
粒子線照射装置 回転ガントリー(治療センター地下にある装置。直径11メートル。重さ175トン)
光速の70%まで加速した粒子線を、癌患部に照射する機械である。これが治療室と連動している。
私が受けた先進医療について、詳しいことを知りたい、UPしてくれという友人、知人からの要望がかなり多い。家族や親戚に癌患者を持つ人が、いかに多いかということだろう。実際に会って体験したことを話したこともある。長くなるが【先進医療体験記】としてまとめてみた。
乳癌も切らずに治すという先進医療である。痛みもなく後遺症もないという。肝臓や前立腺は治療している人も多いと聞いた。
昨年(2013年)11月末
の定期検診の時だった。主治医が『肝臓に癌が二つ見つかりました。一つはちょっと場所が悪い、胆管の直ぐ傍なので、前回の【ラジオ波焼灼法】では、万一ですが胆管を傷つけることもないとはいえません。先進医療の【粒子線照射治療】をお受けになりませんか。副作用もないし、現代での最高の医療です。ぜひ!!』と。
数多くのラジオ波焼灼法の経験のある、肝臓癌治療ベテランドクターの言葉だった。
若い頃夫の転勤地に住んだことがあるが、その時、とんでもない医者に出会うことになり、今なら医事裁判になるような結果となった。(その頃の沖縄は、医療も本土より10年は遅れていると言われていた)
『このままでは…』と急遽本土に帰り、再入院して命は助かったが、後遺症が【C型肝炎】となり、今に至っている。C型肝炎は→肝硬変→肝臓癌というケースを辿る。が、そうなる前にインターフェロンでウイルスがなくなり完治する人もいるし、いつ変化していくかは解らないので、癌が出来る前に寿命が尽きる人もいる。
インターフェロンも三度試みたが思うような結果が出ず、ずっと肝硬変を引きずって生きてきた。「C型だからキツイの・・・」という人たちの言葉を聞きながら、私って、よく頑張って来たなぁと、自負する。不遜かもしれないが、妻として嫁として(姑の認知症介護など)母として、とにかく一生懸命だった。仕事もしたし・・・少しは、周りの人の役にもたったかも。見た目にはすこぶる健康と思われていたようだ。
若いころからそれなりに色々なことがあって、でも頑張って来た私のことをよく解っている夫は、定年後の今は家事や町内のことにも参加して助けてくれている。感謝の日々である。
4年前癌発生時は、夫の友人のお蔭で医者(今の主治医)を紹介していただき、【ラジオ波焼灼法】で癌の患部を焼くことが出来た。が、そのTドクターが言う通り、肝臓移植をしない限り、また出来ますよ・・・移植する気はさらさらなかった(娘達は提供するからと言ってくれたけど)。
治療開始まで。
私自身は【もうここまで生きて来れたのだから、年貢の納め時でもいいかな】と思ったが、家族にとっては【あと2年かも】の余命宣告は、受け入れられるものではなかったようだ。夫は地面が揺れるような不安感に襲われたという。
年末にはアメリカから次女も帰省する予定だったし、横浜の娘も飛んできて、医者の説明を聞いて治療法に納得した。ただ、先進医療保険に入っていない(加入できない)私は、自費負担となる。全国に7ヶ所あるこの治療センターは、まだ健康保険の対象にはなっていない。かなりの高額自費負担となるが、命には替えられないからと、夫や娘達に勧められて、鹿児島の指宿にある
メディポリスがん粒子線治療研究センター に行くこととなった。
昨年12月23日。クリスマスイブには婿の待つカリフォルニアに戻る次女を、福岡空港に送って、その足で指宿へ。ご隠居も付き添いで、膝の温泉治療を兼ねて同行してくれる。

(指宿駅前、足湯もありました)
主治医の紹介状や私の肝臓の現在の様子のCDなどを持って、下見も兼ねてまず医者との面談。
(今だから笑い話になるのだが、私はその書類を夫に預けていた。夫はスーツケースに入れたと思い込んでいて・・・やっと指宿についたら・・・その大事な書類がない。沈着冷静な筈の夫がそんなことをするなんで!気が動転していたのだろう。申し訳ない限りだった)
翌日、夫は太宰府までトンボ返りで書類をとりに。私は治療センター隣接のホテルで夫を待つことに。
12月26日~治療センターでの面談。年が明けてから検査や治療を行うこととなる。
2014年 1月7日~~10日まで指宿滞在。事前検査。固定具の型取りなど。

(見学会での説明) (こういう中に患者は入って照射を受ける)
がん粒子線照射治療とは。
粒子線とは、水素原子イオン(陽子またはプロトンともいう)や炭素原子イオンの粒子の流れのこと。これらの粒子を【シンクロトロン】という加速器により光速近くまで加速し、癌病巣に向けて照射。本来の放射線などとの大きな違いは、
★ 癌病巣のみを狙い撃ちして、周りの正常組織への影響が非常に少なく、破壊したりとい う後遺症が出ないこと。がん細胞に致死的ダメージを与えることが出来る。
★ 治療中は痛みや熱などが一切出ないこと。従来使用のガンマ線・X線(いわゆる放射線治療)のような後遺症や副作用がないこと。治癒率も89%と高い。
★ 粒子線治療適応な癌。
・肺・頭蓋底・肝臓・腎臓・膵臓・前立腺・直腸がん術後再発・骨軟部組織など。
胃や大腸など消化器癌、複数のリンパ節転移癌、血液の癌は対象とならない。(動く臓器は、ピンポイント照射線が出来ない。)
乳癌は今年6月より対象となり、切らずに乳癌を治す・・・事が可能となった。
治療開始に向けて
まず、第一回目のMRIなどで徹底的な検査。粒子線を毎日同じところに照射できるように位置決めをして、胸部から腹部にかけて固定具の型取り(私専用の型を作る)
検査室は清潔でクールな感じ。MRI検査で、指示に従って呼吸などを繰り返せばいいのだが、かなり緊張してしまった。その呼吸や私の癌の位置などの結果をもとに、医者と技術者のチームが出来て、私の治療をどういう角度でどんな感じで照射するか…などなど1週間かけて治療計画を検討する。私達は一時帰宅(そのままホテルに滞在してもいいのだが)
1月15日 指宿での治療開始予定だったが、よんどころない事情で、2週間延期してもらった。

2月の指宿はもう菜の花の花盛り。指宿駅からはシャトルバスで、治療センター隣接のホテルへ。

(メディポリスがん治療研究センター)
2月2日治療開始。

粒子線治療に使用の回転ガントリーは、ご隠居さんが勤めていた会社の製品だった。扱う技師の人達も同じ会社の人達。「おっ、じゃあ大丈夫だ」何だか安心したという表情のご隠居さんだった。
治療中は2月20日まで。粒子線照射回数10回。(治療センターに隣接の【指宿ベイテラスホテル】に滞在) 入院が必要と診断された人は入院可。

(この方が治療を受けたことで、陽子線(粒子線)治療が有名になったようだ)
治療センターの一階は、医者や看護師さん達がいる普通の病院。清潔で綺麗で気持ちがいい。地下1階が治療室。幾つかのブースに分かれている。丁度CTやMRIの検査室と同じような感じである。
治療衣に着替えて、ベッドの上に。自分用の型(胸部から腹部まで)が身体に固定される。最初の日はやはりドキドキしてしまう。若い技師さん達(ここでは医者ではなく)の指導に従って。
『楽に呼吸して下さい』マイクから『吸って、吐いて』と聞こえる声に合わせてゆっくり呼吸を繰り返す(このリズムは、事前検査の時に私の呼吸に合わせてセットされている)
部屋に入ってからの時間は、3,40分。慣れるまでは長く感じられる。
照射はミリ単位以下で患部に行われるが、ピタッと患部に合せるための時間で、実際の照射時間は2,3分と短い。
毎日40分。月曜から金曜まで。土日はセンターは休み。他に治療の必要な人には、指宿市内の病院を紹介するようになっている。歯科や眼科に通いながら治療している人もいた。 勿論、その人の癌の内容によって、照射日数も変わるのだが、奈良や北海道などいろんなところから来た方達、夫婦でホテル滞在や鹿児島近辺の人は通院。遠方から来たから、ついでに鹿児島ぐるり観光してみようとレンタカーを借りている人も。
痛みも副作用もないので、仕事しながら通っている人もいた。
治療センターのコンセプトが【癒しの治療施設】ということで、癌患者でも明るく、出来るだけ普通の生活や楽しさを味わいながら治療をしよう・・・ということのようだ。
指宿のセンターも海抜320mの広大な敷地にあり、プールやテニスなども出来るようになっている。自然遊歩道の見晴台からの眺めは抜群である。
ホテルもやたら大きい。レストランからの夜景の美しさも見事。
でも・・・患者として滞在すると、出来れば簡単でも自炊が出来るようなシステムが欲しい。治療そのものは痛くもかゆくもないのだが、やはり気分的に緊張したりしておなかの調子を崩したりもする。ホテル内のレストランは非常に美味だが、毎日4800円のご馳走づくめはおなかにも金銭的にも負担が大きく、かといって、もう一つの食堂は余りに大衆食堂的で、種類も今一つである。
シャトルバスが一日に数回ホテルと駅前や大型スーパーを巡回はしているので【出来あい】のものは買って来れる。(レンジがあるが、「温めるだけに使用してください」との注意書きあり)だが・・・1週間2週間、いや、長い人は一ヵ月二ヵ月の滞在も。私達も、時にはバスで指宿のお店に食べに出たりもしたが、何しろ一日三食が人間の常。
温泉は広々、好きな時に気持ちよく入れるし、お風呂からの眺望も素晴らしい。でも【食べること】は人間の原点。しかも癌という厄介な病気を持った人たちである。もう少し配慮が欲しいとアンケートには記入したのだが。
治療後のケアは
帰宅後、治療報告書を主治医のところへ。癌腫は殆ど消えているということだ。腫瘍マーカーもぐんと数字が下がった。照射跡の皮膚もも別に異常なしである。帰宅後即普通の日常生活に戻った。
以後2か月ごとに、肝臓MRI検査の結果CDや患者のアンケートを、指宿治療センターの「経過観察室」宛に送付(封筒など必要なものはセンターから送って来る)
照射後三種類の塗り薬をもらったが、私はアレルギーもなく皮膚も弱くはないので、痛みも痒みも水泡なども全くなく、二種類の使用で済んだ。退院後一週間ごとにカメラで画像をとり、メール添付で送付すると、担当看護師よりチェックが入る。2月26日から4月10日まで毎週添付で完了、皮膚んp軽い炎症は完治した。
退院後5年間、経過観察してくれる。(こちらでのMRIなどを送付して)
経費を含めて、治療費は288万3000円。保険に先進医療を付けていれば、賄える額ではあるが・・・私は保険加入の出来ない身体。これに宿泊費・食事代などを加えると、年金生活者の私共にとっては、相当厳しい金額だ。将来のためにやりくりしながら、残しているものの中から捻出した。大蔵大臣である私、これからも何とか頑張らなくちゃあ!
なぜ健康保険の対象にならないのか?
という疑問が残った。今癌患者は3人に1人とも、二人に1人とも言われている。現実に治癒した人達も沢山いる、この治療がなぜ健康保険の対象にならないのだろうか。
回転ガントリーの設置金額だけでも物凄い金額だから、300万に近い額になるのも理解できるが、これを個人負担とするのは、本当に大変だと思う。私の主治医は【ない袖振ってもやった方がいい。命には代えられないから】と。確かに!私は夫始め家族の理解があって、治療を受けることが出来たが、そうできない人達も多い筈だ。
今この治療センターは全国で7ヶ所だそうだ。ある程度患者数が増えて、良い結果が出れば【保険が効く】ことになるだろうと、後に続く私のような人のために心から願っている。
もう一つ、気になること。
なぜセカンドオピニオンが定着しないのだろうか?
以前から感じていたことだが、【医者と医者の間】での微妙な問題があるのではないだろうか。ある患者さんは、かなり遠方からいらっしゃってたが、かかりつけの医者から反対されたそうだ。「そちらに行くならもう私の方では診ませんから」とまで言われたとか。これから帰宅してまた別の医者を探さないといけないとのこと。
私の場合は、主治医がこの治療の効果を認めている医者だったから、スムーズに事が運んだのだが。
欧米では当たり前のセカンドオピニオンの制度が、日本ではいまだにぎくしゃくして定着しないのは、患者にとって不幸なことである。
なぜ医者間での患者の情報開示、交換がないのだろうか。
そういうシステムを採用している病院もあるだろうが、新しい病院に行くたびに【病歴】のようなものを訊かれる。患者の情報や病歴などが、病院間で解るようになっていればも治療にも役立つ筈。これだけAT産業が進み、情報化している時代なのだから。
狭い医者間の何とやら・・・は乗り越えて【患者のために何が必要か、何が大切か】今一度
【医は仁術】という本来のあり方に立ち返って貰いたいものだと思った。
メディポリスがん粒子線治療センター ここに詳しく出ています。
指宿ベイテラスホテル