ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。旅やアメリカでの話、趣味のことなどなど・・・自分の覚書を兼ねて。

宝の持ち腐れ?かも。

2007-07-20 16:33:01 | 日々の中で

 ついに・・・電子辞書購入。今時【電子辞書】は宝ではなく、必需品の部類だろうし、持っている人が殆どかもしれないが,ととろサンはやっと(あるいは)ついに買ったのです。電子辞書とやらを。

Img_2629 ワタクシ、英会話に通っています。週一回午後の一時間、【初級入門コース】実は前に通ったのは、少人数で皆さんかなり英語に達者な方達。先生への質問も、ちゃんと英文で。(ととろサンは日本語交じりになって、きちんとしたセンテンスが出来ません)英単語のボキャブラリーも多い方ばかり。


娘達に「英会話に行くなら、黙って座って聞くだけでは駄目、間違ってもいいから、言葉を口にすること」ときつく言われ、頑張って何とか言葉や文章にして・・・と思ったけど、やっぱり無理でした。仲間の皆さんの足を、引っ張りすぎるほど引っ張ってしまいました。

どうしても「なんで?」と文法的なことが納得できないと、前へ進めないのは日本人気質だからかしら。会話丸暗記・・・暗記力衰退中につき、さっぱりです。で、一から教えていただこうと、今のクラスに。20数名のメンバー。何故か英会話の日に限って行事や用件が飛び込み、まだ半分も通っていないので、仲間の方のお名前と顔がさっぱり一致しませんが、できるだけ休まないで通いたいなと思っているところ。今更こんなことを書くと、笑われるでしょうが、まあ、一冊のあの小さな辞書に、何と沢山のものが入っているのでしょう!

購入のポイントは、発音が音声で入っていること。はい、ちゃんと入っていました。カナでも表示されていました。

英語関係辞典・国語関係は勿論、私には無用の長物の物理公式・数学公式事典なども。センター試験とかあるのを見ると、きっとこれは学生さん対象のものなのでしょうね。 【古語辞典】(これは私必需)【四文字熟語故事辞典】【日本史事典】【世界史事典」・・・ここは嬉しい!とても嬉しい。私の趣味の域ですから。といった具合に、本にすれば数十冊分。メカに弱い私は感心するばかり。まだ使用方法はテキストと首っ引きで勉強中。果たして使いこなせるのやら。パソコンにもつないで云々とあるけど、ここは使わないでおこうっと。

   

さて、問題は英語アレルギーのととろサン、宝の持ち腐れにならなきゃいいけど。娘がアメリカ在住なので、なんとか通常会話くらいはマスターしたいのですが。アチラの方と食事しながら「いい天気ですね」「おいしいですね」・・・程度で終わりってのも、寂しいし相手の方達に申し訳ないというか、色々聞いたり話したりしてみたいじゃありませんか。って、夢は大きいのですが・・・。

英語にはなんの関係もない・・・けど、【山笠】のところに写真沢山入れすぎたので、こちらに。や・まの法被を着ることはないけど、山笠期間中は・・こんなTシャツで過ごします。ご隠居さん。

好きこそものの上手なれ・・・っていいますね。先ずは英語好きにならないといけないのだろうけど。不安だなあ。

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や・ま・が・さ(博多祇園山笠)

2007-07-20 15:19:56 | 日々の中で

 暦が7月に変わる頃には、”今年も山笠の季節になったなあ”TVのコマーシャルみたいに山笠のあるけん、博多たい!】と、そわそわしてくるから我ながら不思議です。親やその先祖は生粋の博多生まれの博多育ちだが、私自身が生まれたのも育ったのも、福岡部の天神。つまり東中洲にかかる大橋の東側は【博多】西側は【福岡】なのですが、子供の頃から馴染んできたこの祭り、胸に熱く故郷への想いをかきたられて、何回かは博多の街へ足を運びます。

     

   

  山笠の発端は800年前に遡り、住職聖一国師弁円が木製の輿に乗り、水を撒きながら疫病退散を祈祷したことが発祥といわれ、以来色々な歴史を重ねながら、全国でも勇壮な”男の祭り”は博多っ子の守り神社【櫛田神社】の祭礼として続いてきました。

7月1日の【当番町お汐井取り】に始まり15日間、毎日色々な祭りの行事を重ねながら、博多の街は山笠一色、あちこちにはっぴ姿の男達を見かけます。この祭りの間は、結婚式にだって長法被で参列できるのですから。そして”祝いめでたあの~~若松様よ~♪”と【博多祝い唄】が歌われ、【博多一本締め】でシャシャーンと手締め。昔からのしきたりが。

 山笠の流れだの、15日の朝まだき4:59分太鼓の音とともに”オッショイ”の掛け声で、祭りのクライマックスの【追い山】のことだの、日程やあれこれの謂れ、エピソードは数え上げれば幾らでも。興味のある方は【博多祇園山笠】で検索すれば、沢山でてくることでしょう。1トンもの重い”やま”を担いで、タイムを競う締め込み姿の男達。(ふんどし・・なんて色気のないこと言わないで下さいね。締め込み・・と申します)子供達も小さい頃から、母親であるご寮さん(ごりょんさん)・・・博多の老舗の奥さんのこと・・・から、きっちりと締め込みをしてもらい、一人前の男に育っていくのです。(といっても、最近は担ぎ手の若い人が少なくなったり、苦労が多いようです。)

自らも【山のぼせ】と称する”風さんの山笠”紹介しておきましょう。クリックしてみて下さい。 http://masu3a.web.infoseek.co.jp/yamakasa/yamakasahome.html
祭りの15日の間に、一度だけ山笠が福岡部に入るのが【集団山見せ】櫛 田神社を出発して、福岡市役所前に集合します。この日は幸い雨がそのときはやみました。【追い山】は土砂降り、カメラは・・・。残念な台風の襲来でした。この日は台座に福岡の財政界の名士が乗ります。

けれど、男達は今年も颯爽と重い山を担ぎ、天からの【勢い水(きおい水)・・熱気が立ち上るので、バケツで水をかけるのです)】の中、疾風の如く駆け抜けていきました。博多の街に14本の【飾り山】作るは名ある博多人形師の人達。は今年はやはり【川中島・武田信玄】などが。はいつも子供向けの題材で、”どらえもん”や”ソフト・バンクス”などが。

博多山笠が終わると、博多の街に暑い夏がやってくる。

     子供達も走ります

飾り山の裏は子供向け。ドラえもんも登場。

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嬬恋最後の夜  その4

2007-07-08 16:35:41 | 旅&温泉紀行

 気持ちよく汗を流し、【野地平】を散策、午後遅く【プチホテル・嬬恋高原ホテル】に落ち着いた。ダークブラウンのどっしりとした木を使った内部は、吹き抜けの天井、広々とした空間、シンプルで落ち着きのある作りだった。



  広いダイニングで、美味しいイタリアン・ディナー。オーナーのご主人と祐子さん

  
 

がお話の相手もしてくださる。ゆったりと寛ぎながら、ワインを傾け、手作りの料理,家庭料理の暖かさも感じられ、心地よい疲れの後にワインが全身を回る感じ(one of capなんだけど)

野地平散策でおなかぺこぺこ。良い匂いに釣られて食べる方が忙しく(爆)前菜・海鮮料理「あ、写真!」と思った時には、すでにおなかの中。中途半端だけどUPします。オマケにお二人の写真、上手く撮れなくて(ワインで酔ってたらしい)ごめんなさい!実物のお二人の方がずっとずっと素敵です・・・!。ご主人様が東京という大都会の喧騒を逃れて、この大自然の懐【嬬恋】に移り住り住まれたその気持には、夫サンも大きくうなずいておりました。祐子さんは、さっぱりした気性の方で、根っこは江戸っ子だなという歯切れの良い方でした。

 浅間山を丸ごと博物館とする【エコ・ミュージアム】構想により立ち上げられたNPO【浅間ミュージアム】の事務局がこのプチホテル。嬬恋の将来をエコ構想で、しっかりみつめ育てていこうと頑張っている仲間の一人と伺った。本職は建築とか。ログハウスなども手がけていらっしゃるそうだ。ここはオークランド、カナダかなの木材で作られたそうな。どっちだっけ、祐子さんに確かめなきゃあ。あ、わさびサンの山荘のベランダは、飯田さんが作られたんじゃなかったかしら。記憶力日々減退・・・の頼りないととろサンです。

 嬬恋最後の夜、帳がおりました。庭に出て眺めた空は少し雲がうっすらと。でも、やっぱり星は綺麗でした。若い頃の目が欲しい!1・5の視力の頃が。 オフ会の皆様は、それぞれに日常生活をお過ごしだろうなと、思いを馳せながら、眠りにつきました。

 ※浅間ミュージアム  

木の上の小さな家。こんなところに、吹きぬける風の中、音楽のCDと本を持ち込んで・・・気分は【緑の妖精】??いや、緑のオバサンだよ、だあれ、夢を壊すのは(笑)

  明日はいよいよ、お別れです。

6月19日 万座温泉・鹿沢口よりバスで、名古屋へ。ゆうこさんが、バス停まで送って下さる。車中でのお昼にとおにぎりを作ってくださった

バス停の後ろは浅間山の噴火で流れ落ちた溶岩流が、はるか空の高みに、大きく聳えていました。その崖のコーナーには沢山の草花が植えられていました。少しでも景観に柔らかさをとの、地元の考慮でしょう。ほっと暖かい気持になります。

 

ゆうこさんに別れを告げ、バスのタラップに足をかけると、運転手サンが「はい、これを」とテ手渡してくださった。『行きのバスに忘れていらっしいましたよ』丁寧に包んで『ととろ様へ(イエイエ、私の本名が)』 と。

あらら、また、やっちゃった。ハンカチをバスの中に忘れていたのです。それにしても、なんて親切なこと!落とした本人は、落としたことさえ、最後まで気がついていませんでした。ちょっと感動しましたよ。行きは4人、帰りのバスは6人。静かでゆったりとしたバスの旅でしたが、また、赤字じゃないかしら・・・気になってしまったととろサンでした。

 旅の想い出に、嬬恋の山野草などを、手製の絵葉書に(ととろサンが写したのも少しあります)と、夫サンが作りました。

わさびサンご夫妻はじめ、オフ会参加の皆様やプチホテルのゆうこさんご夫妻などの暖かいお心で、思いもかけなかった素敵な旅が出来ましたことに、改めて感謝申し上げます。

次は・・・太宰府を起点に九州を巡るオフ会で、お目にかかれることを楽しみに!

追伸:夫サンは、いまだに女房が”ととろサン”と呼ばれ、他の方もみなそれぞれのハンドル・ネームで、何の不自然もなく呼び合って、楽しげに過ごした今度の旅は【不思議の国に迷い込んだアリス】のような感じがしているようです。

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嬬恋旅日記・その3 【野地平】湿原へ

2007-07-08 08:13:43 | 旅&温泉紀行

6月18日(月) 野地平湿原散策

 楽しかったオフ会も終わり、わさびサンご夫婦はじめまだ社会人現役の皆さんは、それぞれの現実世界へと戻って、ととろサン夫婦だけが”嬬恋居残り組となった

今朝も鳥の声で目覚める。薄く雲をはいた空、さまざまな鳴き声が冷たく澄んだ空気の高原に、朝の訪れを告げる。義兄がいたら、きっと喜ぶに違いない。野鳥探索大好きで、いつも野鳥を求めて歩いているから。鳥の声にはさっぱり~のととろサンは、ちょっと悔しい想い。野鳥とも仲良くしておくんだったなあ(残念!)

ホテルの企画に朝の自然ツアーというのがあったので、申し込んだ。休暇村の敷地内散策。10名程のやはり私達世代の人たちばかり。

ホテルの敷地の周りだけなのだが、樹木・山野草・向こうに見える山々の説明を、ガイドさんから聞きながら、ゆっくりと歩く。マイズルソウ・スズラン・ニッコウキスゲ・クリンソウ・ などなど・・・。 夫サンは早速”うずくまり状態”でカメラを向けている。僅か30分ではあったが、朝の楽しいひとときであった。

   

コマクサ、                             ズミの花

(【ズミ】の花が写せなかった~と書いていましたら、わさびサンが早速届けて下さいました。↓ズミ(コナシ)の花、とても可愛いらしい花です。

帰り足の玄関で 「あら、コマクサが!」鉢植えのコマクサがあった。これも初めて目にする花であった。写真などではみていたのだが。「これがそうなのね」としみじみ、小さな花びらを覗き込んだ。群生しているところを見たいものだ。


9時半嬬恋高原倶楽部】の祐子さんが迎えにきて下さった。わさびサンが、宿と浅間高原案内役を頼んでくださって、昨夜のオフ会で対面済みなので、気楽に朝の挨拶を交わす。ゆうこさんご夫妻の”浅間山ミュージアム”の仲間で、やはりペンションを経営なさっているモタイさん、あとでマユミさんも一緒になって【湿原野地平】を歩いた。

 今は季節はずれで閑散としている、パルコール嬬恋スキー場の横手から緩やかな道を登っていく。上り口の足元には、緑のスギゴケがあちこちに。古代から残っているという【ヒカゲノカズラ】が道の脇に這っている。【ヒカゲノカズラ】は、お正月のお祝いの熨斗細工などに使う。やはり湿地帯なのだなあ・・・とうなずきながら、シラカバダケカンバの、若い緑の樹林の中を抜けると目の前が明るく開けた。

   白樺が。この樹木を見たくて。九州にはありません。

 【野地平】は【四阿山(あづまさん)2354M】のふもとに広がる草原、標高1650Mとあ る。空気はあくまで爽やか、九州の久住高原などに比べると、見渡す限りの広大な拡がりを見せてくれる。山野草の宝庫でもあり、イワカガミ・ミツバオウレン・ムラサキヤシオツツジ・スズラン・レンゲツツジ・ツマトリソウなどなど。枝先に白い可愛い花が。何だろうと尋ねたら「コナシ(ズミ)」とのこと。風に揺れて可愛い(画像はボケていたので残念だった)ウイークデイ、本当は梅雨の最中のせいか、私達5人のみ。途中家族でゼンマイ採りにきた人たちにあったのみ。野地平独り占めの気分!

※【レンゲツツジ】はその蕾の形が、蓮華の花に似ているからと名付けられたそうだ。そういえば・・・なあるほど・・・納得。

ゆうこさん達が説明しながら、名前を教えてくださったのだが、メモしたつもりでも、随分と抜けている。でも、目の前で、足元で可愛い小さな花達を見た喜びをかみ締めて・・・・。夫は帰ってきて、山野草の本と写した画像を見比べながら、名前を確認していた。

  【ゼンマイ】が無数にたっている。3人のペンション経営に携わる女性達は、ゼンマイの空く抜きの方法や料理の話などにも、やはり詳しい。嬬恋に惹かれて移り住んだ都会からの三人の女性達は、嬬恋を愛する気持や、日々自然に囲まれて暮らす喜びを、当たり前のようにさりげながく語ってくれた。色々と苦労も大いに違いないが、それを上回る、自分で選んだ自然と向き合う日々の嬉しさが感じられる。

お昼のおにぎりも用意して下さっていて、木道に腰をおろし、お喋りしながらのひととき、優しく吹く風に草の香りを感じながらの、楽しい時間だった。山野草の話から童話の話まで、話題は広がっていった。

 ビニール袋を用意し、散策や登山の客たちが置いて行った(?)空き缶などを拾いながら、歩いていく。私の山を愛する友人達も、同じことをする。野地平にはゴミが少ないなと感心した。久住のあたりは、かなりの心無い落し物を目にすることが多いのだが。湿地にしては水のある所は余りなかったが、スギゴケが生えてしっとり柔らかい地面を靴底に感じると、湿地帯だなと改めて思った。

初めて出会う花、樹木、木漏れ日、草原を渡る風、光、流れる雲、自然に包まれて過ごした嬬恋最後の散策の時間だった。祐子さん、皆さん有難う!

※【嬬恋高原倶楽部】     http://tkclub.serio.jp/              

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【嬬恋オフ会】その2鬼押し出し園・バラキ湖

2007-07-01 21:48:26 | 旅&温泉紀行

2日目 6月17日(日) 今日も嬬恋は快晴。

  緑の木立の中の【わさび山荘】で目を覚ます。庭に出てわさびサンが「絶好のビ ューポイントよ」と教えてくれた、ベランダのところに腰をかけて朝まだきの浅間山を眺める。ゆっくりと煙が明け空に流れている。今日も快晴。オフ会の間梅雨は鳴りを潜めて、素敵な天候をプレゼントしてくれるらしい。カラリと乾いた空気と涼しさはとても梅雨最中とは思えない。

窓外の緑を眺めながら朝風呂をいただく。贅沢だなあ。小鳥の声がさえずりを交わす。こんな所でゆったりとした時間を過ごせるなんて、わさびサンもテディさんもお幸せだなあ。下界でのお二人のパワーは、嬬恋での心休める時間があるから、生まれてくるのに違いないななどと思った。わさびサンはじめ皆さんに感謝しながら、二日目が始まる。

 まず、浅間高原の【鬼押し出し園】に行きましょう、その後テデイ山荘で【ブラン チ】という運びになる。樹林を抜け、鶯の声を聞きながら【浅間園】に。

 わさびサンの案内で遊歩道へと入る。周りは浅間から流れ出た溶岩が奇岩となってごろごろ横たわり、太古の風景を彷彿とさせるような景色であった。

 

 

鬼押し出岩】は世界三大奇岩の 一つで、天明3年 (1783)の浅間山大噴火の 際、流れた溶岩が固まり、奇形な岩場を作った。溶岩原野の広さは幅3キロ、長さ12キロ。火口で鬼が暴れて押し出した・・・という言い伝えにより【鬼押し出し岩】と呼ばれるようになったという。(溶岩の上に腰掛けた夫サン、本人題して”孤猿(こえん)”だそうな(笑)

 

 
その間を縫って歩く小道の両側には、さまざまな山野草の花が!マイヅルソ ウ】【イワカガミ】など樹木の【サラサドウダン】の花も小さな鈴のようにぶら下がってピンク色の可憐な姿を見せていた。小さな暗い洞穴の隅に【ヒカリゴケ】も。石楠花も沢山あった。花の時期は美しいことだろうなあ オフ会の仲間達(仲間・・・その言葉がぴったりだと思う)と談笑しながら、足元を見、壮大なパノラマの景色を眺め、高原を吹き抜ける風に日差しの暑さを癒しながら散策は続いた。  見晴台で"全員集合!”わさびチャンもちゃんと参加しています。

 テディ山荘に立ち寄り、野外のテラスで【ブランチ】。小鳥のさえずり、木漏れ日、 涼風、美味しい食卓・・・贅沢な時の流れに包まれて、オフ会の仲間達の顔は晴れ晴れと優しい。この後、ワサビ山荘に戻って、片付けや荷物の整理など。だっくさんとはここでお別れ。素敵なスポーツカーで颯爽とだっくさんは帰って行った。残る仲間で【レンゲツツジ】で有名な【湯の丸高原】へ。「ツツジ祭り」の旗が翻り、大勢の人たちがやってきてたが、肝心のツツジは開花が遅れているらしい、植物は気候に敏感なものだから。花の見頃って難しいものだ。

 

 

 ここでわさびサンご夫婦、わさびチャンに別れを告げる。わさびサンたちは、帰路にかなりの時間がかかるのだ。オフ会を企画して下さって「いらっしゃい」と声を掛けてくれたわさびサン、本当に有難うございました。心からの感謝を!

 今夜の宿舎【嬬恋休暇村】には、テディさんご夫婦とコスモスさんが送って下さることになった。ご主人様が「折角だからレンゲツツジのある所へ」と、【バラギ湖】に連れて行って下さる。バラギ・・・とは茨木山からそういう名前になったそうだ。カタカナで外国風なので、不思議に思っていたら。そう聞くと納得できる。

人工湖だそうだが、その周りには、オレンジ色のツツジが、今を盛りと色を添え  ていた。休暇村への道すがら、広大なキャベツ畑を見せてもらった。広い広い平野一面の緑一色のキャベツ畑。モザイクのようで綺麗なこと!これもまた、初めて目にする風景でした。(車窓から)

 

 バラキ湖

 休暇村のホテルの前で、今度はテディさんご夫婦・コスモスさんと「さよなら

 一泊二日の【嬬恋オフ会】は熟女たちの魅力(笑)で雨一つ降らず、快晴のうちに、嬬恋の緑に染まり、浅間高原の鬼押し出し岩の偉容に驚き、レンゲツツジはじめ楚々とした山野草たちに歓声をあげ、そして何よりも素敵な仲間達とのオフ会の夜の宴の楽しかったこと。企画してお世話下さったわさびさんご夫婦はじめ、わさびサンネット仲間の方々、本当に有難う。来てよかった!参加してよかった!

嬬恋村のいわれ・・・【古事記】に出てくる日本武尊(やまとたけるのみこと)が東方を征伐中に、海の神の怒りを鎮めるために妻の弟橘姫(おとたちばなひめ)が海に身を投じて、夫を助けたのです。その東征の帰り、鳥居峠に立って亡き妻を惜しんで【吾嬬者耶・・・あづまはや】(ああ、わが妻よ、恋しい)と嘆いた・・・という神話にちなみ、嬬恋村と名付けられたということだそうだ。嬬恋村の歴史は、神代まで遡るのですね。

その故事にちなんで、村では【愛妻のむらづくり】が行われているとか。嬬恋村を「日本愛妻家協会」の聖地にしようという企画で、それにちなんで、色々な行事が行われているそうです。

嬬恋村役場に結婚届を提出すると、【愛妻家憲章】がもらえるそうな。

オフ仲間のだっくサンが程よく酔って口になさった、奥様との毎朝の会話と・・・。を思い出す。男性の皆さん、どこか少年の心をいまだに持ち続けていらっしゃると見受けられた。夫サンも永遠の”文学少年”である。みなさん愛妻家。(恐妻家とは申しません)心優しい男性達ばかりでした。海に身を投げるほどの、夫想いとはいわないけど、妻の一人としてだんな様方に感謝したオフ会でした。

 さて、明日はどんな自然や人との出会いがが待っているだろう。温泉にゆっくりと身を沈めながら、皆さんと過ごした時間を、再確認するような想いで辿っていたととろサンでした。

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