ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

9月14日、440回目の「火曜日行動」です。

2021-09-14 17:17:38 | 火曜日
朝から降らないことを願ったけど、雨の中440回目の「火曜日行動」始まりました。



今日のレポーターはハルモニ会の木村さん、写真撮影は松尾さんです、今日も心一つに発信いたします。



長崎さんの第一声始まりました。

☆長崎さん

 今日はあいにくの雨になりましたが、子どもたちが自分の民族の言葉を安心して学べるように願って、私たちは2012年4月17日から毎週火曜日、もう9年以上もここに立ち続けて、今日で440回になりました。

 かつて大阪府は、太田知事の時、テポドンの発射実験によって在日の子どもたちが不利益を被らないようにという私たちの要請を受けて、子どもたちが差別を受けることのないようにと教育現場に通達を出しました。

 しかし、今の大阪府は逆に朝鮮人・朝鮮学校に差別をしてもいいという態度を取っています。

 このなかなか変わらない差別の現状に対して、私たちは様々な立場からアピールを行っています。私は日本人として。また、火曜バンドのみなさんは、音楽の演奏や歌や踊りなどのパフォーマンスで表現しています。

 その火曜バンドの一人森本さんは、この間、何度も「朝日歌壇」に短歌を投稿して、掲載されるたびに皆を元気づけてくれます。朝鮮学校支援のキムチ販売にも、「大和高田出張所」をなのり、ご近所の注文を集めて、購入してくれます。

 この場が人との出会いを作り、それが楽しみにもなっています。




朝鮮大学1年生の李さんは、今日も参加です‼️

火曜バンドは不滅です。


大和高田から毎回参加されている森本さんがマイクを持たれました。

☆森本さん

 奈良は大阪に比べると規模も小さいかもしれませんが、がんばっております。

 先日、奈良県議会で、沖縄戦戦没者の遺骨を含んだ土砂を基地建設の埋め立てに使用しないよう求める意見書案を全会一致で採択しました。

奈良には、日朝親善奈良県議会議員連盟がありますが、さらに奈良県日朝友好親善協会がこの10月には立ち上げられることになっています。

 すでにキムチ販売などで、休校中の奈良朝鮮学校から大阪の朝鮮学校に通う子どもたちの交通費の援助などを行っていますが、こうした朝鮮学校支援の活動をもっと広く知ってもらおうと、みんな張り切っています。

 最近できた短歌を一つご紹介します。茨木のり子さんという詩人が韓国の現代詩を日本語に翻訳していますが、私は気に入った詩を暗唱して楽しんでいます。

「好きな詩を そらで覚えて 手土産に 知る楽しみが ひとつできました」




退院されたばかりなのに10キロのアコーディオンを胸に古賀さんが演奏をされています。涙が出そうです。



大西さんがマイクを持たれました。

☆女性

 今日は仕事がないので、ここに来ました。私は先日、中国人男性が入管収容中に死亡した裁判に行きました。

 日本もそろそろ先進国になりませんか。まったく先進国ではありません。朝鮮人も、外国人も皆、日本に住んでいれば税金を払っています。それなのに差別するのですか。世界に恥ずかしくない顔を見せてほしい! ずっと、がんばろう!




崔さんもアピールです。

崔さん

 私は朝鮮学校で長年教鞭を執ってきました。

 今私は行政に対する憤懣が積もりに積もっております。

今年の4月、日本政府は閣議で、「従軍慰安婦」「強制連行」という表現を使うべきではないとする答弁書を決定しました。これによって今後教科書ではこれらの表現が使えなくなってしまいました。

  県立公園群馬の森にある朝鮮人労働者追悼碑の設置許可を巡る裁判で、東京高裁は8月27日、一審で違法とされた不許可処分を「適法」と判じたのでした。その理由が、市民団体が「強制連行」という文言を使ったために政治的行事と見なされたから、というものでした。こんな形式論理で判決を下す東京高裁に、私は唖然としました。歴史修正主義が、歴史の歪曲がここまで来たのかと。

 我々朝鮮人の歴史が抹消されるということは、存在そのものを抹消されるということです。事実において朝鮮人は日本に存在しているがなぜ存在しているかわからない、と考える人にとっては、朝鮮学校は「あなた方のわがまま」であり、補助などするものではない、ということになってしまいます。無償化の問題もここから来ています。

 あらゆる歴史を消し去るつもりですか。考えましょう。考えて、行動しなければなりません。


☆長崎さん

 駿台予備校で政府見解と異なる内容が書かれたテキストに対して、批判が殺到し、駿台ではテキストを書き換えるということがありました。こんなことがヘイトスピーチを後押しするのです。

 私たちの活動の原点は、歴史を知ることです。私たちが見える存在として、ぜひ私たちの訴えを聞いてください。




雨の中レポートを書き続ける木村さん‼️




☆大野さん

 日朝市民連帯の大野です。今週は9.11の集会がありますので、ぜひ来てください。

 3年前中国の人が被害の掘り起こしをしていました。「慰安婦」は20万人、強制連行の被害者は300万人~400万人に上るそうです。

 大阪府職員の皆さん、私たちは差別を助長するのに反対しています。トップのすることに反対できないのはわかりますが、なぜ朝鮮人にだけ差別するのでしょうか。この行動が1,000回になる前に、私たちが死ぬ前に、止めてください。

☆オモニの歌とシュプレヒコール

 緊急事態宣言が延長され、体は自宅で、気持ちはここに、という人がたくさん居ます。そんな人たちの気持ちを込めて歌います。

『声よ集まれ、歌となれ』

・大阪府は補助金支給を再開せよ!
・行政が差別するな!
・朝鮮学校の幼稚園に補助金を支給せよ!
・私たちは最後まで諦めない!



「声よ集まれ 歌となれ」を合唱しながらシュプレヒコールです。



大村さんがマイクを持たれました。

☆大村さん

 今日で440回目になります。

 今日も朝大生が来られています。大学ではオンライン授業も始まっていますが、大学生支援給付金を朝大生はもらえません。バイトができないのは同じなのに。

 国連から差別を止めるようにとの勧告があり、それに基づく集会がありました。

 大学生が、これまでずっと小学生から高校生まで差別されてきたのにと発言すると、政府側は「制度上の問題であって差別ではない」「国は差別してない」と言うのです。

 こんな理不尽があるでしょうか!

 これから何年かかっても諦めません。早く差別を止めましょう!




最後の歌は「勝利のその日まで」‼️



いつものように駐輪場での申し送りです。



東京在住の友人が「火曜行動」の皆さんにと、送ってくださった愛のキャンディを配ってくださっています。朴明愛さん、ありがとう!皆さんが食べてくださっていますよ。



大雨にならず本当に良かったです。来週もいいえ、勝利の日まで頑張ろうねと約束しながら帰路に着きました。

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許玉汝詩集からP122 「故郷―済州島を訪ねて」(バイリンガル)

2021-09-13 18:00:30 | 詩・コラム
「기념시」 고향-제주도를 찾아서

  








         

1.나의 고향집 

           

비행기에 몸을 맡기면 
두시간이면 가닿을 고향땅을
예순해를 넘겨서야
간신히 밟았구나 

여기서 태여나신 할아버지와 아버지
큰오빠와 조카들이 나서자란 곳
대대로 지켜온 서귀포의 
꿈결에도 찾던 나의 고향집

밀감밭에 둘러싸인 내 고향집엔 
대문이 없었어라 쇠도 없었어라
그 언제건 돌아오라고
량팔 벌려 기다려준 정다운 집

앞마당에 들어서니
무르익은 밀감이 나무마다 주렁주렁
달콤세큼한 향기 날리며
어서 오라 반기며 맞아주는듯

등뼈가 휘도록 일하여 번 돈으로
수십번을 보내신 모나무며 농기구들 
부모님의 정성과 큰오빠의 피땀이 
밀감풍년 이루어 우릴 맞아주었구나

한쪼각 입에 넣어 씹어보았더니
삽시에 입안에 퍼지는 달달한 맛
난생처음 먹어본 고향집의 감귤맛에
코허리가 찡하여 목이 메였네

이 집에서 식구가 오순도순 모여 살 
그날만을 꿈꾸다 운명하신 우리 아버지 
반백년이 지나도록 풀수 없던 그 소원 
어이하여 우린 갈라져 살아야만 했던가

터질듯한 아픔과 상봉의 기쁨으로
눈물 젖은 큰오빠의 손 덥석 잡으니
파아란 고향하늘은 푸근한 빛 뿌리며
내 가슴 후련히 녹여주는구나


2.바다가 보이는 언덕에서
               

아버지,옥녀가 왔어요 서른해만에
어머니,저예요 알아보시겠나요?
못난 이 딸의 큰절을 받아주세요

불효자식이라 욕해주세요
못된 딸이라 꾸짖어주세요

그래도 이 딸은 
부모님의 부끄럽지 않은 딸이고싶어
이를 악물고 오늘에야 왔습니다

아버지,어머니
서귀포 앞바다가 보이네요
수평선 저멀리 고기배가 서서히 가네요

죽어서도 고향땅에 묻어달라 당부하신
부모님의 소원대로 여기에 모셨대요
바다가 보이는 풍치좋은 공동묘지에

생전에 그토록 큰오빠를 찾으시더니
돌아간 후에야 큰오빠를 독점하셨네요
꼭꼭 벌초도 하고 술도 올린다지요

저는요 어느새 손자가 다섯이예요
정년의 그날까지 열심히 일했어요
부모님앞에 가슴펴고 서고싶어

남들이 부모님의 묘지 찾을 때면
내 신세가 왜 이 꼴이냐고 
한탄도 하고 남들 부러워만 했어요

하지만 이젠 마음이 푹 놓입니다
이야기로만 듣던 그리운 고장에서
고향바다 바라보니 속이 시원하네요

아버지,어머니 저희 걱정은 마세요
이제는 하나로 이어진 우리 식구
만시름 놓으시고 편히 잠드십시오


3.개민들레꽃
          

어머님 산소를 벌초하더니 
봉분우에 애기꽃 피여있었네
새노랗고 어여쁜 서너치 잡초

꽃이름이 뭐냐고 물어봤더니
마을사람 다정하게 말해주었지 
외국에서 들어온 개민들레꽃이래요

바람타고 날아왔나
구름타고 날아왔나
너무너무 이뻐서 뚫어지게 봤지요

내 고향 제주도 어딜 보나 절경인데 
엄마의 봉분이 그리 좋아 여기 왔나
개민들레 개민들레 고마운 꽃이여

동백이며 코스모스 피는 꽃도 많지만
울 엄마 섭섭찮게 함께 해준 개민들레
조심조심 따고서 책갈피에 끼웠네

내 비록 또다시 이 땅을 떠나지만
개민들레 너와 함께 고향땅 안고 가리
그리울 땐 널 보며 엄마모습 떠올리리
      

4.헐어진 남비 하나
       

고향집 여기저기 들여다보다 
널찍한 부엌에도 들어갔더니
가스콘로우에 남비 하나 놓여있었네

몇십년을 쓰고쓴 남비일가
이제는 다 헐어진 남비 하나
뚜껑을 살짝 열어보았더니
먹다남은 된장국이 들어있었지

이 남비로 할머니가 국을 끓이셨고
식구 위해 큰올캐는 거친 손으로 
몇십년을 국 끓이고 반찬 장만했겠지 

큰딸은 미국에서 교수가 되고
아들은 서울에서 교편 잡고
기자 된 막내는 부산으로 갔으니
하나 가고 둘 가고 올캐마저 영영 떠나 

홀로 된 큰오빠는 이 부엌에서
아침저녁 어떤 심정으로 밥을 짓고
이 남비와 함께 날과 달을 보내였을가

넓은 부엌의 가스콘로우에 
쓸쓸하게 놓인 헐어진 남비 하나
먹다 남은 된장국이 들어있었네


5.겨울을 이겨내면
          

고향집 옥상에 올라 
사방을 둘러다보니
오붓한 마을이 한눈에 안겨오네

천천히 흐르는 고요한 고향시간
어린애마냥 큰오빠의 팔에 매달려 
그저 앉아있기만 해도 기쁘기만 하네 

술 좋아하는것도 큰소리 좋아하는것도
머리숱 적은것마저 아버지를 하도 닮아
은근히 생각했네 피줄은 속일수 없다고 

이 이야기 저 이야기에 꽃이 피니
몇십년의 공백이 삽시에 매워지는데
큰 항아리 가리키며 돌연히 하는 말

오빠가 일곱살적 할머니와 둘이 살 때
내가 태여난 바로 그 해의 <4.3사건>
토벌대놈들 우리 집에도 쳐들어왔다는데

위기일발의 순간 큰 항아리로 푹 덮어
오빠를 숨겨 살리신 기지에 찬 할머님
그 이야기 처음 들으니 가슴이 섬찍했네

할머니가 아니였으면 이 세상에 없다고
호탕하게 웃는 오빠가 더 가엾어서
그만 눈물 떨구고만 이 못난 동생 

얼마나 겁이 났을가 얼마나 두려웠을가
일곱살 어린 나이에 피바다를 보았다니 
오빠가 걸어온 파란만장한 인생의 1페지

이제 떠나면 또 언제 만나게 될지
밥은 어떻게 해먹고 빨래는 언제 하려나
점점 추워질텐데 온돌은 누가 피우나

이 걱정 저 걱정에 가슴 쓰린데
태연한 큰오빠는 오히려 날 웃기려
우스개소리 찾으며 하고 또 하네 

칼바람 부는 이 겨울을 이겨내면 
우리 다시 꼭 만나게 될거죠?
화창한 새봄을 함께 맞아야지요 오빠!



        끝




「記念詩」故郷―済州島を訪ねて


1.故郷の我が家  
           
飛行機に身をまかせれば
2時間で辿り着く故郷の大地を
60数年の歳月をかけて
やっと 踏みしめた

この家で生まれた 祖父と父
長兄と甥たちが生まれ育った処
代々守ってくれた 西帰浦の
夢にも捜し求めた ふるさとの家

密柑畑に囲まれた故郷の我が家には 
門がなかった 鍵もなかった
いつでも帰っておいでと
両腕ひろげて待っていてくれた

庭先に足を踏み入れれば
たわわに 実った 密柑が
甘酢っぱい香りを漂わせ
うれしそうに 迎えてくれた

背中が曲がるほど はたらき続け
数知れず送り続けた 苗木や農機具
両親の深い思いやりと 長兄の汗と涙が
密柑畑に豊作をもたらしたのか

密柑をひと粒 噛みしめると
またたくまに広がる 蜜のような甘さ
生まれて初めて食べた我が家のみかん
なぜだか 胸がつまり 涙が溢れた

家族がいつも集い 笑い 泣き 助け合う
唯 それだけを夢見て生きた 父と母
その夢叶わず 異国の地で果てた悔しさ
ひとり佇む長兄はすでに70を越えたのに

張り裂けそうな痛みと 再会の喜びが交差し
涙でくしゃくしゃになった兄の手を取れば
真っ青な故郷の空は 暖かいまなざしで
私の胸を やさしく 溶かしてくれた


2.海の見える丘で

            
アボジ、オンニョが来ました 30年ぶりに
オモニ、あなたの娘ですよ 分かりますか?
愚かなこの娘の 参拝を受けてください

親不孝者と叱ってください
馬鹿者と罵ってください

でもこの娘は
あなた方の恥ずかしくない娘でいたくて
歯を食い縛り 今日やっと海を渡りました

アボジ、オモニ
西帰浦の海が見えます
水平線の彼方に漁船が浮かんでいます

必ず故郷の地に埋めてと願われた
あなた方の想い通りこの地に祭りました
海の見える 風致麗しき 共同墓地に

生前あれほど長兄に会いたがっていたのに
今は長兄を独り占めしているんですね
雑草取りやお酒も欠かさないそうですね

私、いつのまにか 孫が5人ですよ
定年のその日までがむしゃらに働きました
あなた方の前で 胸を張りたくて

友人たちが両親の墓参りに行くたび
なぜ私は行けないのかと嘆きもし
他人を羨んでばかりいました

でも やっと 安堵しました
子守唄のように聞いていた懐かしい故郷で
美しい海を見ていたら心が和みました

私たちの心配はもうしないで下さいね
やっとひとつに繋がりました 家族が
全ての憂いを忘れ安らかにお眠り下さい


3.鬼タンポポ
            

オモニのお墓で 雑草を刈っていたら
墓地のてっぺんに愛らしい花が咲いていた
黄色くて ちっちゃな 10cmほどの花

花の名前を尋ねてみたら
村の人が親切に教えてくれたっけ
外国から飛んできた鬼タンポポだそうな

風に運ばれてきたのか
雲に乗ってきたのか
あまにりにも愛らしくてじっと見つめた

ふるさと済州島は 何処を見ても絶景なのに
母のお墓がそんなに気に入り舞い降りたのか
鬼タンポポ 鬼タンポポ 愛しい花よ

椿に コスモス この地に花は多々咲けど
母と共に過ごしてくれた 優しい花
鬼タンポポ そおっと摘んで押し花にした

たとえ ふたたび この地を離れても
鬼タンポポと共に 故郷を胸に抱いて帰ろう
恋しい時 おまえを見つめ 母を思い出そう


4.古びた鍋ひとつ
           
故郷の家の いくつもの部屋を覗き
広々とした台所にも 入ってみたら
ガスコンロの上に ぽつんと鍋ひとつ

何十年使い続けた鍋だろうか
今はすっかり古くなってしまった鍋
蓋をそっと開けてみると
食べ残しの味噌汁が入っていた

この鍋で祖母は 兄のためおつゆを作り
畑仕事で荒れた手で兄嫁は 数十年の間
家族のため 食事の支度をした事だろう

長女は留学したアメリカで教授になり
教師になった息子はソウルに赴任し
記者になった末娘は釜山に行ってしまった
ひとり去りふたり去り 愛妻まで先立ち

また一人ぼっちになった長兄は
朝晩どんな気持ちで食事を作り
この鍋と共に月日を過ごしたのだろうか

広すぎる台所の ガスコンロの上に
寂しそうに置かれた 鍋ひとつ
食べ残しの味噌汁が入っていた


5.この冬に打ち勝てば
       

ふるさとの家の 屋上にあがり
周りを見渡せば
こじんまりとした村が眼下にひろがる

ゆったりと流れる静かなふるさとの時間
子供のように兄の腕にしがみつき
ただ座っているだけでもこみ上げる喜び

お酒が好きで 怒鳴ることが好きなのも
髪の薄いのまでアボジにあまりにも似て
ひそかに思った 血筋には逆らえないと

あの話この話に 花が咲き
何十年の空白が瞬時に埋め尽くされたとき
大きなかめを指差し兄が突然話してくれた

七歳の時 ハルモニと二人暮らしだった時
私が生まれた まさにその年の<4・3事件>
討伐隊が我が家にも襲ってきたそうだ

危機一髪の瞬間 大きなかめをスッポリかぶせ
兄を匿い助けた 機知に溢れたハルモニの話
初めて聞いたその話に 胸は どきどき

祖母の助けがなかったらこの世にいなかったと
豪快に笑う兄が なお 痛ましくて
おもわず涙をこぼしてしまった 馬鹿な私

どれほど 恐かっただろう 心細かっただろう
七歳で すでに 血の海を見てしまったなんて
長兄が歩んできた 波乱万丈な人生の1ページ

今日 去れば また いつ会えるだろうか
食事はどうするのだろう 洗濯はいつするの?
寒さは段々増すのに オンドルは誰が焚くの?

あの心配この心配で胸は痛むばかりなのに
何食わぬ顔で 兄は 妹を笑わせようと
笑い話を懸命にしつづける

木枯らし舞う この冬を打ち勝てば
私たち またきっと 会えるよね?
暖かい新春を一緒に迎えねばね 兄さん!



         終 
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詩集「羽がはえたように」P32 「ウリハッキョが大好き!」バイリンガル

2021-09-11 13:03:40 | 詩・コラム


許玉汝詩集の32ページ

「 ウリハッキョが大好き!」

        
孫達の学芸会
人がいっぱい
ハルベ、ハンメ、オンマ、アッパ
近所のおばさんまで来ている

花のような衣装を身に着けた
1年生の始まりの挨拶から
最後の校歌合唱まで
場面が変わるたびに拍手喝さい

年とって涙もろくなったのかな?
合奏聴いても合唱聴いても
踊りや体操見ても涙が出る
よその子を見ても涙が出る

なんて けなげなのだろう
外では木枯らしが吹いているのに
ホールの中は春がいっぱい
朗々とした歌声が鳴り響く

なんて 明るいんだろう
暗いニユースで日本列島ゆれているのに
ウリハッキョの子供達がいるところには
お日様が燦々と光を放っている

ただ可愛いだけじゃない
互いをおもいやり、励ましあい
オンマ、アッパを信じている
先生が大好き、ウリハッキョが大好きだ

ウリハッキョの学芸会
ウリマルが生きている
ウリチャンダンが息づいている
希望の花が咲き誇っています

 *ウリマル【朝鮮語】ウリチャンダン【朝鮮のリズム】
 *ウリハッキョ【朝鮮学校】



우리 학교가 좋대요

         
손자들의 학예회
사람들이 와글와글
할배,함메.아빠,엄마
옆집 아줌마까지 와계시네
 
꽃처럼 고운 의상 차려입은 
1학년생의 첫 인사로부터
마지막 교가합창까지
장면이 바뀔 때마다 박수갈채

늙어서 눈물이 헤퍼졌나?
합주를 들어도 합창을 들어도
무용이며 체조룰 보아도 글썽
남의 집 아이를 보아도 글썽

어쩌면 이리도 씩씩할가
문밖엔 찬바람이 윙윙 부는데
회관안엔 봄이 한창이야
랑랑한 노래소리 울려퍼지네

어쩌면 이리도 밝을가
어두운 뉴스로 일본땅이 흔들리는데
우리 학교 아이들이 모인 곳엔
해님이 찬란한 빛을 뿌리네

얼마나 기특하나요
서로들 도와주고 서로가 힘이 되고
아빠엄마 아이로 태여나 행복하대요
선생님이 좋대요 우리 학교가 좋대요

우리 학교의 학예회 
우리 말이 살아있어요
우리 장단이 숨쉬고있어요
다가오는 봄을 먼저 알려주었어요

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詩集「羽がはえたように」からご紹介 「五百円玉貯金」P142 バイリンガル

2021-09-09 18:30:42 | 詩・コラム
許玉汝詩集の中から
P142 バイリンガル

 「500円玉貯金」

           

毎年11月になると
500円玉貯金箱を抱えて
郵便局に行く
ルンルン気分で

今年こそは
必ず行くんだと
元旦の日からはじめる
500円玉貯金

毎年夢叶わず
生活費となり
はかなく消える
貯金箱

今年も頑張った
これだけは誰にもやらないと
必死でためた500円玉
夫がいつも横で笑ってる

691円の物は
1191円出す
425円なら1000円
こうして貯めた500円玉

《ホーさん。14万円ありましたよ!》
そんなに? ヤッホー
これで十分行けるわ
ルーツを探す旅に、青森に!

死ぬまで一度は行かねばと
毎年毎年貯金するけど
時間が作れない
3日も休みが取れない

せっかく退職したのに
今年も駄目?

いつも自分で
自分の首を絞めている
おろかな ワ タ シ

来年こそは行くぞ!
結婚40周年だもんな

ちっちゃな夢追いかけて
今日もせっせと
500円玉貯める
夢を貯める

  2010:11:17


500엔동전조금

         
해마다 11월이면
500엔동전조금통을 들고
우편국으로 간다
흥얼흥얼 코노래 부르면서

올해만은
기어이 가겠다고
정초부터 시작한다
500엔동전조금

해마다 꿈은 깨져
생활비로
속절없이 사라지는
조금통

올해도 힘썼다구
이것만은 아무한테도 안줄거라고
필사로 모은 500엔동전
늘 옆에서 쓴웃음 짓는 남편

691엔짜리 물품이면
1191엔을 낸다
425엔이면 1000엔
이렇게 모은 500엔동전

<허씨,14만엔 있어요!>
진짜? 그렇게 많이? 야호-
이것으로 충분해 갈수 있어
뿌리를 찾기 위한 려행,아오모리에로!

죽을 때까지 한번은 가야겠다고
해마다해마다 조금하지만
시간을 내지 못해
삼일씩이나 쉬지 못해

모처럼 정년퇴직했는데두
올해도 안돼?

언제나 자기 목을 
자기스스로 졸라매는 
어리석은 나

래년이야말로 갈거야!
결혼 40주년인걸

자그마한 꿈을 쫓아
오늘도 부지런히
500엔동전을 모은다
꿈을 모은다

      2010년11월17일
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9月7日、439回目の「火曜日行動」です。

2021-09-07 16:21:00 | 火曜日
秋晴れの正午、大阪府庁前において439回目の「火曜日行動」が行われました。



今日のレポーターはハルモニ会の平田さんです。写真撮影は松尾さん、心一つに発信してまいります。



今日も関東のLさんが贈ってくださったアコーディオンを奏でてくださっている池辺さんです。



久方ぶりに東成の金さんが来てくださり百人力です。



長崎さんの第一声始まりました。

長崎さん

8月が過ぎましたがまだまだ暑い日が続いています。

今日も火曜行動を、大人が子どもの夢と希望を奪わないということで行っていきます。朝鮮学校の子ども達が、ありのままの自分を大切にし愛することができるよう、自分自身を認めて生きていけるために民族教育が行われています。これまで大阪市が支給してきた補助金が打ち切られて10年になろうとしています。

今、色々のところで、人権を守ろう、多様性を認め合う社会をつくろう、そうしたスローガンが掲げられています。そうした言葉が街にあふれています。
でもなぜ私達がこうやって9年も超えて府庁の前に立ち続けないといけないんでしょうか。

子ども達が自身で責任をとることができないことで、子ども達を追いつめないで、子どもの夢や希望を奪わないで、その当り前の一点のことで、私達は立ち続けています。

朝鮮学校に対しての差別は国をあげて、そして地方自治体をあげて行われてきました。大阪府では補助金が打ち切られ、高校無償化から排除されました。今、閣議決定で幼児教育の無償化が、認可外施設であったとしても無償化が認められることになり、全国の幼稚園で支給が始まっています。しかし、朝鮮学校にはまだ支給されていません。一日も早く実現されるよう言っています。

この火曜行動には様々の世代の方が参加しています。今日は若い世代の学生さんが来てくれています。アピールをお願いします。

この学生さんたちは、補助金が打ち切られた10年前は小学生だった人達です。学生になっても、働きだしてからもお休みの時などに、こうやって声を上げ続けてくれています。

子どもが朝鮮学校に行っているオモニの方達も来てくれています。自分たちが受けてきた差別を子や孫には渡したくない。日本社会のなかで誇りを持って堂々と生きてほしいと声を上げてくれています。

日本は1910年、日朝併合という言葉で朝鮮半島を植民地としてきました。朝鮮語の教育・使用が奪われ、日本語が強制されました。そして創氏改名ということで朝鮮名を日本名に変えさせられました。日本に渡って来ざるを得なかった、そうした方達の子孫がハラボジ、ハルモニです。

日本は歴史、政治の流れがひっくり返され、無かったことにされ、こうした人たちの声が日本社会から消されようとしています。こうした時だからこそ私達はこうした声を訴えていきます。



火曜バンドがどんどん増えて最後はこの姿になりました。



南大阪初級と共に歩んでくださっている田村さんのアピールです。

田村さん

私は「1%の底力で朝鮮学校の民族教育を支える会」の田村です。

日本は単一民族国家のように言ってきましたが、実際には朝鮮の人、沖縄の人、アイヌの人、他の民族の人もおられます。日本民族が唯一優れているというために単一民族国家という政策を取ってきたと思います。それは侵略戦争をするために植え付けてきたことだと思います。

世界を見たら、中国には56の民族が、ロシア、アフガニスタンなども色々な民族が居られると聞いています。

単一民族国家であろうと、多民族国家であろうと、民族が生まれてきた歴史の過程を知って尊重すべきだと思います。世界の人は、日本が唯一優れているとは誰も思はないと思います。それぞれの国の成り立ち、特徴を尊重して成り立っていくと思います。日本の戦前の蔑視思想というのを早く止めなければならないと思います。日本政府、大阪府はまず、差別を止めるべきだと思います。それは恥ずかしいことです。

朝鮮学校の高校無償化をすること、民族教育を尊重することを要求します。



朝鮮大学の学生さんのアピールです。

学生

アンニョンハシムニカ。私は朝鮮大学に通う学生です。

昨年国によって、コロナに苦しむ大学生を援助するということで大学生への緊急支援金という政策がとられました。しかし、朝鮮学校はそこから排除されました。

それで、本日午後2時から、この問題に抗議する院内集会が行われる予定です。そこには私達の同級生や学生が代表して、集会で発言する予定になっています。私達朝鮮大学の学生にも政府から補助が出されるべきだと思います。

私達より幼い高校生や幼稚園まで排除されている状態です。差別している日本政府、大阪府だけでなく、多くの日本人の無関心が問題だと思っています。私達はそこに負けずこの問題でも闘っていきます。この問題が解決するまで頑張って闘っていきますので、これからもよろしくお願いいたします。




アピールです。

学生

コロナ、ワクチン接種など渋谷でもいろいろやっているんですけど。吉村知事もワクチンでは学生、子ども達に気遣いをしています。

私達朝鮮学校の幼稚園から高校にたいしても思いやりをもって政策をしてほしいと思います。

本日、私達朝大生が国の緊急支援金から除外されている問題で集会があるんですけど。

小平市でも対策が取られたのですが、朝鮮学校は排除されました。どこにいっても、申請しても排除される。そういう差別を見るたび闘いの重要性を感じ今日も参加しました。

夏休みは今日で終わりですが、これからも機会をみながらこの火曜行動に参加したいと思います。コマスミダ。




アピールです。

学生

私は朝鮮大学校に通っています。夏休みに帰ってきて、先輩の誘いがあって来ました。

火曜行動は中・高の時参加したことがあるんですが、こうやって改めて来てみると、毎週続けて闘ってくださる方々、日本人の方々に感謝を感じることになりました。

大阪に帰ってきてからは火曜日、参加できても出来なくても、火曜日を意識するようになりました。

まだ大学の方には戻れないので、夏休みが終わっても参加したいと思います。東京に帰っても毎週闘ってくださる方が居ることを忘れず頑張っていきたいと思います。





アピールです。

学生

アンニョンハシムニカ。私は朝鮮大学の一年生です。入学した時点で緊急支援対象から除外されている状況でした。

それに対し差別に慣れている自分を感じましたが、朝鮮学校でちゃんとルーツを知って、色々習っているので、現状に対し、常々疑いを持っているし、もっと堂々と生きていきたいと思っています。

ですから闘いを続けようと思っているし、支援してくださる方々や応援してくださる方々が闘っていると思うと、もっと権利を闘い取るまで闘いを続けなければならないと思います。学校に戻るまで火曜行動に参加したいと思います。



元 大阪中高オモニ会長の洪さんが久々のアピールです。

オモニ

9月になると2018年9月27日、高校無償化高裁判決を思い出します。2017年の地裁判決は全面勝訴でした。翌年、高裁判決全面敗訴で終わりました。悔しくて悔しくて、このことは一生忘れないと思います。

裁判すること自体がおかしいのではないかと思います。当然に与えられるべき権利だと思います。

最高裁ですべて却下されました。あるまじきことだと思います。

世界から見れば、これは差別だとみんなが当り前のように言います。日本だけです。差別ではないと言っているのは。

高校無償化、補助金、考えてほしいなと思いながら毎年9月を迎えています。朝大生への緊急支援金除外も考えてほしいと訴えていきたいと思っています。政府、大阪府、全国の知事に訴えていきます。

歌 「声よ集まれ歌となれ」

シュプレヒコール  

朝鮮学校の子ども達の学ぶ権利を保障せよ!

朝鮮学校に高校無償化を適用せよ!

朝鮮学校に補助金を復活せよ!

行政が差別するな!

幼稚班に無償化を適用せよ!

みんなの力で豊かな共生社会を作ろう!




全員でのシュプレヒコールと合唱「声よ集まれ 歌となれ」が始まりました。



最後のアピールと合唱の紹介です。

大村さん 

大学生の緊急支援金からの排除されていることを聞いて思い出すことがあります。

大阪は20年間補助金を出していましたが、橋下知事が補助金を切ったのです。

朝高と生野初級を訪問し、ニコニコと迎えた子ども達にニコニコと対応しておいて、その日に補助金を不支給としたのです。

子ども達を裏切って、それが松井、吉村に受け継がれています。あきらめずに頑張りましょう。

合唱 「勝利のその日まで」!



駐輪場での申し送りです。



まずは朝鮮大学の学生たちに大きな拍手が送られました。



来週は440回目です。多くの皆さんの参加をお待ちしております

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