでも、私とは相性が合わなかったということで。「博士の愛した数式」は好きだったんだけどなぁ…。

勘十郎・与兵衛の見納め @ 文楽2月公演

2009年02月22日 | 文楽のこと。
◎勘十郎・与兵衛見納め@文楽2月公演
 
21日、勘十郎・与兵衛の見納めでした。「女殺油地獄」は初日、14日、21日と3回拝見しましたが、回を重ねるごとに、より良くなっていくような印象でした。特に、今回は、大夫さんがよかったです。前段のお茶屋の場面の掛け合いも楽しかったし、クライマックスシーンの咲大夫さん、断然、素晴らしかった! もちろん、燕三さんの三味線も絶品でございました。

 3回目にして、ようやく(いまさら?)、与兵衛以外のお人形ちゃんの表情や、ちょっとした仕草にも注目する余裕が出ました。お吉がお茶を飲む前に「フーフーフー」と冷ましているところがカワイイ! 与兵衛と小菊がイチャついているところをお客さんに見せまいと、もう一人の女郎さんが一生懸命隠したり、色々、小技があったんだなぁ。

 でも、やっぱり、なんと言っても、このドラマの見どころは勘十郎・与兵衛。お吉を刺した直後の、柱に寄りかかった与兵衛のイッちゃってる表情がなんとも言えません。人を殺した人間にこんな表現は不謹慎だけど、セクシーです。油まみれ、血まみれで床を滑る場面は、勘十郎さまによれば「足遣いがアクセル、左遣いがブレーキ、主遣いは何もやっていないんですわ」とのことですが、いえいえ、与兵衛が乗り移ったかのような勘十郎さまの表情を見ていると、その激しさが伝わってきます。

 見納めの公演、本当に、心底、楽しかった! 2月公演、満喫させていただきました。


「ハダカデバネズミ 女王・兵隊・ふとん係」 吉田重人他著

2009年02月22日 | や行の作家
「ハダカデバネズミ 女王・兵隊・ふとん係」 吉田重人他著 岩波書店 (09/02/22読了)

 ううううう、打ちのめされました。もう、すっかり、ハダカデバネズミの虜。いつ上野動物園に行こうかと算段中。「岩波科学ライブラリー」シリーズの中の一冊。ちゃんとした研究者の方が書かれた本ですが、文章が軽妙で、遊び心満載。ハダカデバネズミに魅せられてしまった著者が、デバ・フリークを増殖させるべく仕掛けた本であり、私もまんまとそれにハマりました~! 編集者のセンスも光ります。

 「ハダカデバネズミ」-まるで「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する妖怪のような名前ですが、実在の動物です。そして、その名の通り、裸で出っ歯、しかも、退化してしまつた目は異常に小っちゃくて、ブサイク極まれりという感じの見た目ではあるのですが、でも、めちゃめちゃカワイイのです。サブタイトルからわかる通り、女王を戴くスーパー階級社会。女王と、交尾を命じられる(交尾を許されるではなく、命じられるってところがナイス!)数匹の王様、その他大勢の兵隊&労働者階級。アフリカの草原地帯に巨大な地下都市を作って社会生活を営む。出っ歯は、トンネルを掘るための道具なのです。デバはとってもキレイ好きで、お手洗い部屋は居室の近くで、しかも、トンネルの一番どんづまりになるような位置に作ってある。そして、汚れてくると埋めてしまい、また、別のお手洗いルームを作るんだそうです。エライっ!

 心惹かれるのが、デバたちのカワイイ(?)カラー写真。労働者階級の中には、女王が子どもを産むと、ベビールームにギューギューに寝転がって、身を挺してベッド役を担う「肉布団係」という仕事があり、なんとも、心和みます。サボっているところを女王に叱られて「ゴメンチャイ」と服従ポーズしている兵隊の写真もいいなぁ。

 そもそも、この本は2月9日付け 毎日新聞夕刊の小川洋子さんのエッセイ「楽あれば苦あり」の中で紹介されており、そのエッセイを読んだ友人が即日・調達して、貸してくれたものです。「デバネズミ」の本もめちゃめちゃ楽しいのですが、小川さんのエッセイも素晴らしい。あのエッセイを読んだら8割5部の確率で「デバネズミ」の本を読みたくなり、本を読んだ人は9割の確率でデバフリークになるはずです!


与兵衛の表情にゾクゾク @文楽2月公演・女殺

2009年02月15日 | 文楽のこと。
◎与兵衛の表情にゾクゾク @文楽2月公演・女殺油地獄
 
 「女殺油地獄」2回目です。今回は、前から3列目という、涙モノに素晴らしい席で、前回よりも、断然、物語の世界に入り込んで楽しめました!

 前回は、真ん中よりもちょい後ろ目の席。その時は、勘十郎さまの派手なアクションばかりに目を奪われていたのですが、実は、与兵衛の表情がとってもいいんです! お吉を刺した後の、開き直ってフテブテしいような、それでいて、不安に押しつぶされそうな、複雑な顔つき。なんか、ゾクゾクしちゃいました。

 表情だけでなく、ちょっとした仕種なども、前の方の席だとこんなによ~く見えるのかとウキウキ。茶屋の席で、与兵衛が着物の裾をさりげなく直すのも、とってもセクシーでした。というわけで、 勘十郎さまを大いに堪能! 来週、見納めの3回目に行きます!

嶋さんの浄瑠璃に涙@文楽2月公演・敵討

2009年02月15日 | 文楽のこと。
◎嶋さんの浄瑠璃に涙 @文楽2月公演・敵討襤褸錦

 プラボー! 気分は、スタンディングオベーション! こんな面白い話が、過去に3回しか上演されたことがなかったなんて…ちょっと不思議です。

 日本版のロミオとジュリエット。新七とお霜。言い交わした二人はラブラブだったのに… お霜の父親・須藤六郎衛門が、新七の父・春藤助太夫を殺してしまったことが判明。「敵の家から嫁ぐことはできない」とお霜は自害し、新七は兄の次郎右衛門は敵討ちの旅に出る。
 
 新七・次郎右衛門の兄弟には、助太郎という兄がいる。パンフレットや解説本では「しっかりしていない兄」のような曖昧な表現振りなのですが…実は、長男・助太郎は知的障害者。次郎右衛門は、「家同士の戦いとならば、長男が旗頭になるのが常」と兄を立てようとするが、母親は敵討の旅に助太郎を同道すれば足手まといになるだけ-と、わが子・助太郎を刺し殺し、「須藤家に討たれた父親に同道せよ」と見送る。
 嶋太夫さんの浄瑠璃が圧倒的に素晴らしい! 嶋太夫さんの声が響き渡ると、劇場は、丸ごと、春藤家の居室にトリップ。嶋さんの声だけで、世界が出来上がるのです。ビジュアルでは、やっぱり、簑助師匠の助太郎です。神様が降りてきていました。
 バカ殿のような助太郎に観客席からは、何度も笑いが起こるのですが、本当は、とてつもなく悲しく、哀れ。そして、障害を持った長男を殺すしかないと追い詰められていく母も哀れ。和生さんの母と、勘弥さんの女房春が、助太郎の死を悼む場面は、涙が出ました。


津駒さんの声が好き! @文楽2月公演・鑓の権三

2009年02月15日 | 文楽のこと。
◎津駒さんの声が好き! @文楽2月公演・鑓の権三

 2月11日。文楽2月公演の第一部「鑓の権三重帷子」を鑑賞。綱大夫さんが病気休演で、「浅香市之進留守宅の段」「数奇屋の段」と続けて、津駒さんが語られました。今まで、あんまり意識したことなかったのですが…津駒さんのお声、めちゃめちゃいいです。肩に力が入っていない感じで、伸びやかで、まぁるい、豊かな声。聞いていて、とても気持ちいいのです。綱大夫さんのお休みは心配ですが、津駒さんの代演は満足度◎。

 「女敵討ち」という、妻を寝取られた男の復讐を描いた物語。茶道師範である浅香市之進の女房・おさゐは、市之進の弟子であるイケメン・権三がお気に入り。娘の菊と結婚するのと引き換えに、一子相伝の「真の台子」を伝授することを約束し、夜中にこっそり権三にヒミツの巻物を見せていたのを、不義密通と誤解される。もはや、申し開きはできないと、おさゐは夫に討たれることを覚悟の上で権三と共に落ち延びていく。
 予習段階では、本当に不義をしたわけではなし、何も死ぬの・殺すのという大袈裟な話にしなくても…という印象でしたが、舞台を見ていて、なるほどと納得。おさゐと権三が本当にやっちゃったかどうかわかりませんが、少なくとも、おさゐの心は完全に夫を裏切って、権三に向かっていたのですね。ある意味、とっても、現代的なストーリーでした。中年になっても恋したいのは、今も昔も変わらず?

「煮ても焼いてもうまい人」 立川談四楼

2009年02月10日 | た行の作家
「煮ても焼いてもうまい人」 立川談四楼著 文庫  (09/02/10読了)

 難しげな本を読み始めたら、何日かかっても、読了できず…。で、ちょっと、気分転換に、最近ハマっている談四楼師匠に逃げ込んでみました。

 過去に日刊ゲンダイで連載していたエッセイの特選集。落語家や芸人仲間の訃報や病に倒れた話題を多数収録。でも、湿っぽくは決してないのです。亡くなった方を惜しみつつも、最大限の愛情と友情で、在りし日の姿を活き活きと甦らせていて、相変わらず、上手い! そして、私が、最初に読んだ談四楼師匠の小説「師匠!」は、そうした人への暖かい思いがあってこそ結実した作品であることが、よくわかりました。

 さすが、芸人のサービス精神! と脱帽するのは、単に、過去のエッセイを収録するだけではなく、一遍一遍に後日談や、エッセイに書ききれなかったこぼれ話などをオマケが付いていること。 やっぱり、文章には、その人の人柄が出るものです。 これは、ますます、談四楼師匠の高座を聴かないわけにはいかなくなってきました。4月の落語初体験目指します!

勘十郎さまも涙する嶋さんの浄瑠璃@勘十郎サロン

2009年02月08日 | 文楽のこと。
勘十郎さまも涙する嶋さんの浄瑠璃@勘十郎サロン

 「私的・文楽月間」で、本日は、NPO文楽座主催の「サロン・ド・文楽座」でした。「サロン・ド・文楽座」は文楽公演期間中に、数回、技芸員さんがホストになるお話会。公演の見所を解説したり、修行時代の苦労話、芸への思い入れなど話題は色々。本日は、ラブな勘十郎さまがホスト。この会に参加するには、NPO文楽座の賛助会員であることが条件。勘十郎サロンに参加したい一心で、文楽座の賛助会員になってしまいました。

 もちろん、会費をお支払いして余りある満足度でございました。毎度、感心しますが、勘十郎さまは、本当に、お話がお上手! よどみなく、時折、笑いをとりながら、一時間近く、たっぷりお話下さいました。その上、勘十郎さまナマ写真のお土産付き。しかも、ゴールドのペンで「三世 桐竹勘十郎」とサイン入り。ウッキー!!ミーハーなファン心理をよくおわかりでいらっしゃいますわ!もちろん、パウチして、毎日、持ち歩いてしまいます!!

 まずは、出だしの挨拶で、「人形を持っていないのに、こんなに集まっていただき有難うございます。感激です。人形を持っているのに、大阪の文楽劇場の夜は、なんで、ガラガラなんやろう」と軽~いジャブからスタート。メインテーマは第二部の「敵討」の解説。勘十郎さまにとって、ちょっとイヤな思い出の演目だそうで…昭和52年にこの演目で彦坂甚六を遣われた時に、公演中に椎間板ヘルニアになり、立つ事すらできなくなってしまった。その上、主役の春藤次郎右衛門を遣われていたお父上の二世・勘十郎も病気になり、親子で休演してしまったそうです。
 
 この2月に、ようやく文楽2年生に進級した私は、素晴らしいめぐり合わせで、勘十郎さまに出会ってしまったようで… 「この1-2年、人形が勝手に動くみたいに、よう、動いてくれるんですわ。いらぬ力が、ようやく、抜けてきたのかもしれません」とお話されていました。それまでは、浄瑠璃が耳から入り、頭の中をぐるりと回って、手に伝わり、人形が動いていたのが、最近は、浄瑠璃がそのまま人形に伝わるような感覚なんだそうです。かつては、簑助師匠から「汗かかんのも、芸のうちやでぇ」とチクリと言われるほどの汗っかきだったのが、力が抜けると、汗もそれほどかかなくなったそうです。

 勘十郎さまは、「手負いの役」と「刀を持つ役」が大好きとのこと。「手負い」の息づかいにこだわりがあるそうで、刺されて痛い⇒あまりの痛みに感覚が麻痺する⇒死ぬ間際の意気も絶えんとする瞬間 どんどんと息づかいが変わっていく様を表現するために、色々、研究されているそうです。また、小道具の刀は本身にこだわっているそうです。刃はつぶしてあっても、やはり、ホンモノだけあって、左遣いさんは命懸けだとか。扱いは大変だけども、光り具合や、振った時の重量感は、やはり、ニセモノとは格段と違うそうです。

 そして、興味深かったのは、最近、チョイ役でも、出遣いが増えている理由。若い技芸員さんの励みになるようにと-劇場側の方針なんだそうです。さらには、過去は、ツメ人形で済ませていたようなところも、わざわざ、3人遣いの人形にして若い人に役をつけるような配慮もしているとか。勘十郎さま自身は、これには、あまり賛成ではないそうで…やはり、出遣いが多すぎると意識が散漫になって、ストーリーの邪魔になってしまうし、ツメちゃんを3人遣い人形に変えると、その分、舞台上が混み合ってしまい、これも、見苦しくなるので、劇場側と話し合ってみたいとお考えだそうです。

 そしてそして、来週、拝見する「敵討」に期待が高まるような一言をおっしゃっていました。「浄瑠璃が本当に素晴らしいんです。嶋大夫さんが語られていますが、楽屋でスピーカーで流れているのを聞いていても、涙が出てきます」と。ああ、勘十郎さまも涙する嶋さんのお声、早く聞きたいです!!