おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

KANJURO  人形の世界 @ 日経ホール

2010年02月24日 | 文楽のこと。
KANJURO 人形の世界 @ 日経ホール

 勘十郎さまプロデュースによる文楽人形の素晴らしさを紹介する(?)オリジナル公演。限られた人数で構成する舞台だけに、できることは限られているし、演目にも制約があるなかで、最大限、観客を楽しませて下さろうという心意気を感じました。

 勘十郎さまがツメ人形を遣われたり、足を遣われるという、普段はなかなか拝見することができない場面を見ることができるのも、こういう公演ならではです。

 演目は「知盛」と「花競四季寿」から「関寺小町」&「鷺娘」。

知盛は、玉男さんの当たり役で、今は、玉女さんが遣われるお人形。勘十郎さまは、本公演では一度も遣われたことがないそうですが、それでも、堂に入っていて、カッコイイ。一昨日までダメンズ・徳兵衛だった人とは思えぬほど威厳に溢れ、強く、揺らぎが無い。人形のお衣装もとっても華やかだし、こういう重々しい場面で、燕三さんの三味線は最高です。
 
「花競四季寿」は2月公演でもかかっていた演目。「関寺小町」、絶世の美女と言われた小野小町が老いさらばえた姿を描いている。今回は、義太夫節ではなく、黛敏郎作曲のチェロ曲「文楽」(しかも、録音)との競演という、ややキワモノ演出。でも、意外と楽しめました。もちろん、ちゃんとした床で見たらもっと気分が盛り上がったとは思いますが、「文楽」という曲が、なかなか、ステキなのです。チェロの弾き方で、三味線や義太夫節の雰囲気を醸し出していて、作曲家が文楽にインスピレーションを受けて、深い敬意を払っているのがよくわかります。もともと、人間の音域に近い楽器はビオラと言われていますが、義太夫節は、もうちょっと低めのチェロがピッタリなのかもしれないです。

本公演では文雀師匠が関寺小町を遣われていました。確かに、相当の老婆なので、腰が曲がって真っ直ぐに立たないのは当然なのですが、文雀小町は、腰が曲がっているというよりも、腰が無くなってしまっているような印象でした。腰かけている場面は、お腹のあたりがペタンと畳まれてしまって、お臍の下からいきなり足に繋がっているようにも見えてしまう。その時は、人形の構造上の限界なのだろうか-などと思っていましたが、勘十郎・小町は、年老いて腰は曲がっているけれど、でも、ちゃんと、「腰」が存在していました。というわけで、構造上の問題ではなかったのか-ということに納得。

立ち居振る舞いも、単なる年をとった女なのではなく、かつての美貌・艶を彷彿とさせるような、そこはかとない色香の名残を感じさせるものでした。文雀・小町は、小町がヨロヨロしているのか、文雀師がヨロヨロしているのか微妙すぎて、とても若き日の栄華に思い至れませんでした。

そんなわけで、勘十郎さまのご趣旨とは全く違うのでしょうが…改めて、文雀師の老いを感じさせられました。

そして、メーンイベントは「鷺娘」。2月の本公演では和生さんが遣われていたお人形。内心、2日前まで他の方が遣っていた演目を選ぶなんて、「ちょっと、チャレンジング??」と心配しておりましたが、そんなことは、杞憂でした。全く異なる演出で、まるで、違う演目であるかにも見えました。

勘十郎さまの説明によると、和生さんの鷺娘は梅本流のしっとり系。勘十郎さまは「私は、派手なのが好きですから、藤間流で振りつけてもらいました」とのこと。
 
 これは、完全に好みの問題だと思うのですが、私は圧倒的に勘十郎さまの鷺娘が好きっ!!! もう、ザッツ・エンターテインメントです。脳内物質が分泌されて、ウキウキ楽しくなっちゃう~という感じでした。

上の方の席だったので、介錯の若手さんの動きも見ることができましたが、これが、かなり忙しげなのです。それほどに、色々な演出の工夫がありました。衣装の早替わりも、和生さんバージョンでは、観客の前から姿を消している間に早替わりして、次に登場するとピンクのお着物になっているのですが、勘十郎バージョンだと、舞台上で、イリュージョンのような早替わりです。踊りも和生バージョンはしっとり。勘十郎バージョンは物狂い系。

それに、床もステキでした。呂勢さん、咲甫さん、燕三さん、清志郎さん、寛太郎くん。ネクスト世代のスター達って感じですよね。

私にとって、文楽は束の間の「非日常」。だから、楽しいにしても、切ないにしても、メーターの針は、セーフティドライブの領域よりも、振り切れてしまうのが好き♪ いつか本公演でも、勘十郎バージョンの鷺娘を拝見したいものです。

曽根崎心中 @ 国立劇場

2010年02月14日 | 文楽のこと。
曽根崎心中 @ 国立劇場

 ああ、もう、完全にノックアウトされました。やっぱり、簑師匠は神さまです。

 2008年の第一回相生座文楽で簑助・お初&勘十郎・徳兵衛の曽根崎を見て、私は、完全に、文楽のドロ沼にはまりました。だからこそ、国立劇場のような広いところで見たら、薄味に感じてしまうのではないかとか…、ガッカリしたらどうしようかとか…、いらぬ心配をしてしまったのですが、でも、相生座でやろうとも、国立劇場でやろうとも、簑助お初の美しさは不変でした。

 「生玉社前の段」で、天満屋の窓越しから、徳兵衛の様子を気掛かりそうに見ているところから、もう、超キュート。徳兵衛に甘える時も、さりげなく、徳兵衛の着物のあわせのところに手を持っていったり… こんなことされたら、もう、男なんてメロメロになっちゃうんだろうなぁと思います。

 天満屋の段では、カワイイ女の子であると同時に、潔く、毅然とした姐さんとして、草食・徳兵衛に決断を迫るさまはカッコイイ。

 本公演では、長年、玉男&簑助コンビで上演されてきた曽根崎。ゆえに、昔から見ている舞台評論家の方がたは、勘十郎さまには厳しい。そのものズバリ書いているわけではないけれど、新聞評は「玉男の方がよかったけどね」というニュアンスがありあり。

 でも、玉男さんに間に合わなかった私にとっては、勘十郎・徳兵衛が全て。天満屋の縁の下でビクビク、ウジウジしている情けないっ奴っぷりは、十分にカワイかったし、お初の足首にスリスリしたあとに、着物の裾前を整える仕草なんかも、目立ちすぎることなくさりげなくて、いいじゃないですか! これから、回を重ねるごとに、さらにさらにステキな2人になっていくと信じています。

 でも、いつか、簑師匠もお初を持てなくなる日がくるわけで、その時、いったい、誰が後継者になるのだろうか…と考えてしまいます。これほどまでに、可愛く、切なく、美しく、潔いお初を引き継ぐというのは大変なことだと思います。

 そして、最後、天神森の段の心中シーン。ストーリーも、理屈も、なにもかもがふっとんで、ただただ、圧倒的な美しさが支配していました。感情すら封じられているような、ある種の暴力ような美でした。なのに、なのに、床がイマイチだったのは残念。高音で調子っぱずれになっていたり、三味線もなんとなくビシッ~とした感じがなく、てんでんばらばら…。さすがに、津駒さん、文字久さんはゆったりした気分で聴けましたが、若手の皆さん、頑張って下さいね~!


「サクリファイス」 近藤史恵著

2010年02月13日 | か行の作家
「サクリファイス」 近藤史恵 新潮文庫(10/02/12読了)

 面白~い!!! 結末には若干、違和感を感じないわけではありませんでしたが、でも、久々に、「それで、どうなるの?」と次のページを開くのに心がはやるような作品でした。

 自転車ロードレースのプロチーム所属する白石誓(チカ)を主人公にした物語。

昔、一度だけ、競輪に行ったことがあるのですが、その時、これは、なかなか奥深い賭けごとだなぁと思ったのです。近くにいた見ず知らずのオジサンに、基本的なルールを教えてもらったのですが… 単純なタイム競争ではないのです。わざとペースをゆっくりすることもあれば、最初から猛スピードのこともある。誰がレースを引っ張るか、どこで誰がスパートをかけるのかも含めて、推理して車券を買うのです。

先頭を走る人は、当然のことながら最も風の抵抗を激しく受けるわけで、レース序盤で引っ張った人は、体力を消耗して、勝ちにいくことはできない。そこで、勝つためには誰かと協力関係なり、貸し借り関係を作らなければならいのですが、その推理のために重要なのが出場選手のプロフィール表。誰と誰が競輪学校で同期なのか、出身地が同じとかの情報をもとに、どんな駆け引きが行われるかを考えるそうです。

で、ロードレースはもちろん賭けごとではないのですが、ただ、「前半のレースを組み立てる人は、最後にトップでゴールする人ではない」ということは、競輪と同じのようです。ロードレースでは、「アシスト」と呼ばれる役割の人が、エースを勝たせるために、前半のペースメーカーになったり、レースをかく乱したりする役割を担うそうです。主人公のチカは、アシストとしてチームに所属しています。

もともとは、五輪出場を期待されるほどの陸上選手だったけれども、「勝つために走る」という義務感が走る喜びを減殺してしまうことに嫌気がさして、ロードレースに転向。自分以外のために、死ぬ気で走るという「アシスト」という役割にやりがいを感じている。

タイトルのサクリファイスは、エースを勝たせるために犠牲となるアシストを指す言葉だと思っていましたが、物語の終盤、思い込みは二度、三度と裏切られます。

たとえ主人公がその役割を納得して受け入れていようとも、人のために全力を出すというのは、因果なポジションだなぁと思っていました。でも、本当につらいのは、多くのサクリファイスの献身の上に、勝ちに行くという役割を担ってしまったエースなのだという、生贄をささげられる側の悲しみ、苦しみを突き付けられる物語です。

近藤史恵の歌舞伎ミステリーシリーズを以前、読みましたが、その頃よりも、文章が洗練され、物語としてのドキドキ感もアップしているような印象です。ただ、やっぱり、ミステリーとして100%納得いくかというと…若干、減点したくなるかな…。


「空の中」 有川浩著

2010年02月13日 | あ行の作家
「空の中」 有川浩著  角川文庫(10/02/06読了)

 開発中の民間航空機とテスト飛行をしていた自衛隊機が同じ空域で相次いで爆発炎上する。事故の原因は、そこに、居座っていた地球外生命体と衝突したため。地球外生命体は、高度な知能を持ち、学習能力もある。言葉を習得し、やがて、人間とコミュニケーションもとれるようになる。

 死亡した自衛隊のパイロットを父に持つ少年は、事故の衝撃で割れてしまった、地球外生命体の破片と一緒に暮らし始める。かたや、民間航空機のパイロットだった父を失った少女は、復讐心に燃えて、地球外生命体との戦いに挑む。

 「いったい、なんのこっちゃ」-と言う感じですが、私の乏しい語彙では、この小説が、いかなる小説なのかを説明することは不可能です。

 有川浩の妄想ワールド炸裂。しかし、偉大なる「図書館戦争」には及ばず…といったところです。 

「きみはポラリス」 三浦しをん著 

2010年02月13日 | ま行の作家
「きみはポラリス」 三浦しをん著 新潮社 (10/02/07読了)

 三浦しをんによる短編恋愛小説集。いわゆる、恋愛小説って、三浦しをん的ではないような気がするけれど…でも、読んでみると、極めて、三浦しをんテイストな恋愛小説になっていました。

 ちゃんと、他の誰でもない、三浦しをんのカラーを出せるって、凄いなぁと感銘を受けた次第です。巻末に、依頼者からお題を与えられたものと、自分で自分に課題を課して執筆したものが一覧になっていました。ただ、漫然と書くのではなく、自分に課題を課すというのは、プロのストイックさを垣間見た気がします。

 文句ななく上手いと思います。でも、やっぱり、スコ~ンとブッとんだ作品こそが、三浦しをんの真骨頂なのではないかと思うのです。

「花や散るらん」  葉室麟

2010年02月09日 | は行の作家
「花や散るらん」 葉室麟著  文藝春秋社 (10/02/02読了)

 「忠臣蔵」松の廊下事件の別解釈バージョン。帯に「雅と武 西と東の戦い」と思いっきり、お答えが書いてありますが、浅野内匠頭が松の廊下で吉良を切りつけた刃傷沙汰は、実は大奥が仕掛けた…というストーリー。なるほどね。一見、きらびやかで、贅沢三昧のようではあるれけれど、籠の鳥で何の自由も持たない女たちが、男社会に意趣返しというのは、発想としては面白いかも。

 最初は「えっ~これって、すごい、問題作かも!?」と思いながら読んでいたのですが… 途中からは「いやいや、これは、楽しいエンタメ作品ね」と肩の力を抜いて楽しめました。まったく、私の妄想ですが、「すごくいい作品だからテレビドラマ化したい」という感じではなく、「これって、テレビドラマ化狙って書きましたよね?」という感じなのです。

 ストーリーを構築していく際の基本なのかもしれませんが、あまりにも二元論が徹底されすぎていて、マンガチックというか…。 「直木賞候補にはなったけれけど、直木賞は獲れなかった」というのが、すごく、この小説の位置を明確に示しているような気がします。

 いえいえ、決して、批判するつもりではなくて、エンタメ小説としては、気楽で、サクサク読めて、気分転換にピッタリです。

 それにしても、誰が、どう解釈しても、浅野内匠頭は考えの浅いバカ殿だったんだなぁ-というところは、ちょっと笑えました。



2月文楽公演 大経師昔暦 @ 国立劇場

2010年02月08日 | 文楽のこと。
2月文楽公演 第2部(大経師昔歴) @ 国立劇場

 「えっ~、なんで、そんなことになるの???」と言いたくなるような、いかにも、文楽チックなストーリー。浮気者の夫を懲らしめてやろうと、夫が忍びこんでいくであろう場所に先回りして待ち構えていた妻。しかし、そこにやってきたのは、夫ではなくて、別の人物。しかし、相手も、それが自分の主人の妻だとは知らずに…。

 確かに、偶然に偶然が重なるってことは、無きにしもあらずでしょうよ。しかし、いくらなんでも布団の中でやることはやって、夫が外出先から帰ってきてはじめて「えっ~、違う人だったなんて気付かなかった~!」なんて、それはいくらなんでも無いよね。その前に気付け!!!

 で、まあ、それは良いとして、今回も「綱大夫&清二郎」の床で疲労しました。出だしのところは大阪の初春公演よりはちょっとはマシかな(一応、救いを見出そうという努力はしました!)と思ったのですが…。しかし、それも、束の間。ストーリーが展開するにつれて、綱さんの疲れが浄瑠璃にはっきりと表れてしまうのです。後半なんて、息が続かず、どんどん声も出なくなってしまって…痛々しい。 α波で眠くなるのではなく、集中力が続かず、途中で睡魔に襲われました。

 観客として、いい浄瑠璃を聴きたい、気持ちよくなりたい-というのもありますが、でも、一文楽ファンとして、人間国宝にこんな醜態さらさせるのはやめようよ-というのが正直なところです。

 「梅龍内の段」は文字久さん&住師匠の浄瑠璃は、本当に、いい気持でした。「聴きとらなきゃ」「理解しなきゃ」と気持ちがはやることなく、ゆっ~たりと包まれているように身を任せていられる感じ。今さら、住師匠についてはどんな言葉を尽くしても、言い切れませんが、この半年ぐらい、文字久さんも、めちゃめちゃレベルアップしてるような気がします。しかも、この段は、玉也さんの梅龍が登場して、人形にもワクワク。いかにも、玉也さんチックな豪快な手打ちシーンがあったりして、存分に楽しみました。

 最後の奥丹波隠れ家の段。万歳役、人形が一輔さんで、大夫は芳穂さん。きゃぁ、超私好みの組み合わせ。仕草からも、お声からも「楽しい~」という空気が伝わってきて、嬉しくなる。もちろん、富助さんの三味線もステキ♪  結局、いつも、同じ人を好き好きと綴っているような気がしないでもありませんが…。 

 きっと、皆さん、日々、言葉に言い尽くせないような鍛錬、努力をされているのだと思いますが、でも、所詮は芸能。つまり、観客が楽しくなれる、ハイになれてこそ-じゃないでしょうか。清二郎さんなんて、まだ、お若いんだし、早く、つらい立場から解放されて(というのは、私の、勝手な思いこみ?)、観客をハイにするような三味線を聴かせていただきたいです。


2月文楽公演 第1部 @ 国立劇場

2010年02月07日 | 文楽のこと。
2月文楽公演 第1部  @ 国立劇場

 正直、2月公演に関しては、「曽根崎心中」のことが心の85%ぐらいを占めていて、第1部のことは、ほぼノーマークでした。前日の夜に慌てて予習をしたぐらい。でも、実は、第1部めちゃめちゃ面白かったです。このところ、滅入るようなことばかりが続いていましたが、ちょっとハイになれました。

 そういえば、初めて文楽を見たのが2年前の2月公演でした。私も、ようやく、文楽3年生。一段と、ミーハー道を究めたいと思います。

【花競四季寿】

 四季の情景を題材にした景事。新春の「万才」は華やかで、ちょっと滑稽で、楽しい~♪ 一気に心浮き立ちます。イケメン役の勘弥さん、ビシッとかっこよかったです。4月の妹背山の橘姫もめちゃめちゃ期待していいですよね? 勘緑さんの才蔵が、手の甲で鼓を打っていたのですが……。そういう演出? 楽しかっただけに、逆に、そこだけが引っかかってしまいました。
 「海女」は、どうも、タコが気になる。清十郎さんの海女が、しっとりと美しいだけに、いかにも、おちゃらけたツメ人形が登場すると、笑っていいのか、笑ってよくないのか解らなくなってしまう。会場の空気もちょっと微妙だったなぁ。そもそも、人間より大きなタコって…。 「もしかして火星人?」って設定なのでしょうか。
 「関寺小町」には、ちょっとびっくり。「4人遣い」なのか、「3人遣い+文雀遣い」なのか…。客席からは足下は見えないものの、文雀さんが段を降りていると思われる場面で、文雀さんを支える4人目の人形遣いが登場。3月の地方公演では、文雀さん、八重垣姫を遣われるのですが… いったい、大丈夫なのでしょうか?

 床は大夫と三味線がそれぞれ6人ずつ。咲甫さん、相変わらず、ステキ。呂勢さんもよかったなぁ。三味線は、清治さんの総元締めでキリッとしていました。もちろん、こういう時、元締めが重要なのはよくわかります。でも、ホントは、切り場でキレキレの清治さんを聴きたいなぁという気もするのです。

【嬢景清八嶋日記】

 もちろん、勘十郎さまの糸滝もステキでした。カワイイ糸滝をいつまでも見ていたいのに…でも、玉女さんの景清にグッと来てしまいました。すごいハマリ役という感じ。役に入り込んでいらっしゃるのか、表情も引き締まっていてよかったなぁ。
 
そして、床もよかったです。咲大夫師匠って、こんなに迫力あったのか…というぐらいドスが効いていて、玉女さんの演技とのバランスが絶妙でした。そして、おドロおドロしい場面の三味線はなんといっても燕三さんに限りますね。堪能させていただきました。

親子の情愛はともかくとして、最後、宗旨替えして、主君の位牌を海に捨てちゃうってどういうこと??? 武士道精神にもとるんじゃないか-という気もするのですが、でも、「武士道精神よりも親子の情愛が強い」ということを言いたいのでしょうか?
 


「がん6回 人生全快」 関原健夫

2010年02月01日 | さ行の作家
「がん6回 人生全快」 関原健夫著 講談社文庫 (10/01/03読了)

 読み終わって、ふと、「天は自ら助くる者を助く」という言葉が思い浮かびました。

 タイトル通り、6度のがん手術を乗り越えた著者の、文字通り、闘いの記録としての闘病記。興銀マンだった著者は、39歳で大腸がんを発症、その後、移転・再発を繰り返し、6年間で合計6回の手術をしたそうです。しかも、その後、心筋梗塞で2度の心臓手術まで受けている。

私が子どもだったころ、がんは不治の病として恐れられ、がんを発症するということは、サラリーマン人生の終わりを意味していたように思います。著者が最初にがんになったのは、その頃。

死への恐怖に向き合いながら、それでも、一条の希望を求めて何かできることはないか-医師に質問を重ね、がんに罹った現実を受け止め、よりよい病院を探し、納得して手術を受ける。そして、自暴自棄になることなく、残された日々を最大限に楽しむ。

もちろん、本人の心中は、他人では想像も及ばぬほど乱れ、苦しんだのでしょうが、それでも、文章からは、前向きで、諦めない、エネルギーが伝わってくるのです。そして、それは、決して、がむしゃらな力強さではなく、しなやかで自然体な強さのように思えました。

もちろん、6度のがんを乗り越え、心臓病を克服し、かつサラリーマン人生も全うされた著者には、たくさんの幸運もあったのだと思います。でも、きっと、その幸運を引き寄せたのは、やはり、著者自身だったのだろうなと…。

より現実的なメッセージとして、がんは早く見つけて、早く対処すれば、生きられる可能性が高い-ということを心に刻みました。今年からは、健康診断をサボらずに、ちゃんと受けようと思いました。