ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

悲しいことがありました。

2014-06-13 18:01:31 | 日記


   2014年6月11日、午前10時31分、大阪病院にて義兄(夫の兄)が天に召されました。





   2月12日に手術をした後、4か月間病魔と闘い、家族も必死に励まし続けましたが、 本当に残念です。





   1933年済州島で生まれ7歳の時、日本に渡り、苦学の末、立命館大を卒業し、朝銀で数十年働きました。


   退職後は義姉と共にナニワ亭を営み老父母を最後まで看てくださいました。


   子供のいなかった義兄は、私の子供、孫たちを自分の子供の様に慈しんで下さいました。


   家族全員悲しみの中にも子供たちのクノモニを支えていく決心をしています。





  享年82歳、波乱万丈の異国生活に終止符を打たれました。





  本人の強い希望により家族葬を行い、心からクナボジの冥福をお祈りいたしました。


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6月10日、104回目の「火曜行動」と「交流会」

2014-06-10 20:19:50 | 火曜日
6月10日、104回目の「火曜行動」と「交流会」


  6月10日、104回目の「火曜行動」が行われ、終了後近くのお店で「交流会」が行われました。








  今日も長崎さんの優しいお声がこだまします。

































  今日もドラマがありました。

  大村さんの横に立っているソさんが府庁の裏門の方でビラを配っているとき、松井知事が通りかかったそうです。

  ソさんはこのチャンスを逃す手はないと松井知事の傍まで駆けより、ボディガードさんを振り切って松井知事にビラを手渡し、
  
  「このビラを必ず読んで下さい」といったそうです。
   
  ソさんは物静かで美しい方ですが、いざという時は「やる!」方です。

  松井知事はソさんの迫力に圧倒されたのか、読む約束をしたそうです。久々の快挙に力が湧きます。

   このお話を聞いて大きな歓声が沸き起こりました。















































  「火曜行動」の最後はいつもの合唱です。「この坂を上れば」みんなと一緒に元気に歌いました。




  簡単にまとめをして「交流会」の会場にみんなで歩いて行きました。

  100回目の「火曜行動」の日、雨のため「交流会」が流れたので、一部の人たちで昼食を摂りに行ったフランス料理のお店です。

  その日は1000円バイキングの日だったので、みんなおなかいっぱい食べ感動したものです。1000円でこんな美味しいものが食べれるなんてと・・・

  今日は4階のチャペルを借り切ったので会費は前の倍以上でしたが、雰囲気がとても良くて、デザートが豊富でとても美味しかったです。





  長崎さんの司会で交流会が始まりました。




  いつも府庁前で府庁に向かって凛と立ちつづけ、いつもみんなの心に感動を下さっている館山牧師さんの音頭で乾杯をしました。

  その後しばらくの間、食事をしてから全員が発言しました。














 奥のテーブルから順番に自己紹介と今の想いを語りました。













 次のテーブルです。
























  女子組も語りました。















  最後のテーブルは私も同席したテーブルです。

















  最後に私の順番がやってきました。


  私は2012年6月19日「10回目の火曜行動」からの参加なので今日が丁度、連続95回目の参加になります。


  2010年3月末に定年退職した後、4月から初級学校の学童保育に参加するようになりましたが、

のんびりする間も無く朝鮮学校だけが高校無償化制度から除外されることを黙って見過ごすことができず、

5月に知り合った河津聖恵詩人と共に「無償化除外反対アンソロジー」を編集出版し、

広島から京都、東京、宝塚、奈良、東北、北海道を回りながら共に訴え続けたこと、


  2012年6月16日北陸のウリハッキョを訪問した三日後の、6月19日から今日まで一度も欠かすことなく「火曜行動」に参加し続けている自
分の想いを語り、


火曜行動の歌「この坂を上れば」の基になった詩を朗読しました。





「この坂道を上れば」
    
         ニョニョ


この坂道を上れば
希望が見えると信じ

雨の日も
風の日も

カンカン照りの日も
警報が鳴り響いた日も

毎週 向かった 府庁前に
当然な学びの権利を取り戻すため

息を切らせ ハァハァ言いながら
老体に鞭打ち 自転車を走らせた
 
この坂道を上りきれば
未来が開けると信じ

1,2 1,2 心に声掛けながら
一生懸命上った ペダルを踏み続けた

道のりは遠い
上っても 上っても

終点が見えない
でも上り続けなければ

希望を捨てることはできない
未来を閉ざすことはできない

大勢の仲間たちの声が聴こえる
早くおいでと呼んでくれる

その声に励まされ その声を信じ
今日も果てしない坂道を上る




 最後に池辺さんの紹介のあと、26年間教壇に立たれた阿部さんが、自作の歌を歌ってくださいました。





  多分この後、お開きだったとは思いますが、仕事に行かねばならなかったので、そばの方にだけご挨拶をしてそっと会場を後にしました。


  一人一人の思いを聴きながら共感したり、感動したり、力を得たり、本当に素晴らしい集いに参加させていただいたと感謝しています。

 火曜行動を一日も早く終わらせれるよう、これからも頑張りたいと思いました。


 
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6月7日、ミレカップ第24次 ウリハッセン一輪車大会

2014-06-08 11:42:48 | イベント
6月7日、ミレカップ第24次 ウリハッセン一輪車大会



 6月7日、北加賀屋にある南大阪朝鮮初級学校において、「ミレカップ第24次 ウリハッセン一輪車大会」が開催されました。


 大阪府下の初級部の生徒たちが南大阪の初級学校校庭に集まりました。

 朝から雨が降ったりやんだりで気を揉ませましたが、11時きっかりに一輪車大会が開催されまいた。5回目見に来ました。


 孫の1年生ユファ、3年生リファ、4年生のユナが参加しました。

 3時ごろにデジカメの電池が切れてしまい、最後まで写真を撮ることができず残念でした。




 雨が降ったため運動場の状態が良くなかったため出発点で大勢の生徒たちが転んでしまい残念でしたが、みんな最後まで頑張りました。




































































































































  残念ながらこの写真を撮り終えたら電池が無くなったと表示が出ました。


  1年生のユファは初出場でした。補助走でしたが、転ぶことも無く最後まで完走しグループで一位になりました。

  3年生のリファはグループで3位でしたが、低学年リレーで頑張り、中大阪が2位になりました。

  4年生のユナは35M直線コースグループ走1位と、スラロームは見事4年生の中で堂々の一位金メダルをいただきました。





  みんなご苦労様でした。ウリハッセンたちは何事にも一生懸命なのが本当に素敵です。最後まで諦めず、全員が完走し、1年生には例年のように出場者全員に一輪車がプレゼントされました。


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有難うございます。

2014-06-05 07:29:09 | 日記

  6月5日、今日は朝から雨が降っていますね。急に気温が下がって体調管理が大変です。

 今日は給食の日なので、朝からのんびりしています。

 ブログを見たらなんとトータル訪問者数が15万人をついに越えていました。
 ビックリですが有難うございます。

 年寄りのボケ防止のため始めたブログに多くの方々が遊びに来てくださり、いつも応援して下さることはとても生きる励みになります。

 2012年1月5日に始めてから2年5か月です。これからも少しづつ更新を続けていくつもりです。引き続きよろしくお願いいたします。


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日記 裁判の傍聴に行きました。

2014-06-04 20:12:14 | 日記
  
  今日は「朝鮮学校に対する補助金不交付処分取り消し等請求裁判 第9回口頭弁論」を傍聴するために大阪地方裁判所に行きました。

  10時過ぎに家を出て、地下鉄で「北浜駅」まで行きました。




 26番出口を上がれば橋があります。橋を渡って左折し、まっすぐ歩いて行くと裁判所が見えます。途中に弁護士会館の前を通るのですが、
アガパンサスの花が咲き始めていました。




 私はこの花が好きです。ネギ坊主のようですが、もう何日かすると薄紫の花を一杯つけます。

 何年か前に書いた「アガパンサス」の詩を思い出しました。


「 アガパンサス 」
         
            
ネギ坊主かなぁ?
似ているけどちょっと違うなぁ

あじさいが目立ち始めたころ
あちこちですくっと伸び始めた

梅雨空の下 みるみる背伸びして
いつの間にか 花茎は1M近くに

あれ 先端のネギ坊主が殻をやぶったぞ
一杯ついてる 細長い袋のようなものが

どんどん開き始めた放射状に 薄紫の花が
一本の花茎から30以上のラッパが咲いた

アガパンサスだそうだ ギリシャ語で
アガパは愛 アンザスは花 愛の花

コリア語で アガは赤ちゃんです
赤ちゃんのように 愛らしい花

派手ではないけど 可愛いです
熱さにも寒さにも強そうです

アガの花 赤ちゃんの花 愛の花
名前と共に 心に刻みました

     2011・6・28 


  しばらく行くと裁判所が見えました。




  10時40分ごろに到着しました。毎週「火曜日」にお会いしている方々が大勢いらしていました。

  11時に中庭で抽選会が始まりました。運が良くて今まで一度も外れたことがありません。

  超満員の202号室、大阪第4の保護者の方々が大勢いらしていました。

  みなさん、子供たちの学び舎を守るための、この裁判に無関心でいられるはずがありません。

  昼間は会社勤めや病院勤めをなさっていますが、有給を取ってきたと仰っていました。オンマたちの熱意に頭が下がりました。

  原告側弁護団を代表して今日は大橋弁護士が口頭弁論を展開しました。良く通る声ではきはきと発言されました。

  具体的な内容は書きませんが、日韓条約がむすばれた1960年代、1970年代にさかのぼり、民族教育を合法的に弾圧しようと外国人学校法案を国会に提出し続けた歴代の政府の恥部を垣間見ることができました。

  しかし地方自冶体が次から次へと朝鮮学校を認可し、すべてのウリハッキョの認可を勝ち取った事実を決して忘れてはならないと思いました。日本の良心は決してなくなりはしていないのです。今日だって半分以上は日本の方々の応援がありました。良心的な日本の方々は朝鮮学校の問題は他人事では無く自分たち自身の問題だ、日本の民主主義のバロメータは朝鮮学校に対する政府や自冶体の動きに現れていると仰います。そういっていただけることは有難いお話です。

  傍聴は15分ほどで終わり弁護士会館の前の中庭で弁護団の報告を待ちました。紫陽花の花が梅雨の前にきれいに咲き始めていました。







  裁判官が原告側、被告側の弁護団を同時に呼び、これからのことで色々お話をされていると聞きました。

  しばらく待っていると弁護団の方々が来られました。





  


  弁護団団長の丹羽先生が、今日も元気の出るお話を沢山してくださいました。素晴らしい弁護団が我々についていることは本当に頼もしい限りです。


  次の補助金裁判は8月6日(水)10時半からに決定されました。


  その前に6月20日には、11時から「無償化裁判」第7回口頭弁論が行われます。


  7月8日には大阪高裁にて京都のウリハッキョの裁判についての結審が言い渡されます。


  毎月、いろんな裁判が展開されますが、すべて傍聴し続けたいと思っています。足が動く限り・・・





  裁判傍聴の帰りは、近くにいる友人たちと定食を食べに行くのが暗黙の了解になっています。

  「火曜日」の友人たちと一緒に、仕事に行く前の1時間、ランチを楽しみました。








  
  裁判所からまっすぐ淀屋橋方面に向かう地下に「洋食屋さん」があります。コーヒー付で「ハラミステーキランチ」が税込み1000円です。本当に美味しかったです。1か月に一回の贅沢です。さぁ、また頑張ろうっと。

  
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