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もんく [とある港街の住人]

いろんな言葉がウソになる

東南アジアはじめ海外の国々での評判でよくあるのが、
XXX人はウソつきだと言う事。

まあね、旅行なんかだと全く正反対の道を教えられたり、
なんて事なのだけれど、
生活したり仕事していると事態はもっと深刻さを増す。

深刻さと言うのは、ウソ深さもあるし、
ウソの幅広さ、そして頻度と言う面でもなかなかだ。


例えば、携帯電話の契約の事でサービスセンターに行く。
コンシェルジュみたいなカッコいい役割の人がいて質問に答えてくれる。
が、念のため別の人を捕まえて聞いてみると、別の事を言う。
ではさらにもう1人、また別の事を言う。

さあ、本当の事を言っているのは誰でしょうゲームです、って感じになる。


仕事だともっともっと大変。
あの仕事どうなったの?
はい、終わりました。
それ具合は?
問題ありません。

ご察しの通り、ウソなのである。
日常茶飯事。


さて、これでコイツらホントにウソつきだ、どうしようもない、
と片付けてしまうのは簡単だけれども、
これは皆さん感じている通り、局所的に発生している事例ではないので、
ある意味、社会現象なのである。

毎年、申し合わせたわけでもないのに自殺者の数がだいたい一定だったり、
交通事故数が一定だったりするのと同じなのだ。

と言う事は、これは個人の問題ではなく、
社会の問題、文化の問題のような視点で捉えるべきなのかと思う。


そう言うわけで、特定の1人とか2人とかでなく、
これまで経験してきた大枠の中で感じるのは、
ウソはホスピタリティの裏返しなのだろうと言う事。

簡単な言い方をすれば、皆さんも感じているだろうけれど、
その場で相手に良い返事を返さなければいけないと言うような習慣、
その場だけでも喜んでもらえる返答をしたいと言う感覚、
そう言う何かが働いている。

悪く言えば、その場丸く収め主義、
その場切り抜け主義、
なのだ。

あくまで、"その場"なのだ。

その場を凌ぐために言葉を使う。
時には、と言うか、多くの場合、質問に対して直接の答えを言わなかったりする。

XXXはどうなった?
に対して、
AAAがこうこうこう言って、こうなって、ああなって...
と、遠回りして結局答えを言わないなんてのも普通にある。

そう言う場合、XXXはダメでした、のような事を言わなくて済むようにしている。

"どうなった?" のような質問場合、彼らは責められていると感じ、
防衛線を厚く張り巡らすわけだ。

それも、相手に不快な思いをさせる言葉吐かないためで、
良いように解釈すれば、ホスピタリティの一種なのである。



とは言え、こう言う中で暮らしていると
面倒臭いには違いないのだけれど。
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