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温泉クンの旅日記

温泉巡り好き(事情あって休止中)、旅好き、堂社物詣好き、老舗酒場好き、読書好き・・・ROMでけっこうご覧あれ!

猿ヶ京温泉(3)

2014-04-27 | 温泉エッセイ
  <温泉旅籠(3)>

「今日は、宿側から最初の一杯をサービスさせていただきます」



 夕食の時間となり、隣の万葉亭の広い食事処にいき、部屋の名前が書かれた卓に座るとそう仲居に云われて軽く驚いた。そんなサービスは聞いていなかった。ありがたいがなぜなのだろう。
「蔵の湯のシャワーに不具合があってご迷惑をおかけしましたので」
「・・・では、芋の水割りをお願いします」
 温泉でシャワーなどまず使わないわたしにはまるで関係ない不具合だが、ここは謹んでというか喜んでその宿側の厚意を受け入れることにした。



 眼の前の卓の上には季節のオードブル、お刺身、野菜の炊き合わせ、季節の小鉢、お新香などがきれいに盛りつけられている。



 熱々の赤城鳥の包み焼きでどうにも酒がすすみ、二杯目を追加する。
 虹鱒の唐揚げは揚げたてで、頭から丸ごと食べられる。カリカリの歯応えでこちらも酒の肴に申し分ない一品であった。



 牛乳鍋は煮詰まってしまいちょっと箸が進まなかったが、シメの生姜と揚げの炊きこみご飯とかきたま汁のうち、炊きこみご飯は想像を超えて唸ってしまうほどの美味しさである。



 生姜とご飯の相性は抜群で、ついお代わりをしてしまう。

 朝食も夕食と同じ食事処で食べた。



 旅籠らしからぬスパニッシュオムレツがいかにも面白い。数時間後に大嫌いなバスに乗らなければいけない憂鬱でご飯は一杯しか食べられなかった。

 食べ終えて最後のひと風呂を浴びると、着替えて散歩に出た。

 通称「三国街道」とも「佐渡街道」とも呼ばれる国道十七号は、古より越後と上野を結び五街道に次ぐ重要な街道であった。



 猿ヶ京の地名を命名したといわれる上杉謙信などは、戦国時代には十数回もここを越えて関東へ攻め入ったとのことである。
 寛永八年(1631年)、徳川家光が将軍のころ、沼田藩によって三国街道に猿ヶ京関所が設置された。



 江戸時代には、参勤交代のために長岡藩、与板藩、村松藩などの諸大名や佐渡奉行などが利用し、わたしの好きな「関八州取締出役」も新潟港巡検この街道を使ったそうだ。

 赤谷湖である。



 もとの温泉地がこのダム湖の底に沈むことになって現在の温泉街が存在する湖のほとりに移転したという。

 バス停の、がらがらに本数の少ない時刻表をみて自分の乗る時間を頭に刻み、部屋に戻った。
 お茶を入れて喫して心を落ち着ける。
 宿の本館には幕末三舟といわれる勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟の三名の書を始めとしていろいろな書画が展示されているそうだが、バスが気になってどうにも気がすすまない。部屋の襖に書かれた、禅の偈分の一部みたいな書で我慢することにした。



 どうにもダメになったらそこでバスを降りて歩いてしまおう、そう決めるとすこし気が楽になった。

「くそっ、やられた!」
 昨日のタクシーの運転手め、遠回りしやがった。
 猿ヶ京温泉から乗った路線バスが、細い近道を二度も使って上毛高原駅の脇に出てきて停車したとき、わたしは思わず呟いてしまった。
 このつぎに猿ヶ京温泉に行くなら車で行くか、送迎をしてくれる宿にしようと心に決めた。


  →「温泉旅籠(1)」の記事はこちら
  →「温泉旅籠(2)」の記事はこちら


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