ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

尹東柱の詩 ⑮白い影 ⑯十字架 バイリンガル

2020-06-15 20:16:03 | 詩・コラム


「흰 그림자」

윤 동 주

황혼이 짙어지는 길모금에서
하루종일 시들은 귀를 가만히 기울이면
땅검의 옮겨지는 발자취소리, 땅검=땅거미의 잘못.

발자취소리를 들을수 있도록
나는 총명했던가요.

이제 어리석게도 모든것을 깨달은 다음
오래 마음 깊은속에
괴로워하던 수많은 나를
하나,둘 제 고장으로 돌려보내면
거리 모퉁이 어둠속으로
소리없이 사라지는 흰 그림자,

흰 그림자들
연연히 사랑하던 흰 그림자들,

내 모든것을 돌려보낸 뒤
허전히 뒷골목을 돌아
황혼처럼 물드는 내 방으로 돌아오면

신념이 깊은 의젓한 양처럼
하루종일 시름없이 풀포기나 뜯자.

   (1942・4・14)




「白い影」

            ユン・ドンジュ

黄昏が濃くなる街角で
終日 萎えた耳をすませば
夕闇がうつりゆく足音、

足音を聴けるほど
わたしは聡明だったのか。

いま 愚かにもすべてを悟り
永らく心の底で
悩んできた多くのわたしを
ひとつ、ふたつと ふるさとへ帰せば
街角の闇のなかへ
音もなく消え去る白い影

白い影たち
なごりつきない白い影たち、

わたしのすべてを帰したのち
虚ろに 裏通りを巡り
黄昏のように染まる部屋に戻れば

信念ぶかい 芯のつよい羊のように
ひがな一日 うれいなく草でも摘もう。





「 십자가 」

윤 동 주

쫓아오던 햇빛인데
지금 교회당 꼭대기
십자가에 걸리었습니다.

첨탑이 저렇게도 높은데
어떻게 올라갈수 있을가요.

종소리도 들려오지 않는데
휘파람이나 불며 서성거리다가,

괴로워ㅆ던 사나이,
행복한 예수 그리스도에게
처럼
십자가가 허락 된다면

모가지를 드리우고
꽃처럼 피어나는 피를
어두워가는 하늘밑에
조용히 흘리겠습니다.

( 1941.5.31)




「十字架」

          ユン・ドンジュ

追いかけてきた陽の光なのに
いま 教会堂の尖端(さき)
十字架にかかりました。

尖塔があれほど高いのに
どのように登ってゆけるのでしょう。

鐘の音(ね)も聴こえてこないのに
口笛でも吹きつつさまよい歩いて、

苦しんだ男、
幸福なイエス・キリストへの
ように
十字架が許されるなら

頸を垂れ
花のように咲きだす血を
たそがれゆく空のもと
静かに流しましょう。


 (1941年12月の尹東柱です。)

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尹東柱の詩 ⑬いとしい追憶 ⑭看板のない街 (バイリンガル)

2020-06-15 19:54:35 | 詩・コラム


「사랑스런 추억」

          윤 동 주

봄이 오던 아츰, 서울 어느 쪼그만 정거장에서 희망과 사랑처럼 기차를 기다려,

나는 플랫폼에 간신한 그림자를 떨어뜨리고,담배를 피워ㅆ다.

내 그림자는 담배연기 그림자를 날리고 비둘기 한떼가 부끄러울것도 없이
나래속을 속, 속, 햇빛에 비쳐, 날았다.

기차는 아무 새로운 소식도 없이 나를 멀리 실어다주어,

봄은 다 가고-동경 교외 어느 조용한 하숙방에서, 옛거리에 남은 나를 희망과 사랑처럼 그리워한다.

오늘도 기차는 몇번이나 무의미하게 지나가고

오늘도 나는 누구를 기다려 정거장 가차운 언덕에서 서성거릴게다.

-아아 젊음은 오래 거기 남아있거라.

(1942・5・13)




「いとしい追憶」

               ユン・ドンジュ

春がきた朝、ソウルの或る小さな停車場で
希望と愛のように汽車を待ち、

わたしはプラットホームにかすかな影を落として、
たばこをゆらした。

私の影は たばこの煙の影を流し
鳩の群れが羞じらいもなく
翼の中まで陽に晒らして,翔んだ。

汽車はなんの変りもなく
わたしを遠くへ運んでくれて、

春はすでに過ぎ―東京郊外のとある静かな下宿部屋で、古い街に残った
わたしを希望と愛のように懐かしむ。

今日も汽車はいくどか空しく通り過ぎ、
今日も私は誰かを待って停車場近くの丘にさまようだろう。

―ああ 若さは いつまでもそこに残れ。




「간판 없는 거리」

윤 동 주

정거장 플랫폼에
내렸을 때 아무도 없어,

다들 손님들뿐,
손님 같은 사람들뿐,

집집마다 간판이 없어
집 찾을 근심이 없어

빨갛게
파랗게
불 붙는 문자도 없이

모퉁이마다
자애로운 헌 와사등에 *와사등=가스등
불을 혀 넣고, *혀 =켜

손목을 잡으면
다들, 어진 사람들
다들, 어진 사람들

봄, 여름, 가을, 겨울,
순서로 돌아들고.

(1941)




「看板のない街」

            ユン・ドンジュ

停車場のプラットホ-ムに
降り立ったとき 人影もなく、

みんな訪問者(きゃく)ばかり、
訪問者(きゃく)のような人ばかり、

家々に看板がなく
家を探す心配がなく

赤く
青く
明減する文字もなく

街角ごと
優しい古びた瓦斯燈に
灯りをともし

手を握れば
みんな、穏やかな人びと
みんな、穏やかな人びと

春、夏、秋、冬、
季節(とき)はめぐり。


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20年前に書いた詩です。 詩「手」(バイリンガル

2020-06-15 16:18:35 | 詩・コラム
 今日は6・15南北共同宣言が発表された日です。

 その日、教室で生徒たちと涙を流しながら両首脳が固く手を取り合う感動の瞬間を見ました。その日の夜に書いた詩です。




 

[손]

그 순간
두손 맞잡은 순간
내 가슴의 얼음덩이는
뜨거운 이슬되여 흘러내렸다

평양의 하늘아래 펼쳐진
사랑의 화폭이여
꿈만 같은 상봉의 순간에
자꾸만 떠오르는 그리운 얼굴들이여

넋이라도 고향에 묻어달라 당부하시며
두눈 못감은채 숨지신 부모님도
이젠 시름 놓고 고이 잠드실가

이날 위해 낮과 밤이 따로 없었던
분회장도 분국장도 울며 웃는다
몇십번 잔 찧으며 손 잡고 춤춘다

미움보다 사랑이 더 뜨거움을
내 가슴에 심어준 두손이여
믿음만이 우리 겨레 살리는 길임을
내 심장에 새겨준 두손이여

떨어져 살수 없는 우린 살붙이
한 피줄로 손 맞잡고 나갈 때
통일의 꽃대문은 열려지리니

마주잡은 두손은 우리모두의 마음
추켜든 두손은 우리모두의 결심

하나된 큰손은 바로 나의 손
통일렬차 타고서 나도야 가련다
푸르른 조국강산 후대들에게 넘길 날
내 손으로 고향땅 쓰다듬으리

      (2000年6月15日)

     「手」

その瞬間
手と手を取り合った瞬間
胸の中の 氷の塊は
熱い露になり流れ落ちた

ピョンヤンの空の下で繰り広げられた
愛の画像よ
夢のような出逢いの瞬間に
しきりに浮かび上がる懐かしい顔たちよ

魂だけでも故郷に埋めてほしいと願われ
両目も閉じれないまま逝かれた両親も
今は心安らかに眠られるでしょうか

この日のために昼夜を問わなかった
分会長も文局長も泣いては笑い笑っては泣く
何十回も 杯酌み交わし手を繋ぎ舞い踊る

憎しみよりも愛がより熱いことを
私の胸に植え付けてくれた二つの手よ
信じることだけが我が同胞を生かす道であることを
私の心臓に刻んでくれた二つの手よ

分かれては暮らせない 私たちははらから
一つの血筋で手を取り合い進むとき
統一の門は開かれるであろう

握り合った二つの手はわたしたちみんなの心
突き上げた二つの拳はわたしたちみんなの決心

一つになった大きな手はまさしく私の手
統一列車に乗って私も行こう
青い祖国の山河を後世に託す日
自分の手で故郷の地を撫でさすらん

     (訳 2015年6月15日)

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