11月11日(日)今日も爽やかな秋空。観世音寺近くの【観世公民館】で、歴史を遡った700年代、万葉人が食した饗宴の御膳を再現したお食事を、いただく機会に恵まれました(太宰府史跡発掘50周年記念・・・古都太宰府保存協会、常若の会)
・天平2年(730年)年正月13日【大宰の帥】であった万葉歌人としても著名な大伴旅人が、官邸にて【梅花の宴】を催し、この時に詠まれた32首の和歌は、万葉集に収められている。万葉集前20巻役4500首のうち、320首は筑紫で詠まれたもの。彼らのような深い文化的要素を持つ、高級官吏達は、のちに【筑紫歌壇」と呼ばれている。そのような万葉人の宴の食事の再現。
古都大宰府保存協会が、日本風俗史学会九州支部の先生方との共同研究で、延喜式などの資料を読み解き、試行錯誤の末に再現された饗宴の御膳だそうだ。
観世音寺近くの
観世公民館がが会場。
・・・・・お品書き・・・・(木製御菓子敷は障害者支援施設”宰府園”制作)
・赤米のご飯。
・根菜の茹でもの。醤(ひしお)添え。大豆のイロリ(ゆで汁)で大根・蓮根・里芋。牛蒡・ズイキを、茹でたもの。ひしお(醤)をつけていただく(醤は当時の調味料。醤油の元祖)
・蘇(そ) 牛乳を10分の1に煮詰めたもの。
・芋粥 山芋の殺ぎ切りを甘葛(あまづら)で煮たもの。(芥川龍之介の短編「芋粥」は、これのこと。甘葛はブドウ科つる植物のツタの樹液を集めたもの。
・潮汁 アサリ汁。
・干し柿、木連子(イタビ==イヌビワ)・棗(なつめ)
・環餅(マカリ)、結果(カクナワ) 米粉や小麦粉を材料にゴマ油で揚げたもの。
これに鮎寿司(あゆのなれ寿司。一ヶ月ねかせたもの。当日は保健所規則で食膳にはなかった) お箸は梅の枝で作られていた。
千年以上前、まだ砂糖も醤油も塩もなかった時代に、自然のものを使ってこれだけの献立が出来たことが、驚きである。素朴で優しい味、いにしえ人になった気分で、美味しく頂いた。頂きながら・・・その頃の庶民、太宰府に住んでいた一般の人達はどんなものを食したのであろうか・・・とそんなことも考えて感慨深かった。
120食もの準備をすることは大変だっただろう。「ひしお」などは作るのに時間がかかるし、材料を集めるのにも。感動を覚えながら味わった。特に芋粥はとても甘くて、デザートのようだ。勿論さつまいもが当時なかったのは知っていたが、里芋を使っていたのかと思っていたし、蘇はチーズの前身、江戸時代からかと勘違いしていた。
【大宰府発見塾】の塾長森弘子さんなどによって行われていた、古都太宰府の知識を問う「太宰府検定」実行委員会は、県文化財保護課や太宰府天満宮、九州国立博物館などで構成。古都の歴史や文化を発信する人材育成などを目的に毎年、市と検定を共催してきたが、発掘50周年を機に新しい構想(子供達も加えたり)で再スタートする日迄、幕を降ろすこととなった。
今年検定に合格して選ばれた【大宰の帥】の關久江さんも、第一回の帥の藤田百合子さんも、ともに同じ読書サークルの仲間である。ほんとに嬉しいことだ。古都を守る会などでの史跡案内にも、太宰府の歴史にも精通した史跡ボランティアでもあり、万葉時代からの太宰府の歴史に詳しい人が私の周りには多い。(私は知識以前・・・でお恥ずかしい限りである)