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ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。旅やアメリカでの話、趣味のことなどなど・・・自分の覚書を兼ねて。

季節のうつろい・・・そして初版本のこと

2008-04-22 06:29:29 | 日々の中で

    我が家から近所の家越しに小さな神社の杜が見える。40年ほど前に越して来た頃は春には桜が美しく、庭でまだ小さかった娘たちや姑などと【遠見の桜】を、おにぎりなど食べながら楽しんだものだが、年数がたつうちに桜は姿を消し、緑の樹木に覆われうっそうとした雰囲気をかもし出している。

 町内にある石穴神社。

この杜の樹木の生長も、最近とみに早いように思われる。「九州はいずれ亜熱帯化するに違いない」と思われるような温暖化の影響であろうか。山が近づいて来ているような錯角さえ覚える。昨日(4月21日)北海道と沖縄が25度という同じ気温だったとのこと。自然界の変化は著しい。珍しい現象・・では済まされぬ現象が多くなった。人の力の及ばぬところまできているような気がする。未来の地球は??

待ちかねた桜はあっという間散り急ぎ、山藤や筑紫石楠花、こでまり、つつじなど初夏の花が新緑の中に色を添えて、今季節は色鮮やかなコントラストを見せている。

紅葉と新緑・・・どちらも美しいものだが、私は若緑が好きだなと思うようになった。芽吹きから瑞々しい若い緑に色を変えていく。新緑には様々な色合いがあって、それが重なり合い輝くような美しさを見せてくれる。明日という日があり、成長するという夢は現実となることが確実な新緑の季節は、生きる活力を与えてくれているように思える。

俳句などには縁のない私だが、先日夫とドライブの折、ふと”新緑に 様々な色あり 山揺れる” なんて俳句もどきの5・7・7が浮かぶ。数字があってりゃ句というわけじゃないよ・・と俳句をたしなまれる方の失笑を買うに違いないが。風の強い日だったので、ざわざわと様々な色合いの緑の山が揺れているようだった。

季節はいつが始まり?春が最初で冬が終わりなのか?巡り巡る季節を胸いっぱいに感じながら、穏やかな日々を過ごしたいものだと思う友人から”始まり・・・初版”のメールを頂いた。

先日はお世話になりました。有難うございました。お天気にも恵まれ、気の合った友達との楽しい一日でした。(アマドコロ、バイカカラマツは夫サンの画像)『遠藤周作文学館』一昨年行っていましたが、今回、またじっくり見学できました。

つい最近、ひょんなところから【沈黙】の初版本(昭和41年発行 昭和46年31刷)が出てきて、読み返して臨んだので、感慨もひとしおでした。

『遠藤周作文学館』の陳列ケースの中にもあったけど、氏が取材の折に撮影した写真、「私は【沈黙】をこう読んだ」が添えられた付録分は、亀井勝一郎、江藤 淳、会田雄次、川上徹太郎、竹山道雄から所見が寄せられていて、なかなか読み応えがあります・・・(メールより引用)

 文学散歩の企画、みなさんに喜んでいただいて世話役としては嬉しい気持ちだ。昼食も『ウニ膳』『刺身膳』ともに手ごろな値段で、新鮮でほっと安心。女性にとっては食べることはとっても楽しみなものだから(笑)

『初版本』本好きには魅力のある言葉だ。とってわざわざ古本屋などで探すほどの気持ちはないが、こんなメールを頂くと「わあ」なんて思って嬉しくなる。当時の批評家や作家達からの『所見』(感想文)が付録としてついているなんていいなあ。今度貸してくださいね。

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遠藤周作・・・続き

2008-04-21 11:16:55 | 旅&温泉紀行

 待ちかねた桜の春から一気に初夏のような日が続く。つつ じ、筑紫石楠花、山藤、そして若い緑が滴るように萌え出でる。その勢いは年々激しく早くなるようで、やはりこのあたりの自然界にも地球温暖化の影響がここ数年感じられる。(庭の筑紫石楠花とエヒメアヤメ)

【遠藤周作記念館】へのコメントやメール頂いた中に、「長崎生まれだったのかねの一文あり・・・私の書き方が悪かったようです。訂正しておかねば。

そうだよね、普通文学館というのは、故郷に建立されるのが常。北九州に【松本清張】【火野葦平】会館を訪ねたこともあるし、横浜には【大仏次郎】なども。

遠藤周作はれっきとした東京生まれ父は安田銀行勤務。のちに安田工業社長などを勤めた実業家。12歳まで父の仕事の関係で満州在住。引き揚げたのち両親が離婚。周作は神戸の叔母のところに引き取られています。この叔母の影響で自然にクリスチャンへ。のちに宗教への懐疑などから・・・深くキリストやキリスト教を模索することとなります。

なぜ、長崎の外海町に記念館が建ったのか

 

彼の代表作の一つ【沈黙】は隠れキリシタンの受難の歴史にひかれて、このあたりを訪れて生まれたものです。彼自身も長崎や外海の海に囲まれた小さな村を愛したといいます。それゆえの【記念館】建立です。

  【沈黙】の舞台となった【出津(しつ)教会】は今も外海地区の人々の中心として息づいています。(以下ネット出津教会・・より引用)

明治15年(1882)ド・ロ神父により聖堂が建設され、明治24年(1891)祭壇部を増築し、更に明治42年(1909)に玄関部を増築。
 昭和47年(1972)長崎県により、文化財として指定。
 平成9年11月7日、2年の歳月をかけた改築工事は完了し建堂式を迎えた。建て替えるより費用も歳月もかかったそうです。文化財としての雰囲気をただよわせている。
 外海地方は、徳川幕府の禁教令が出された昔からキリシタンが多く、地域内に未だに隠れキリシタンが多数存在する。

過疎の波は出津の村々にも容赦なく襲いかかり、明治23年当時1,760 名を数えた信徒数も逐次減少し、1980年代には850名までになった。歴史ある小教区の危機を感じたが、現在は、小教区全体を含めて800名の信徒数で、当教会の守備範囲に限定すると減少の一途に歯止めが掛かったようである。(ネットより)

*お告げのマリア修道会出津修道院

*宮崎カリクス修道女会牧野修道院 

*診療所付修道院

*出津愛児園・池島愛児園(保育)
*出津カリタス診療所
*養護老人ホーム聖マルコ園  (以上ネット出津教会より引用)などの施設があり、シスターの姿も畑の斜面や海を見下ろす住居地などで見受けられる。オルガンを弾いてくれた91歳のシスターも、すれ違ったシスターも本当に柔らかい優しげな表情であった。道を教えてくれたオジサンも穏やかな感じで、。【出津教会】を中心に静かに生きる人々。ふと日常を外れた不思議な空間を感じたものである。

以上、遠藤周作が生まれたところは・・・と出津教会について。

付記。(初ちゃん)から【深い河】を読んでインドへは行きたくないと思った。私も同じように感じました。インドという国はハマル人は完全にハマッて何度も訪れるようです。中国も・・私は憧れていったのですが(夫サン漢詩が大好きで)【寒山寺】例の”月落ち鴉啼いて霜天に満つ・・・”あのお寺です。ところがね、やっぱり上海あたりの美しさと普通の生活の落差の酷さ、旅の合間に感じた衛生面や人柄というか・・・もうパスだなって思っちゃいました。歴史も景観も素晴らしいものがあって惹かれるのに実際に訪れると、私はダメでした。

今チベット問題が大きく取り上げられていますが、経済大国目指して大きな流れを上昇気流の如く遡っている中国という国の行く末、国が大きいだけに怖いなあって思ってしまいます。あくまで私見ですが。あ、ご隠居さん(夫サン)はお留守番でしたか?のお尋ねのメールあり。【文学サークル】も一緒です。緑2点の一人。もうお一人はKさんご夫婦。ご年配ですがKさんのだんな様、知識豊富でユーモアがあって素的なシニアの方です。

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遠藤周作文学記念館・出津教会を訪ねた春の一日

2008-04-20 18:03:22 | 旅&温泉紀行

 

  遠藤周作記念館。 

 【文学サークル】から、春の文学散歩(バス・ツアー)で、長崎市外海町(そとめちょう)にある【遠藤周作文学館】を訪ねた。私たちの個人的なサークルの講師を気持ちよ受けてくださっているT先生(T女子大名誉教授)も一緒だ。外海地区は角力灘に落ちる夕焼けの美しさでも知られる。

 朧にかすんだいかにも春らしい一日だったが、気温は高く汗ばむほどだった。途中で【新・西海橋】に寄る。春渦潮を 観ることが出来る。大潮ではないから、その渦は小さいけど海面のあちこちに柔らかい光を浴びながら丸い波の渦があった。
遠藤周作文学館】は西彼杵半島にあり、角力灘を見晴るかす丘に建つ白い瀟洒な建物で、キリシタンとの縁の深い作家遠藤周作(1923~1996.作家・劇作家・批評家。【白い人】で芥川賞、代表作に【海と毒薬】(戦時中の生体実験を扱った)【沈黙】【深い河】など著作多数。学生時代に肺を病み以後何度も大病を繰り返しながらも、持ち前のユーモアで狐狸庵先生シリーズなども。)

 子供の頃は大変出来の良い兄に比べて絶えず劣等感に苛まれたという周作は、母親の【お前は作文は大変上手だから、作家になりなさい】との言葉で励まされたという。子供には、それぞれ個性があり特徴がありから、そこを伸ばせばいいということを周作のお母さんは解っている人だったのだろう。

自室の原稿や、文章の抜粋を読めるコーナーがふんだんで、つい足をとめて読み入ってしまう。【沈黙】は渡来した一人ののキリスト教の宣教師の物語。隠れキリシタンに惹かされて、この地を訪れた周作が描いたこの小説の舞台となった【出津教会】は今も静かに神への扉を叩く人、祈る人を待っている。

シスター達の住居もあった家事をしていらしたのかエプロン姿の年配のシスターがにっこりと返礼してくれた。生活の中に教えがある、いや、教えの中に生活があるのだろう。人間がこんなに哀しいのに 主よ海があまりに碧いのです>と刻まれる。

ド・ロ神父記念館】では、やはり優しい穏やかな表情のシスターがオルガンを弾いてくださって、賛美歌を3つみなで歌う。これは観光客に課せられた課題なのだろう。横で歌っていたKサンの歌声は透き通っていて美しい。歌詞も曲もしっかりしている。あとで聞いたら、カソリック系の学校の出身だという。シスターの声も可愛らしい。年齢は91歳!凄い!

<ド・ロ神父>1840年フランスのノルマンディに近いヴォスロール村の貴族の出身。1914年に没するまで33年間、外海町の貧しい人々のために全身全霊で尽くした。外海の人たちにとって司祭といえば、ド・ロ神父のことだという。

 <出津教会> 

  

藤周作の作品は昔かなり読んだ筈なのに・・・もう一度読み返してみたいものだと思う。T先生はインドへの旅から戻られたばかりで、【深い河】の終末と同じ光景を見たと話してくださった。私は映画を見た覚えがある。有吉久美子主演だったか。

外海地区は周防灘に落ちる夕陽の美しさで知られる。買い物をした道の駅も【夕陽が丘そとめ】・・・日帰りなので夕陽にはあえなかったが、穏やかな海と一人の作家の辿った思考の道程、人生、宗教・・・そして久しぶりに再会したような作家遠藤周作の文体、昔の姿をそのままに受難の歴史の中にひっそりと佇み続けた教会、クリスチャンではない私でさえ、当時の人々の素朴な宗教心が無体に踏みにじられ、無抵抗なままに神の声にすがって消えていったその魂を思わずにはいられなかった。

 お昼も楽しみの一つです。海鮮豊富。

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春風、いえ、春風邪に翻弄されて(同窓会司会までに治るかなあ)

2008-04-10 00:28:48 | 日々の中で

   4月2日の夜のこと「あれ、喉が変だな」慌ててうがいなどしたのだが、後の祭りらしい。翌朝はもっと酷くなっていた。医者へすっとんでいくとやはり喉が腫れているとのこと、抗生物質とトローチなどを貰ってきた。

この冬は一度も風邪を引かなかったね・・と夫サンと話したばかりなのに。桜開花の便りに浮かれて気が緩んだのかもしれない。「困ったなあ」翌3日は、ととろサンは小学校の同期同窓会なのだ。しかも当番幹事でおまけに司会役。やばいなあ、声が枯れた司会なんて、目もいや耳も当てられないからなあ。

  幹事会であれこれ検討。遠来の人も多いから「博多といったらやはり魚でしょ。」だが、当日日帰り組には交通の便が今ひとつ。結局遠来の同窓生には【ふるさとの桜】を、日帰り組には天神(福岡市の中心)まで送迎バスで15分・・・というところを眼目に、南公園(桜の名所)のすぐ傍のYホテルに(桜も、眺望もいい。

福岡ドーム・タワー・シーホークホテル、そして海。遠くはるかに見渡せる)決定した。桜追っかけのY君の”読み”が的中、最高の桜を愛でることが出来た。集まった80名ほどの同窓の皆さんも、満足してくれたようだ。(私は小学校を3回転校。この小学校には5,6年の2年間在籍して卒業。6クラスあったので、他のクラスの人たちまでは記憶にないのだけど。まとまりの良いクラスだったから、今もクラス単位で集まったりしている)

 同窓会が始まり、乾杯!とともに、さっとカーテンを開くと、広いガラス窓の外には見事に咲いた淡い優しげな桜の枝が!という演出だったのだが、今の時期は日暮れが遅く・・・窓を開けると「夕陽が眩しいョ!」ってことになってしまったけど(苦笑)

夜の帳が下りるとライトアップされた桜は緑色っぽい輝きを見せ、再会の宴は華やかに明るくはしゃぎながら、あっという間に過ぎたようであった。当時の幼顔を今に重ね合わせて、懐かしむ声も弾んでいる。先に逝った友人も多くなった。その人たちの冥福を祈るとともに、有意義にこれからの日々を彼らの分までしっかりと生きていかねば・・・と思うばかりである。

たる酒割り・博多甚句(これがまた上手い!)かって県大会優勝の、でも九州大会ではいつも、熊本に優勝をさらわれ2位に甘んじていた当時のコーラス部が、にわか結成?リハーサルなしで【ふるさと】などを三部合唱。何十年も経ったというのに、歌詞は三番までスムーズに出るし、ソプラノ・メゾソプラノ・アルトなど見事なハーモニー、驚いた。最も当時NHK児童合奏団に何人か在籍していたし、その頃から歌を続けている人も、また教える方の立場の人もいるから、即席でも綺麗なコーラスとなるのだろう。音痴のととろサンは感心するばかりだった。【雀100まで踊り忘れず】ですねえ。

抗生物質を飲み、トローチやのど飴でなんとか押さえて、お世辞半分の「楽しかった。素人とは思えない」とか「アナウンサーだったのよね、貴女は」とかの勘違いも含めて、まあまあの評をいただき(豚もおだてりゃ・・・つい木に登ってしまうのデス)しかし、もう司会のような仕事?これで最後にしようと思った。なぜ?後で”反省だけなら猿でも出来る”態になることが多くなったから。トシだなあ。

とにもかくにも最後まで声が何とか保てたことにほっと安堵。ビンゴなどに打ち興じ、さすが地元!【博多祝い歌】の歌声の見事さ!三番♪”さても見事な櫛田の銀杏、枝も栄えりゃ、葉も茂る・・エイショーエ・・・♪”櫛田というのは【櫛田神社】山笠で有名な神社である。

 翌日は遠来の級友たちと、南公園の桜散策。まだ人気も少なく我が物顔に桜を楽しめた。そこまではよかったが・・・やっぱり、無理したのかな。風邪をこじらせてしまって。咳は殆ど出ないのに「胸が痛い!」「レントゲンを撮りましょう」・・・肺炎ではなかったけど。いやはや、かなり酷い状態で。扁桃腺だったのか、風邪だったのか・・・いずれにしても、かなり抗生物質飲んで、味覚がさっぱり。

おまけに、一泊して帰宅すると、夫サンが「僕も風邪みたい」とおっしゃる。熱に弱いから7度過ぎると大病人状態。年末であれこれ総会などのさぼるわけにはいかない用事も重なって、ここ数日なんだか大変。きついけど動かないわけにはいかない。夫サンは、酷い花粉症のような状態で今アレルギーの検査結果待ち。花粉症ってある日突然罹ると聞く。

 今日は9日。地域福祉「ひまわり会」総会だった。あと一つサポート隊のが。それが終わる頃には桜もこの雨に散り急ぎ、木々の芽吹きが萌えたつことだろう。春を待ちかねていたのに、もう初夏の忍び寄る気配が。

牡丹の蕾もふくらみ、もみじの新芽の可愛いこと!早く体調整えなくちゃあ!九国博の【絵巻物展】も見たいし、シネマ歌舞伎【野田版・研ぎ辰の討れ】も観たいし。久住・由布高原あたりに山野草散策の足も伸ばしたい・・・。あ、親戚の法事にも出なくちゃあ、博多座スーパー歌舞伎のチケットもゲットしているし・・・気持ちは焦るととろサンなのだが。

私の好きな沖縄の言葉【うりずん】若夏という意味)の季節がまもなくやってくる

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