ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

2月3日見たもの、考えたこと

2013-02-04 10:43:15 | イベント
  2月3日、日曜日朝10時20分に家を出ました。谷町9丁目で友人と待ち合わせ、国際交流センターへ行きました。

 「朝鮮学校無償化除外反対アンソロージー」に短歌を掲載してくれた広島の友人が、フイリピンのゴミ山の子供たちの学校を支援して15年以上になるのですが大阪で出店をするというので応援に行きました。







 





 出店で3人でインドの定食を食べました。美味しかったです。あまり辛くなかった。

 2年前から私も友人の活動に賛同して毎月一口カンパを送っていますが、15年間支援を続けることは並大抵なことではないと思います。この方は毎年夏にフイリピンのゴミ山の子供たちに会いに行っています。

 全国からの支援金を毎年フイリピンに送りゴミ山の子供たちの学びの場を支援しています。

 幼いころから、いろんな痛みを抱え生きてきた彼女だから続けられるのでしょう。素晴らしいことだと思います。

 午後からはもう一人の友人に誘われ「関西大弾圧はねかえそう!2・3全国集会」に参加しました。

 大阪城音楽堂へは「たそがれコンサート」に良く行きますが、日本の方々が主催する集会に参加したのは初めてのことです。

 全国から労働組合や個人や弾圧された方や支援グループなどが旗を掲げシュプレコールが途切れることなく行われていました。







(もじもじ先生こと下地真樹先生も弾圧被害者の一人として、不当逮捕の現状を批判し、仲間を取り戻そうと力強くアピールしました。)



 (憲法を研究されているお二人も「意見を述べることが封鎖されている現状に対し声をあげよう」と訴えました。





 (サプライズです。原発反対運動の先頭に立った俳優の山本太郎さんが「仲間を取り返そう」と力強くコールを呼びかけました。)







(朝鮮学校問題でも声を発してくださっている、一ツ橋大学の鵜飼哲教授も東京から駆けつけ、街頭行動の自由を訴えられました。)



 ジュゴンのぬいぐるみは今も獄中の韓さんの代わりだそうです。

 原発いやや、放射能もいやや、汚染ガレキ焼却もやめてほしい、子供たちのためにと立ち上がった人々が、11人も不当逮捕されたのです。

 それも全く心外な名目の容疑で起訴され、厳冬の留置場で持病の投薬も止められ苦しんでいるのです。

 なんという暴挙でしょうか。



 趙博さんとはちようびの力強いバンド演奏と歌が始まりました。大勢の方々が体を揺らし一緒に踊っていました。



















 パギヤンこと趙博さんは公安に対する不信感をあらわに歌で表現し、歌い続けました。

 大衆から凄い支持を受けているのは彼の地道な活動の結果だと感じました。



 第3部です。特別アピールとリレートークが始まりました。





 服部良一先生が駆けつけてくださいました。東日本大震災を原発震災にさせ、子供たちの未来を脅かしている輩に対し糾弾し、

 不当逮捕された方々の獄舎の門をみんなの力で開けようと呼びかけられました。





















 知り合いの朴さんが演壇に立たれました。





 朴さんは3人の子供さんを朝鮮学校に送っている保護者として演壇に立ち、朝鮮学校無償化除外の不当性と、大阪市、大阪府の助成金カットの不当性を糾弾し、即刻支給を再開することを要請しました。

  連帯の力強い拍手をいただきました。



















 途切れることなくリレートークは続けられました。

 「仲間を返せ!」、「でっちあげ逮捕許さんぞ」、「表現の自由を侵すな!」、「弾圧やめろ」

 力強いシュプレコールが大阪城音楽堂から全国に広がっていきました。



 
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福島を忘れてはならない、決して!

2013-02-04 09:31:30 | 詩・コラム
 2,3日前の午前、何気なくBSをつけたら、福島県のある農家の方がインタビューを受けておられました。

 ちょうど1年半前、このご家族の世帯主であるご主人が、原発事故のあと自ら命を絶たれた記事を新聞で読み、その衝撃を即興詩にしたためたのですが、そのご家族をまさかテレビで拝見するなんて考えもしませんでした。

 息子さんがお父さんの代をついで農業に携われるようになったそうですが、放射能まみれの福島でこれからどうされるのでしょうか。胸が痛みます。


   「無念の花」           
 

あたり一面 黄色い花
菜の花畑のように見えます
咲誇っているように見えます
でも私は 咲いてはならない花でした

私は冬キャベツ
あなたの食卓で喜ばれる筈でした
お好み屋さんで大活躍する筈でした

ビタミンCやUが 豊富で
ロールキャベツや トンカツの付け合わせに
薬の名前にもなりました 胃腸を整えると

津波で家が流され 人も、車も流されたのに
私たちは踏ん張り この地に生き残りました
なのに 進入禁止地域に指定されました
原発の放射能を一杯浴びたからと 誰のせい?

親子3代続いたキャベツ栽培
7500個の私たちは放置され
悲しみのあまり 自ら命を絶った御主人
泣く泣く この地を離れた ご家族

私たちは放射能の雨を浴びるだけ浴び
誰からも見向きもされないまま
黄色い花になりました 
恨みの花 怒りの花 無念の花に 
   

2011・6・30




  「うらぎり」

          

「愛してる 君のすべてを!
困難を一緒に乗り越えようね」

やさしく ささやいてた 貴方が
突然 言った 「さよなら」

「母さんがさ 駄目だってさ
丈夫な赤ちゃん産め無いからって」

嘘だよね 冗談でしょう?
死ぬまで一緒だって 言ったよね

どうなるの 私の心は?
これから 何を信じればいいの?
 
福島にいたことが どうして
別れる理由になるの? ひどい

胸が張り裂けそう 
誰を怨めばいいの?

  2011・7.3

コメント (4)
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