< 鹿教湯連泊 >
旅をするときには、テーマを決めることにしている。なあに、ごくごく簡単なも
のである。
最初のころは<全国を車で踏破する>という大きなテーマだけであったが、それ
だけであると、ヒトと旅について会話していても「へえ~?」と上目づかいに首を
傾げたり、「なんかヒトに言えないような、なんかヒジョーに不健康な目的がある
のでは・・・」と胡散臭げなオジサンであると喝破されそうで、あるときから急に
テーマを持つことにしたのだ。たとえば、温泉地、名水、蕎麦、雲丹丼、ご当地
ラーメン、とかである。小さいものでいい。それぞれの旅にひとつでも充分だ。
たまに<日本海とかに沈む夕日>とかもこっそり入れたりする。
旅をずいぶんしているが、同じ宿に連泊したことが無い。出張は別である。
そんなわけで、<連泊>をテーマにどこかの温泉地に行ってみたくなった。連泊
している同好の士と仲良くなって旨酒を酌み交わし背中を流しあい人生のいろいろ
を語り合うのだ。
インターネットの湯治サイトで宿を探し、宿泊料金が手ごろである、このただ
一点で鹿教湯温泉に決めた。「半自炊1泊 5,500円」のM荘。半自炊って
なにか判らなかったが、出張以外に連泊を経験したことが無かったのでとりあえず
三泊の予約(よければ四泊にしようとの気持ちである)を入れて、勇んで信州へ
向かったのである。

鹿教湯で繁華なところは、町を貫く一本道の百メートルぐらいの部分の両側に
店がかたまっている。喫茶店も二軒あるが一軒はなんと禁煙であった。
温泉は単純温泉で、効能は薄いが、ちょうどご飯のように飽きがこない。
温泉入り口というバス停のそばの公民館の脇に地元の共同浴場があり、百円を
料金箱にいれて入浴できる。こんこんと湧き出る生まれたての活きのいい温泉に
ザブザブ贅沢につかることができるので、鹿教湯へいったら一度は入ってもいい。
「文殊の湯」という川沿いの小奇麗な共同浴場が三百円ではいれるが、お湯は百円
のほうが断然いい。ただ、この共同浴場あたりには古い橋や社があり、なかなかの
風情がある。
車をなんども切り返して入った細い道にその宿はあった。
やりて婆さんに案内されたのは、日当たりの悪い古ぼけた二階建てアパートの
一階の暗い座敷牢のような部屋で、客はなんとわたしひとりきりであった。同好の
士なしである。暖房は昨日までは入っていたが、今日からはコタツのみであると
いうがどうも眉唾くさい。
半自炊とは、ご飯と味噌汁と香の物(まっ黄色のタクワン)のことで、惣菜は
近所の商店で自ら調達するらしい。この方式がお客さんもハッピー、宿もハッピー
とは婆さんの弁である。
最初の夕食は買い求めた焼き明太子・昆布の佃煮・シラス・海苔の佃煮の瓶詰め
で、なんかどれもおにぎりの具ばっかしのようだが(醤油とかの調味料を買っても
残ってしまう)、それでもまあ、旨いとは思った。ご飯もお櫃を空にした。病院な
みに夕食が六時前であるので、酒が不味くなるのも健康にいいかなとも思った。
温泉は庭にある小屋で、なぜか入浴時間が決められていたのがさらに侘しさを増幅
した。共同浴場のほうがよい。

翌朝も同じおかず、冷たいおにぎりの具であった。たぶん、夕食も。どこがハッ
ピーじゃい。ずーっと。あー、なんてこったい、三泊もとらなきゃ良かった。半自
炊は不精な自分には向かない、とシミジミわかりました。もう、湯治をしてみたい
などと分不相応なことは絶対言いません。
二泊目の早朝、横浜で急用ができたぜひまた来たいと苦しい言い訳し、牢番の婆
さんも二泊持ち超えたのを評価したのか、わりとあっさりと、気温が氷点下にさが
り凍てついた座敷牢から恩赦されたのである。
春まだ浅き信州。あいにくの本格的な雨に、山あいの鹿教湯の町はひたすら寒く
陰気に降り込められていたが、わたしは解放感を満喫してニコニコ顔で鹿教湯を
後にしたのだった。
どこか体調が悪いための湯治でなければ、鹿教湯は一泊が適当であるようだ。
旅をするときには、テーマを決めることにしている。なあに、ごくごく簡単なも
のである。
最初のころは<全国を車で踏破する>という大きなテーマだけであったが、それ
だけであると、ヒトと旅について会話していても「へえ~?」と上目づかいに首を
傾げたり、「なんかヒトに言えないような、なんかヒジョーに不健康な目的がある
のでは・・・」と胡散臭げなオジサンであると喝破されそうで、あるときから急に
テーマを持つことにしたのだ。たとえば、温泉地、名水、蕎麦、雲丹丼、ご当地
ラーメン、とかである。小さいものでいい。それぞれの旅にひとつでも充分だ。
たまに<日本海とかに沈む夕日>とかもこっそり入れたりする。
旅をずいぶんしているが、同じ宿に連泊したことが無い。出張は別である。
そんなわけで、<連泊>をテーマにどこかの温泉地に行ってみたくなった。連泊
している同好の士と仲良くなって旨酒を酌み交わし背中を流しあい人生のいろいろ
を語り合うのだ。
インターネットの湯治サイトで宿を探し、宿泊料金が手ごろである、このただ
一点で鹿教湯温泉に決めた。「半自炊1泊 5,500円」のM荘。半自炊って
なにか判らなかったが、出張以外に連泊を経験したことが無かったのでとりあえず
三泊の予約(よければ四泊にしようとの気持ちである)を入れて、勇んで信州へ
向かったのである。

鹿教湯で繁華なところは、町を貫く一本道の百メートルぐらいの部分の両側に
店がかたまっている。喫茶店も二軒あるが一軒はなんと禁煙であった。
温泉は単純温泉で、効能は薄いが、ちょうどご飯のように飽きがこない。
温泉入り口というバス停のそばの公民館の脇に地元の共同浴場があり、百円を
料金箱にいれて入浴できる。こんこんと湧き出る生まれたての活きのいい温泉に
ザブザブ贅沢につかることができるので、鹿教湯へいったら一度は入ってもいい。
「文殊の湯」という川沿いの小奇麗な共同浴場が三百円ではいれるが、お湯は百円
のほうが断然いい。ただ、この共同浴場あたりには古い橋や社があり、なかなかの
風情がある。
車をなんども切り返して入った細い道にその宿はあった。
やりて婆さんに案内されたのは、日当たりの悪い古ぼけた二階建てアパートの
一階の暗い座敷牢のような部屋で、客はなんとわたしひとりきりであった。同好の
士なしである。暖房は昨日までは入っていたが、今日からはコタツのみであると
いうがどうも眉唾くさい。
半自炊とは、ご飯と味噌汁と香の物(まっ黄色のタクワン)のことで、惣菜は
近所の商店で自ら調達するらしい。この方式がお客さんもハッピー、宿もハッピー
とは婆さんの弁である。
最初の夕食は買い求めた焼き明太子・昆布の佃煮・シラス・海苔の佃煮の瓶詰め
で、なんかどれもおにぎりの具ばっかしのようだが(醤油とかの調味料を買っても
残ってしまう)、それでもまあ、旨いとは思った。ご飯もお櫃を空にした。病院な
みに夕食が六時前であるので、酒が不味くなるのも健康にいいかなとも思った。
温泉は庭にある小屋で、なぜか入浴時間が決められていたのがさらに侘しさを増幅
した。共同浴場のほうがよい。

翌朝も同じおかず、冷たいおにぎりの具であった。たぶん、夕食も。どこがハッ
ピーじゃい。ずーっと。あー、なんてこったい、三泊もとらなきゃ良かった。半自
炊は不精な自分には向かない、とシミジミわかりました。もう、湯治をしてみたい
などと分不相応なことは絶対言いません。
二泊目の早朝、横浜で急用ができたぜひまた来たいと苦しい言い訳し、牢番の婆
さんも二泊持ち超えたのを評価したのか、わりとあっさりと、気温が氷点下にさが
り凍てついた座敷牢から恩赦されたのである。
春まだ浅き信州。あいにくの本格的な雨に、山あいの鹿教湯の町はひたすら寒く
陰気に降り込められていたが、わたしは解放感を満喫してニコニコ顔で鹿教湯を
後にしたのだった。
どこか体調が悪いための湯治でなければ、鹿教湯は一泊が適当であるようだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます