2月半ばのある日。
新聞を読んでいたご隠居が『これ、いいね。C型ウイルス退散と50周年祝いを兼ねて申し込もうか』
昨秋から今年2月迄、C型ウイルス退治のために、ハーボニー錠を毎日薬飲み続け、外出など控えて、紅葉にも温泉にも縁のない日々が続いていましたから。
【飛鳥Ⅱで航く春の博多・横浜】4月の企画。「四月だったら観たい歌舞伎もあるし」と遊ぶことに否やはない私。2月20日ホテル・オークラでの説明会に参加。その場で申し込みました。
歌舞伎【明治座花形公演(菊之助・勘九郎・七之助)】は、久しく菊之助さん、博多に来演していないので、観たくて。NHK講座で親しくなったSさんが音羽屋(菊五郎劇団)さんの後援会に入会していらっしゃるので、とても良い席をゲットしていただきました。
荷物は小さ目のキャリーバックそれぞれ一つずつ。身軽に行きましょう!長い船旅ではないので。
4月18日 博多港乗船。19日終日クルージング。
20日朝 9時横浜下船、フリータイム。ホテルニューグランド泊。
21日羽田空港から帰宅。
クルーズと言って【超】の字が付く、船泊2日間だけの船旅ですが、穏やかで明るい春の海を、船内も料理も評判の良い飛鳥Ⅱでゆったり過ごすのは最高だなと期待感も高まりました。
・・・がその後、チョットした事件(前に書いた足くるぶしの捻挫+ヒビ)で、孫のブラスバンド演奏会に上京の予定も直前キャンセル。
医者から「クルーズに行ってもいいが、サポーターをして足に負担のかからぬ靴で」と。わあ、それじゃあ、お洒落出来ないじゃない…折角のクルーズなのに。(でも、短いクルーズなので、フォーマルの日はなく、【イン・フォーマル】だった)
更に4月14日、突然の震度7の地震が熊本を襲い、余震で納まると思っていたのに翌15日夜半に又大きな揺れが(こちらが本震だった由)。その災害の混乱状態の中、遊びに出かけるのはチョットと躊躇う気持ちも大きかったのですが、経費やチケット代もすでに納金済み。心を被災者の人達に残しながらも、太宰府市役所で義捐金をして、出かけることにしました。
ネット仲間のなえもんさんは、何度も飛鳥Ⅱを体験した方で、色々情報を下さいました。それを参考にまず乗船したら、部屋に行かず11階の【パームコート】でウエルカム・ドリンク。ワインを片手にのんびり。鵜来島(うぐしま)を傍に見て、シーホークホテルなどもだんだん小さくなって、さあ、博多湾を抜けて春のうららな空の下、波もなく穏やかにキラキラ光る海を眺めながら。余り足に負担を掛けられないので、出来るだけゆっくり過ごすつもりです。
さあ、出発です。
(シーホークホテルや福岡ドーム・福岡タワーが遠ざかります)
春の海は穏やか。
乗客の人達は、シニア夫婦、親孝行でしょう、車椅子にはお母さん、押しているのは娘さんでしょうか。若い女性達のグループ、やはり多いのは私達世代かそれ以上の方達。とにかくみんな日本人というのが、何だか変な感じでした。前に経験した【カリブ海クルーズ】【アラスカクルーズ(2006年)】が殆どヨーロッパやアメリカの人達ばかりで、日本人はほんの僅か。カリブ海クルーズの時は、もう20年以上前で、日本人の姿はなかったように思います。
けれど、日本人ばかりだから、安心できるとおっしゃっていた方もありました。
乗務員さん、レストランのボーイさん達は、フイリッピンの人が多く、ウエイトレスは白人の女性達も。皆日本語での丁寧な応対。たどたどしいところはあっても、きちんとした日本語です。感心しました。
夕食の時間まで身軽な格好で、船内一通り見学。エレベーターで11階まで上がるとデッキ。プール・アルコール以外は飲み物・ミニケーキ無料の【ビスタラウンジ】【パームコート】レストラン・寿司などが。12Fには大浴場やスパ・美容室・フイットネス・バトルテニスコートなども。
(二日目はちょっと波が出て、プールの水もこんなにローリングしていました)
10階から7階までが客室。6階にはお店・ラウンジ・図書室・映画館・大ホール(アトラクションやショーなど)・カジノ・将棋や囲碁室など楽しめるようになっています。ダンス教室など習い事?も。乗客が終日楽しめるようにと、まあ、あれこれ企画が並んでいて、のんびり・ゆったりクルーズが好きな私達は、だいぶ割愛しました。
それでも、私が「あ、もう一つお土産を」とついお店に入り浸ったりするので、今度もご隠居さんから「お土産買いに来たんじゃないぞ」、でも私にとって、差し上げる人の顔を思い浮かべながらの買い物は、旅の楽しみなんです(笑)
(お定まりのらせん階段での記念写真、御隠居サンいささか酔っています)(図書室)
毎日部屋に届けられる船内新聞の中から、観たいもの、したいことなどをチェックして。なえもんさんが「部屋にいる時間は少ないから、デッキ付きでなくてもいいわよ」と仰っていた通り、部屋で過ごすのは入浴と就寝。お風呂の湯量もたっぷりでした。
昼は水平線の彼方、広がる優しい光の海を眺め、空を染める壮大な夕焼けが夜の帳へと変わって行くさまを楽しみ、夜はきらめくライトの中でのピアノやジャズの生演奏を、カクテル片手に楽しみました。至福の時が流れます。ワインやカクテル片手にというと、呑み助みたいですが、一杯でご隠居さん真っ赤な顔に変貌。2人とも雰囲気を楽しむというだけです。
(夕焼けが海を染めて)
夕食時間は2回に分かれていて、私達は後半の19:45からなので、ちょっと小腹がすくと、お寿司をつまんだり(ここは有料)、リドカフェでコーヒーやデザートを。
ショーは大ホールの舞台で、飛鳥専属の歌手やダンサー達によるクルーズエンターテーメント。一日目はミュージカル映画などをテーマのショー。二日目はマジシャンを中心の舞台。洒落た趣向で音楽・色彩・光のきらめきの中で外人タレントによるショーを楽しみました。
夜のピアノバーでは、曲をリクエストOK。ふと思い出したのが最初の【カリブ海クルーズ】のこと。アメリカに住む娘がマイアミから出るクルーズに招待してくれました。私達の最初のクルーズです。もう20年以上前の事ですが。
その時、同じようにピアノバーで「ジョージア・オン・マイマインド(わが心のジョージア)」を娘がリクエスト(その頃アトランタで勤めておりました)。その後さりげなくピアニストにカクテル進呈したことがあります。
我が娘ながら【粋なことするなあ】と感心したことを思いだし、御隠居から同じ曲をリクエストしてもらい、バーテンダーさんに彼女(ピアニスト)の好みを聞いて貰ったら【赤ワインを】とのこと。リクエスト曲を聞いた後、プレゼント。ちょっと真似してしまいました。
他に同じ会場での【大ビンゴ大会】なども、ビンゴ!の商品は飛鳥Ⅱにちなんだ品色々。私達は・・・聞かないで下さいませ。あはは、宝くじ同様籤運には縁のない夫婦です。
部屋は9階のバルコニー付きの部屋。それほど広くはありませんが、シャワーのお湯も豊富で清潔な部屋でした。バルコニーに立つと潮の匂いと何処までも広がる海、四国足摺岬の灯台も遠くに見えました。二日目はかなり風が出て、海面には兎が飛んでいました。
夕食の時にお話ししたご年配のご夫婦は、北九州からとのことで、軽い船の揺れに地震を想いだして眠れなかったとか。
今度のツアーは旅行何社かが、飛鳥Ⅱクルーズを入れて、それぞれに企画しているらしく、横浜下船後、横浜一日観光や他の観光地へというようなプランもあったようです。私達は横浜フリータイムなので好きなように動けて良かったなと。横浜には娘一家がいるので、今更観光ツアーというのは・・・。
何しろ船中二泊の短い船旅ですから、あっと言う間に横浜桟橋へ。
横浜ベイブリッジの下をくぐりました。
今回は食事など食べ物の写真がありません。意識してとらなかったわけではないけど。
飛鳥Ⅱのツアーについては、四国在住のなえもんさんが何度も乗船体験があって、写真もとても上手な方で、克明な素敵な画像をブログに掲載しておいでです。船内の様子やお料理など色々、詳細に解ります。是非ご覧ください。
19日 9時下船。桟橋には従弟が迎えに来てくれていました。従弟は青学の理学部卒、IT関係の会社に就職したのですが、高校の時にバンドを組んでいて、音楽の道断ちがたく、歌とドラムで著名な【つのだ・ひろ】さんのところでドラム叩いています。もう何回か飛鳥Ⅱにはアトラクションで乗船。海外のクルーズの時も乗っているようです。丁度スケジュールが空いていたので車で。私の足が今一つ、不安な状態なので、ほんとに助かりました。ランチしながら喋ったりして、新橋の明治座迄送ってくれました。有難う!
19日は【夜の部」を。翌20日には、娘夫婦がホテル(山下公園前のニューグランドホテル)迄来てくれて、一緒に朝食。婿は仕事。娘は休みとってくれて久しぶりに歌舞伎【昼の部】一緒に観劇。嬉しかったぁ。羽田迄送ってくれました。午後6時の飛行機で帰宅。
ととろサンのC型ウイルス撲滅祝いと、結婚50周年記念セレモニー、これにて幕と致しましょう。
<ととろサンのドジ>
船の中ではドジもなく、迷い子にもならずに済みましたので、今回は大丈夫!と思っていたら、横浜泊の夜、明治座から戻ってホテルで、服をハンガーに掛けようとしたら・・・
「あ、上着がない!」
アンサンブルの上に、コートを羽織っていたのですが、アンサンブルの上着がなく、コートだけしか着ていません。
「何処で?」よくよく考えたら、迎えに来た従弟とまず【ティタイム】した時に、店内が暖かだったので、上着を脱いでブラウスだけに。その時椅子の背に掛けたままだったようです。慌てて従弟に℡。家に帰って来てるから(従弟の家も横浜)取りに行ってくるよ」
お店は締りかけていたそうですが・・・ホテルに届けてくれました。「ごめん!」「まあ、よくあること」と笑っていました。Kちゃん、N姉ちゃんドジでごめんなさいね。
翌日娘に「お母さん、認知症になったのかしらん、情けない」言ったら、娘笑って「昔からよく旅先で忘れ物したじゃない。阿蘇の大観峰のお店に携帯忘れたのは、どなたでしたっけ。雲仙にカメラ忘れたのは?」と次々に。いやですねえ。
私が忘れていることを、よくまあ、覚えていること(笑)忘れ物事件、もっとあります!
『認知症じゃなくて、もともと忘れっぽいのよ』と。これは慰めですね。それにしても私の旅にはやっぱりドジがつきものです。
・もう一つのクルーズ
2005年の【アラスカクルーズ】(ダイヤモンド・プリンセス号)、カリブ海クルーズですっかりクルーズに魅了されたのと、アラスカは星野道夫さんの写真やエッセイで、一度行きたかった!それに費用が安かった!もう一つ大事なことは丁度積立保険が満期になって…。サラリーマンの私達には贅沢かも知れないけど、思い切って出掛けました。
クルーズの魅力は、船の個室が旅の間は自分の部屋。そこからオプションで興味のあるところを選んで、又船へ帰ってという、住居自体が動いて運んでくれ、船の中でも色々な楽しみがあるというのが魅力ではないでしょうか。
アラスカ・クルーズで。フォーマル。ご隠居も
ドレスシャツなどで決めておりますが、ロングドレス、その時だけで・・・ドレッサーに眠っております(苦笑)
飛鳥Ⅱは日本船籍のクルーズ船。日本人向きの料理など、趣向を凝らして。でも、長いクルーズはお値段も高いですね。それでも毎回楽しむ人達もいるというから、日本にもオカネモチがいるんだなあ。今回はチョット飛鳥Ⅱ気分を味わうツアー旅。参加しやすいプランだったようです。
クルーズの魅力は【脱日常】【非日常性】いろんな国の人達が周りにいる【異邦人感覚】グローバルとまでは云いませんが。船旅の間中個室を我が住居として。そこから出かけ、又船に戻る。荷物も着替えなども移動させる必要なし。 そんなところかなと私は思いますが、飛鳥Ⅱのように、日本人だけ、あるいは日本人が殆ど…ということで安心できるからいいとおっしゃる人もいます。
旅に対する考え方もヒトそれぞれですね。
(TVでは熊本から大分方面まで広がった地震の報道が!目が離せず、何だか飛鳥Ⅱ旅もアップする気持ちにならず、今日までグダグダしておりました。私には何が出来るか、長い復興の間に、私が出来ることを・・・考えていきます。周辺の湯布院始め温泉や観光地も、キャンセルが続きいているとか。訪れるのも救援、今日も買い物に行くと、熊本や阿蘇産地の食品に手が出ます。それも救援かと)
嬉しいメールが。ネットを通じて親しくなったネット仲間、お会いしたことはなくても、その人柄などに触れて長年のお付き合いがある方達が、少数ですがあります。Hさんが病いに倒れられて、心配な状態で案じていましたが、症状に変化が。明るい明日が見えて来ました。
友人の中にも抗癌剤投与の辛さに耐えている人がいましたが、頑張って投与終了、自宅で暮らせるようになったとのこと、こんな変化が数日留守した間に起こっている、これも嬉しい知らせでした。
喜びや悲しみ、辛さ、様々なことが交錯して現れます、それが人生なのだけど、希望の見える知らせはほんとに嬉しいものです。地震も収束して、少しでも明るい明日がやってきますように。