ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。旅やアメリカでの話、趣味のことなどなど・・・自分の覚書を兼ねて。

お盆も終わる・・・

2017-08-15 20:17:16 | 日々の中で

天候異変のような豪雨被害が続いた後のお盆、災害地が故郷の人達は、どんな想いだっただろうか。

今年は娘達も帰省出来ず、お盆の頃は義姉の実家の長崎へ帰省する事が多い広島在住の義兄夫婦も、今年は長崎へは帰らないとのこと。舅・姑の傍に住んで看取った私達だが、次男夫婦なので姑亡き後の法要を済ませると、義兄が広島で祀りたいと今は義兄宅に御仏壇もあり、我が家の仏壇は菩提寺の和尚さんに「魂抜き式」をしてもらった。

もう、仏壇でなくただの家具なので、処分してもいいのだが・・・仏壇となるとそうするには気が重く、そのまま祀っている。お盆の頃に義兄夫婦がよく家を留守にするので、その時はピンチヒッターで、我が家で迎え火・送り火も炊き、お供えなどもして舅・姑を迎えていた(和尚さんに聞くと、いいですよ、そちらでお盆をなさっても)とのことだったから。

だが、今年は義兄夫婦が家でお盆の時期を過ごすとのことなので「迎え火炊いたら、お父さん・お母さんに途中下車させることになるから、今年は何もしないで、お墓参りだけにしよう」とご隠居さんと話して。

毎年恒例の【三寺詣り】と95歳で家で家族に看取られ、天寿全うしたおばの初盆だけ(そこでイトコたちとか親戚に会って、昔話など色々飛び出して)最近はお祝い事より仏事の時に縁のある人たちに会うことが多い。

我が家の菩提寺大長寺(中央区舞鶴。ここには姑の実家の納骨堂も)⇒萬行寺(博多区祇園町。私の実家の墓所)⇒西教寺(博多区上呉服町)を回る。福博の街中にあるので、一気に三寺お参りするのが毎年の習わしである。

昔懐かしいボンカレーの広告が残っている路地は、TV【ぶらタモリ】にも出てきた博多の路地。母方の実家のお寺の前だ。この辺りは幸いに【福岡大空襲】免れた。が、家は路地が細いので類焼を防ぐために、叩き壊された。その当時女学生だった叔母は(母の末の妹)自分の家が目の前で壊されていくのをみて、本当に悲しかったと話した。

その頃天神近くに住んでいた私の実家は、6月の福岡大空襲で焼けてしまった。B29からの焼夷弾の火の粉が舞う中を、防空頭巾をかぶって頭から水を掛けられて、逃げ惑ったあの夜と翌朝家のあったところに行ってみたら、見事に広大な焼け野原が広がっていて、ブスブス煙が上がり、壊れた水道管から水がジャージャー流れ出ていた。あの光景は幼な心に焼き付いて、今も夏になると蘇る。8月終戦直後の23日、2歳下の弟が疎開先で亡くなった。弟はまだまだ幼く、私にはこの上なく可愛い弟だったから~~。その死のショックは大きかった。母はもっとだっただろう。夜中にふと目が覚めると、蚊帳の中に身じろぎもせず座っている母の姿を見たものだった。

あれから長い年月が流れた。戦争で得るものは何もない。けれど戦争を知らない世代が政治家になり、きな臭い感じが漂う昨今は、心が傷むことが多い。

毎年早く8月が終わって欲しいと思ってしまう私である。

家で送り火炊かなくていいので、私の弟宅にお詣りして”送り火”一緒に…と思っていたが、この暑さでちょっと体調が思わしくなく、転ばぬ先の杖と家で今夜は静かに過ごしている。

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NINAGA・マクベスを観る。

2017-08-15 17:58:14 | 映画・観劇・コンサートなど

2017・8・5

新聞で鳥栖市民文化会館に【NINAGAWAマクベス】来演との広告を見て、即チケット申し込んだ。地方に住んでいると、観たいなと思う演劇を観る機会は少ない(それでも福岡は恵まれている方だが)だから蜷川さん演出の生の舞台は殆どみていない。TVなどで観た程度である。今回はサロンパスで有名な久光製薬のカルチャー・スペシャル15回目。蜷川幸雄一周忌記念としての上演。企業が音楽や演劇をこんな形に、市民に提供することは、利益還元として大いに喜ばしいことだ。ロビーは満員、熱気が溢れていた。

シェークスピア劇は好きで、若い頃は新劇での舞台で、例えば「ロミオとジュリエット」ロミオを作家芥川龍之介の息子、芥川比呂志や山本圭が演じたり(という話をすると物凄く私、昔から生きていたみたいだが…笑・・・演劇は高校時代からしっかりはまっていたので)仲代達矢の「リチャード三世」平幹の「リア王」など幾つかは観たことがある。今回は市村正親さんのマクベス・田中裕子さんのマクベス夫人。膨大な台詞と殺陣の激しさ、市村さんとても65歳で胃がん手術後なんて思えない。歌舞伎でもそうだが、役者の体力の凄さには脱帽である。田中裕子さんはデビューの朝ドラ「サザエさん」の頃から好きな女優さんの一人だった。夫の野望を知るやその気持ちをあおりそそのかして、王の暗殺へと。

1980年初演の時に『NINAGAマクベス』東宝の中根プロジューサーだとのこと、蜷川さんは抵抗?したらしいが、その後海外公演で好評を博し、演出家蜷川幸夫は世界の蜷川となる。玉三郎が世界の玉三郎であるのと同様に。

幾つのもシェークスピア劇を手掛けているが、このマクベスは時代を安土桃山時代に置き換え、登場人物は原作そのままカタカナで。黒沢明の「蜘蛛の巣城」は日本の時代劇に置き換えての映画化であったが(優れた映画だと思う。今でも山田五十鈴のマクベス夫人が、手を洗っても洗っても真っ赤な血が落ちないと狂乱気味に何度も手を洗う場面は鮮やかに覚えている)

まず幕が開くと正面に大きな大きな仏壇がど~~と置かれており。客席から舞台へ上がって来たボロ布をまとった老婆が二人。この仏壇のカギを開け、下手上手の舞台の袖に蹲る。仏壇の戸が開きそこから物語が始まる。マクベスが王となり、やがては己のよこしまな野望が恐怖を呼び、予言にあったバーナムの杜が本当に動いて迫って来た時、おのれの最後を知る。夫の野望に加担し、王の暗殺の背中を押したマクベス夫人も狂気の淵へと向かう。仏壇の扉が再び老婆たちの手で閉められた時、マクベスとマクベスを取り巻く人達の物語は、終末を迎える。全ては死者を祭る仏壇の中の出来事・・・二人の蹲る老婆は劇の初めから終わりまで、ライトの当たらない隅っこで、食べたり飲んだり拝んだり・・・物凄い存在感だった。出演者が客席から登場したり引っ込んだりも、コクーンなどでの演出をそのままに。

なんという面白い舞台作り、演出だろう。

森の中で3人の魔女に「予言」を受けたスコットランドの将軍マクベス。その予言は彼の心の奥にある野心を呼び覚ます。予言に踊らされたか?もともと彼の中にあった栄達への欲望が姿を現したのか?安土桃山の絢爛たる衣装や、桜の舞い散る舞台、十二神将を配した場面などなど、斬新で和の官能的とも思える美しさを醸し出し、見事にマクベスの本質をとらえている。この劇が世界にブラボーと迎え入れられた意義が解る気がした。

シェークスピアのセリフは、人生の深淵を覗くような哲学的・文学的表現で、本として読んでもその台詞術に魅せられてしまう。もっといろんな蜷川さんのシェークスピアものを観たかったなあ。

鳥栖市民文化会館、手頃な大きさの劇場で観すかった。

パトリア日田(日田市民文化会館)も良かった(玉三郎特別舞踊公演)11月には獅童サンなどの松竹歌舞伎が。クラシックバレー(白鳥の湖・くるみ割り人形などから)も企画にあって楽しい。足を延ばそうかな。

久留米市民会館の劇場「久留米座」もレトロな雰囲気取り入れてよかった。

地方のこういう会館は素敵なんだなと改めて思った・・・さて、太宰府市民会館は・・・と聞かれると…名前だけは「プラム・カルコア」とお洒落に変わったが。

答えようがないなあ。40年前太宰府に移り住んだ頃は図書館も中央公民館もなく【子供文庫活動】の人達が頑張って図書館建設を実現させたといっていいだろう。私は途中から転勤したので関わることはできなかったが、その当時の「子供文庫」の人達が(今もも読書会の仲間達)の「図書館」が欲しいとの切望が実った結果だった。(中央公民館の中に図書館がある)が、もう長い年月が経つと内容的にも古くて・・・。そろそろ考えるべき時期になったように思う。でも立派過ぎる体育館建設や市役所回廊にお金使った後だから~~経済的に無理かなあ(苦笑)

 

 

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久しぶり、温泉へ。

2017-08-06 22:32:44 | 旅&温泉紀行

今の日本は観光地も温泉も隣国のツアー客などで溢れんばかり、加えて夏休みにも入った。「どこに行っても人だらけだなあ,それに暑いし」とついつい家に籠り勝ち。今度の北九州災害のことを考えるとなおのこと、身体が前に出ない。

そんな時にあの熊本大地震以来休館だったお気に入りの温泉宿がリニュアルして再開とのことで、「風評被害払拭のつもりで」思い切って出かけることにした。

熊本南阿蘇にある5千坪の山庭に、15戸だけの離れ屋風温泉宿(その形式にしては価格も高くはない)団体客がないのと、部屋に露天風呂があるのが御隠居も私も気に入っている。

南阿蘇へ向かう道は、まだあちこちで道路や橋の工事中だった。う回路を通って行く。

 

 

山肌が大きくえぐられていたり、道が橋が・・・。上から眺めると家々や畑ももう元通りのように見えるが、まだ人々の生活は戻ってはいない。胸の痛くなる想いで周りの景色を眺めた。

宿は眺めた感じでは以前のままだったが、部屋も新しくなり、大風呂などは見かけは大丈夫だったが大がかりな手直しをしないと再開できなかったという。

 

  

3時ごろについて早速お風呂へ。まず大風呂と露天風呂へ。だ~れもいない。陽ざしは眩しいが、お湯の温度は丁度良い感じで、あふれ出る透明なお湯にゆったりと出たり入ったり。部屋の露天風呂も入れると一泊なのに、何回入ったかな。我ながら”温泉好きだなあ”と呆れた。

他に何組か家族つれの泊り客があるようだが、至って静か。山の中の【隠れ家】風なたたずまいがこの宿の良さだろう。食事はお食事処。個室になっていてゆっくりと地酒を少し飲んで、シニアコースのお料理(程よい量である)を頂く。

「客足はまだまだ戻ってきません。今も熊本震度2とか震度3と報道があると、即キャンセルが入って・・・でも頑張らなくては」そんな話を聞く。帰りは皆さん総出で私達の出発を見送ってくれる。「どうぞまたぜひお出かけ下さい」竹楽亭(南阿蘇 俵山温泉)

南小国の方に回り、行きつけの立ち寄り湯に。暑いからどうしようか・・・なんて言っていたけど、温泉好きな私達、やっぱりゆっくり貸し切り湯で、夫は「のぼせる」と早々と上がり、私はしっかりと50分どっとばかりに流れっぱなしの温泉を味わう。目の前の涌蓋山を眺めながら。

温泉の色はいつもはブルーなのに、白濁色なので尋ねたら「地震後変わった」そうである。

 

看板猫のシロちゃんも、暑さにぐったり。撫でると薄眼を開けて「この暑いのにまた温泉、入るの?もの好きだなあ」と言っていた(ようである) でも・・・暑くても寒くても温泉はGood!!楽しんで復興のささやかな助けになる?のだから。

ちなみにこの日、熊本も37度を超しました。

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