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ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。旅やアメリカでの話、趣味のことなどなど・・・自分の覚書を兼ねて。

C型ウイルスが完全消滅した!!

2016-02-07 12:46:25 | C型肝炎治療記

 昨年11月から医者の勧めで抗ウイルス剤【ハーボニー錠、【毎日1錠X28日間X4サイクル服用した。余りに高くて手も足も出なかった薬が、保険適用になったのだ。医学の世界は日進月歩。こんな薬がもっと早く出来ていれば・・・と思わぬでもないが。間に合ったことに感謝しよう。

 私の病名はC型肝炎【代償性肝硬変】

 <ハーボニー配合錠剤>

 40年前ご隠居の赴任で沖縄に転居。本土より医療が10年は遅れていると言われていた頃の沖縄だから、仕方がなかったのかも知れないが、若い医者の診断ミスで(今なら完全に医事裁判だろう)結果、C型肝炎患者となった。命は助かったものの、以来インターフェロンを3度試みたり(副作用が酷かった)したが、C型ウイルスは消えず、私と共存共栄??することとなった。

本来肝臓は強い内臓のようで、C型肝炎患者となっても、普通に生活することが出来た。育児、家事、仕事(10年足らずだが)、姑の介護、地域のことなども。が、いつも「何だかキツイなあ」という自覚は絶えずついて回っていたように思う。

C型肝炎→→肝硬変→→肝臓がん発生。 C型ウイルスが消えない場合に患者がたどる道である。(生来の寿命が肝硬変やがん発生前に尽きる場合もある)

私は何度かインターフェロンも試みたが(副作用がほんとにきつかった)完治せず、余程住心地が良かったのか、ウイルスは体内にとどまり続け、肝硬変から肝癌発生と図式通りを辿ることとなった。

幸い良い医者に巡り合ったので、最初の癌は【ラジオ波焼灼法】で、

2個3個目は一緒に粒子線照射治療】で、癌腫は消滅した傷痕など全くない

良い治療法に巡り合えたことに感謝。癌が治っていなければ、今度の薬を服用することは出来なかった

今回試みた【ハーボニー錠剤】は、ウイルスを完全消滅出来るという。医者を信じて服用を始めた。服用後の検診で【ウイルス検出されずと結果が出た。長年苦しめられてきたウイルスとサヨナラの瞬間だった。

服用中は風邪など引かぬよう、人ごみに出掛けることは避け、出来るだけ無理のない生活をした。副作用は以前のインターフェロンなどに比べると、無いも同然と言える。

私の場合、長年なので肝臓くんかなり弱っているのか、数値はまだ正常には戻っていないが、ウイルスが無くなったことにより、次回検診日には、肝臓自体の状況も好転しているだろうと期待している。

周りでも3人の知友人がハーボニー錠を服用。ウイルスが完全に無くなり、肝臓数値が正常値になっている。

昔の予防注射回し打ちや輸血によるC型肝炎は、今では血液も綺麗に浄化して使われているし、注射なども一回一回使い捨てだから、C型肝炎になることはないという。すでに罹っている人達も、この薬などの登場で、医学界から【C型肝炎】という病名は、過去のものとなるのかもしれない。

これまでも、私は肝癌治療の体験記も全てブログにUPしてきた。指宿での『粒子線治療』などにたいしても問い合わせも頂いたりした。自分で体験したことが、同じC型肝炎で苦しんでいる人達の役に少しでも立てば嬉しいと、情報提供のつもりで書き綴って来た。

ハーボニー配合錠…服用について

薬服用の対象は、インターフェロンの効きにくいセログループ1(ジェノタイプ1)・・・(日本人はこのタイプが多い)のC型慢性肝炎又はC型代償性肝硬変。

C型肝炎の方や周りにそういう方がいらっしゃったら、医者にこの薬のことをお尋ねになった方がいいと思います。医者の診断により、保険適用でこの薬を使用することが出来ます。私のように肝硬変まで進んでいず、慢性肝炎程度の時だとなおいいのではないでしょうか。

 薬の蓋。

 ハーボニー錠はオレンジ色の大きな粒。隣の普通の錠剤と比べるとかなり大きいです。

アメリカの製薬会社の開発したものなので、薬瓶は子供達が開けたりできないようなチョット特殊な蓋になっていて、以前アメリカの娘宅でみた時も『これなら、子供達が薬を誤飲することがないなあ』と感心したものです。日本の薬入れ物も、こういうものに替えると安心なんですが。

 

横浜の孫が、薬終わった日、こんな花束を抱えて【おめでとう、頑張ったね、おばあちゃん!】と来てくれました。

ご隠居・娘一家・友人達、皆さんに沢山沢山心配お掛けし、案じて頂いて・・・ほんとにほんとに有難うございました。明日から新しい気持ちで、許された人生の残りの道を、明るく歩いて行きたいと改めて思っております。周りの人の心身の傷みを解る人間であり続けたいと、願っております。

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"まさか!”いぶたま号脱線!!”

2014-06-21 22:13:05 | C型肝炎治療記

6月21日。「指宿たまて箱号」が脱線したとTVお昼のニュースでが流れた。

もう、びっくり!!2月先進医療を受けるために一度ならず指宿往復した、ぬくもりのある可愛いい観光列車だった。最近の梅雨は一気に豪雨となる傾向が強い。その雨で流入した土砂に乗り上げてしまったそうだ。

前にブログにUPしたように、鹿児島中央駅からJR指宿枕崎線を走っている観光列車である。車内は木造りで、窓際には外が眺められるようにカウンター式になり、絵本の本棚や制帽被っての記念撮影、鹿児島に関するクイズなど、色々趣向を凝らして乗客を楽しませるようになっている。

指宿は『竜宮城伝説』のあるところなので、乗車時には浦島太郎の玉手箱の白い煙に見立てた蒸気が出る仕掛けになっており、人気である。

若い人や外国の人達にも人気で、駅ではカメラを構える人も多い。車内を写す人も(私もしっかりミーハーでカメラ構えたり、記念撮影してもらったりした)

乗務員のオネエサンも優しい笑顔で子供達に話しかけたり、昼休みには市役所の人達が田圃のあぜ道で手を振ったり、踏切では地元の人が歓迎の笑顔で迎えてくれたり。ローカルならではの温かい『おもてなし』の心がいっぱいの列車だ。指宿特製のお菓子などという地元のお土産車内販売などもある。

けが人は13人だが、幸い軽傷とのこと。ほっとした。

     一昨日ブログを読んだ友人が「博多駅から新幹線桜で、鹿児島中央に行き、いぶたま号で指宿温泉へ・・・って素敵な旅になりそうだから、行こうかな』というので『梅雨時の温泉はイマイチなので、秋紅葉の頃の方がいいんじゃない?』と話したばかりだった。私ももし治療の時期今頃になっていたら、ヤバかったかも。怪我した人の中に治療センターへ向かっていた人もいたかもしれない。

昨今の梅雨はシトシト降り続くというイメージではなく、降る時は一気に豪雨となる、短時間に降る量は半端ではない。怪我した方達も、観光客誘致に一生懸命取り組んでいた地元の人たちにとっても、自然がもたらした悪夢だった。早い復旧と今後そういうことが無いよう、心から願った。夢のあるローカル列車の将来の為にも。

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ととろサン指宿滞在記(2)

2014-06-17 17:28:38 | C型肝炎治療記

 癌の先進医療 粒子線照射治療を受けるための、鹿児島指宿滞在。まるでSF映画のワンシーンのように感じた近代医学治療でした。メタリックな感じが、ほっとでレトロ好みの私には、ちょっと違和感があって緊張して、なかなかリラックスしてホテル滞在を楽しむまでには至らなかったが、今からの医学はこんな感じになるのかもしれない。ロボットが使われたり、極小のカプセルが体内に入って治療・・・なんてことも行われるようになったのだから。

博多~~鹿児島間に新幹線が開通し、以前【新幹線さくら】で鹿児島へ。薩摩半島・大隅半島をぐるりと旅しましたので、今回は観光はなし。といっても、すぐ近場の【薩摩伝承館】などは、シャトルバスを使って行ってみました。指宿駅での【空豆祭り】などもちょっとのぞいたり、駅前などで地元の料理を食べたり、女将さんとお喋りしたり、治療の間の気分転換のひとときでした。

食べることではちょっと悩んだホテルだったけど、従業員の皆さんとても優しく人懐っこく、すっかり親しくなりました。また指宿駅あたりのお店や訪ねたところの人達も、心温かい人が多くて。いいなあと思ったことでした。

    

指宿駅前で【空豆祭り】指宿はソラマメ生産日本一だとか。サヤのまま焼いて食べるのが通の食べ方だそうです。

  

活発で明るい地元の高校生は、空豆のお料理で【高校生レストラン】を。

銭湯入り口みたいな駅前トイレ。

薩摩伝承館

 

   

 あ、私の実家の紋と同じ・・・丸に十の字。

 鹿児島中央駅。さすが!鹿児島!駅弁と焼酎が一緒に並んでいました(笑)

ご隠居さんや娘達を驚愕?させてしまいましたが、これで余命はそれなりに延びるのかも。

心から【家族】に有難う!の気持ちでいっぱいのととろデス。

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ととろサン指宿滞在記(1)

2014-06-17 14:50:52 | C型肝炎治療記

滞在型癌治療、そのホテルは。

 指宿ベイテラスホテル。

広くてゆったり。ホテル内の流れには鯉が泳いでいたり、スパやジムもある。400Mの山頂にあるので、まことに眺めが良い。患者として滞在する場合は、素泊まり形式。それなりに長い滞在になったからもあるが、支配人さんはじめ、従業員さん達、素朴で優しい。鹿児島という土地柄のせいだろうか。

 

見晴台からの眺望。天気が良ければ、屋久島、硫黄島、開聞岳など。ぐるり見渡せば桜島も。

 夕暮れ迫る錦江湾、指宿の町。

くっきりと開聞岳。綺麗な姿ですね。

 

大浴場からの眺め。ジャグジーもあって、大きくゆったり

   

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ととろさんの先進医療体験記(1)

2014-06-16 13:32:31 | C型肝炎治療記

 

粒子線照射装置 回転ガントリー(治療センター地下にある装置。直径11メートル。重さ175トン)

光速の70%まで加速した粒子線を、癌患部に照射する機械である。これが治療室と連動している。

 私が受けた先進医療について、詳しいことを知りたい、UPしてくれという友人、知人からの要望がかなり多い。家族や親戚に癌患者を持つ人が、いかに多いかということだろう。実際に会って体験したことを話したこともある。長くなるが【先進医療体験記】としてまとめてみた。

乳癌も切らずに治すという先進医療である。痛みもなく後遺症もないという。肝臓や前立腺は治療している人も多いと聞いた。

昨年(2013年)11月末

の定期検診の時だった。主治医が『肝臓に癌が二つ見つかりました。一つはちょっと場所が悪い、胆管の直ぐ傍なので、前回の【ラジオ波焼灼法】では、万一ですが胆管を傷つけることもないとはいえません。先進医療の【粒子線照射治療】をお受けになりませんか。副作用もないし、現代での最高の医療です。ぜひ!!』と。

 数多くのラジオ波焼灼法の経験のある、肝臓癌治療ベテランドクターの言葉だった。

 若い頃夫の転勤地に住んだことがあるが、その時、とんでもない医者に出会うことになり、今なら医事裁判になるような結果となった。(その頃の沖縄は、医療も本土より10年は遅れていると言われていた)

 『このままでは…』と急遽本土に帰り、再入院して命は助かったが、後遺症が【C型肝炎】となり、今に至っている。C型肝炎は→肝硬変→肝臓癌というケースを辿る。が、そうなる前にインターフェロンでウイルスがなくなり完治する人もいるし、いつ変化していくかは解らないので、癌が出来る前に寿命が尽きる人もいる。

 インターフェロンも三度試みたが思うような結果が出ず、ずっと肝硬変を引きずって生きてきた。「C型だからキツイの・・・」という人たちの言葉を聞きながら、私って、よく頑張って来たなぁと、自負する。不遜かもしれないが、妻として嫁として(姑の認知症介護など)母として、とにかく一生懸命だった。仕事もしたし・・・少しは、周りの人の役にもたったかも。見た目にはすこぶる健康と思われていたようだ。

 若いころからそれなりに色々なことがあって、でも頑張って来た私のことをよく解っている夫は、定年後の今は家事や町内のことにも参加して助けてくれている。感謝の日々である。

 4年前癌発生時は、夫の友人のお蔭で医者(今の主治医)を紹介していただき、【ラジオ波焼灼法】で癌の患部を焼くことが出来た。が、そのTドクターが言う通り、肝臓移植をしない限り、また出来ますよ・・・移植する気はさらさらなかった(娘達は提供するからと言ってくれたけど)。

治療開始まで。

 私自身は【もうここまで生きて来れたのだから、年貢の納め時でもいいかな】と思ったが、家族にとっては【あと2年かも】の余命宣告は、受け入れられるものではなかったようだ。夫は地面が揺れるような不安感に襲われたという。

 年末にはアメリカから次女も帰省する予定だったし、横浜の娘も飛んできて、医者の説明を聞いて治療法に納得した。ただ、先進医療保険に入っていない(加入できない)私は、自費負担となる。全国に7ヶ所あるこの治療センターは、まだ健康保険の対象にはなっていない。かなりの高額自費負担となるが、命には替えられないからと、夫や娘達に勧められて、鹿児島の指宿にある

 メディポリスがん粒子線治療研究センター  に行くこととなった。

 昨年12月23日。クリスマスイブには婿の待つカリフォルニアに戻る次女を、福岡空港に送って、その足で指宿へ。ご隠居も付き添いで、膝の温泉治療を兼ねて同行してくれる。

 

(指宿駅前、足湯もありました)

 主治医の紹介状や私の肝臓の現在の様子のCDなどを持って、下見も兼ねてまず医者との面談。

 (今だから笑い話になるのだが、私はその書類を夫に預けていた。夫はスーツケースに入れたと思い込んでいて・・・やっと指宿についたら・・・その大事な書類がない。沈着冷静な筈の夫がそんなことをするなんで!気が動転していたのだろう。申し訳ない限りだった)

 翌日、夫は太宰府までトンボ返りで書類をとりに。私は治療センター隣接のホテルで夫を待つことに。

12月26日~治療センターでの面談。年が明けてから検査や治療を行うこととなる。

2014年 1月7日~~10日まで指宿滞在。事前検査。固定具の型取りなど。

   

(見学会での説明)  (こういう中に患者は入って照射を受ける)

がん粒子線照射治療とは。

 粒子線とは、水素原子イオン(陽子またはプロトンともいう)や炭素原子イオンの粒子の流れのこと。これらの粒子を【シンクロトロン】という加速器により光速近くまで加速し、癌病巣に向けて照射。本来の放射線などとの大きな違いは、

★ 癌病巣のみを狙い撃ちして、周りの正常組織への影響が非常に少なく、破壊したりとい う後遺症が出ないこと。がん細胞に致死的ダメージを与えることが出来る。

★ 治療中は痛みや熱などが一切出ないこと。従来使用のガンマ線・X線(いわゆる放射線治療)のような後遺症や副作用がないこと。治癒率も89%と高い。

★ 粒子線治療適応な癌。

・肺・頭蓋底・肝臓・腎臓・膵臓・前立腺・直腸がん術後再発・骨軟部組織など。

 胃や大腸など消化器癌、複数のリンパ節転移癌、血液の癌は対象とならない。(動く臓器は、ピンポイント照射線が出来ない。)

   乳癌は今年6月より対象となり、切らずに乳癌を治す・・・事が可能となった。

 治療開始に向けて

 まず、第一回目のMRIなどで徹底的な検査。粒子線を毎日同じところに照射できるように位置決めをして、胸部から腹部にかけて固定具の型取り(私専用の型を作る)

 検査室は清潔でクールな感じ。MRI検査で、指示に従って呼吸などを繰り返せばいいのだが、かなり緊張してしまった。その呼吸や私の癌の位置などの結果をもとに、医者と技術者のチームが出来て、私の治療をどういう角度でどんな感じで照射するか…などなど1週間かけて治療計画を検討する。私達は一時帰宅(そのままホテルに滞在してもいいのだが)

 1月15日 指宿での治療開始予定だったが、よんどころない事情で、2週間延期してもらった。

 

 2月の指宿はもう菜の花の花盛り。指宿駅からはシャトルバスで、治療センター隣接のホテルへ。

(メディポリスがん治療研究センター)

2月2日治療開始。

粒子線治療に使用の回転ガントリーは、ご隠居さんが勤めていた会社の製品だった。扱う技師の人達も同じ会社の人達。「おっ、じゃあ大丈夫だ」何だか安心したという表情のご隠居さんだった。

 治療中は2月20日まで。粒子線照射回数10回。(治療センターに隣接の【指宿ベイテラスホテル】に滞在) 入院が必要と診断された人は入院可。

 

(この方が治療を受けたことで、陽子線(粒子線)治療が有名になったようだ)

 治療センターの一階は、医者や看護師さん達がいる普通の病院。清潔で綺麗で気持ちがいい。地下1階が治療室。幾つかのブースに分かれている。丁度CTやMRIの検査室と同じような感じである。

 治療衣に着替えて、ベッドの上に。自分用の型(胸部から腹部まで)が身体に固定される。最初の日はやはりドキドキしてしまう。若い技師さん達(ここでは医者ではなく)の指導に従って。

 『楽に呼吸して下さい』マイクから『吸って、吐いて』と聞こえる声に合わせてゆっくり呼吸を繰り返す(このリズムは、事前検査の時に私の呼吸に合わせてセットされている)

 部屋に入ってからの時間は、3,40分。慣れるまでは長く感じられる。

 照射はミリ単位以下で患部に行われるが、ピタッと患部に合せるための時間で、実際の照射時間は2,3分と短い。

 毎日40分。月曜から金曜まで。土日はセンターは休み。他に治療の必要な人には、指宿市内の病院を紹介するようになっている。歯科や眼科に通いながら治療している人もいた。 勿論、その人の癌の内容によって、照射日数も変わるのだが、奈良や北海道などいろんなところから来た方達、夫婦でホテル滞在や鹿児島近辺の人は通院。遠方から来たから、ついでに鹿児島ぐるり観光してみようとレンタカーを借りている人も。

 痛みも副作用もないので、仕事しながら通っている人もいた。

 治療センターのコンセプトが【癒しの治療施設】ということで、癌患者でも明るく、出来るだけ普通の生活や楽しさを味わいながら治療をしよう・・・ということのようだ。

 指宿のセンターも海抜320mの広大な敷地にあり、プールやテニスなども出来るようになっている。自然遊歩道の見晴台からの眺めは抜群である。

 ホテルもやたら大きい。レストランからの夜景の美しさも見事。

 でも・・・患者として滞在すると、出来れば簡単でも自炊が出来るようなシステムが欲しい。治療そのものは痛くもかゆくもないのだが、やはり気分的に緊張したりしておなかの調子を崩したりもする。ホテル内のレストランは非常に美味だが、毎日4800円のご馳走づくめはおなかにも金銭的にも負担が大きく、かといって、もう一つの食堂は余りに大衆食堂的で、種類も今一つである。

 シャトルバスが一日に数回ホテルと駅前や大型スーパーを巡回はしているので【出来あい】のものは買って来れる。(レンジがあるが、「温めるだけに使用してください」との注意書きあり)だが・・・1週間2週間、いや、長い人は一ヵ月二ヵ月の滞在も。私達も、時にはバスで指宿のお店に食べに出たりもしたが、何しろ一日三食が人間の常。

 温泉は広々、好きな時に気持ちよく入れるし、お風呂からの眺望も素晴らしい。でも【食べること】は人間の原点。しかも癌という厄介な病気を持った人たちである。もう少し配慮が欲しいとアンケートには記入したのだが。

治療後のケアは

 帰宅後、治療報告書を主治医のところへ。癌腫は殆ど消えているということだ。腫瘍マーカーもぐんと数字が下がった。照射跡の皮膚もも別に異常なしである。帰宅後即普通の日常生活に戻った。

 以後2か月ごとに、肝臓MRI検査の結果CDや患者のアンケートを、指宿治療センターの「経過観察室」宛に送付(封筒など必要なものはセンターから送って来る)

 照射後三種類の塗り薬をもらったが、私はアレルギーもなく皮膚も弱くはないので、痛みも痒みも水泡なども全くなく、二種類の使用で済んだ。退院後一週間ごとにカメラで画像をとり、メール添付で送付すると、担当看護師よりチェックが入る。2月26日から4月10日まで毎週添付で完了、皮膚んp軽い炎症は完治した。

 退院後5年間、経過観察してくれる。(こちらでのMRIなどを送付して)

 経費を含めて、治療費は288万3000円。保険に先進医療を付けていれば、賄える額ではあるが・・・私は保険加入の出来ない身体。これに宿泊費・食事代などを加えると、年金生活者の私共にとっては、相当厳しい金額だ。将来のためにやりくりしながら、残しているものの中から捻出した。大蔵大臣である私、これからも何とか頑張らなくちゃあ!

なぜ健康保険の対象にならないのか?

  という疑問が残った。今癌患者は3人に1人とも、二人に1人とも言われている。現実に治癒した人達も沢山いる、この治療がなぜ健康保険の対象にならないのだろうか。

回転ガントリーの設置金額だけでも物凄い金額だから、300万に近い額になるのも理解できるが、これを個人負担とするのは、本当に大変だと思う。私の主治医は【ない袖振ってもやった方がいい。命には代えられないから】と。確かに!私は夫始め家族の理解があって、治療を受けることが出来たが、そうできない人達も多い筈だ。

 今この治療センターは全国で7ヶ所だそうだ。ある程度患者数が増えて、良い結果が出れば【保険が効く】ことになるだろうと、後に続く私のような人のために心から願っている。

 もう一つ、気になること。

なぜセカンドオピニオンが定着しないのだろうか?

 以前から感じていたことだが、【医者と医者の間】での微妙な問題があるのではないだろうか。ある患者さんは、かなり遠方からいらっしゃってたが、かかりつけの医者から反対されたそうだ。「そちらに行くならもう私の方では診ませんから」とまで言われたとか。これから帰宅してまた別の医者を探さないといけないとのこと。

 私の場合は、主治医がこの治療の効果を認めている医者だったから、スムーズに事が運んだのだが。

 欧米では当たり前のセカンドオピニオンの制度が、日本ではいまだにぎくしゃくして定着しないのは、患者にとって不幸なことである。

なぜ医者間での患者の情報開示、交換がないのだろうか。

 そういうシステムを採用している病院もあるだろうが、新しい病院に行くたびに【病歴】のようなものを訊かれる。患者の情報や病歴などが、病院間で解るようになっていればも治療にも役立つ筈。これだけAT産業が進み、情報化している時代なのだから。

 狭い医者間の何とやら・・・は乗り越えて【患者のために何が必要か、何が大切か】今一度

医は仁術】という本来のあり方に立ち返って貰いたいものだと思った。

  メディポリスがん粒子線治療センター ここに詳しく出ています。

  指宿ベイテラスホテル

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