今秋11月、【平成中村座・小倉城公演】が実現した。九州初上陸である。小倉城勝山公園、すぐ傍には紫川の優しい流れと色づいた木々。2ヶ月前から購入していた昼・夜のチケット。義妹のことなどで沈んだ気持ちだったが、思い切って足を運んだ。憂きことを嘆くばかりでは、義妹も喜びはしないだろうと勝手なことを考えて。
画像は同行の方が、小倉城から撮影されたものを拝借。
故十八代目中村勘三郎さんの念願だった江戸時代の芝居小屋【平成中村座】が、浅草でお目見えしたのは、2000年11月。土地があればどこででも、昔風に言うなら「小屋掛け」出来るこの組み立て式芝居小屋は以来、遠くはニューヨークなどへも行き、400年余り続く日本の伝統芸能「歌舞伎」は、大きな話題と賞賛をよんだ。
その「平成中村座」が初めて九州入りした。大阪城や名古屋城に続いて、小倉城をバックに建設された。
「昼の部」は古典歌舞伎・歌舞伎舞踊・上方の和事狂言と上手く演目を並べていた。
・神霊矢口渡し ・お祭り(歌舞伎舞踊)・恋飛脚大和往来(近松門左衛門作)封印切りの場。
「夜の部」 ・通し狂言 小笠原騒動(小倉藩のお家騒動)
これはご当地小倉で実際にあったお家騒動をテーマにしている。通し狂言というのは、最初から最後までを上演すること。歌舞伎の場合【見取り狂言】と言って長い話の中の人気の場を、切り取って上演することも多い。「義経千本桜の中の”吉野山”」とか、「菅原伝授手習鑑」の中の”車引”とか。
中村勘九郎・七之助兄弟に、中村童、中村橋之助、坂東弥十郎、片岡亀蔵、などに、鶴松、虎之介といった若い役者さん達。中村屋一門の老練な脇役さん達。
歌舞伎座の半分くらいの人数(880席)とこじんまりとした、昔ながらの芝居小屋の風情は、舞台が近く、役者さん達を間近に見ることも出来る。舞台正面は開くようになっていて、小倉城がくっきりと見えると観客席がどよめいた。特に【夜の部】は勘九郎はじめ鶴松君たちも、客席をめぐるような筋立てになっていたり、捕り手に追われる勘九郎のお家乗っ取りをたくらむ小倉藩の執権犬神兵部が梯子で二階席に登る場面もあって、二階席の観客は大喜び。小倉の祇園太鼓の演奏も上手く取り入れて、またチャリ場(お笑い)では、小倉弁での面白い喋りなどが入り、歌舞伎は初めての人達も大いに満足。最後はスタンディング・カーテンコールと場内は沸いた。
最近体調不良をかこっていたご隠居も、昼の部・夜の部と【大向こう】を。中村屋!萬屋!と声張り上げていた。はねると「ああ、疲れたぁ」それでも仲間との「お茶タイム」の時までは付き合ってくれた。観光に向かう仲間と別れ、一路我が家へ。小倉を最後に訪れたのは、いつのことだろう?きれいになった街に驚いた。今度はゆっくり観光客してみるのもいいなと思いながら、慌ただしくも充実していた【芝居見】から日常生活へと戻った。
夜の部が終わって余韻を味わいながら、暮れなずむ小倉の街へ、紫川のほとりはXmasイルミが輝いていた。
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