もんく [マレーシアで働いて13年→2022猫を連れて日本]

懐かしい風景があるか

この間NHKのニュース番組で東南アジアのある地区の棚田の風景を紹介していた。
その美しい風景の裏ではそのこへ引く水の分配をめぐって地域の人々のこんな工夫があると言うような番組だった。その中でアナウンサーは、こんなに美しい風景が「まだ残っている」と言った。この手の番組でのお決まりの文句である。

「まだ残っている」とはどう言う意味だろうか。
未来にその地区では美しい田園風景を壊してしまって宅地や別荘地や工業用地にしてしまうのか、それとも自然破壊が進んでそれらは近い将来に消滅せざるを得ないと言うのだろうか。

確かに途上国の人々だってもっと良い収入、もっと便利な社会、さらなる発展を目指すことを決めたから途上なのである。よって「まだ残っている」という言い方はその意味では正しい。では、それは仕方なく残ってしまった、例えば開発に取り残されるなどしたために残ってしまっている風景なのだろうか。そうではないだろう。単に見ているこちらが勝手そう(残っていると)見ただけだ。

手塚治虫が昔描いた未来の風景には田んぼは無かったと思う。最近の映画「マイノリティリポート」の未来風景にも田んぼは出てこない。我々が想像する未来風景には田んぼが無くなっていて、そこへ行くまでの途中でそれを無くすか残すかの選択がなされたはずである。多分もっと効率的な方法で食料を生産するのだろう。

しかし棚田を残すか残さないかと言う選択を、その棚田がある地域の人々は現在行ってはいない。また我々が見るのと同じ未来像がそこの人々によっても見られているかどうかは大変疑わしい。ならばこの棚田は「残っている」のではない。ただ単に現在その状態でそこに在る。そこに生きているだけだ。

ある風景を見て「残っている」とか「懐かしい」などと思うのは観光客の勝手だ。だがそれは自分が勝手にそう思っているだけで、実際のその風景とは何の関係も無いと心得ておくべきだ。
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