ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。旅やアメリカでの話、趣味のことなどなど・・・自分の覚書を兼ねて。

さあ、いよいよ桜の季節

2008-03-30 17:29:27 | 日々の中で

うっすらと春霞がかかる(今年は黄砂が多かったが)朧な空の色と、時折気まぐれな春の嵐を伴いながらも、季節がいよいよ冬の衣を脱ぎ捨てる時候となった。日本中が桜花の目覚めを待って【桜前線・桜便り】に心を浮き立たせる。今年は東京など関東周辺が一足先に今真っ盛り。日夜TVでは【何処の桜、かしこの桜】が映し出される。   

   

アメリカはワシントンDCのポーツマス河畔の三千本の桜も、【桜祭り】の最中。【桜の女王】も毎年選ばれる。この桜は明治末期、東京都知事から当時の大統領夫人へ贈られたのが最初だという。桜は日米親善大使であった。この見事な桜を愛でる人たちで賑わってはいるが、日本のようにシートだらけ、時として花より団子、いやお酒とういうことはない。なぜなら外での飲酒は禁止されているから、満開の桜の下でお酒などもってのほか、静かに散策をし、花の美しさに酔うのみだそうな。

昨年東京は【不忍池】の見事な桜の下をそぞろ歩いた。曇り空だったが、若緑の柳の枝葉が風にそよぎ、ほのかな桜色とマッチして一幅の絵でもあったが、あのブルーのシートに埋め尽くされた様子はなんとも興ざめだった。これは広島時代の平和公園の河畔の桜も然り、日本中何処にいっても青色が目に飛び込むのだろう。せめて木肌の色に近いシートなら・・・と思ったものである。

Y新聞のコラムに古川柳を交えての【江戸時代の花見】の話があった。面白かったので引用させていただく。

”江戸っ子が花見にかけた意気込みは、男女を問わずただごとではない。「白壁を両の手で塗る花の朝」、女たちも化粧にひときわ念の入る朝だ。逆に男同士で花見に行く亭主には「女房の知恵は花見に子をつける」だ。飲み過ぎてはめを外さぬよう子連れで送り出されたのだ。””子供たちもドッと繰り出した。寺子屋の師匠が着飾った子供らを引き連れて練り歩いた「師匠の花見」である。子供らはそろいの造花を髪にさしたり、振り袖で着飾ったり、遠足というにはともかく派手な行列だったようだ”寺子屋師匠の名前入りの幟を立てたり、当時の【塾の宣伝】といおうか。

落語にも【長屋の花見】で沢庵をかまぼこ?に見立てたり・・・というのがある今のようにレクリエーションの少なかった江戸時代には、【花見】は庶民の最大の楽しみだったことだろう。落語にも【長屋の花見】で沢庵を卵焼きに見立てたり・・・というのがある。

コラムの最後は「花の翌日(あす)下戸にしたたか意見され」

(なんとなく花見気分を味わったととろサンだったが、さて、福岡地方の桜は?今日はしとしと煙るような春雨の一日。この雨がや陽射しが戻ると一気に花開くことだろう)

まさをなる空よりしだれさくらかな   富安風生

 忘れ得ぬのは奈良の長谷寺の帰りに、電車を待つ駅での降りしきるような花吹雪と吉野山の桜。まさに全山桜の中を奥の院まで登った。その時は【一生分の桜を見たような】気がしたのだが、春になるとまたそわそわと桜便りに心が騒ぐ。少し若緑がかった山桜もいいな、大村桜もいいな、枝垂れ桜もいいな、勿論桜の代表 ソメイヨシノも。山にぽつんと一本立つ桜も。いずれの風情も捨てがたい。いずれにせよ、桜はその【花の命は短くて】ゆえに古へから愛されてきた。愛しさと儚さ、うつろいを感じさせる花である。人の少ないところでの、さりげない桜に会いに行きたいな。

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甘い苺の香りと春の海(地域バスハイク)

2008-03-23 07:17:47 | 草の根地域福祉

  

地域福祉も年度末を迎え た。一年間ご苦労様のねぎらいの意味も含めての町内福祉の「ひまわり会」のバス・ハイク(弱小地域なので会費を頂き、補充は自治会から)バスの窓には一面黄色の菜の花が、心を浮き立たせる。

 今回の目的地は近回り、宗像市鐘崎。海辺でお魚の美味しいところです。<花より団子>の感じがあるコース(食いしん坊のととろサンの発案だから・・はい、その通り)お雛様の時期で”さげもん”が店先に色をを添えていました。

 海の神様 宗像大社 弘法大師ゆかりの 国寺苺狩り国民宿舎 ひびき (新鮮な海の幸が割安で食べられます)→お定まりのお土産(やはり海産物の店)鎮国寺には 呆け封じの観音様が。しっかり拝みました(苦笑)

 摘みたての苺は甘くて、やっぱり美味しい!バスの中にはお土産の苺も。   

ゆっくり、のんびり。リラックスしてのお喋り・笑い声。昼席なのでビールは少し(これは個人負担)新鮮なお刺身やあら炊きや・・・そうそう、好評だったのはお刺身類もですが、茶碗蒸しが熱々でお味が良かったこと。宴会料理や会席料理では、冷えて固まった茶碗蒸しが多いけど、今回は出来立てほやほや。浜辺をそぞろ歩き、穏やかな春の海に開放感を覚え、童心に返って貝拾いなど。皆さん満足の一日でした。さあ、新しい年度も楽しみながら、仲間たちと助け合って住み易い町づくりの一歩を始めましょう!

     

     

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我ら夫婦は”小市民?””貧乏性?”

2008-03-23 07:15:50 | 日々の中で

 TVハイビジョンで【ベルリン・フィルの総て】が放映された。その中で、亡き名指揮者カラヤン生誕100年を記念して、小澤征爾がベルリン・フィルを指揮した(1月27日)

チャイコフスキーの第六番【悲愴】夫の大好きな曲だ。じっくり聴いていた夫、「一度でいい、ベルリン・フィルを小澤の指揮で聞きたかったなあ!」と溜息をついた

以前から「そんなに好きなら東京でも信州でもウイーンでも行けばいいのに」と私は云っていたが、いざとなると夫はためらって。一つにはオペラは好きではないということもあるだろう。(最近はオペラが多かったから)

後で知ったのだが、このベルフイルの演奏を聴くためのツアーがあったそうだ。一人40万くらいだったとか。知っていれば申し込んだかもしれない。いや、どうかな、夫は「福岡に来てくれたらよかったけど、来なかったものなあ」なんて今更無理なことを言っている。

好きなものならためらわず・・・経費?まあ、何とかなるだろうから。明日という日に何があるか解らないもの。本当に好きなことのために使うお金なんて惜しくはない・・と思うのだが。楽器でもバイクでも、装飾品でも、高価であっても、少しのためらいで購入する若い世代の勇気が羨ましいなと思うことがある。

 そういう私も、4月の勘三郎・仁左衛門・玉三郎の顔あわせ。見たことのない演目もあるし、仁左衛門の弁慶。「え、富樫じゃないの」と大いに興味をそそられる。それに5月の菊五郎の「弁天女男白浪」いわゆる弁天小僧が”通し狂言”かかる。

これもなかなかお目にかかれない舞台だ。新橋の吉右衛門、シアターコクー ンの蜷川幸雄演出・野村万斎・尾上菊之助という初顔合わせは魅力的!の【わが魂は輝く水なり】も観たい。もうチケット売り出したから・・・残っていないかも。コクーンは人気があるから。(画像は2006年江戸博物館での【こども歌舞伎】の練習風景。ずらり・・・可愛い白浪五人男)

でも・・・先月上京したばかりだしなあ・・・年金暮らしだもの。と自分のことになるとやはりためらいがある。先月はやむない用件があって上京、マイルで航空券無料。歌舞伎座へも足が運べたが。娘から「お母さんの手が必要だから、上京して欲しい!」なんて要請があると、経費云々は何処へやらすっ飛んでいくのだが。

夫にしろ私にしろ、自分の遊びには、なにやら【口実】がいるのかもしれない。娘たちは『二人が好きなことを、好きなように楽しんで暮らせばいいのよ。今まで頑張った来たんだから』と言ってくれるが。私達の親の時代は贅沢は敵、私達は分相応の暮らし方路線で生きてきた世代だから。小市民?いや、貧乏性なのかもしれない。

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同世代なのに!頑張ってるなあ!

2008-03-18 22:04:41 | 映画・観劇・コンサートなど

博多座3月公演】のチケットを頂いた。ペア券だが夫はパス。【舟木一夫公演】友人に声をかけた。「若い頃舟木好きだったの」付き合ってくれた。

いわゆる御三家の中では彼の爽やかな雰囲気が好きだった。でも、19年生まれだから私たちと同世代、どんな舞台を見せるだろう、声は大丈夫なのかなあ?いやあ、なかなか素的なナイスミドルだった。脱帽でした。第一部は【銭形平次・・・あじさいの女】♪男だったら命を懸けて・・・TVで大川橋蔵が演じた長寿ドラマの主題歌を歌った舟木は時代物の衣装もよく似合い、NHKの大河ドラマはじめ映画にも随分出ていた。葉山葉子・長谷川希世・桜木健一など懐かしい名前のスター達も出演。ごく普通の大衆時代劇ってところだが。

驚いたのは第2部。あの【高校三年生】に始まる歌とトークの数々。その歌いっぱなし出ずっぱりにも驚いたが、フアンの人たちといってもやはり私達世代かもう少し若いか・・・スタンデイング・手拍子。次々花束やプレゼントを渡して握手。舞台には30いやもっとかな・・・の花束とプレゼントの袋が並んだ。東京や大阪などから昔からの追っかけの方たちが、公演のたびに来るらしい。デビューして45年、一筋に彼を愛するフアンの熱さに圧倒され続けた。自殺未遂などというショッキングな出来事も彼の真摯さとして、わがことのように案じたフアンが多かったという。私たちもいつのまにかスタンデイング、記憶にある彼の歌の叙情的な歌詞と曲に、若き日の自分たちを重ねていた。「君の流れる黒髪・・・」茶髪ではない。星のきらめきを見ながら、愛した君を決して忘れない・・なんて、純情だったなあ。あの頃の若者は。

  25日間昼夜二回の上演。体力・歌唱力を保つのには相当の努力がいるだろうなあと感服するとともに、そのたびにこれだけの花束や贈り物。友人と「あれ、一体どうするんだろうねえ。お菓子などはスタッフに上げたりできるだろうけど、花は・・」とよけいな心配をしてしまった(笑)が、友人も「楽しかったわ」と。7時に終わったので、久しぶりに天神で友人と食事。まだ、詰襟の学生服の時代でした、あの頃は。若い想い出に花が咲いた心地よい夜だった。

(一品料理の一つ、明太子入りの卵焼き。ケーキみたいな形ですが、これが意外と美味)

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携帯電話と声

2008-03-18 20:59:05 | 日々の中で

 あちこちから公衆電話が姿を消し、夫妻それぞれが携帯を持って生活するといった若い家庭も多くなった。確実に連絡できるし、急ぐ用件でなければメールしておけば伝わるし、確かに便利である。 もっとも私の親友のように・・・絶対に厭だというのもいる。何処へでもずかずか追っかけてこられるような生活はごめんだと。便利さ=素晴らしいことではない!と。解る気もするけど、やはり便利さにはかえられないと思ってしまう。

ところで、とても気になっていることがある。携帯電話の通話の声の大きさ。私はどうも大きすぎるらしい。夫から「もっと小さい声で」といわれた。そういえば我が家の近くには女子短大があり、道を通る彼女達の多くは携帯を耳にあてながら歩いているのだが、その声はごく小さい。

生まれた時から祖父母と同居の生活で、耳の遠くなっていた祖母に私は、新聞の連載小説を読んでやっていたことがある。小学校4,5年の頃だったか。確か村上元三の【佐々木小次郎】だった。小さい頃から家にあった童話や紙芝居を近所の友達相手に読んでた私は、多分声を出して読むことが好きだったらしい。祖母は毎日楽しみにしてくれてたし、私もわくわくしながら読んだ覚えがある。多分その頃は漢字にはルビが打ってあったのだろう。

以前から年老いて耳の遠くなった叔母達に「Nちゃん(私)の声はよく聞こえる」と電話でも会話でも言われていた。今も地域のご年配の人にそう言われる。祖母と話す時や耳の遠い方にははっきりと話すように気をつけているうちに、声が大きくなってしまったのだろうか。子供文庫時代の読み聞かせなど、声の調子を意識していたからだろうか。

が、どうも携帯の時の声の強弱が掴めない。なぜだろう?どの程度の声が一番相手に気持ちよく聞こえるのだろうか?悩んでいるととろさんである。

★娘のところ(カリフォルニア)のモールで見た携帯?は、非常にカラフルで日本のものよりずっと小さいも多かった。娘夫婦のも手のひらにすっぽり入るくらい小さい。娘「必要機能だけだからよ」日本の携帯は・・・時として必要でないような遊びなども機能としてくっついているからなあ。合理的で明るい色彩が好きな国柄だからかしら。

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