ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。旅やアメリカでの話、趣味のことなどなど・・・自分の覚書を兼ねて。

”猫の手より ととろの手?”(横浜便り)

2012-02-29 09:41:13 | 横浜滞在あれこれ

 
急に長女”さつき”夫婦が所用で海外(バンクーバー)に行くことになった(観光ではなく)ので「留守居役」をと頼まれた。孫二人と横浜での暮しである。

 2月16日一足先に横浜へ。曇り空で生憎富士山は見ることが出来なかった。

 ご隠居は三月に入って上京、浅草での【平成中村座・勘九郎襲名披露公演】を観て一緒に帰る予定。定年後家の雑事にも慣れて、料理などもOKのご隠居に安心して太宰府の留守をお願いした(少しは食べるもの作りおきしたが、会社時代とは違って、衣食住自立しているシニアさんである)

横浜は驚くほどに暖かく、ベランダに面したダイニングやキッチン・和室のガラス窓越しに明るい陽光が入って、昼間は暖房いらず。寒い太宰府とは大違いなのは、横浜は太平洋側だだからだろう。

 ベランダから遠く真っ白に雪を冠った富士山が見える。富士山大好きな私はご機嫌!朝富士の姿を眺めると「今日も一日良い日になりそう」と思える。

 孫二人は、希望の私立中学(中高一貫校)に合格した”ゆうちゃん”と姉の、4月より同じ学校の高校一年生に進級する”ちいちゃん”。

  五時起床、六時に登校。小学生の頃までほんとに朝に弱く、お寝坊さんだったちいちゃんが朝まだき暗いうちに自分で目覚ましとともに、眠い目をこすりながら起きるのだから、随分しっかりなったなあ・・・と嬉しくなる。

 両親が留守ということもあって、多少緊張気味かもしれない。見た目はまだまだお洒落っ気もない、普通の女の子である。と言っても二人とも既に私の背を追い越してしまったが。帰りは部活なので家に着くのは七時半頃、【XX出たよ】【XXで乗り換えたよ】【XX駅(最終駅) 降りたよ】(その駅からマンションまで徒歩7分くらいか)と”帰るメール”が逐一入ってくる。こういう時、携帯があるというのは、安心なものだ。不安材料の多い世の中だから。

  1週間余り、孫達も大流行のインフルエンザに罹ることもなく、元気で親達の帰国を迎えた。ととろサンの留守居役無事終了。久しぶりにお弁当もちょっと作った。学食があるので娘も孫も「無理しないで」と言ってくれたが。やっぱり責任無事果たした安堵感がある。【孫は預かり物だから】と世間で言うが、その通りだなと思う。

土日の休日はちいちゃんはテスト前ではあったが、「どこかに美味しいもの食べに行こうね」と言っていたのに、雨になってしまって取りやめ。休日の朝食にはちいちゃんが【ココット】やパイ皮でおやつのお菓子を作ってくれた。「すぐ出来るよ」と(恥ずかしいから画像は駄目と言ったが、内緒で孫馬鹿なととろサンです)日頃料理好きなママと台所に立ったり、誕生日やクリスマスケーキを作ったりしているので、二人とも包丁使いの手際もいい。ちゃんと”猫の手”で野菜などを切っている。苦手なのというか、忙しすぎもあってか、二人一緒に二段ベッドのある子供部屋が手狭になったこともあってか、どうも片付け方がなかなか合格点にはならず、ととろババの叱咤する声も飛んだりしたが。

 母親というのは・・・娘宅のアチコチ、日頃忙しくて手が届いていないところを、ちょこちょこ掃除したりしたくなるもので、帰って来た娘から「そんなことまでしなくていいのに」といいながらも喜んでくれることを期待しながら、ガラス磨いてピカピカになったのに満足したり。いずれにせよ楽しい孫との短くはあるが、滅多にない日々であった。

 <老いては孫に習え>

 娘宅は丁度電気製品が一気に壊れる時期になっていたらしく、食洗器も洗濯機(ドラム式)も新しくなり、電子レンジもヘルシオとかいった我が家とは違う使い方。出かける前に娘が教えてくれたが、いざとなると?? そういう困った時の【孫頼み】である。「こうするの」と簡単に教えてくれる。

 食材も「あら、あれは?」と先に下校している妹に聞くと「ああ、ここよ」と出してくれる。”台所精通のゆうちゃん”である。【包丁はこっちの方が切れるよ】とか。高いところのものを下ろす時は姉。まっこと、老いては孫に習え?かな。逆におばあちゃんの智恵で、あれこれ【こうした方がいいよ】とこの際伝えることもあったし。遠く離れてくらしていると、時にはこんな時間もいいなあと思ったことである。

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今年初めての温泉

2012-02-05 21:18:13 | 旅&温泉紀行

2月1日・2日と九州地方も雪が舞った。かなり積もったところもある。我が家の庭の積雪は5センチ程だったが、一日中気温はー4度前後で空気は冷たくきりりと凍てつくような天候だった。豪雪で困っている地方を思うと、申し訳ない気持ちだが、一年に一日か二日の雪景色は子供達にとっては雪だるま作り、雪合戦と嬉しい冬らしさの日だったようだ。

庭の”つくばい”、チョロチョロ流れる水が、いつの間にか凍って氷柱になった。

 

平山温泉へ 

私達夫婦はどちらも1月が誕生日。で【温泉にでも行こうか】ということになった。1月も最後の31日一泊で出かけた。

 以前玉三郎公演を山鹿の【八千代座】で見た時に泊まりたかったのだが、あいにく満杯だった。今回は完全に”温泉のみ ”を楽しむことになった。初めて行く温泉である。我が家を車で出て1時間半。横に田んぼやビニールハウスを見ながら、細い山道へ。看板に入浴200円などという簡易温泉などから、宿泊できる宿合わせて10数軒、山鹿より車で30分くらいだろうか。

 平山温泉の歴史は古い。開湯は1300年前とか。湯質は【アルカリ性単純硫黄泉】PHは9,7 随分と柔らかな湯質である。武将加藤清正が汗疹の治療に、この温泉に通ったとも言われている。

【山鹿の奥座敷】ともいわれるひっそりとした小さな温泉郷である。確かに自然の中の温泉以外なんにもない。それが魅力といえるのだろう。 それに最大の魅力は湯質の良さ!透明でトロリとして肌にまとわり付くような、なんともいえない優しさがある。「わあ、肌がツルツルになった!」と感じるくらいに気持ちがいい。1週間くらい続けて逗留したいなと思ってしまった。1日では・・・美肌は無理だろうから(笑)

 鄙びた造りの門をくぐり小経を行くと、何軒か離れ屋がある。(画像のご隠居サンが肩にしたザックの中身は・・・ご隠居さんのMY枕。温泉宿やホテルのふわふわ枕だと眠れないようで、いつもMY枕同伴) 

 年金生活者の温泉行きなので、価格は一泊できれば一万円以内で今回は11,000。それでも離れ屋には露天風呂が付いていて、3,4人は優に入れる広さ。お湯は源泉掛け流しで少し熱めだが、外気が冷たいのでいつまでも入っていたいと思うほど、心地よかった。大露天風呂(泊り客専用)や日帰り客も入浴できる内湯・露天風呂にも入ったが、今回は部屋の露天がまことに気持ちがよい。晴れていれば星空が美しく目に映ったことだろうが、生憎の曇り空、残念。

内湯や大露天湯に行くための【編み籠】も滑り止めのついた足袋も用意してあった。ちょっといい感じ!お部屋がもう少しお洒落だとなおいいけど・・・宿泊二食付11000円だもんネ。和会席料理は料理長さんのセンスで、上品な感じで量も程よくそれでも食べ終わる頃には、「もう満杯!」状態だ。(料理を少しだけ。お品書き、忘れてきました)

 

 (ブログ引っ越しの時に画像を置いてきて?しまいました。バックアップとってなくて・・・宿【湯の蔵】と部屋の内風呂(気持ちが良かった!いつでもすぐ入れるって最高だなと)ネットからお借りしました。

 部屋で寛ぐと、物音一つ聞こえぬ静寂の夜が更けていく。TV見たり本を読んだり、合間にあれこれ喋ったりという、家の居間で過ごす時間と変わらぬのだが、ゆったりとした今風にいえば「ゆるキャラ」になったような心地よさがある。カラオケややたらに賑やか過ぎるのは、余り好きではない私達には、こんな時間が相応しいように思える。

今夜は読みかけの【ビブリア古書堂の事件手帖】三上 延という初めて手にする作者の本だったが、鎌倉にある小さな古本屋で起こる奇妙な古書を巡る事件。沢山の古本が積み上げられ、埃の匂いがするような古本屋を思い出しながら、ちょっと郷愁に駆られながら読んだ。しんしんと静かで、ほんわりと湯の香りが漂う宿でのひととき、いろんな憂さも、束の間忘れて過ごした夜だった。

 この辺りには新築でも【三階建ての和風な昔ながらの家】があちこちで見受けらて珍しかった。こういう風習というか建てかたが残っているんだあ。

私達がチェックアウトした10時には、もう日帰り温泉へ来た人たちの車が何台もあった。

 平山温泉のフアンは多いですよとは内湯で一緒になった方の話。この湯質と静けさ、昔ながらの自然の中にひっそりと佇む温泉郷は、心身ともにほっと寛ぎ、静けさと温泉を存分に楽しめるところだった(今回の宿泊は お宿 湯の蔵)シニアの私達の楽しみは観劇やコンサートに加えて、温泉をほっこりと楽しむこと。今年は沢山の温泉を訪れてみたいなぁ。

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