ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。旅やアメリカでの話、趣味のことなどなど・・・自分の覚書を兼ねて。

菩提樹の花

2008-06-20 21:34:43 | 日々の中で

  

先日14日友人のNさんが「菩提樹の花が見頃になったよ」と教えてくれた。早速翌日曇り空ではあったが、昼下がり『戒壇院』へ出かけた。

戒壇院は観世音寺を右手に見て、境内から小道を横切ると小さな門がある。江戸時代に独立するまでは、観世音寺に付随したと聞いた。

761年(天平5年)聖武天皇の勅願によって観世音寺の境内に建立された。僧尼となるにはこの戒壇院で、守るべき戒律を授からねばならなかった(奈良の東大寺、栃木の薬師寺の戒壇と合わせて、天下三戒壇と称される)

ここにお釈迦様がこの樹の下で悟りを開かれたという【菩提樹】がある。勿論そのものではなく、分け樹でここの菩提樹は名僧鑑真和上が中国から持ち帰ったとされる。もともとは、インドのものだという。歴史の総てが定かなものではないが、この樹木の雰囲気を想うとうなずけるような気がしてくる。

毎年6月半ば頃、黄色い小さなややうつむいた花をつける。花は華やかなものではない。慎ましやかな佇まいの花だが、その香りは優しく馥郁としてあたりを、仏法の世界に誘うような気持ちになるから~~不思議なものである。15日は沢山の人たちが訪れており、ちょっとびっくり。前日にTVで放映されたり、新聞にも菩提樹の花見ごろの記事が出たとのことで、いやあ、マスコミの力は偉大でアリマス(苦笑)

今年は花はこぶりだが、びっしりと房のように開花していた。花の香に包まれながら【お抹茶とお菓子】を頂く。 今を盛りの花に堪能したあとは、観世音寺の花菖蒲や紫陽花を愛 で、【太宰府政庁跡】で(観世音寺のすぐお隣のようなものです)、山城だった四王寺を背景に広がる都府楼史 跡で、はるかなる時の流れを想いを馳せながら、ひとときを過ごした。小さな堀には睡蓮が。蓮の花はおおぶりだが、ここのはモネの絵のような睡蓮。陽ざしが弱いので開花はいまひとつだ ったが、水の上に漂うように小柄な白とピンクの花が咲いていた。この辺りまでは、我が家から歩いて30分くらいか。自然と史跡に恵まれた格好な散策が太宰府には多い。というより自然散策の中に、小さな都市が存在していると言った方がいいかもしれない。水道料金は高いけど、この自然と史跡に免じて・・・いやいや、生活環境はちゃんとしなければ(と、主婦感覚に戻ったととろさんです)  都府楼史跡。四王寺山(山城のあったところ)の眼下に、その昔の日本の西の守りの役所がありました。太宰府は歴史の宝庫です。

 

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肝を冷やした話

2008-06-10 18:10:45 | 日々の中で

アメリカに住む娘”めい”からの長文メール。友人達への一括送信だが読んで驚いた。

よくまあ無事で!!

冒険心・自立心の強い娘ではあったが、こんな無茶をするとは!「なんという無茶をするんだ!」と雷を落とすとともによくぞ生還!と驚きもあった。留学する時から学校も自分で調べ手続き一切自分で、以後親に迷惑などかけず生きてきた娘ではあるが。パートナーの”マサ君”からしっかりお叱りを受けたそうだ。当たり前だよ。驚きがおさまると、読み物として面白く、本人の了解を得てここに転載してみた。アメリカの自然は想像を絶する大きさである。

>ここでのトレイルの件、既に問い合わせが数件来てるので詳しく書きます。 長くなるので、お時間のない方は写真だけどーぞ。

さて、Zion Canyoneeringから半年、スキューバダイビングのインストラクターとして充実した日々を送っているMasaくんですが、その分二日以上の休みが全く取れない! 大自然の中に行きたいとウズウズしていた私は、ついに限界で”ごめん、行って来る!”と書置きを残し、3月のとある週末、2泊3日でHavasupaiへと出かけました

キャニオンの谷底からさらに落ちていくこのHavasupai Fallは、ニコラスケイジの映画”Next"にもでてくるのですが、Grand Canyonを検索した人は、一度は写真で目にした光景ではないしょうか。 が、近いとはいえ、ここはGCには全く関係なく、National Parkでもありません。 

Canyonの谷底にあるIndian居住区を一般人に開放してくれたところに、ある秘境と呼んでもいい所。 イコール (=)情報が限られている! 

トレイルスタートから往復20マイル (32キロ)ってのは解っていても、トレイルの状態やハードさについては、はっきりとわからない。 谷底にもロッジはあるのですが、当然3-6ヶ月前には予約で埋まってしまう。キャンプ場もあるのですが、往復20マイルキャンプ道具抱えて歩くのはさすがにパスしたい。

ツアー会社に頼んでヘリでひとっとび、もしくは馬で行くことは出来るのですが、それじゃ楽しさ半減してしまう。  いろいろとWebの書き込みをみてると、一応7時間ほどで往復可能とあり、半信半疑で向かったものの、後でとんでもない目にあうこととなります。。

CAからなら、Kingman, AZ経由し、Route66からIndian Route18へ折れHualapai Hilltopへ。 てっきり砂漠地帯化思いきや、3月なのにまだ雪の多く残る林のなかの一本道。 次から次にわたって来る牛さんをよけながら走って行くと、下を見ると怖いような絶壁の上にParkingとRanger Stationのプレハブ小屋あり。  その一番奥にトレイル出発点。 最初はヘアピンカーブとはいえ下り坂なので楽勝で1.5Mileほど駆け抜けていき、谷底の平坦な道へと分かれていきます。 特にサインもないので、"帰り道、迷いそうだなあ"と、既にあとで降りかかる事態を予想していた私でした。

が、こっからが問題。 確かに平坦だけど、トレイルというより、コロラド川の支流が干上がってできたような道。。 つまり川底にあるような大小の石ごろごろの上をひたすら前に通ったひとの足跡、もしくは馬糞後を追っかけながら6.5マイルほど麓の村まで歩いていく。。 石に足はとられるは、足のうらはごつごつした岩で痛いわ、変なところに力は入るわで、意外に歩くのに時間がかかる。 マイル表示も棒っきれが2マイル置き位にたってるだけなので、距離感がなかなかとれない。 村まで残り4マイルの、更なる分かれ道に出たときには、既に結構足が限界に来てたりする。

途中写真とってたとはいえ、8時にトレイル出発をして、途中川を渡り、村に着いたのは、すでに12:30でした。 (ここまで約8マイル=13KM) ”うわー!ホントに谷底に村があるー! 桜の木まであるー!!”とかはしゃいでたのですが、さらにこっから滝まで2マイルって思うと、どっと疲れが。。 

が、滝どこ?ってくらい民家と牧場しか見えない。。 人の家と家の間に道ができてるって感じで、そこをぐるりと廻っていくと、やっと観光案内所のようなものがみつかる。 ここで村の地図をもらい、滝へ。。 (キャンプ場のすぐそばにあります) こっからの道は赤石が砕けてできたような、さらっさらの道。。歩くたびに足が埋まる、これがまた結構辛い。。 

そして滝の爆音が、したって思うといきなり右手にHavasupai Fallが! 疲れがふっとぶぐらいの迫力で、やっぱり来てよかったって感激してたのですが、あれ。。何か違う?
Hf2 写真でよく見るのはこれ。 滝が二つに分かれてるのがここの特徴。が、目の前に見えてたのはこれ。 滝が分かれてない!! 
そういえば今年は、通常より積雪が多かった。 雪解け水が多すぎて、滝が分かれるような量ではないってこと。。 うー。。やっぱり大自然は予測できない。
でも、滝の前に立つと、かかえてるカメラも吹っ飛ばされそうな、どしゃ降りのなかにいるようなこの迫力は、やっぱり来たかいあると、改めて感激してました。そしてこのコロラド川の水の色!!  
繰り返しますが、雪解け水です!3月です。 凍るように冷たい水です。。なんで泳げるかな欧米人。。。

この先に22マイルの高さから落ちてるMooney Fallsもあるのですが、さすがに時間切れで断念。 それどころか、"日の入りは6:00だから”と念を押されてたのに、気がつくと4:00をまわってる! ”やばい!!”っと駆け出そうとすると、足がピキピキ固まってる。。足がつる。。 そう、お昼食べたり写真撮ったりを体を休めてたせいで、逆に足が動かなくなってしまってる。。 Yosemite Half Dome往復12時間、Top of YOSEMITE Fall往復8時間など、色々ハードなトレイルはこなしてきたので、足には自信があったので、これはショックでしたねー。。 それだけ、川底石ごろごろ道は足に負担がかかるってことなんでしょうけどね。 こっから10マイル(16キロ)さらに最後は上り坂、でも、帰るしか手はないし。。 

気持ちは走ってても実際には、足をなかば引きずるようにして、それでもなんとか半分。。 ここで無常にも日が沈む。 それでなくても、見つけにくい足跡を辿るとれいる、日が落ちるとあっという間に見えなくなる。。 こんなときに限って懐中電灯を、慌てて車に置いてきてたりする。。。 うわあ。。 既にあたりは真っ暗。 この日はまた、よりによって新月で、墨を塗ったような空に満天の星のみ。 星座の区別なんてつけれないほど、星で埋まった空を独り占めできる機会なんて滅多にないのに、悲しいかな満喫する余裕など既になし。

とりあえず、カメラのフラッシュを使いながら、足跡よりは見つけ易い馬糞後を辿って数マイル。  が、なんか感じが違う。 絶対道が違ってるきがする。
と、そこで私を待っててくれたのは、馬ならぬ牛の群れでした。。。 (暗がりでどっちの糞かなんか、区別つかないよー!!なんでこんなとこで、放牧なんかしてんだー!!) 迷ったってことだね。

時計は既に夜八時。 (トレイルをでて既に半日っす。。) キャニオンの谷底は風も強く寒い。 確かF25度 =摂氏マイナス4度位まで気温が落ちると聞いた。  
これ以上いくと、さらに迷って出られなくなるはず。。 これはもう覚悟を決めて夜明かししかない。 一応防寒具は持ってきてるので、ひたすら着込む、ホッカイロも貼る、持ってたタオルを首に巻いて、フードかぶると、ちょっとあったかい。 食べ物は、お握りも、ビーフジャーキーも残ってる、水がないトレイルと知ってたので、たっぷり2リットルはまだ水も残ってる。 大丈夫! 

一時間後。。 とにかく寒い。。 風でできた穴に入り込んでもみたけど、(これは沖縄で見た風葬あと思い出して、ちょっと嫌だったんだけど。。) 岩自体が冷たくて、長時間座っていられない。 

ここで初めて、"真剣に凍死しちゃうかも”と考える。。。が、不思議なことに、パニっくになったりしないものだ。 落ち着いて人生ってものを振り返ると、【好き勝手生きてきて、したいこと全部して、仕事頑張って、自力で家も買って市民権もとって、結婚もして旦那に永住権もとって。。。 憧れの紅海ダイビングもしたし、マンタとも泳いだし、ピラミッドもみたし、ガラパゴスも行ったし。。 やり残したことないってくらい、楽しんだんだなーと我ながら感心】

ダイビングで窒息死はつらいけど、同じくらい好きなトレイルで凍死ってのは、なかなかいい人生の終わり方じゃないか?と思ったりする。 秋に逝ってしまった愛猫蘭丸にも会えるし。。

(お父さん、お母さん、Masaくん、ごめんなさいー!!) 

が、家族は当然そうは思わないよね。 きっと行方を捜そうとするはず。 ふと思い出すと、ここは人里はなれたキャニオンの谷底。 おもいっきりトレイルから外れてる、携帯もつながらない。 つまり遺体は普通には発見されない。 ヘリの捜索は凄い費用がかかる。 私は、WillもTrustも作ってないことに気づいた。 うわあ、このままじゃ家族に多大な迷惑が掛かってしまう。 (この国は、夫婦間でも遺産相続は簡単じゃないんだ)  帰んなきゃ!!

人間の生きる気力なんて、こうやって、誰かのためじゃないと、湧かないもんだなあと、へんに感心しながら、とにかく行動に移すことにする。

不思議なもんで、生きようとすると、あとはとんとんと事が進む。 約2時間後、無事トレイルに戻る。 遠いけど村へ戻るほうが間違いはないと、更に歩いてると、やはりトレイルを断念して、寝袋にくるまってる旅行者にあう。 水を用意してなかった彼と、懐中電灯を物々交換してもらい、またParkingへと戻ろうと逆戻りをすると、今度は馬に乗って犬の散歩をしてるインデアンのおじさんにあう。 ちなみにほぼ真夜中である。 先に述べたとおり、月のない真っ暗闇である。 そのなかを、明かりを持たずに、道に迷うことなく散歩しているのだ! 

凄いよなあ。。人間って、やっぱり文明発達しなかったほうが、種として優れていたんじゃないかと思う。

とにかく、そのおじさんにパーキングまで案内してもらうこととなった。 歩いてるとはいえ、馬のあとを、しかも上り坂を、この疲れた足で歩き続けるのは辛かったけど、あまり長い時間つき合わせるのも申し訳ないんで、精一杯の早足で歩く。 それでも遅れると、犬たちが戻ってきて待っててくれる。。 優しいよねー。。 

おじさん二人と、馬犬たちのおかげで、無事にParkigへたどり着いたときには、既に午前2時を過ぎておりました。。 迷ってた時間もあわせると、多分14時間くらいは歩き回ってたんだと思う。。 万歩計もって行っておけばよかったって思うくらいの、最長徒歩記録でした。

教訓!未知の大自然に行くときは、これでもかってくらい情報を集めてからにしましょう。。。 思いつきで行くもんじゃないです。
でも、Havasupaiは本当に綺麗なので、しっかりした計画さえあれば、行く価値大です!! ご希望の方には、村でもらったのMapもお送りしますよ。 〔容量大きいので今回一緒に送るのはやめました)。

おおよその距離を下記にまとめておきます。 

LA - Kingman (5 hours) 5時間
Kingman - Indian 18 via Route 66 (45min) Hava_for_web_8
Indian18 - Parking at  Hualapai Hiltop ( 68 mile - 75min)

-Trail -   1マイルは約1,6キロメートル

Hualapai Hiltop - Entrance of Supai Village                        8miles
Entrance of Supai Village - Havasupai Fall/Camp Ground         2 miles
Havasupai Fall - Mooney Falls                                         1 mile
Mooney Falls - Colorado River                                         9 miles



Hava_for_web_1 Hava_for_web_4  Hava_for_web_2



 



 

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あら、懐かしい写真が

2008-06-09 15:28:23 | 草の根地域福祉

夜明けは5時、落日Img_0396は7時半と日が長くなった。朝町内を一回りするだけに、小さPhotoな優しい花たちとの出会いがある。 嬉しい一日の始まり。少しぐらい蒸し暑くったって気にしない、気にしない!(花は夫サン撮影)

探したい写真があって、古いアルバムなどを繰っていたら、まだ貼り付けていない写真類が箱の中にあった。”整理したつもりだったんだけ ど”その中に昔の【子ども会夏の行事】のスナップがあった。下の娘が六年生だったので、私が子供会会長サンだった時のだ。もう、写真は色焼けしているが、"こんなことをしたんだっけ"と懐かしくなった。

まだ、公民館もなく、一応公民館用地である狭い広場に廃車になった私鉄バスを譲り受けて、そのバスが【子供図書館】(地区文庫活動の拠点は古びたバスだったのだ)であり、集会場であった。

Img_7191 毎年夏はキャンプに行くのだが、この年はちょっと違うことを計画してみたい、ととろサンの”おじいちゃん、おばあちゃんも招いて花火を孫達と楽しんでもらいたい”そんな遊び心に、その頃はまだ若いママさん達だった子供会のお母さん達が賛成して下さって、地域(団地)の中でやることにしたのだった。

飯盒炊飯(これは珍しくも登山好き夫サンが指導してくれた。お得意の分野だったから。助かったなあ)カレー作り。(廃車バスの前の水道で、食器洗いの順番を待つ子供たち。ほんとに素朴な質素な、でも、楽しんでいました)


【花火】をお年よりも一緒に楽しんだ後、石穴神社の杜の細い坂道を【トーチ】を掲げての夜の行進、その後【キャンプファイアー】に点火。賑やかにみんなで踊ったり歌ったり。最後は【お化け大会Img_7192 石穴神社の上まで行って・・・登り着いた証拠の品を持ち帰ること。途中にはママさんや上の娘(無理やり引っ張り込んだ・・・んだっけ?)はじめ子供会卒業した中学生が、白いシーツなどを被って待機。カセットで音楽ならしたり、お化け役。子供たちは本気で怖がったり、歓声を上げたり、夏休みの一夜の冒険であった。(こんな扮装をした子も、今は幼稚園児のパパさんです)

当時の小学校PTA会長のAさん、太宰府子供会連合のNさん。Nさんは製材所の息子さんで、子供会の熱心な指導者。(今はN建設の社長さんになられたと思う)細身だったから、子供たちから「かまきりのお兄ちゃん」なんて呼ばれていらした。ゲームの指導などもして下さった。

そんな方々が応援してくださって、キャンプファイアーに使う木材も持込み、やぐらを組んで下さった。今もう色あせてしまった写真を見ながら、忘れてしまっていたその頃の光景を思い出した。その子供たちは、今はもう2人か3人の親となって、その子供たちが当時の年齢に達している人もいる。小学生の数は47人(覚えていた)。今の子供会は23人(リタイヤして戻った頃は10人割っていたかも。少子化時代である)

197今年も【夏休みおもしろ塾】を続けて欲しいとの要望で、夫サンが今までどおり塾長を務めて、私はアシスタント。子供会のお母さん達が中心となって、運営してくれるとのこと。「そうこなくちゃあ。塾の意味がない」と内心嬉しいととろサンである。(おもしろ塾・茶道の一場面)

この面白塾も今年で7年目になる。子供会のお母さん達と相談しながら、良い内容のおもしろ塾にしないといけないな。

このキャンプもどきのあと、再び子供会から当時の区長サンに参拝九拝して、公民館建設をお願いした。(云い続けて数年でした)

子供会で廃品回収をやり、そのお金を貯金通帳に。「公民館資金」と銘打って。これって、単なるデモンストレーションだったのだけど、当時のオトシヨリ区長サン、「Tさんの(ととろサン)耳についた蚊のごと、公民館、公民館といわっしゃるけん、」と重い腰を上げてくださったのだった。地域には経理に明るい方はじめ、企業で活躍していらした方達もいらっしゃったので、建築士・建築費用(住民の負担金のことなど)などなど・・・区長サン宅に夜何度も集まって話合いが続けられた。何もかも自分たちの手で、作り上げてきた小さな公民館。手狭にはなったが、今は殆ど一年中活動していて区民の集まりの場となっている。ここで、フラダンスはじめサークルや福祉関係の【井戸端サロン】【赤ちゃんサロン】などが行われている。【ひまわり会】や【花想会(話そう会)などのオトシヨリとの交流の場として活躍している。廃車バスから地域公民館へ。わが地区の小さいけど意義のある歩みであった。

今日は一枚の写真を探すつもりだったのに・・・思い出の中へタイムスリップしてしまった。それにしても、写真の整理もしないといけないな。

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緑・緑・みどりに心洗われて

2008-06-04 18:12:38 | 旅&温泉紀行


 『久しく久住に行ってないなあ』と話していたところへ、ご近所の親しい方からKコテージの優待券を頂いた。一泊2食付¥6800。年金暮らしには格好な値段である。天気予報とにらめっこしていた夫サンが『日曜日は晴れるようだ。その後入梅かも』と、急遽行くことに決めた。

太宰府を出て筑前町あたりまで走ると、見渡す限りの黄金色の麦畑が広がる。この近くには大手のビール工場があり、原料の麦生産契約農家が多いようだ。

麦秋・・・麦の秋】言いえて妙なり・・・好きな言葉、風景。車を止めて暫し優しく揺れる実りの麦と風の中に佇んだ。こんな時俳句なり和歌なりで、感じたままを表現できたらいいだろうなあ・・・と思う。

それにしてもこの広大な麦畑はビールの原料。今は小麦粉不足でパンやケーキ類も値上がりしている。毎年新しい品種のビールなど売り出さなくてもいいから、食料としての小麦粉生産に切り替えたらどうなのだろう~と余り飲めない下戸の私は思ってしまった。ビール大好きな方には、顰蹙を買う発言かもしれないけど。

 飯田高原辺りまで来ると、車・車。駐車場から溢れた車が道の路肩にずらっと並んでいる。「なんで?」「あ、今日は6月1日、久住の山開きだ!」と夫サンが素っ頓狂な声をあげた。道理で人だらけ・車だらけな筈。この日久住の【大船山】は1万5千人が登頂したという。

若い頃には豊後中村までバスで来て、長者原を歩いて久住山・星生山・大船山・三股山などを縦走したりしたものだが、今はすっかり便利になって、長者原まで車で行けるのだから、登山も楽になったなあと思う。

寄り道をしながら【男Photo_8池(おいけ)Img_0314に着く。このあたりの樹林は早春 の芽吹きの頃が素晴らしい。好きな場所の一つである。陽だまりで、木漏れ日を浴びながら食べるお握りの美味しいこと!。滴るような緑、周りは緑一色、染まりそうだ。【サバノオ】(夫サン撮影

Photo_9優しいせせらぎを聞きながら樹林を散歩。山野草は時節柄余りない。夫サンはPhoto_11 「”かくし水”あたりまで」と。私は先日のぎっくり腰以来、どうも腰の調子がいま一つなので、残ってリュックを枕に、鳥のさえずりを聞きながらゆったりと過ごす。高い樹木の葉先をさわさわと渉る風の音、啄木鳥がコンコン・カンカンと穴を穿つ音がこだまのように響く。自然と一体になったような至福の時が流れた。(画像は石を根で抱くケヤキの大木)

Photo_14 登山客が到着しない前にと、早めに宿に入り、お気に入りの露天風呂へ。何のImg_7140 変哲もない露天だが、眺望が素晴らしくて気に入っている。湯船に浸かりながら、遮るもののない、見晴るかす草原のそのまた彼方に、優しい仏様の寝姿のような【阿蘇五岳】を見ることが出来る。大らかな広大な景色となだらかな阿蘇の山々。晴天の夜は、一面の星空を見上げながら、ゆったりと天然の豊かな温泉を楽しむ。食事もなかなかでリピーターの多い宿だ。画像は【ハナシノブ】(阿蘇や久住あたりにしか自生しないという、可憐な薄紫の花)

 一口メモ・・・【阿蘇山】と言う山は正式にはなく、根子岳(1433m)、高岳(1592m)、中岳(1506m)、烏帽子岳(1377m)、杵島岳(1326m)と続き、これを【阿蘇五岳】という。現在活火山として活動を続けるのは【中岳】である。全体を眺めると【釈迦涅槃像】に見える。

PhotoPhoto_13 翌朝は雨、覚悟はしていたので専ら”生産地買い物ツアー”と洒落れた。」「ガンジ ーファーム」でソフトクリームを食べながら、生ハムやソーセージ・チーズなどを物色。

下條の大銀杏】の傍で、自家製の色々な豆を作って売っているオトシヨリ夫婦の小さな雑貨屋さんがある。久住に行くたびに立ち寄るのですっかり顔馴染みである。今回も元気な顔を見てほっとする。ここの殻つきピーナツ(落花生)が安くて美味なのだ。一袋100円。たっぷり買い込んだ。さらに南小国の「きよらかーさ」や「木の花ガルデンなどあちこち覗いて、お野菜類・お花・味噌などなどを。お昼はお蕎麦でも~と思っていたが、夫が珍しいものを見つけたからそれにしようとPhoto_12

蒟蒻(こんにゃく)寿司】・・・このあたりは一村一品運動などで、生産者の人たちが頑張って色々なものを作っている。大山の梅干も有名だ。総て生産者の名前入りなので、何だか安心して買うことが出来る。


 蒟蒻寿司は、手作り蒟蒻をおいなりサンみたいに開いて、寿司飯をつめたものだが、甘く煮付けた蒟蒻のつるりImg_7174 Photo_15 とした感触、素朴な味がなかなか乙で美味しかった。

(阿蘇の草原、今日は雨で牛さんの姿見えませんでした)


入梅の前の旅ともいえない小さな旅、緑に染まるような芳醇な気分を味わった旅。たとえ一泊でも温泉に浸かったことで、なんだか腰痛が少し楽になったような気がするから不思議だ。さあ、また元気で一日一日を、明るく暮らすことにしよう!

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