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ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。旅やアメリカでの話、趣味のことなどなど・・・自分の覚書を兼ねて。

今年初めての【月下美人】花開く

2013-06-28 06:39:46 | 日々の中で

6月27日

ご隠居が庭から鉢を抱えてきた。膨らんだ大きなつぼみがゆらゆらと揺れる。

「今夜開来そうだね」午後7時過ぎころから、少しずつつぼみの膨らみが大きくなり、眺めている間に四輪の大きな花が開いた。今年は花も大きい。馥郁とした香りが部屋中に広がる。

沖縄の社宅から持ち帰った3枚の葉を庭いじりが趣味だった舅が、いくつかの鉢に育て上げ、舅亡き後息子であるご隠居が後を継ぎ、親戚や友人知人へも随分お嫁入りさせたものだ。もう30年余りの歳月、咲き続けている。毎夏になり、つぼみが膨らみ始めると亡き舅・姑のことや若かった私達のいろんな思いが蘇る。ずっと見守ってくれていた南国生まれの真っ白というより銀色に光るような大きな花は、今年も次々に楽しませてくれることだろう。私の【別荘行き】に間に合わせてくれたのかな。

       朝の訪れを前に一夜の花の宴を終わった月下美人。しぼんだ花弁は乙な酢の物となってとろりとした味わいを感じさせる一品となる。これから夏の盛りに向かって、次々に高貴な銀色の花を咲かせてくれることだろう。留守を守ってくれるご隠居の無聊(でもないか)の楽しみとなってくれることだろう。

  昨日は博多座猿之助襲名披露公演千穐楽、今月はしり上がりに熱気が増し、舞台観客ともに燃えに燃えた。特に猿之助歌舞伎は贔屓というわけではないが、新・猿之助の【狐忠信】は熱演だった。子ぎつねの親を恋ういじらしさ、可愛らしさが、セリフの音域の広さ、所作のしなやかな、「どうだ!」と自信を持って前名亀治郎が演じているのが肌に伝わる。満員御礼も何度か。観劇後の上気して気持ち良さそうな雰囲気を保ったまま帰路に就く観客の顔を見るのはいいものだと改めて思った。

今日は地域の【花想会】ご年配の方達を招いての恒例行事。町内福祉を担うひまわりさん達の、きびきびした動き、友人のJさんがリーダーをつとめる【だざいふリコーダーアンサンブル】をゲストに楽しいひと時を過ごした。小さい公民館だが吹き抜けが音響にプラス、より良い音色が響いた、Jさんも演奏しやすかったと。【ジュピター】【セレナーデ】【サラバンド】【メヌエット】などのクラシック曲から【待ちぼうけ】【みかんの花咲く丘】などの童謡まで一緒に合唱も。

軽い体操は軽妙な語り口のHサンの指導で。お昼は今回はお弁当。そしてリコーダー演奏。和気藹々と楽しいひと時だった。独り暮らしになられた方達も、皆さんと和気藹々の時間に表情が明るい。    

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『ただいま!』の次は『行ってきます!』(笑)

2013-06-25 15:38:16 | 日々の中で

 庭の斑入り白鷺カヤツリソウ。水辺を好むので梅雨の時期、生き生きと涼やかです(画像はご隠居)

昨日まではシトシト程度だった雨が、今朝は激しい雨音で目が覚めました。入梅して以来初めての大雨になりそうです。昨年は遠賀川など一級河川があちこちで氾濫して、その被害の修復がまだできていないところもあります。

どうぞそんなことにならない程度で済みますように。祈る想いです。

気象予報では、太宰府地方は7月15,76日が梅雨明けになりそうだとか。【博多山笠】の熱気の後には梅雨明け、いよいよ夏の到来。今年も灼熱なのでしょうか。早目に熱中対策用の飲料水OS-1(点滴と同じような成分)を冷蔵庫にプールしております。

 数日の入院なので内緒にしておこうかな…と思ったのですが、行きがかり上ブログに書かざる得ないことになって。皆様にはご心配おかけしました。お気遣いいただき、ほんとに有難うございました。感謝のほかありません。

本来の予約入院は今月28日。今度は本当に暫く留守することになるでしょう。

何だか【毎度お騒がせのととろサン】でお恥ずかしいです。

車のメンテナンスみたいなことなので、ご案じ下さいませんように。

またのこのこ、ネットに舞い戻りました節は宜しくお付き合いの程をお願い致します。

今日26日は、四代目猿之助襲名披露公演千穐楽へ。満員御礼の出る日も多く、博多座は賑わいを見せています。浮世の憂さを忘れて、楽しく過ごしたいなと思っております。昨日夜の部カーテンコールの様子が博多座HPに動画でUPされています。

 明日27日は地域の行事【花想会(話そう会)】ゲストは【菩提樹コンサート】でUPした友人のJさんをリーダーとする【リコーダー・アンサンブル】です。太宰府小学校のPTAのお母さん達の中から生まれ、メンバーは変わったりしていますが、今年で結成30年。継続は力なり・・・素晴らしいアンサンブルを聞かせてくれます。

リコーダーというと、幼稚園や小学校での教材楽器という感じが強いのですが、実はクラシックの素晴らしい楽器でいろんな種類があります。Jさんの明るい笑顔と司会、柔らかい音色の演奏聴きながら、地域の皆さんと楽しい時間を過ごします。

宝満山が国の史跡指定へ。

富士山が世界文化遺産に認定されて、話題となりましたが、太宰府では宝満山が国の指定になりました。富士山に比べればささやかですが、歴史を伝承し保護していく地道な活動や研究が大きく実を結んだと言えます。嬉しいことでした。娘達が幼い頃から家族で良く登った近くの山です。

宝満山は古代から人々の信仰を集めた霊峰です。高さは862M。登山口には由緒ある【竈神社(かまど)1350年前に作られました)】があり、日々登山客の絶えることのない山です。表からの登りは、山伏修行などの名残り、かなり激しい石段が続きますが、裏から登ると樹林の山道です。

友人でもある太宰府発見塾長の森弘子さんは、40年以上にわたって宝満山の研究を続けて【宝満山歴史散歩】などの著書もあり、彼女たちの努力が今回実を結んだといえましょう。「山に対する歴史的な信仰文化が、史跡として認められた」と喜びの声が新聞に掲載されていました。太宰府には【四王寺山】というやはり歴史ある山があり、その麓には大宰府政庁史跡が広がります。目をつぶると壮大な朱塗りの政庁が浮かんできます。日本の西の守りとしての歴史・文化がさまざまな形で残っています。

太宰府を終の棲家と決めた私にも、嬉しいニュースでした。(我が家の前の道路から宝満山を臨む)

  

 

 

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ブログへ来て下さる皆さんへ。

2013-06-17 06:50:51 | 日々の中で

太宰府では毎日蒸し暑い日が続いています。皆様のところではいかがでしょうか。

ご隠居さんが自分のブログでばらしちゃいましたので(笑)お問い合わせなどをいただいております。本日から少しの間【別荘(病院)】暮らしになるかも。癌の再発などでは決してありませんから他事ながらご休心下さいませ。戻りましたら、またお付き合いの程よろしくお願い致します。

仲間の皆さん、梅雨時の不安定な気候、どうぞご自愛下さいませ。ととろ

        

どくだみの花                        ヒラタアブ

 画像はご隠居さん。

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ほんの2,3分だけど・・・TV出演の反響は?

2013-06-14 06:06:07 | 日々の中で

横浜に滞在中、NHKから突然の電話。『博多における歌舞伎の歴史や大博劇場について、話が聞きたい』とのこと。5月末まで滞在予定だったし、歌舞伎は好きだけど専門家ではないので、知人の演劇史などが専門分野のI教授を紹介。それで終わった…と思っていたら、数日後再度の℡。(画像はMY歌舞伎部屋より)

  

『いつ横浜からお戻りになりますか?やはり大博劇場のことは直接お聞きしたいので』

実は横浜滞在中、体調に気がかりなことがあって、娘夫婦も心配して即翌日の飛行機で帰宅していたのである。(当日空席があればシニア料金、羽田→福岡間は1万円也。を利用した)

折角婿が往復飛行機代をマイル使用で用意していたのに、直前キャンセルで帰路の分が無駄になったことは申し訳ないことだった。

プロデューサーが家まで来てあれこれの話の結果、出演引き受けることに。2日間の収録だったが、今博多座で上演中の【四代目猿之助襲名披露公演に合わせての放映という感じで、役者さんたちの船乗り込みにはじまり、舞台の様子などの後に【博多歌舞伎今昔】として映し出されていた。

大博劇場の後はマンションになり、その脇の電柱に「ここは・・・」と劇場のことが書いてある。博多歴史ツアーの中にも盛り込まれているのかもしれない。その劇場跡を私が案内して、すぐ近くに6代か7代住んでいる(つまり戦災を免れたということ)母の実家へ。今は従弟夫婦が跡を継いでいる。疎開などでの間に随分なくなってしまったが、それでも役者たちの色紙を貼って作った屏風や、通称【葛の葉】というお芝居で、舞台上で役者さんが口に筆をくわえたり、左手で鏡文字で書いた和歌【恋ひしくば、たづね来てみよ・・・・】大きな三つ折りの屏風も残っている。そういうアレコレの品を写したり。従弟や私に劇場のことなどをインタビュー。2日目は私が実際に博多座で観劇している様子を写す…そういうコンセプトで。短時間だがさすがに上手に編集されていた。

 TVは実物より大きく映る、とてもじゃないが恥ずかしいし、インタビューはする側に回ると面白いがされる側というのは・・・ど素人ゆえ、やっぱりあがってしまったし。殆ど誰にも知らせてもいなかったが、TVの反応って案外あるものだ。夕方の主婦や勤めの方にとっては、忙しい時間帯でもあるのに、想いもかけない人達からの℡などが相次いだ。

 大正9年に母の実家方の祖父を代表者としてその縁者、それに松竹から二人参加という形で、博多の町に【大博劇場が誕生した。今の博多座規模の大劇場であった。あの大道具の並んだ埃っぽい匂のする舞台裏は、私の幼いころの原風景かもしれない。”おっしょい”の掛け声で、駆け抜けて行く”やま”を担ぐ男たちの肌から、”勢い水”が湯気となって立ち上る様子も。劇場の小窓から真下に眺めたものだった。祖母たちと桟敷席で観た芝居の数々、意味は解らなくても、調子の良いセリフはいつの間にか覚えたし、色彩鮮やかな舞台、悲しみや喜びは伝わってきた。子供の頃は流れ込むようにいろんなものが入ってくる。それはたとえ朧であっても、今も記憶にある。劇場の中はまるで夢の詰まった場所で、秘密っぽいワクワクするものがあったし、お茶子さん達は優しいお姉さんだった。私にとっては良き時代だったといえよう。自分の家と母の実家と行ったり来たり。近くの聖福寺などは格好の遊び場だった。懐かしい想い出が蘇る。

    

昭和30年代の川端と天神(Tさん撮影)ともうすぐ7月”山笠だぁ!”(以前の画像から)

もうこの頃は大博劇場は閉鎖。今の博多座は上の写真の川端にできた。

もともと曽 祖父が仕事の関係などで大阪への行き来から、歌舞伎に親しみ『鴈治郎(初代)の舞台を博多にも』と偶々持っていた土地などをつぎ込んだりして、素人ながら芝居興行に足を踏み入れたのが始まりである。以来関西は勿論東京からの大物役者さんたちの芝居や、新派、新国劇、曾我廼家五郎・十郎の喜劇、手妻などなどいろんなものが劇場の板(舞台)に乗った。

面白いところでは、あのアインシュタインの講演会も(劇場鈴なりの写真が残っている)。当時の世界的バレリーナ【アンナ・パブロワ】のバレー公演も。要するに娯楽が今のように多種多様でない時代なので、劇場は一種のテーマパークのような市民の楽しみの場であった。

戦前は升席にお茶子さん(女性従業員。もちろん和服姿)がお弁当やお菓子を運んできて、お世話をしてくれる、一家揃っての【芝居見物】は博多っ子にとってまさに【ハレの日】だったろう。お見合いなどにも利用されていたようだ。

ほんの僅かな時間ではあったが、初孫の私を可愛がってくれた祖父やその仕事を手伝って、企画や劇評などを書いていた実家の母、のちに実質的な経営者になった叔母へのオマージュとなったようで、そのことは大変嬉しかった。(私をNHKに紹介下さったA様、びっくりしましたが、良い記念となりました。有難うございました)

400年余続いてきた歌舞伎という古典芸能、その伝統を守り育てるのは演じる役者だけでなく、興行を計画する側にも、観客側にもその責任はあると思う。私が個人で【たまには歌舞伎を観よう会】というささやかな会を続けているのは、その気持ちの表れに他ならない。若い人たちにも理解され、受け入れられてこそ、次の世代へと継承されるのだから。歌舞伎を観るその裾野が広がる手伝いが出来れば本望である。

収録の日、芝居がはねた(終ること)後、近くの席で観ていた学生さんたちと、偶然お喋りが出来た。面白さと感動を覚えた人たちもいた。質問に答えたりして「学校に話に来て下さい」なんて言われて、そんなおこがましいことは出来る筈もないのだが、内心嬉しかった。

母が嫁いでそのあと劇場を祖父と一緒にやっていた叔母が、後に教師となったころに、書き残した原稿が入念に調べた資料とともに残されていて、それがK教授の目に留まり、歌舞伎は専門のI教授らの手により、本として刊行される予定である。従弟が中心、私はほんの少しではあるが、作り上げる過程での手伝いをした。原稿をPCでおこすことも、内容検討、読み合わせ、いろんなことがたまらなく楽しい時間となった。

題名は叔母の原稿のままの【芝居小屋から】

【西日本文化】という雑誌にK教授の出版を前に・・・という記事が掲載された。博多における近代演劇史の一端を担った劇場のありさまや、上演された演劇の詳細な内容が、叔母の手により原稿となり、二人の教授の手で陽の目をみる。博多演劇近代史はなかなか克明なものがなく、それに寄与できたことは亡き叔母にとっても嬉しいことだろう。仏前に供える日が待ち遠しい。

<ショート・博多での芝居・劇場の一口歴史>

博多と歌舞伎の歴史は黒田のお殿様時代に始まる。役者を招いて城内で上演。その後も筥崎宮の放生会にも。その頃は専用の芝居小屋ではなく、興行の都度尽きられる”掛け小屋”スタイルであった。以来時を経て明治時代の博多教楽社・永楽社・・・から明治座、寿座、大正に入って九州劇場が開場。祖父の関係した大博劇場はその後に建ち、昭和30年代には映画全盛の時代となり姿を消した。以来博多には花道のある大劇場のない年月が半世紀続き、平成11年今の博多座誕生となったのである。

TV放映後、面白かったのは、珍しい人たちからの反響もそうだが、

ある同窓生からの℡。随分随分以前に会った人である。偶然TVに登場した私の姿に『あ、この人おじいちゃんの同窓生だ』と傍にいた小学生のお孫さんが【えっ、ほんと?この人とお話ししたい】と。

電話の向こうで可愛い声で『教えていただけますか』きちんとした敬語で。歌舞伎のことは漫画『ぴんとこな』で興味を持ったらしい。何がきっかけであっても興味を持つということは素敵なことだ。いろんな疑問に思うことを尋ねる。

『おじいちゃんにねだって、歌舞伎見に行きます。前から二番目の席です』『今度おじいちゃんと遊びにいらっしゃい、歌舞伎の本もいろいろあるし…』何だか楽しくなった。

また、『祖母がその劇場で働いていて、小さいころから観に行っていました』という話も。

一生に一度のちゃんとした(短時間でも)TV出演?だろう。私が出来れば歌舞伎などの勉強をちゃんと学んでそういう世界での雑誌編集者などのような仕事をしたかったことを、知っている長女は(彼女もインターネットさきがけの頃、まだHPなどが珍しい時に歌舞伎の部屋を持っていて、日経新聞に掲載されたことがある。今から20数年前のことだ。今度の出来事を『お母さん、良かったね』と喜んでくれるに違いない。

富十郎・芝翫・勘三郎・團十郎さんと相次いだ訃報に、へこんでしまって、歌舞伎のブログもお休み状態だが、次代を担う30代、40代の役者たち、勘九郎・七之助・染五郎・海老蔵・菊之助・愛之助はじめ若手が中堅となり、頑張っている。これからの舞台と精進を見守って行きたいと思う。

         

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雨の中の菩提樹コンサート

2013-06-12 08:01:55 | 日々の中で

今年も”だざいふリコーダーアンサンブル”による【戒壇院・菩提樹コンサート】が行われた。

釈迦がこの樹木の下で悟りを開いたという菩提樹は、鑑真上人により渡来したと言われる。淡黄色の小さな花が6月~7月にかけて開く。シューベルトの歌曲 ♪泉にそいて茂る菩提樹~~♪とは別種とのことである。

        

(こんな大きなリコーダーもあるんですね)

あいにくの雨だったが、雨にも負けず・・・・楽しいコンサートだった。本堂も満員、九大コールアカデミー(男性コーラス)有志も参加。力強い歌声を聴かせてくれた。

だざいふリコーダーアンサンブルは、長女がまだ小学生だった頃のPTA仲間のJさんをリーダーに音楽好きなお母さん達で結成発足。今年で30周年を迎えた。リコーダー奏者深井哲男に師事。CDも出している。学校・各地の公共施設・サロンなどでの演奏活動も盛んだ。30年と一口にいうけど・・・Jさん達、頑張りましたねえ。

そういえば、その頃まだ30代、40代、だった私達は子供の本を読む会・大人の本を読む会をやっていた。数年後に太宰府市文庫連絡協議会(通称文庫連)発足。今年はやはり30周年を迎える。

記念誌が出来ることになり、私達OBも当時の子供文庫や図書館建設に繋がる足跡を掲載することになり、昨日中心となってくれたNさんをはじめ数人が集まった。私は転勤や病気で、離れていた期間もあるが、今も読書会メンバーとして長い付き合いの仲間たち。お昼をともにしながら、懐かしい時代を改めて想いだし、話は尽きることがなかった。『あの頃は燃えてたね、熱かったね』と自画自賛も、許してもらえるだろう。

今子供文庫などは若いお母さん達が継いで頑張ってくれているが、時代の推移とともに、子供たちの関心も多種多様になり、本離れの傾向もあり、少子化でもあり、文庫を続けることは努力のいることだろうが、灯は絶やさないで欲しいと願う。  

「身近にあるのに楽器としてはマイナーなリコーダーの楽しさを伝えたい。あたたかい木のぬくもりの音色で不安な世の中に少しでも癒しの風を送ることが出来れば・・・との思いを込めて演奏を続けている」

そんな想いが菩提樹のかぐわしい香りとともに、自然と心の中に入ってくるようだった。

27日には、わが地区の【花想会】(ご年配の方を招待して一日楽しく凄す会・・・話そう会)にゲストとして出演を頼んでいる。観世音寺の菖蒲が雨の中、綺麗だった。

     

 

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