急に長女”さつき”夫婦が所用で海外(バンクーバー)に行くことになった(観光ではなく)ので「留守居役」をと頼まれた。孫二人と横浜での暮しである。
2月16日一足先に横浜へ。曇り空で生憎富士山は見ることが出来なかった。
ご隠居は三月に入って上京、浅草での【平成中村座・勘九郎襲名披露公演】を観て一緒に帰る予定。定年後家の雑事にも慣れて、料理などもOKのご隠居に安心して太宰府の留守をお願いした(少しは食べるもの作りおきしたが、会社時代とは違って、衣食住自立しているシニアさんである)
横浜は驚くほどに暖かく、ベランダに面したダイニングやキッチン・和室のガラス窓越しに明るい陽光が入って、昼間は暖房いらず。寒い太宰府とは大違いなのは、横浜は太平洋側だだからだろう。
ベランダから遠く真っ白に雪を冠った富士山が見える。富士山大好きな私はご機嫌!朝富士の姿を眺めると「今日も一日良い日になりそう」と思える。
孫二人は、希望の私立中学(中高一貫校)に合格した”ゆうちゃん”と姉の、4月より同じ学校の高校一年生に進級する”ちいちゃん”。
五時起床、六時に登校。小学生の頃までほんとに朝に弱く、お寝坊さんだったちいちゃんが朝まだき暗いうちに自分で目覚ましとともに、眠い目をこすりながら起きるのだから、随分しっかりなったなあ・・・と嬉しくなる。
両親が留守ということもあって、多少緊張気味かもしれない。見た目はまだまだお洒落っ気もない、普通の女の子である。と言っても二人とも既に私の背を追い越してしまったが。帰りは部活なので家に着くのは七時半頃、【XX出たよ】【XXで乗り換えたよ】【XX駅(最終駅) 降りたよ】(その駅からマンションまで徒歩7分くらいか)と”帰るメール”が逐一入ってくる。こういう時、携帯があるというのは、安心なものだ。不安材料の多い世の中だから。
1週間余り、孫達も大流行のインフルエンザに罹ることもなく、元気で親達の帰国を迎えた。ととろサンの留守居役無事終了。久しぶりにお弁当もちょっと作った。学食があるので娘も孫も「無理しないで」と言ってくれたが。やっぱり責任無事果たした安堵感がある。【孫は預かり物だから】と世間で言うが、その通りだなと思う。
土日の休日はちいちゃんはテスト前ではあったが、「どこかに美味しいもの食べに行こうね」と言っていたのに、雨になってしまって取りやめ。休日の朝食にはちいちゃんが【ココット】やパイ皮でおやつのお菓子を作ってくれた。「すぐ出来るよ」と(恥ずかしいから画像は駄目と言ったが、内緒で孫馬鹿なととろサンです)日頃料理好きなママと台所に立ったり、誕生日やクリスマスケーキを作ったりしているので、二人とも包丁使いの手際もいい。ちゃんと”猫の手”で野菜などを切っている。苦手なのというか、忙しすぎもあってか、二人一緒に二段ベッドのある子供部屋が手狭になったこともあってか、どうも片付け方がなかなか合格点にはならず、ととろババの叱咤する声も飛んだりしたが。
母親というのは・・・娘宅のアチコチ、日頃忙しくて手が届いていないところを、ちょこちょこ掃除したりしたくなるもので、帰って来た娘から「そんなことまでしなくていいのに」といいながらも喜んでくれることを期待しながら、ガラス磨いてピカピカになったのに満足したり。いずれにせよ楽しい孫との短くはあるが、滅多にない日々であった。
<老いては孫に習え>
娘宅は丁度電気製品が一気に壊れる時期になっていたらしく、食洗器も洗濯機(ドラム式)も新しくなり、電子レンジもヘルシオとかいった我が家とは違う使い方。出かける前に娘が教えてくれたが、いざとなると?? そういう困った時の【孫頼み】である。「こうするの」と簡単に教えてくれる。
食材も「あら、あれは?」と先に下校している妹に聞くと「ああ、ここよ」と出してくれる。”台所精通のゆうちゃん”である。【包丁はこっちの方が切れるよ】とか。高いところのものを下ろす時は姉。まっこと、老いては孫に習え?かな。逆におばあちゃんの智恵で、あれこれ【こうした方がいいよ】とこの際伝えることもあったし。遠く離れてくらしていると、時にはこんな時間もいいなあと思ったことである。