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もんく [とある南端港街の住人になった人]

他人に感情を揺さぶられて争うチンパンジー方式を採用しているなら何を言っても無駄

昨日の続きでスピーカーを作っている。



昨日角材を張り付けた凸部を削り取った。



そして箱を組み立てた時(前に作った人がやった部分)にある段差と各所の凹みにパテを入れてヘラで慣らした。明日になったら再度サンダーで削って平坦にする予定。

脚に関してはやはり屋根修理で出た廃材の板を整形して貼ろうと思う。
こんな感じ↓。

脚の形状は少し変えるかもしれない。




世の多くの人々の中には感情をむき出しにして憚らない人がけっこう多いと思うが、うちのキャサリンさんもその一人だ。自分でも抑えられないと言っているから。

人間がどうしてそんなように感情を露わにしてその結果として多少との闘争状態に入るかというと、長い間に身に付けて遺伝的なものになっている戦略なのかもしれない。つまりは、争いによって多少を制圧して平和を得るチンパンジー方式を採用しているということ。

それでチンパンジーは淘汰されず今に生き残っているのだからバカな戦略だとは言えない。

ただ、教養という武器を身に付けた人間という立場からすれば、他者の言動行為に自分の感情を揺すられること、そして闘争状態でいることの合理性は低いと気付かなければ嘘だろう。感情を揺さぶられている時間、考えている時間、身構えている時間は自分自身の時間とは言えない。

限られた一生という時間の中でそんな無駄な時間が増えれば増えるほど人生は他人に削られていくということに他ならない。

そんなのは足し算引き算の問題であって子供にだって説明すればわかる。

よく、「幸せは環境でなく決意だ」と言われるが、こうしたことも決意が必要だ。何があっても平静を保つことができれば人生の多くの時間は有意義だし自分自身のものだと言える。

と言ったところで、チンパンジーの血には何の効果もないだろうけどね。
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