おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

「田村はまだか」 朝倉かすみ

2009年12月31日 | あ行の作家
「田村はまだか」 朝倉かすみ著 光文社 (09/12/30読了)

 あちこちのブログで評判よろしく、前から、気になっていた本です。「ハードカバーで買うのもったいないなぁ。文庫になったら読も」と思っていたのですが、いい歳して、叔母からクリスマスプレゼントとして図書カードをもらったので(いや、ホント、もうクリスマスプレゼントをもらう年齢は相当昔に終わってるのですが…)、ちょっと気が大きくなって買っちゃいました。

 まさに「田村はまだか」な話です。小学校の同窓会の三次会に流れてきた40歳の男女5人。場所は札幌の場末のスナック。飛行機の遅れで、同窓会には間に合わなかった田村を待っている。小学校の卒業から28年。若いつもりでいても、それなりに、齢を重ねている。当然、傷ついたり、傷つけられたり、恋したり、恋に破れたり、それぞれに歴史あり。

 というわけで、田村を待ちながらの会話を糸口に、同級生5人とスナックのマスターの背負っている過去をオムニバス形式でひも解いていく。日付が変わっても、やはり、田村は来ない。というか、来られない事情が生じてしまう。そして、田村の元へ向かう5人。

 田村やその同級生たちと同世代の私としては、まあ、それなりの郷愁は感じます。「ああ、わかるなぁ」という描写もたくさんある。そして、ほのかに悪くない話でもある。

 だけど、なんとも、軽いというか、スカスカというか…。例えば、松井今朝子の文章がどっしりと重たい虎屋の羊羹なら、「田村はまだか」はウエハースのようにもろく、頼りなくて、口にいれると溶けてしまう感じ。あっという間に読み終わっちゃたし…。

もちろん、ウエハースだって、不味いわけではないですけどね。でも、虎屋の羊羹に一本2500円払っても、ウエハースはせいぜい数百円。ま、そういうことです。

ああ、やっぱり、文庫になってから買えばよかったなぁ-と思ったのでした。



博多座文楽公演 「義経千本桜」「新版歌祭文」

2009年12月30日 | 文楽のこと。
博多座文楽公演 夜の部 「義経千本桜」「新版 歌祭文」

 日帰りで福岡なんて、どう考えても、クレイジー。そんなことは分かっていても、やっぱり、私は、勘十郎さまの狐忠信が観たかったの♪

 思い返せば2年前、2008年2月公演で「義経千本桜」を観たのが、私の文楽デビュー。もちろん、その時は、まさか、これほどハマるなんて思ってもみませんでした。「ま、一回ぐらい見てみようかな」という軽い気持ちでした。ところが、あまりの迫力、大スペクタクルに圧倒され、幕が降りた時には完全に恋に落ちていました。
 
 その後、文楽を観るたびに、他にも好きな技芸員さんはたくさん増えましたが、でも、やっぱり、初恋の人(あくまでも、文楽のですが…)は特別なんです。勘十郎さまの狐忠信は何度でも観たい!  そして、福岡まで来た甲斐があった、素晴らしい舞台でした。

 まずは、「道行初音旅」。清治さんを元締めとする6人三味線には、テンション上がりました。最近、清治さんと清志郎さんが並んでいるだけで、私は、ウキウキしてしまうのですが…6人三味線となると、迫力が一段と増します。元締めの睨みが効いているせいか、音がビシッと揃ってなんとも心地よい。これぞ、ジャパニーズ・ミュージカルだわ-と一人得心しておりました。

 そして「河連法眼館の段」は、言うまでもなく、勘十郎さまの独壇場。何度も何度も早替わりがあり、堂本光一くんにも負けてない(?)宙づりの演技。楽しくって、ついつい、ニヤけてしまいました。

 私の隣の席のおば様は、長崎から遠征してきたそうで「初めて文楽を観たの。こんなに、面白いんだったら、もっと、早く観にくれば良かった」とおっしゃっていました。なので、「私も義経千本桜でデビューして、それ以来、病に陥ってます。とりあえず、3月の地方公演で九州で何回か公演あるハズですから、ぜひ、行ってみて下さい。絵本太功記は女たちの人間ドラマですよ~」と宣伝しておきました。

 そして、〆は「新版歌祭門」。床の組み合わせが渋い! 吉穂さん&喜一朗さんは、私的、30年後の切り場ゴールデンコンビです。もちろん、今回も、なかなかでした。やはり、吉穂さん、ちょっと滑稽味のある場面がすごく合っていると思うのです。私30年先物買いは間違っていなかったと確信しました。

 そして、切の嶋師匠は、もう、今さら、言うまでもなくステキ。紋寿さんのおみつも可愛らしく、かつ、一本気な強さもあってとてもよかったです。実は、5月の本公演の日高川で紋寿さんが遣われていた清姫に狂気の片鱗すら感じられず…というよりも、「やる気ねぇ~」という感じに見えてしまい、以来、私の中では、かなり要注意人物に分類していたのですが、今回で、その考えはリセットすることにします。

 玉女さんの親・久作も、軽妙で良かったです。いつも、偉丈夫なお侍さんなど動きの少ない人形を遣われることが多いですが、おやっさんキャラも悪くないなぁと思いました。 それにしても、丁稚久松、ケリ入れたくなるぐらいダメな奴です。昔も、今も、ダメな奴がなぜかモテるというのは、不条理ですなぁ。

「TOKYO BLACK OUT」 福田和代

2009年12月30日 | は行の作家
「TOKYO BLACK OUT」 福田和代著 東京創元社 (09/12/30読了)

 帯には「未曾有の大停電が東京を襲う 大型新人が満を持して放つ、超弩級のクライシスノベル」とある。もう、それを読んだだけで、ワクワクします。何の有り難味もなく、当たり前のように電気を使っていますが、台風やちょっとした地震ならほとんど停電することもなく、電気が安定供給の度合いは、先進国でもピカ一の日本。その日本の首都を大停電に陥れるって、いったい、どんな手法???

 新橋に本社がある東都電力(って、思い切り東京電力じゃん!)の給電指令所の描写、遠隔地にある発電所から首都圏に電力を供給するための仕組み、他の電力会社との電力融通(首都圏は電力需要が多いため、東北電力などから電気を購入している)など、どう考えても、インサイダーから取材して書いているとしか思えないリアリティーのある描写で、うすら寒くなります。ほんと、前半は、「超弩級」な感じで、ドキドキしながら読みました。

 が… 後半は、かなり尻すぼみかな。電力会社やその周辺の描写に比べると、停電した後の東京の街の描き方がかなり大雑把な感じでした。東京大停電を描くとしたら、犯行の手口もさることながら、その後のパニックは重要なパーツになると思うのですが…。停電になっても、それほど混乱した感じじゃないんのです。東京大停電という事態が進行中なのに、台所をのぞいてお姑さんが嫁にたいして「ご飯は、まだかしら?」と間抜けな質問をする場面には、ちょっと、ガッカリしました。

 また、都知事の会見場面も、「冷静に行動しましょう」とあっさり終わってしまうのですが、絶対に、そんなハズはありません。未曾有の事態で、知事が質問に答えないなんてことがあったら、会見場が怒号の渦に巻き込まれることは必至です。

 いつも、推理小説を読んで思うのは、人間はそんな理由で罪を犯すだろうか-ということです。この「TOKYO BLACK OUT」もそこが一番ひっかかりました。実際、新聞を読んでいると、人間は、実にくだらない動機で犯罪を犯しているのですが、でも、それって、結構、突発的な犯罪なのです。首都東京を停電にして混乱に陥れるという、知識・知能・組織力をベースに緻密な計画を要する犯罪を企てるというのは、単なる、恨みつらみぐらいではできないのではないかという気がするのです。宗教や狂信的な思想に取りつかれての犯罪ならばともかく…そこまで、緻密に計画を立てられる人は、その犯罪によって、自分の恨みつらみを晴らすことができないことを理解してしまうと思うのです。

 でも、2007年にデビューしたばかりの新人作家。その取材力には、感服します。次回作に更なる期待をしたいと思います。

「シアター!」 有川浩

2009年12月30日 | あ行の作家
「シアター!」 有川浩著 メディアワークス文庫 (09/12/28読了) 

 12月創刊されたばかりのメディアワークス文庫第一弾の作品。そこそこ人気はあるものの、借金を抱えた劇団「シアターフラッグ」に、金は出すが口も出す鉄血宰相のような経理担当がやってきて、稼げる劇団に再生さよう-という話。

 有川浩の出世作「図書館戦争」がアニメ化された際に、主人公である笠郁の声を担当した女優さんが所属する劇団の芝居を見に行ったことがキッカケでできた作品だそうだ。有川浩の取材力には敬服する。これを読むと、なぜ、劇団が貧乏なのかが、大変、よくわかりました! 

 ストーリーは、まぁ、お手軽で、後腐れないといったところです。混んでいる電車の中でもイライラせずに読む分にはちょうどいいぐらいかな。

88年前の文楽映像 @ 早稲田大学小野記念講堂

2009年12月23日 | 文楽のこと。
88年前の文楽映像 @ 早稲田大学小野記念講堂

 新聞でもかなり取り上げられていましたが、早稲田大学の演劇博物館が、フランスのアルベール・カーン博物館が保存していた88年前(大正10年)の文楽映像を購入しました。
有り難きことに、誰でも参加できる無料上映会があり、拝見して参りました。

 映像は40分超。人形浄瑠璃文楽座の看板、劇場全景、看板前の白井松次郎(松竹の創業者)というイントロダクション的な映像の後に、人形拵えや技芸員が談笑している楽屋風景など。そして、そのあとに、「妹背山」の道行恋織苧環と、「廿四孝」の十種香と奥庭狐火の映像という構成でした。

 で、なんで、これが大正10年の映像だと断定できたのか-というのが、すごくドラマチックなのです。1938年に刊行された「初代吉田栄三自伝」の中の大正10年の項で、「有楽座での興行中に松竹から話があって活動写真を撮ることになった」という記述があるのです。しかも、演目が「妹背山」と「廿四孝」で、十種香はサハリしかやっていないとか、床は古靭さんと清六さんだった、「私が八重垣姫を遣った」などということが克明に書かれていて、どう考えても、このフィルムの撮影のことを書いているとしか思えない符合ぶり。

 そして、皆さんが寛いでいるステキな楽屋風景も、栄三自伝により、ヤラセであることが発覚。「急造りの場所なので、楽屋らしくする為、私が暖簾なんかを持っていきました」と、バッチリ書いてあるんです。まさか、松竹の人も、88年後にヤラセが暴かれるとは思わなかったでしょうね。
 
 で、本編部分はと言えば、「廿四孝」に関しては、88年という年月を経ても、基本的な演出はほとんど変わっていないのです。

なんか、感動してしまいました。「伝承」という手法によって、戦争・敗戦を乗り越えて、88年という長期に渡って文化を保存できるって、やっぱり、人間の力って凄いですよね。(たまたま、88年前の映像で確認ができただけで、実は、もっと、さらに長期に渡って保存し続けているのだけれど…)。 そして、廿四孝が、これほどまでに西欧文化を受け入れ、経済大国(まだ、一応、大国?)になった日本でも、観る者をハイにしてくれるなんて…。

ほんと、人間の力って凄いです。

ちなみに、吉田栄三は昭和に入ってからは、座頭格の立役遣いとして人気だったそうですが、この映像では、両方とも赤姫。しかも、可憐なんです。立役も女形もきっちり遣える名人! まるで、今の勘十郎さまのよう!? 

この映像の解析に携っている、早稲田大学の内山美樹子先生は、「あの栄三が、楽屋で笑顔でいたなんて!」「古靭を立派な大夫に育てた3世清六の映像が残っていて感激~」「咲大夫の父である八世綱大夫が、楽屋で下働きしているのよ!」と興奮状態。昔から文楽を知っている人にとっては、歴史に名を残す名人達の若かりし映像に萌えてしまうんですね。

 誠に、貴重な映像を拝見させていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。
 
 今回の上映会に参加できなかった人も、遠からず、演劇博物館の視聴覚ブースで誰でも無料で視聴できるようになるそうです。太っ腹、早稲田大学!  

博多座文楽公演 「菅原伝授手習鑑」

2009年12月23日 | 文楽のこと。
博多座文楽公演 昼の部 「菅原伝授手習鑑」

 日経ホールで9月に行われた住師匠の素浄瑠璃の会で「桜丸切腹の段」を聴いて以来、「絶対に、“人形あり”で観てみたいなぁ」と思っていました。もちろん、素浄瑠璃も素晴らしいけれど、やっぱり、私は、人形浄瑠璃が好き♪ 住師匠の語りで人形に命が吹き込まれて、物語を紡ぎだしていくのを観たい~と思っていました。
 博多日帰りで文楽鑑賞がどれほどクレイジーかは承知の上。でも、思い切ってしまいました(航空券は超割で、実は、交通費は大阪遠征よりも安上がり-と自分に言い訳)。そして、やっぱり、行って良かった。

 まずは「車曳の段」。床は中堅・若手中心ですが、津駒さん、咲甫さんと実力派が並び、三味線は喜一朗さん-と超私好み♪ 呂茂大夫さんは藤原時平の大役で、「笑い」の場面がありました。当然のことではありますが、住師匠の笑いには遠く及ばないし、聴いている方が手に汗握ってしまうような感じだったのですが…でも、物凄い、大熱演ぶりが痛いほど伝わってきて、そうしたら、会場から自然と拍手がわき起こって、温かい雰囲気になりました。

 東京や大阪の公演では、拍手は中堅以上の実力派に向けられるもので、ある程度、ご贔屓さん集団がついている人に限定されているような印象です。博多座公演では、呂茂さんを初めとする若手に対して「頑張れ~」という応援拍手がなる場面がいくつかあって、嬉しくなりました。人間国宝が永遠に生き続けてくれるわけではなし、若手を盛り立てて、どんどん力を付けていって、楽しませてもらわなきゃ!

 そして、私的には、やっぱり、この演目の注目どころは勘十郎さまの八重。めちゃめちゃよかったです!!!! やさ男・チャラ男を遣っても天下逸品。大星由良助のような中年の悲哀も素晴らしく、一つ家のスプラッター婆さんは観客のテンションを上げ、絵本太功記での中年女・操は情感たっぷり。もう、老若男女善人悪人選ばず、勘十郎さまは、どんな人形を遣われても、観る者を物語の世界に引きずりこんで下さいます。

 今回の八重は、まだ、可愛らしさの残る若妻。これが、また、ステキなんです。「茶筅酒
の段」では、ろくに台所仕事もできないぶきっちょな姿で和ませて下さいましたが、「桜丸切腹の段」では、一転、突然、夫を失う悲劇のヒロイン。住師匠の語りと、勘十郎さまの左手によって命を吹き込まれた八重は、身体全体で、不条理な運命を恨み、愛する人を失った喪失感を表現していて、胸が締め付けられるようでした。特に、義父の白大夫の「泣くない~」の声に、せつなく「あ、あい~」と応じる場面は、泣けました。

 もう、住師匠の浄瑠璃と、勘十郎さまの八重のセッションを見られただけでも、博多遠征の甲斐がありました。

 最後の「天拝山の段」は、ちょっと笑わせていただきました。菅原道真の飛び梅伝説に因む場面で、もちろん、全然、笑うべきところではないし、津駒&寛治の超贅沢な床も素晴らしいのですが… フィナーレの演出が面白すぎました。菅丞相(道真)が「梅の花を口に含んで、火焔を吐く」場面、本当に、お人形が火焔を吐いたのです。しかも、私がイメージしていたのとは全く違う火焔を…。 「火焔を吐く」と聴けば、普通は、赤い炎を想像すると思うのですが、舞台の丞相が吐いたのは、明らかに、子ども花火。あの、銀色の火花がシャーと流れるような、一番、単純なものです。せっかくの玉女さんの重々しい演技も、一気に、B級映画チックになってしまいました。

「あなたにもできる悪いこと」 平安寿子

2009年12月22日 | た行の作家
「あなたにもできる悪いこと」 平安寿子著 講談社文庫

 「やはり、読むべきではなかった」と深く反省する一冊でした。

 平凡でもいい、お金持ちにならなくてもいいから、警察のお世話にならず、人に大きな迷惑を掛けずに一生を終えたい。なので、基本的に「悪いこと」は好きではないのです。

 中でも、私が、大っ嫌いなのは、チンケな詐欺、スケール感のない横領などの小悪。もちろん、大悪を許すというつもりはないのですが、例えば、郵便職員が現金書留の封筒を配達せずに、横領していたとかいうニュースを聞くと「バッカじゃないの!」と怒りのボルテージが上がってしまうのです。悪さの度合いに対して怒るというよりも、たかだか、1万円、2万円のために懲戒処分受けて、人生を棒に振るようなバカさ加減に対して、怒りを覚えるのです。

で、この物語といえば、まさに、そういう、チンケな詐欺師の、チンケな犯罪の短編集なわけです。見た目が良く、誰からも好感を持たれる檜垣は、飛び込み営業のプロとして、ろくでもない商品を主婦たちに売りつけて生きてきた。その才能を、高校時代の友人に買われて、犯罪の道へ踏み入る。トラブル仲介を装って、ゆすり、たかり、詐欺を次々と繰り返す。

 もちろん、世の中には、そういうチンケな犯罪が溢れているのが現実なのですが…としても、誰が、そんな物語を読みたいのだろう? 通勤電車の中で、心癒されることもなければ、元気になれもしない小説なんて…。 どうせなら、アドレナリン出まくるような巨悪の方が面白いのに。だって、所詮、虚構なんだもん。

 しかも、平安寿子は「くうねるところすむところ」(080516読了)「こっちへお入り」(祥伝社文庫080322読了)など、地道にポジティブ・ちょっと幸せ路線が、持ち味なんじゃないかと思うのです。多分、彼女自身も、悪いことは好きじゃない人だと思います。

 出版社の依頼なのかもしれませんが… 無理して、こんなチンケな詐欺師の物語なんて書かない方がよかったのに、と感じました。

「本を読む女」 林真理子

2009年12月19日 | は行の作家
「本を読む女」 林真理子著 新潮文庫 

 多分10年ぶりぐらいの再読。やっぱり、いいなぁ。いや、年をとった分、10年前に読んだ時より、一段と味わい深く感じました。

 私が子どものころ、林真理子はフジテレビのキャンペーンにおかしな格好をして登場したり、とにかく、キワモノな人だった。糸井重里と共に、実体のよくわからない「コピーライター」という職業を名乗り、流行の先端であること、カネがあることをなにかとハナにかけていた(もちろん、まだ、セレブという言葉は無い時代である)。ま、一言でいえば、嫌いだった。

 初めて林真理子を読んだのは大学生の時。知人の翻訳家から勧められました。彼女は、文章修養として、毎日、寝る前に小説を30分音読していて、「声に出して読むと、文章の良し悪しが一段とハッキリわかる」と言っていた。その彼女が「絶対におススメ」と言っていたのが林真理子だったわけです。

 小説を読んでみて、テレビに出ている露悪的な林真理子は彼女の一面でしかなく、実は、コンプレックスと戦う、真面目で、控えめな人なのだということを知りました。本のタイトルは忘れましたが、「美しい人が勉強もできて、優秀なのは、それほど驚くようなことではない。だって、彼女のために椅子をひき、アドバイスをしてくれる人がたくさんいるのだから」-という趣旨の表現に出会った時、林真理子という小説家に激しく共感しました。

 「本を読む女」は、林真理子の母親をモデルにした物語。昭和初期から太平洋戦争が終結するまで。今のように、女が自由に生きることが認められていなかった時代のこと。背が高いといっては結婚に差し障り、高等教育を受けたことも、本をたくさん読むことも結婚にはマイナス。

 本を読んでも、誰も、救いにきてはくれない。所詮、自分の人生は自分が生きなければならない。それでも、本を読む時間が私を自由にし、一歩を踏み出す勇気をくれる-。主人公が「本」から得るエネルギーは、本好きの人には、きっと、切ないぐらいわかるはず。

 そして、この本を書いた林真理子は、「本を読む女」から生まれ、同じように本を愛し、本によって救われ、そして、本を書く女になった-ということなんですね。

 でも、最近の林真理子、全然、読んでいません。週刊文春で連載してた「不機嫌な果実」以来、なんか、不倫とか、ちょっとエッチな感じの小説が多いような…。いや、たまに、そういうドキドキする記述があるのって悪くないかもしれませが、食傷するほど並べたてられると、うんざりするなぁ…という気分です。

「もっと声に出して笑える日本語」 立川談四楼

2009年12月19日 | た行の作家
「もっと声に出して笑える日本語」 立川談四楼著 光文社文庫 

 「声に出して笑える日本語」の続編。
 師匠のような才能溢れる方が、二匹目のドジョウを狙っちゃあ、いけません。マンネリ感というか、どこかで聞いたことがある感というか…。
 と批判しつつも、電車の中で読んでいて、ちょっと怪しい人っぽく、何度も、ニヤニヤ笑ってしまいました。 

「伊達娘恋緋鹿子」 文楽12月公演 @ 国立劇場

2009年12月17日 | 文楽のこと。
文楽十二月公演本公演「伊達娘恋緋鹿子」 @ 国立劇場

 有名な「八百屋お七」の物語です。当然、お七が主人公であり、お七が櫓を登って、半鐘を打つ場面が最大の見どころなのですが… 私には、圧倒的に、玉也さんの親・久兵衛が印象に残ってしまいました。「親って切ないよねぇ」と、子どものいない私がついつい感情移入してしまうほどに、親父の侘しさが漂っていました。

 私が、玉也さんを強烈に意識したのは、相生座の夏祭浪花鑑の義平次。勘十郎さま団七とのぶつかり合いが真に迫っていて、もう、楽しくってたまらなかった。逆に言うと、なんで、それまで、玉也さんのこと気にならなかったんだろう…というぐらいに、突然、天から舞い降りて来た感がありました。

 それ以来、玉也さんは、常に「気になる人」の1人。鬼一法眼の鬼若、鑑賞教室の高師直、思い出すだけでワクワクします。ただ、なんとなく、一癖も二癖もある役どころを、デフォルメして、さらに、印象深く遣われる人。大きな人形を、より大きく見せる遣い手さん-と勝手に思い込んでいたフシがありました。

 ところが、久兵衛は大きい人形でもなく、キャラが際立っているわけでもない、普通のオヤジさん。その普通のオヤジさんの、至って普通の佇まい、ちょっとした表情、息づかい-全てが完ぺきにまで真に迫った普通のオヤジさんなんです。もう、久兵衛の表情にくぎ付け♪

 もちろん、お七の半鐘の場面もよかったですよ。でも、清十郎さんって、若干、上品すぎる感じかなぁと思いました。男のために、火事でもないのに半鐘をならして、町を混乱に陥れようなんて、まともな女の考えることじゃありません。もうちょっとラリッている感が出ている方がしっくりくるような気がします。まぁ、好みの問題ですかね。