ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

2012・12・8 コラム「文芸同大阪作品発表会」

2012-12-29 16:49:39 | 詩・コラム
*1年のまとめ

 「文芸同大阪作品発表会」

12月8日6時15分より、生野区民センターにおいて「文芸同大阪作品発表会2012」が行われました。

 この発表会は毎年12月に開かれていますが、基本は文芸同の盟員たちの1年間の総括の場でもあります。

 大阪は芸術活動が活発でいろんな団体が音楽サークルや舞踊研究所を持っていますが、

 文芸同にも加盟して横のつながりを持って幅広く活動しています。

 文芸同には文学部、演劇口演部、音楽部、舞踊部、美術部があり、大阪朝鮮歌舞団、大阪朝鮮吹奏楽団、男性合唱団「サナイ」、

 女声重唱団「ヒャンウム」等が文芸同に属しています。

 大阪には他にも芸術活動をしている団体が数多くありますが、じかに文芸同に属さなくても常に連携しながら前進しています。

 演劇口演部は5時集合です。部員の一人が練習最終日、風邪で休んだので最後の練習です。



 金甲年部長は司会を担当し、若手5人での朗読は権海考さんのエッセー「私の心の中の朝鮮学校」です。

 金ミンス副部長は「タルオルム」の公演が詰まっているので休部中です。(残念)

 私は演劇口演部にも属していますが、文学部にも属していますので、この日は文学部として発表に加わりました。



 6時15分きっかりに発表会が始まりました。タイトルの「ハンマウム」と言う文字は、

 私が文芸同の責任者としての最後のイベントだった「文芸同結成50周年記念式典」用に、

 その時期、書芸部長であった故高寅順さんに書いていただいたものです。
 
 残念ながら高部長は昨年8月、5年もの闘病生活に終止符を打たれましたが、

 病をおして書いてくださったこの文字「ハンマウム」は、文芸同と共に永遠に残ると思います。

プログラムのトップは今年始まったばかりの女声重唱団「響音ヒャンウム」です。曲目は「君たちのカバンの中に」





 Ⅱ.口演部の朗読 モンダンヨンピル代表の権海考さんのエッセー「私の心の中の朝鮮学校」





 Ⅲ.舞踊部成人組 「基本動作」







 Ⅳ.大阪朝鮮吹奏楽団代表 サックス2重奏 「ブァイオリン・ソナタ ハ長長」より1楽章



 Ⅴ.舞踊部青年組 3人舞 「われらのチャンダンが最高!」







 Ⅵ.詩の朗読

 ①許玉汝 「お前たちが大きくなったら」



 ②秦勝元 「オンマ」



 ③李芳世 「63歳の末っ子」



 Ⅶ。舞踊・歌 大阪朝鮮歌舞団 「アリランタリョン」








 1部の終わりに蔡文学部長から嬉しい発表がありました。



 共和国功労芸術家と功労俳優の栄誉に輝いた尹委員長と趙歌舞団団長のお祝いの集いを始めるという挨拶です。

 まずお二人の輝かしい経歴と功績が紹介されました。そのあと文芸同中央からの花束が贈られました。



 




 お二人が謝辞を述べました。

 全員でお祝いの乾杯です。



 しばらく食事をしてから、高総務部長の司会で各部から指名された方が部の活動について語りました。



 まずは「ヒャンウム」責任者の趙ミリョンさんのお話



 演劇口演部 金部長は口演部の新人二人を紹介しました。





 趙美術部副部長のお話



 大阪吹奏楽団 文団長のお話



 赤ちゃんを連れて公演に参加した崔さんは口演部と文学部掛持ちの元気ママさんです。



 文学部長のお話 



 男声合唱団ー黄団長のお話



 歌舞団 趙団長のお話
 


 舞踊部長のお話



 発言の最後は女性同盟からのみかんの差し入れと激励のあいさつでした。



 祝賀会の後ジャンケンゲームをして楽しく遊びました。私も一回最後まで残って商品(パック3枚)頂きました。

 あっという間に9時になり全員で後片付けをして会場を後にしました。文芸同の全体の今年度の集まりはこれで終わりです。

 あと文学部の送年会が13日にあります。(追 12月13日 鶴橋のきやす亭にて文学部の忘年会行いました。川瀬さんが飛び入りで金吉浩さんと一緒にきました。)



 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012・12・21 詩28 「梁先生の自転車」 バイリンガル

2012-12-29 09:30:24 | 詩・コラム
*1年のまとめ



詩28.

  「梁先生の自転車」

      (2012・12・21)

今朝も中大阪の玄関の傍に
いつもの自転車がありました

毎朝毎朝見る自転車
スクールバス当番でも無いのに
何故 今朝も7時半前からあるの?

40年近くの間 
何台乗り換えられましたか?

お子さんを前後ろに乗せられ
必死でペダルをこいでいた日も
還暦が近い今日も
あなたの眼差しは変わりなく暖かい

子供たちが学び
今日は孫たちが
あなたの慈しみの中で
すくすく育っています

毎朝自転車を見ながら
目が潤むのは年のせいでしょうか?

いいえいいえ
あなたの崇高なまでの後代への愛が
胸を打つのです
偉大なオモニの姿そのものです

(思いつくままに書きました。梁先生へ)

                           


[ 량선생님의 자전거 ]

오늘 아침도 우리 학교 현관앞에
늘 보는 자전거가  있었어요

아침마다 보는 자전거
통학뻐스 당번도 아닌데
어째서 7시반이전에 있을가?

40년남짓한 기간에
몇번 갈아타셨나요?

자제분들 자전거 앞뒤에 태워
씽씽 자전거 몰던 나날도
환갑이 가까운 오늘도
선생님의 눈길은 변함없이 따뜻하지요

우리 아이들이 배우고
오늘은 손자들이
선생님의 보살핌속에
무럭무럭 자라고있답니다

아침마다 자전거를 보면서
눈시울이 뜨거워지는건 나이 탓일가요?

아니예요 아니예요
선생님의 숭고한 후대사랑이
내 가슴을 사무치게 친답니다
위대한 어머니의 바로 그 모습입니다

(생각나는대로 적었습니다.)               


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012・12・20 詩27 「ポスセンセンニム コマッスムニダ」 バイリンガル

2012-12-29 09:12:52 | 詩・コラム
*1年のまとめ




詩27

 「ポスソンセンニム コマッスムニダ」
 
ポスソンセンニム コマッスムニダ!
今朝も早くから
学校の周りを掃除して下さっていましたね
いったい何時に登校されているのでしょう

ポスソンセンニム コマッスムニダ!
子供たちが清々しい気持ちで
元気に登校できるよう
いつもいつも きれいにして下さいます
玄関も学校の周りも すべて!

掃除が終われば
7時半車庫出発
次々に乗ってくる子供たちを
いつも笑顔と大きな挨拶で
暖かく迎えてくださいますね

だから子供たちは
今日も元気に過ごせるのです
今日も故郷の家で安心して
歌をうたい運動をし
ウリマル ウリクルを学べるのです

ポスソンセンニム コマッスムニダ!
先生とかわす毎日の挨拶は
子供たちにも このハンメにも
元気をくれます 
1日を頑張る エネルギーをくれます!

(思うままに書きとめました)(2012/12/20)

         

[뻐스선생님 고맙습니다]

뻐스선생님 고맙습니다!
오늘아침도 이른 아침부터
학교둘레를 청소하고 계셨지요
도대체 몇시에 출근하고 계셔요?

뻐스선생님 고맙습니다!
아이들이 상쾌한 마음으로
씩씩하게 등교할수 있도록
언제나 깨끗하게 거두어주시지요
현관도 학교주변도 그 모든 곳을!

청소가 끝나면
인차 7시반 학교 출발
잇달아 뻐스를 타는 아이들을
언제나 따뜻한 미소와 큰 인사로
따뜻하게 맞아주십니다

하기에 아이들은
오늘도 힘있게 지낼수 있답니다
오늘도 고향집같은 학교에서 안심하여
노래를 부르고 운동도 하여
우리 말 우리 글을 배울수 있답니다

뻐스선생님 고맙습니다!
선생님과 주고받는 아침인사는
아이들에게도 이 함매에게도
힘을 줍니다
하루를 힘있게 지낼 새힘을 줍니다!

(생각나는대로 적었습니다.)

허옥녀 드림


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012・12・13 「故 高仁鳳さんに送る言葉」

2012-12-29 09:04:13 | 日記
*1年のまとめ



「送る言葉」    

          ー故 高仁鳳さんにー

 仁鳳さん、言葉を失いました。最近Fbへの投稿も無かったし,パソコンへのメールも無かったので,

なんとなく気になってあなたのウオールを開けて見て、初めて訃報を知ったのです。

2012年12月12日、午後12時12分に昇天されたのですね。

 苦しんで苦しんで、でもいつも笑顔で戦って戦って、みんなに勇気を与えてくれましたね。

 あなたのホームページをもう一度開いて見たら、ハワイで写された写真がたくさんアップされていました。

 赤いアロハ着て、ニコニコ笑っている写真、赤いTシャツ着て浮き袋でハワイの海で寝そべっている写真、

 あなたの傍でニコニコと寄り添っていらっしゃる奥様のパンジャさん。

 退院後パンジャさんのルーツを探す旅に出られ,帰って間もなくハワイに行かれましたね。

 あなたはみんなに、ハワイに行こうか行くまいか迷っていると仰っていたけど、

 きっと心の中で決めていらっしゃったのだと思いました。だから後悔の無いように行ってらっしゃいとメールしました。

 いつもそばであなたを見守ってくださった奥様に、恩返しがしたかったのですね、きっと。

 思い出を一杯残して行きたかったのですね、きっと。

 8月24日の講演会であなたは何度も奥様への感謝の言葉を述べられました。







 ご自分の大切な家族も紹介してくださいました。



 幼いころ苦労を共にし、小学校3年生のあなたを一人残して、何の治療も受けられないまま、

 あなたを一人残して死ぬに死ねないと仰っしゃりながらあの世へ旅立たれたオモニムの無念を胸に抱いて、

 あらゆる艱難辛苦を乗り越えてこられましたね。



 印刷会社KBSが今日あるのもすべてあなたとパンジャさんの努力のたまものです。

 息子さん3人に恵まれ、晩年は趣味を生かし、いつもカメラ片手に至る所に出かけられましたね。

 あなたのその笑顔からは想像もできない苦難に満ちた過去を知った時、

 涙が止まらなかったのは決して私だけでは無かったはずです。

 日帝の植民地支配に続く南北分断は全ての同胞に苦難をもたらしました。

 あなたの病院を初めてお訪ねした5月、ニコニコとまるで妹を迎えるように喜んでくださいましたね。

 ハンマウムキーホルダーと少しばかりのCDと書籍とチョゴリの折り紙を持って行ったら、

 ちゃんと写真立てに入れて病室に飾ってくださいましたね。

 9月の半ばごろ、初めてたこ焼き屋さんでデートしましたね。いろんなお話をしました。

 2月と3月、病室で戦っているあなたに見せてあげようと、慣れない手つきで生まれて初めて携帯で、

 大阪城公園の梅林の梅の木を数十枚撮ったのが、お花の写真を撮り続けるきっかけになったと話しましたね。。

 パケ防止していなかったので数万円の請求書がソフトバンクから来たときは目が飛び出そうでした。

 その時から娘が私にデジカメを使うように勧めてくれたのです。

 そのお話をしたらあなたは声を出して笑っていらっしゃいましたね。

 そんな世間知らずの少しぼけた私を、いつも褒めてくださり、励ましのお言葉をくださいましたね。

 あなたのその素晴らしい笑顔と、ガッツポーズと赤色のTシャツを忘れることは無いと思います。

 目に見えない壁があって今までウリハッキョの中に入れなかったと仰り、私が11月23日案内しますと言ったら、

 とても喜んでくださいましたね。再入院のため実現できなかったことが本当に残念です。思想や所属団体は少し違っても、

 心が通じあえばみんなチングです。

 11月24日のメールが私とあなたの最後の交信でした。12月1日、奥様とご一緒に公園で撮られた写真が最後の写真でした。

 今は何か信じられなくてボーットしています。

 時が経ってもあなたがいつも言っていた「なせばなる」という言葉をかみしめてこれからも頑張って生きていきます。

 愛するオモニムとお兄さんにもう会えましたか?

 もう苦しまなくても良いですね、あんなに飲みたかったお水はもう飲みましたか?

 今はただ安らかに眠りにつかれることを心から願っております。

 故 高仁鳳さまのご冥福を心の底からお祈り申しあげます。

                2012年12月13日午後4時30分

                            許玉汝拝










高仁鳳さんの記録から

NTT大阪病院に2月12日に入院して、放射線治療が15日から始まり、
29日で、放射線治療は30日60回照射を受け、完了した。
抗がん剤治療は2月27日、1クールが終わり、
3月21日から点滴から2クールが始まり、3月27日に終わった。
5月7日から点滴が始まった。抗がん剤の第3クールだ。13日に終わった。
4クールの抗がん剤治療が6月5日から点滴が始まり、12日に点滴が終わった。
5クールの抗がん剤治療は、7月3日から点滴が始まり、10日の朝方に終わった。
6クールは、7月30日に入院して、8月1日から抗がん剤の点滴を行い、6日に終了。8日に退院した。
PET-CT検査を9月5日に受け、食道のところにがん細胞が残っているのが判明。他には転移していない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012・12・11 詩26 「あなたの涙を忘れない」

2012-12-29 08:48:22 | 詩・コラム
*1年のまとめ




詩26.

「あなたの涙を忘れない」

                    
毎週この場所で会うようになって
もう何か月が過ぎたでしょう

梅雨空のじめじめした日も
カンカン照りの夏の日も
紅葉まばゆい秋の日も
ずうっと一緒でしたね

でもあなたの涙を初めて見ました

あなたは朝鮮の子供たちを想って
涙を流してくれましたね 今日
あまりにも理不尽な差別に怒り
朝鮮の子供たちに申し訳ないと
涙ながらに訴えて下さいましたね

日本人のあなたと 朝鮮人の私
私たちは今日 真の友になりました
垣根は涙と共に流れゆき
熱い想いで 一つになりました
  
有難う 平田さん
あなたの涙を決して忘れない
あなたのその涙は 必ずや大阪府民の
いいえ すべての人々の胸を
やさしく溶かしてくれるはずです

共に歩むこの道が
笑いに溢れ 希望に満ち
すべての子供たちの幸せに繋がるよう
手と手を取り合いましょう
心温かき わたしの友よ!  

        (2012・12・11)




「그대의 눈물을 잊지 않으리라」


주마다 여기서 만나게 되여
벌써 몇달째가 되였을가요

지긋지긋한 장마철에도
찌는듯이 무덥던 여름날에도
단풍이 곱게 물든 가을날에도
언제나 우린 함께 있었지요

하지만 그대의 눈물을 처음 봤어요

그대는 조선아이들을 생각하며
눈물을 흘리였지요 바로 오늘
견디기 힘든 차별의 칼바람에 노하여
조선아이들에게 미안하다고
눈물 머금고 호소하였지요

일본사람인 그대와 조선사람인 나
우리는 오늘 진정한 벗이 되였지요
넘을수 없었던 벽이 눈물과 함께 흘러가
뜨거운 마음으로 하나가 되였답니다

고맙습니다 히라타씨
그대의 눈물을 절대로 잊지 않을거예요
그대의 눈물은 기필코 오사카부민들의
아니 모든 사람들의 가슴가슴을
따뜻하게 따뜻하게 녹여줄것입니다

함께 걸어갈 이 길이
웃음에 넘치고 희망에 가득차
모든 아이들의 행복에 어어지도록
손과 손 맞잡고 나아갑시다
다정한 나의 벗이여!

              (2012/12/11)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする