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ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。旅やアメリカでの話、趣味のことなどなど・・・自分の覚書を兼ねて。

ギターの音色に暑さを忘れて(東山田ケアプラザ)

2025-06-21 14:42:51 | 2023年10月より横浜での日々

6月19日(木)

 梅雨というのに数日まるで真夏日のような猛暑。33,4度まで気温は一気に上がって、身体が悲鳴を上げているような気がする。年々日本の気候は亜熱帯化が強くなったのだろうか。

そんな強烈な陽射しの午後だったが、近くの「東山ケアプラザ」高齢者の集まり(名称【談話室】)に参加。夫の急逝で娘一家が暮らす横浜に移住してきたが、知友人皆無の土地。しかも若い方達の多いマンションでの暮らし。ヒトと言葉を交わす機会もない。余生いくばくかは解らないが、何とか楽しく前向きに暮らしたいし、近くのことも知りたいと、縁あってこの集いに参加。何より会の世話をして下さるスタッフの方達の自然な笑顔と明るさが心地よい。20名程の90歳を超す方から70代位迄。お元気な女性達が中心、明るい司会のKさんと、長くボランティア活動をなさっている穏やかで知的な楽しい二人の男性、それに手作りなどのお菓子や飲み物を【おやつタイム】に用意して下さるボランティアの方達で構成されているようだ(私はまだ日が浅いので詳細は解らないが)

 今日は【ギターデュオ・リフレッシュ】という男性お二人のコンビでの演奏会。以前一度ここの集いで演奏を聴いたことがある。最近はコンサートやライブには足を運ぶことがなくなったので、生の演奏を聞けるだけでも、嬉しくなる。

 【太陽がいっぱい】【セルブールの雨傘】など映画音楽や、ビートルズの曲など。私の若い頃はフランス映画・イタリアなど洋画も盛んで、どれだけ沢山の映画を見たり、コンサートやライブに行ったりしたことだろう。映画音楽はとても嬉しかった。それに参加者の年齢に合わせて下さったのだろう演歌も。リクエストタイムがあり、私は定番ではあるが「アルハンブラ宮殿」を。「真珠とりのタンゴ」などのリクエストもあった。

 お二人がコンビを組んで、ボランティア活動を始められたきっかけは、偶然同じマンション?にお住まいで、バイクをいじっていた時に、楽器ケースがあったので、それをきっかけにギターが趣味と解り、一緒にやるようになったとのこと。60代後半~70代初めのお二人、この世代は谷村新司さんがよく言っていた「女の子にもてたくて、皆ギターを始めたんだ」そんな時代。勿論ジョークだが。日本の若者が世界の音楽に目覚めた頃と言ってもいい世代だ。そんな笑い話も交えながらの、楽しい時間だった。

みんなで歌おう」のコーナーも用意されていた。ギター伴奏で【瀬戸の花嫁】と【雨降りお月さん】日頃声を出して歌うこともないので、かすれ声になるのが恥ずかしかったが、皆さん、きれいにハモっていらっしゃった。最後は前回も聴いた【津軽じょんがら】津軽三味線のバチが打ち鳴らす、胸の奥まで響くような音色を、ギターが醸し出す。素晴らしかった。演奏の曲などのアレンジも自分達でなさるとか。凄いなあ!!

 趣味のギターで皆さんが喜んで下さるならと、とてもフレンドリーな雰囲気のお二人だった。ボランティアのYサンとのご縁で、演奏に来て下さったとのこと。

次回は12月、クリスマスコンサートに来て下さるそうだ。冷房の効いた部屋で素敵なギターの音色を楽しんだ後は、ボランティアさん達準備の【おやつタイム】よく冷えたつるりとした果実のゼリー、のど越しが良く、猛暑を忘れた、サマ―ギターコンサートのひと時だった。明日への元気を頂いた。感謝!

家にいても【独り】の私には有難い時間の過ごし方だった。以前まだ今より若い頃(笑)、自治会などで「高齢者の集まり」を。色々な企画を建てて、結構皆さんに喜ばれた頃のことを思い出す。今は自分がお世話をしてもらう世代になったことを、改めて実感した。つい気持ちはまだ元気な頃と同じと思ってしまうが、探し物・度の過ぎた度忘れ(いやもう、度忘れでは済まない状況だ)に、自分の老いをまざまざと感じる昨今である。でも、前向きに楽しみたい。先に逝った夫の為にも。私は大丈夫ですからねと。

 今日もギラギラ、今の気温31度。洗濯物は面白い程乾くけど。樹木の緑はますます濃く、旺盛すぎるほどの成長ぶりである。トシを忘れて、沖縄の美しい海、熱帯魚が緩やかに泳ぎ遊ぶ、あの透き通った水中を眺めたいなと思う。白砂と海と銀色の雲と強烈な光と影を。

友人達とのLINEでは「熱中症に気を付けて」の言葉が飛び交う。私、高齢者。

    せめても沖縄座間味島の海を。懐かしい想い出です。

   

 

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梅雨・梅の実色づいて。

2025-06-14 07:42:03 | 2023年10月より横浜での日々

梅雨に入った。つつじから紫陽花や花菖蒲へと花の色どりも変わって来た。初春を楽しませてくれたベランダ前の梅も青々と葉が茂り樹木の下には、落ちた梅の実が黄色く色づいている。管理会社が伸び放題だった雑草を刈ってくれたので、梅の実の色が目に鮮やかだ。「勿体ないなあ、梅酒ができるのに」でもこの場所は鍵がかかり入れない。程よい広さなので秋はコスモスを一面に咲かせたらいいだろうな、胡瓜や茄子位の家庭菜園にも持ってこい!の広さなのだがと、思うのだが。

 梅酒といえば、太宰府から移り住む時に、弟や友人に貰ってもらったが、幾つかの瓶はまだキッチンの隅に眠っている。梅酒作りは夫の楽しみ(本人は下戸だが)で、2000年2021年などのがある。ホワイトリカーやウオッカを使って漬けた梅酒。取り出した実で作ったジャムも美味だった。酒好きな人にはウオッカの方が人気があった。梅酒は保存が良ければ、30年は飲むことが出来るそうだ。古酒になった梅酒を、お酒に詳しいし好きな弟は「美味しかった!」と言っていた。近くに住む長女の婿も余り飲まないし、さて、これらの梅酒、どうしたものだろう?近くに知友人のいない私、「ま、いいか、この侭置いておこう」と取り出した瓶をそっと元の場所に戻した。

曇り空の下、もいつもの緑道を通ると、様々な紫陽花が目に入る。古来の紫陽花ではない品種も。花はやはり心和ませる。太宰府天満宮の花菖蒲池も咲き始めたと友人からラインに画像が送られてきた。10月には夫の4回目の祥月命日に帰省の予定で、お寺詣りの他、弟妹とやいとこ達、友人達との会食なども予定も。娘に世話役頼んで同行してもらうのだが、元気なうちは一年に一度は帰省したいものだと思う。いつまで?神のみぞ知る・・・である。

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【畠山美術館】へ。旧き茶器と緑滴る庭園、加えて【落語】不思議だけど不思議ではない展示会。

2025-06-05 17:45:10 | 2023年10月より横浜での日々

    皐月末の休日、白金台の【畠山美術館に行った花ひらく茶と庭園文化】というテーマ。前にも書いたかもしれないが三井・三菱などの財閥が、収集した日本の文化をこのような形で残してくれているのは、嬉しいことだと思う。「畠山美術館】は茶道やお能の好事者、荏原製作所創始者の荏原一清氏(号は即翁)が集めた茶人としても有名な8代目松平当主松平不味公の愛した茶碗などが一堂に集められている。昨年秋リニュアルオープンしたのを記念しての今回の展示会だった。娘が車で連れて行ってくれたので、往復の乗り換えなどなく、楽で有難い。それに娘も結婚前茶道を嗜んでいたので、私より詳しい。

 私は茶道や茶道具に明るいわけではない。ただ、昔中学生の私に、母が「習いに行きなさい」と何故か勧めてくれて、すんなり私と小学生の妹は、博多の町の路地奥の閑静なお宅にお稽古に通ったことがある。母の実家の縁に繋がる裏千家のお師匠さん、もう随分と高齢の方で私達を孫のように可愛がって、教えることはちゃんとちゃんと教えて下さった。とても品の良いおばあちゃま(私達にはそう思えた)だった。良い体験、良い方との巡り合いだった。

だが私は高校2年ともなると、舞台や映画を観ることや他にもいろんなことに興味が移り、自然と茶道からは足が遠のいた。真面目な妹はずっと通って、いずれはその道を進むかなと思っていたが、思いがけない事故のため、正座が出来なくなり断念した。妹の気持ちを思うと本当に辛かった。

といった茶道との少しだけの関りではあるが、日本古来の文化には歌舞伎などを初め興味があって、観るのが好きで心惹かれる。展示会の後は名器とされる、戦国武将憧れの【井戸の茶碗】を題材とした落語が待っていた。演者は三遊亭遊雀師匠。飄々とした雰囲気のお方である。前座は雷門音助さんの「最後の袴」暫く寄席にも行っていないので、久しぶりに面白かった。話芸、凄いなと思う。

雨に濡れる吸い込まれそうな緑の美しさを眺めた。これもこの季節ならではの風景。5月最後の休日は心豊かな時間の中だった。(不思議なものでこういう時は、日頃悩まされている肩や坐骨神経痛の痛みを忘れている)さあ、明日から又、元気で過ごそう!と前向きな気分になるから不思議だ。佳き時間は心身にとって何よりの良薬なのだろう。静かに煙る新緑の深い木立を後にした。

娘の和菓子は「紫陽花」私のは「水のしずく」お茶碗は好きなのを選べる。焼いた人のお名前失念。どっしりと手に馴染むお抹茶茶碗だった。日本の文化って凄いなと又思ってしまった。

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【武相荘】を訪ねて (白洲次郎&白洲正子の終の棲家)

2025-05-07 17:19:44 | 2023年10月より横浜での日々

 過日町田市にある【武相荘】(ぶあいそう)を訪れた。随分前だが「白洲正子の世界展」を博多で見て【占領を背負った男・白洲次郎(上下)】文庫本を読んで以来、一度訪れたいと思っていながら、横浜に住んで4年目、やっと実現した。町田市は横浜市に隣接、車で30分位だろうか。いつでも行ける距離と思うから、ついつい遅くなるという、私のいつものパターン。

 同行した従弟は町田市に中2まで住んでいたという。私も高校の頃から結婚して夫と小さな娘と伯父宅を訪ねたのに【武相荘】のことは全く知らなかった。その頃はまだ山地が多かったという。今は夫妻の静謐な住処のすぐそばまで、民家が立ち並び、武相荘の一角だけが、時を知らないままの昔ながらの趣の中にあった。庭の竹林の小径が素敵だった。庭は山庭そのままに、いかにも夫妻が好んだだろうと思われる穏やかな雰囲気を漂わせていた、山や山野草が好きだった夫のことを思い出す。二人で来ていたら、囲炉裏を切った部屋や器類を、きっと「いいなあ」と憧れの目で眺めたことだろう。

 武相荘は多分「ぶあいそう」をもじって名付けられたのだろう。次郎は吉田茂内閣解散の後、公の場を去って、いわゆる「野に暮らす人」となった。その潔さが気持ち良い。(男らしいという言い方をすれば、今の世ではブーイングな偏見の言葉となるだろうけど)遺書に「葬儀不要・戒名不要」と書き残した次郎らしい洒落っ気を感じる。戦後の混乱期、吉田茂内閣の懐刀として、ケンブリッジ大卒の流暢な英語で、GHQと真正面から堂々と渡り合い、喧嘩も辞さなかった気骨の人だったとか。たとえ他国が提示した物でも「良いものは良い」と日本の新憲法・平和憲法に取り組んだ一人だったと思う。もう一度本を読み直そうと探したがない。多分誰かに貸し出しした儘になっているのだろう。我が家の本棚から、いろんな本をお貸ししていたから。

 昭和15年に農家を買い取って手を入れ、夫妻の棲家としたという。夫妻が使っていた日用品道具、座卓越にしに深い緑の木々を眺める正子の部屋には、当時からの本もそのままの本箱があった。文化人・知識人・本物を見る目を持った女性として知られる正子らしい本がずらりと、古色蒼然とした背表紙を見せていた。器も然り。小林秀雄はじめ、青山二郎などからの手紙類も日常使っていた茶碗などの道具類も。当時そのままに残されていた。(管理するのは娘の牧山桂子さん)

 白洲夫妻は勿論、本物の上流社会に生まれ育った人達なのだが、その階級に甘んじないで、環境と才能を生かして日本の一時期、その知性を文化や政治に注いだというところが素晴らしいなと思う。レストランも併設されていたが、平日にも関わらず「待ち」が入っていたので、ちょっとよそ目に眺めただけ。余り良くは知らない戦争直前から戦後への歴史だが、改めて急激な日本の歴史の変化を感じた一日だった。従弟はかって住んだ街の発展に改めて驚いたようだった。そんな発展の中で戦後の歴史を作った白洲次郎と、日本文化の素晴らしさを知らしめた正子の夫婦は今の日本をどう眺めているだろうか?二人ともハイカラを地で行く人達でもあったから、面白がっていたかもしれない。

 静かな小雨が鄙びた武相荘を、竹林の小径を濡らしていた。

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レターパックの中は…宝石箱

2025-04-29 15:15:35 | 2023年10月より横浜での日々

今日の横浜はまさに初夏、陽光燦燦と輝き、空晴れ渡る。暦が5月に変る日も近い。

 太宰府の友から、観世音寺の参道に【春リンドウ】が咲いていたとLINEがあったのは先週だったろうか。夫と【山野草探訪】で九重や由布高原散策している頃、ふと近場の観世音寺で見つけた、小指の先程の小さな青い春リンドウの群生。宝物を見つけた気分で、カメラ片手の夫とイソイソ、小さな初夏の花に会いに行ったものだっ

金丸座の画像はネットから拝借。(自分で写した画像探すのがちょっと面倒だったので)

 懐かしさにアルバムの山野草の数々を眺めていたら、ピンポーン。福岡の歌舞伎仲間からの届け物。レターパックの中には「夫と四国金毘羅歌舞伎へ行って来ました」という便りと一緒に、あれこれの宝物が。私も時々レターパックを使って、小さな楽しみのお届け物を友人達にする。別に郵便局に義理があるわけではないけど、まことに便利。上手く詰め合わせると、かなりの品が入る。今月公園のチラシ、記念切手、他細々と詰めてある。

 彼女は初めての「金丸座」(江戸時代からの芝居小屋)、地方の芝居小屋は熊本山鹿の「八千代座」と四国琴平町の「金丸座」の二つしか訪れたことはない。余裕が出来たら、全国の昔ながらの芝居小屋】探訪したいなと思っていたが、実現しないまま。他の旅や温泉行きで、そこまでの余裕はなかったし、地方巡業の時期に上手く都合を合わせられなかった。(金毘羅歌舞伎のことは何度かブログにUPしたものだが)

 八千代座は江戸時代さながらの雰囲気を感じさせる良い芝居小屋だと思う。ここに来ると、江戸時代に迷い込んだような気分になる。数回訪ねたが、やはり一番の思い出は,18代勘三郎さんや鴈治郎・扇雀さん達の若い頃、たまたま一緒の座敷で夕食を共にしながら、勘三郎さんの軽妙な芝居話などを聴いたことだろう。娘の配慮で浅草の歌舞伎会の方達とご一緒することが出来た夜であった。この時は娘との家族旅。娘のプレゼントの旅だった。

 もう一度は「文学サークル」の仲間達を、江戸文学をやっていた頃に金毘羅歌舞伎と四国観光の旅に誘い、楽しんだ。もう訪ねる機会はないだろうが、本箱に立てかけてある【通り札】のそれぞれに、想い出がある。

ベランダ外は初夏の光が溢れんばかりに広がって、空が眩しい午後のひと時、「昭和の日」は夫との思い出に耽る日になった。

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