うっすらと春霞がかかる(今年は黄砂が多かったが)朧な空の色と、時折気まぐれな春の嵐を伴いながらも、季節がいよいよ冬の衣を脱ぎ捨てる時候となった。日本中が桜花の目覚めを待って【桜前線・桜便り】に心を浮き立たせる。今年は東京など関東周辺が一足先に今真っ盛り。日夜TVでは【何処の桜、かしこの桜】が映し出される。
アメリカはワシントンDCのポーツマス河畔の三千本の桜も、【桜祭り】の最中。【桜の女王】も毎年選ばれる。この桜は明治末期、東京都知事から当時の大統領夫人へ贈られたのが最初だという。桜は日米親善大使であった。この見事な桜を愛でる人たちで賑わってはいるが、日本のようにシートだらけ、時として花より団子、いやお酒とういうことはない。なぜなら外での飲酒は禁止されているから、満開の桜の下でお酒などもってのほか、静かに散策をし、花の美しさに酔うのみだそうな。
昨年東京は【不忍池】の見事な桜の下をそぞろ歩いた。曇り空だったが、若緑の柳の枝葉が風にそよぎ、ほのかな桜色とマッチして一幅の絵でもあったが、あのブルーのシートに埋め尽くされた様子はなんとも興ざめだった。これは広島時代の平和公園の河畔の桜も然り、日本中何処にいっても青色が目に飛び込むのだろう。せめて木肌の色に近いシートなら・・・と思ったものである。
Y新聞のコラムに古川柳を交えての【江戸時代の花見】の話があった。面白かったので引用させていただく。
”江戸っ子が花見にかけた意気込みは、男女を問わずただごとではない。「白壁を両の手で塗る花の朝」、女たちも化粧にひときわ念の入る朝だ。逆に男同士で花見に行く亭主には「女房の知恵は花見に子をつける」だ。飲み過ぎてはめを外さぬよう子連れで送り出されたのだ。””子供たちもドッと繰り出した。寺子屋の師匠が着飾った子供らを引き連れて練り歩いた「師匠の花見」である。子供らはそろいの造花を髪にさしたり、振り袖で着飾ったり、遠足というにはともかく派手な行列だったようだ”寺子屋師匠の名前入りの幟を立てたり、当時の【塾の宣伝】といおうか。
落語にも【長屋の花見】で沢庵をかまぼこ?に見立てたり・・・というのがある今のようにレクリエーションの少なかった江戸時代には、【花見】は庶民の最大の楽しみだったことだろう。落語にも【長屋の花見】で沢庵を卵焼きに見立てたり・・・というのがある。
コラムの最後は「花の翌日(あす)下戸にしたたか意見され」
(なんとなく花見気分を味わったととろサンだったが、さて、福岡地方の桜は?今日はしとしと煙るような春雨の一日。この雨がや陽射しが戻ると一気に花開くことだろう)
まさをなる空よりしだれさくらかな 富安風生
忘れ得ぬのは奈良の長谷寺の帰りに、電車を待つ駅での降りしきるような花吹雪と吉野山の桜。まさに全山桜の中を奥の院まで登った。その時は【一生分の桜を見たような】気がしたのだが、春になるとまたそわそわと桜便りに心が騒ぐ。少し若緑がかった山桜もいいな、大村桜もいいな、枝垂れ桜もいいな、勿論桜の代表 ソメイヨシノも。山にぽつんと一本立つ桜も。いずれの風情も捨てがたい。いずれにせよ、桜はその【花の命は短くて】ゆえに古へから愛されてきた。愛しさと儚さ、うつろいを感じさせる花である。人の少ないところでの、さりげない桜に会いに行きたいな。