おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

「ジャンプ」 佐藤正午

2011年08月19日 | あ行の作家

「ジャンプ」 佐藤正午著 光文社   

   

 「コンビニでリンゴを買って5分で帰ってくるね」と言ってマンション前で別れた彼女は、その晩、マンションに戻ってこなかった。そして、そのまま失踪した。いったい彼女はなぜ、どこに消えたのか―その軌跡をたどる物語。

 

 佐藤正午を読むのはこれで2作目。最初に読んだ「身の上話」(光文社)も詳しいストーリーは忘れてしまいましたが、失踪モノだったので、なんか、ちょっと既読感があるというか…新鮮味が感じられなかった。最後まで読んでみると、色々なところに布石が打ってあったことに気付くわけですが、「ね、あなた、読んでいる時にこれに気付かなかったでしょう?」という、著者が絶対優位に立つ仕組みになっているのが、なんともあんまり気分がよくないな。乾くるみの「イニシエーション・ラブ」(文春文庫)を読み終わったあとの不愉快感にちょっと似ている。

 

 その上、彼女が失踪した理由というのがパッとしない。そんなことで、人って失踪するんだろうか? 煩わしさから逃れるために失踪したくなるという気持ちはわからないでもないけれど、実は、失踪するってことの方がその何倍も何倍も面倒くさくいので、余程のことじゃないと失踪って割に合わないと思うけど…。ま、百歩譲って、彼女がやむにやまれぬ気持ちで失踪したとして、その理由がわかった後の男の態度はもっとスキッとしない。

 

 と、一通り、いちゃもんを付けてみましたが、実際に読んでいる間はそれなりに面白く、なかなかのページターナーではありました。ちなみに、wikiによれば佐藤正午氏は失踪モノばかりを書いているわけではないようです。たまたま、私が読んだ2冊が失踪モノだったというだけです。

 

 

 


「日本辺境論」 内田樹

2011年08月18日 | あ行の作家

「日本辺境論」 内田樹著 新潮新書  

 

  どこかの新聞の読書欄に「ベストセラー再読」というコーナーがあったような気がしますが、私は「日本辺境論」を再読したわけではなく、初読です。すごく話題になっていた時になんとなくタイミングを逸して読みそびれてしまい、旬の過ぎた新書に740円も出すのはイヤだなぁと思っているうちにさらに月日が経ち、ブックオフで105円で売っているのを見つけてようやく読むことができました。

 

 なるほど、ベストセラーになるのは納得。「日本人は辺境人である」という定義は新鮮かつ、思わず首肯したくなるような説得力あり。ただ、内田氏ご本人は「私はこの本の中で新しいことは何も言っていませんし、言うつもりも無い。先賢が既に書いたこと、発言したことを整理して、もう一度確認する作業」だといい、その先賢の著書などを随所に引用しています。なので、読者としてみれば、これを一冊読んだだけで、先賢のご主張をつまみ読みすることができ、効率よく、ちょっと賢くなれるというのがミソなのでしょうか。

 

 特に印象的だったのが、日本人が学習能力が高いのは、辺境人であるが故に、外からの知識や技能を吸収することに貪欲であるからだという説明。外から取り入れたものの中から、自分たちに本当に必要なものを抜きだし、ファインチューニングしたり、高度化することで、技術力を高めてきたことが、今の日本を作ったのだろう。

 

 その一方で、日本人が辺境人であることを逆手にとって都合よく確信犯的国際ルール無視を重ねてきたというのもなかなか面白い。内田氏によれば、「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや」という、隋の皇帝を怒らせたことで有名な倭王の手紙も、実は「っだから、田舎モンは何も分かっていないから、付き合ってらんねぇよ」と相手に思わせ、日本独自ルールで好き勝手にやるための布石だったのではないかということらしい。

 

 日本の外交は、今でも、かなり洗練されていないというか… 一国民として居たたまれない気持ちになるほどgoing my wayな印象です。それは、敢えて、日本人が辺境人であることを「確信犯的に利用」しているのか、それとも、真性の田舎モノなのかは、深く考えたくないなぁ。少なくとも、サミットのたびに首相が違うというお粗末な政治体制は、他のサミット参加国からみれば「真性田舎モノ」に見えるに違いないということは確信が持てます。

 

日本が地理的辺境に位置することは、変えようもない事実であり、何千もの長い歴史の中で、辺境人としての気質が受け継がれ、日本人のアイデンティティの一部をなしていることもまた覆すことはできません。ただ、その上で、これから国際社会の中で日本がどんな役割を果たしていくのか、また、どんな国でありたいのか、真剣に考えなきゃいけない時だと思います。GDPで中国に負けたとオロオロしているわりに、何の戦略も考えず、政治ゲームにうつつを抜かしている政府。これが、辺境人の真骨頂ということなのでしょうか。

 

 


「サヴァイヴ」 近藤史恵

2011年08月18日 | か行の作家

「サヴァイヴ」 近藤史恵著 新潮社 

 

もうちょっと長くこの面白さに浸っていたいのに…奥田英の「我が家の問題」に引き続き、あっさり一晩で読み切ってしまい、「ああ、もったいない」。

 

プロの自転車ロードレーサー白石誓(しらいし・ちかう/通称チカ)を主人公とした「サクリファイス」「エデン」の2連作からのスピンアウト作品。チカのチームメイトやライバルを主人公にした短編集。前作の人気便乗商品かと警戒したのは杞憂でした。面白い!本編2作に負けず劣らずに面白いです。

 

まずは、なんと言っても自転車のロードレースという競技の面白さがキッチリと伝わってくる。個人競技なのに、チーム力が問われること。エースとエースを勝たせるために競技に加わるアシストとの心理バランス。落車による怪我や死の恐怖との戦い。体力や技術だけではない駆け引きや知的ゲームの一面。一度、じっくりこの競技を見てみたいなという気持ちになる。その競技の面白さをベースに、人間ドラマが重なっていくのだが、かつての青春モノ、スポーツモノに特有なウェットな感動を誘う感じはなくあくまでも淡々としている。そこが、またいい。結末を書きすぎないで、かなりぶっきらぼうな終わり方をしているけれど、その方が読み手の妄想の余地が広がるし、余韻が楽しめて好き。簡潔でリズム感のある文章もいい。

 

近藤史恵さん、かつては歌舞伎を題材にしたミステリーを書いていて、その時は、設定の甘さとか、まだらっこしい表現が気になってしまったけれど、ロードレースシリーズは圧倒的にいいです!


「我が家の問題」 奥田英朗

2011年08月17日 | あ行の作家

「我が家の問題」  奥田英朗著 集英社 

 

 電車の中で泣いてしまった。

 

 07年の「家日和」の続編で、タイトルの通り「家」「家族」をテーマにした短編集。1カ月前から書店に並んでいるのは気付いていたけれど、これを読んだ時の「心の疼き」と泣いてしまう自分を想像して購入はちょっと躊躇…。でも、案の定、友人が買っていて、貸してもらったら、やっぱり、読みたい気持ちの方が勝って帰りの電車の中で取り憑かれたようにページをめくり、鼻の奥がツーンとする。やっぱり、上手いなぁ。

 

 私は短編小説よりも、圧倒的に長編小説の方が好きなのですが、奥田英朗だけは別。キュッとコンパクトなのに、甘さも、辛さも、酸っぱさも詰まった奥深い味わいに仕上げる天才的な調理人。今、最高の、短編の名手にだと思います。

 

 「我が家の問題」にも、まんまと切ない気持ちにさせられた。家族って、なんでこんなに、甘くて、辛くて、酸っぱいんだろう―。


「FUTON」 中島京子

2011年08月15日 | な行の作家

FUTON 中島京子著 講談社文庫  

 

 この小説、相当、面白そうな空気が充満している。しかし、悲しいかな、私は田山花袋の「布団」を読んだことがない!!! 花袋の「布団」を読んだ人だけが共有できる「めちゃめちゃ、スゲー小説!」という知的興奮を味わえないことが、なんとも口惜しく思えてくる。

 

 登場人物が多く、ストーリーはかなり複雑。ベースとなっている花袋の「布団」は、弟子として預かっている女学生に恋い焦がれ鬱々とする、いじけた中年文筆家の情けない日々を描いたもの。師匠の気持ちを知ってか知らずか、女学生は同世代の男との恋にまっしぐら。紆余曲折を経て、恋破れた中年文筆家が、女子学生が去った後に、彼女が使っていた布団に頬を寄せ、さめざめと無くという、ストーカーチックな結末。(だそうです)

 

 で、「FUTON」は、アメリカ人の日本文学研究者であるデイブ・マッコーリーが花袋研究の過程で執筆している、「布団の打ち直し」(リライト小説にこのタイトル付けたことからして秀逸!)という小説が一層をなす。これは、「布団」という小説を、文筆家の妻の視点で書き直す試みで、いじけたアホ亭主を、リアリスティックな女の目で冷徹に分析しちゃうという趣向。「布団」と「FUTON」の二枚重ねだけでも相当、面白い。

 

しかし、それに加えて、研究者としてのデイブ・マッコーリーは情けない男を妻の視点で描いているのですが、恋する男としてのデイブ・マッコーリーはいじけた中年文筆家と何ら変わるところのない情けない男。大学の自分の講義を聴きにきた黒髪美しい日系の女子大生エミに恋い焦がれ、耽溺していく。同世代の日本人と恋仲になり、日本に行ってしまったエミを追いかけ、デイブ・マッコリーは東京へ 。と、「布団の打ち直し」を書いているデイブ・マッコーリーも、自ら、「布団の打ち直し」をしているという三層構造になっている。

 

 だけではなく、さらに、エミの曾祖父ちゃんを登場させることで、100年前も現在も、恋する男は純情でかつ情けなく、女はしぶとく逞しいという、時代を超えた真実を浮かび上がらせている。70歳になって家業の蕎麦屋をたたみ、ラブウェイ(って、多分、サブウェイのことだよね?)のフランチャイジーになったエミの祖父ちゃんも脇役としてめちゃめちゃ良い味を出している。

 

 かえすがえすも、花袋の「布団」を読んでいないのが残念でした。「布団」を知っている人には、知的な遊び心が面白くてたまらないだろうなぁ。

 

 ちなみに、この作品が中島京子氏の処女作だそうだ。最初からこんなスゴイ作品を書いている人って、いったい、この後、どんなふうになっていくんだろう。直木賞受賞作の「小さいおうち」も読んでみたくなりました。

 


散る。アウト  盛田隆二

2011年08月08日 | ま行の作家

 

散る。アウト 盛田隆二著 毎日新聞社    

 

 帯によれば、「熱狂と、静寂、切なさに満ちた圧巻のラブストーリー」だそうだ。まぁ、確かに大掛かりなドラマである。ごくごく普通の地方都市の堅実なサラリーマンだった男が、先物取引に手を出したことをきっかけに借金を重ね、ホームレスとなる。そこで、暴力団にスカウトされ(?)、国際犯罪に巻き込まれていくというストーリー。東京、ウランバートル、ウラジオストク、マニラを舞台に、カーチェイスあり、銃撃戦あり、純愛ありと、派手な要素は揃っている。これが、真保裕一が書いた小説なら、フジテレビが織田裕二を主演にして映画化しちゃいそうな勢いかも。(織田裕二は究極的にホームレス役が似合わなそうだけど…)

 

 しかし、何かが物足りない。帯にも「圧巻のラブストーリー」と書いてあるぐらいだから、純愛の部分が物語のクライマックスなのだろうが、どうも、ここが、あっさりしすぎているような…。いや、ラブシーンが淡々としているとか、恋に落ちた理由が分からないとか―そういうことにケチを付けるつもりはない。それよりも、理由もなく、適うはずもない恋に落ちる人間の無力感とか絶望感みたいなものが今一つ、伝わってこなかった。しかも、恋する人の死の受け入れ方があまりにもサラッと描かれていてかなり拍子抜け。

 

 個人的には、前半の「地味なサラリーマンがいかにホームレスとなったのか」の部分の方が圧倒的に面白かったし、リアリティがあった。冗漫がいいとは思わないけれど、でも、ラブストーリーで読ませるつもりなら、あと30ページ増やして無抵抗に恋に落ちていく絶望感を描いてくれないと、心震えない。

 

 「盛田隆二なんて作家は、初めてだなぁ…」と思いながら読んでいたのですが、74日読了の「身も心も」が、同じ作者でした。たった1カ月前に読み終わった作品の著者名も覚えていられないほど脳が劣化しているのか、それとも、微妙に私の記憶には残りづらい作品なのか…

 

 ちなみに「散る。アウト」は chill out 。こういう掛詞って、なんとなく、昭和な空気の匂いがします。