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ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。旅やアメリカでの話、趣味のことなどなど・・・自分の覚書を兼ねて。

【畠山美術館】へ。旧き茶器と緑滴る庭園、加えて【落語】不思議だけど不思議ではない展示会。

2025-06-05 17:45:10 | 2023年10月より横浜での日々

    皐月末の休日、白金台の【畠山美術館に行った花ひらく茶と庭園文化】というテーマ。前にも書いたかもしれないが三井・三菱などの財閥が、収集した日本の文化をこのような形で残してくれているのは、嬉しいことだと思う。「畠山美術館】は茶道やお能の好事者、荏原製作所創始者の荏原一清氏(号は即翁)が集めた茶人としても有名な8代目松平当主松平不味公の愛した茶碗などが一堂に集められている。昨年秋リニュアルオープンしたのを記念しての今回の展示会だった。

 私は茶道や茶道具に詳しいわけではない。ただ、昔中学生の私に、母が「習いに行きなさい」と何故か勧めてくれて、すんなり私と小学生の妹は、博多の町の路地奥の閑静なお宅にお稽古に通ったことがある。母の実家の縁に繋がる裏千家のお師匠さん、もう随分と高齢の方で私達を孫のように可愛がって、教えることはちゃんとちゃんと教えて下さった。とても品の良いおばあちゃま(私達にはそう思えた)だった。良い体験、良い方との巡り合いだった。

だが私は高校2年ともなると、舞台や映画を観ることや他にもいろんなことに興味が移り、自然と茶道からは足が遠のいた。真面目な妹はずっと通って、いずれはその道を進むかなと思っていたが、思いがけない事故のため、正座が出来なくなり断念した。妹の気持ちを思うと本当に辛かった。

といった茶道との少しだけの関りではあるが、日本古来の文化には歌舞伎などを初め興味があって、観るのが好きで心惹かれる。展示会の後は名器とされる、戦国武将憧れの【井戸の茶碗】を題材とした落語が待っていた。演者は三遊亭遊雀師匠。飄々とした雰囲気のお方である。前座は雷門音助さんの「最後の袴」暫く寄席にも行っていないので、久しぶりに面白かった。話芸、凄いなと思う。

雨に濡れる吸い込まれそうな緑の美しさを眺めた。これもこの季節ならではの風景。5月最後の休日は心豊かな時間の中だった。(不思議なものでこういう時は、日頃悩まされている肩や坐骨神経痛の痛みを忘れている)さあ、明日から又、元気で過ごそう!と前向きな気分になるから不思議だ。佳き時間は心身にとって何よりの良薬なのだろう。静かに煙る新緑の深い木立を後にした。

娘の和菓子は「紫陽花」私のは「水のしずく」お茶碗は好きなのを選べる。焼いた人のお名前失念。どっしりと手に馴染むお抹茶茶碗だった。日本の文化って凄いなと又思ってしまった。

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【武相荘】を訪ねて (白洲次郎&白洲正子の終の棲家)

2025-05-07 17:19:44 | 2023年10月より横浜での日々

 過日町田市にある【武相荘】(ぶあいそう)を訪れた。随分前だが「白洲正子の世界展」を博多で見て【占領を背負った男・白洲次郎(上下)】文庫本を読んで以来、一度訪れたいと思っていながら、横浜に住んで4年目、やっと実現した。町田市は横浜市に隣接、車で30分位だろうか。いつでも行ける距離と思うから、ついつい遅くなるという、私のいつものパターン。

 同行した従弟は町田市に中2まで住んでいたという。私も高校の頃から結婚して夫と小さな娘と伯父宅を訪ねたのに【武相荘】のことは全く知らなかった。その頃はまだ山地が多かったという。今は夫妻の静謐な住処のすぐそばまで、民家が立ち並び、武相荘の一角だけが、時を知らないままの昔ながらの趣の中にあった。庭の竹林の小径が素敵だった。庭は山庭そのままに、いかにも夫妻が好んだだろうと思われる穏やかな雰囲気を漂わせていた、山や山野草が好きだった夫のことを思い出す。二人で来ていたら、囲炉裏を切った部屋や器類を、きっと「いいなあ」と憧れの目で眺めたことだろう。

 武相荘は多分「ぶあいそう」をもじって名付けられたのだろう。次郎は吉田茂内閣解散の後、公の場を去って、いわゆる「野に暮らす人」となった。その潔さが気持ち良い。(男らしいという言い方をすれば、今の世ではブーイングな偏見の言葉となるだろうけど)遺書に「葬儀不要・戒名不要」と書き残した次郎らしい洒落っ気を感じる。戦後の混乱期、吉田茂内閣の懐刀として、ケンブリッジ大卒の流暢な英語で、GHQと真正面から堂々と渡り合い、喧嘩も辞さなかった気骨の人だったとか。たとえ他国が提示した物でも「良いものは良い」と日本の新憲法・平和憲法に取り組んだ一人だったと思う。もう一度本を読み直そうと探したがない。多分誰かに貸し出しした儘になっているのだろう。我が家の本棚から、いろんな本をお貸ししていたから。

 昭和15年に農家を買い取って手を入れ、夫妻の棲家としたという。夫妻が使っていた日用品道具、座卓越にしに深い緑の木々を眺める正子の部屋には、当時からの本もそのままの本箱があった。文化人・知識人・本物を見る目を持った女性として知られる正子らしい本がずらりと、古色蒼然とした背表紙を見せていた。器も然り。小林秀雄はじめ、青山二郎などからの手紙類も日常使っていた茶碗などの道具類も。当時そのままに残されていた。(管理するのは娘の牧山桂子さん)

 白洲夫妻は勿論、本物の上流社会に生まれ育った人達なのだが、その階級に甘んじないで、環境と才能を生かして日本の一時期、その知性を文化や政治に注いだというところが素晴らしいなと思う。レストランも併設されていたが、平日にも関わらず「待ち」が入っていたので、ちょっとよそ目に眺めただけ。余り良くは知らない戦争直前から戦後への歴史だが、改めて急激な日本の歴史の変化を感じた一日だった。従弟はかって住んだ街の発展に改めて驚いたようだった。そんな発展の中で戦後の歴史を作った白洲次郎と、日本文化の素晴らしさを知らしめた正子の夫婦は今の日本をどう眺めているだろうか?二人ともハイカラを地で行く人達でもあったから、面白がっていたかもしれない。

 静かな小雨が鄙びた武相荘を、竹林の小径を濡らしていた。

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レターパックの中は…宝石箱

2025-04-29 15:15:35 | 2023年10月より横浜での日々

今日の横浜はまさに初夏、陽光燦燦と輝き、空晴れ渡る。暦が5月に変る日も近い。

 太宰府の友から、観世音寺の参道に【春リンドウ】が咲いていたとLINEがあったのは先週だったろうか。夫と【山野草探訪】で九重や由布高原散策している頃、ふと近場の観世音寺で見つけた、小指の先程の小さな青い春リンドウの群生。宝物を見つけた気分で、カメラ片手の夫とイソイソ、小さな初夏の花に会いに行ったものだっ

金丸座の画像はネットから拝借。(自分で写した画像探すのがちょっと面倒だったので)

 懐かしさにアルバムの山野草の数々を眺めていたら、ピンポーン。福岡の歌舞伎仲間からの届け物。レターパックの中には「夫と四国金毘羅歌舞伎へ行って来ました」という便りと一緒に、あれこれの宝物が。私も時々レターパックを使って、小さな楽しみのお届け物を友人達にする。別に郵便局に義理があるわけではないけど、まことに便利。上手く詰め合わせると、かなりの品が入る。今月公園のチラシ、記念切手、他細々と詰めてある。

 彼女は初めての「金丸座」(江戸時代からの芝居小屋)、地方の芝居小屋は熊本山鹿の「八千代座」と四国琴平町の「金丸座」の二つしか訪れたことはない。余裕が出来たら、全国の昔ながらの芝居小屋】探訪したいなと思っていたが、実現しないまま。他の旅や温泉行きで、そこまでの余裕はなかったし、地方巡業の時期に上手く都合を合わせられなかった。(金毘羅歌舞伎のことは何度かブログにUPしたものだが)

 八千代座は江戸時代さながらの雰囲気を感じさせる良い芝居小屋だと思う。ここに来ると、江戸時代に迷い込んだような気分になる。数回訪ねたが、やはり一番の思い出は,18代勘三郎さんや鴈治郎・扇雀さん達の若い頃、たまたま一緒の座敷で夕食を共にしながら、勘三郎さんの軽妙な芝居話などを聴いたことだろう。娘の配慮で浅草の歌舞伎会の方達とご一緒することが出来た夜であった。この時は娘との家族旅。娘のプレゼントの旅だった。

 もう一度は「文学サークル」の仲間達を、江戸文学をやっていた頃に金毘羅歌舞伎と四国観光の旅に誘い、楽しんだ。もう訪ねる機会はないだろうが、本箱に立てかけてある【通り札】のそれぞれに、想い出がある。

ベランダ外は初夏の光が溢れんばかりに広がって、空が眩しい午後のひと時、「昭和の日」は夫との思い出に耽る日になった。

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桜盛りの季節の中で

2025-04-09 15:10:57 | 2023年10月より横浜での日々

 寒暖迷走しながら、ようやく落ち着いた、春の季節の訪れだった。TVでは桜の名所の人出の多さや車の渋滞が報道されている。満ち満ちて咲く桜は愛でたいが、人波に揉まれるのは苦手なので、いつもの買い物兼散歩小径での、なんでもない桜を見上げて、「日本人って本当に桜が好きなんだなあ」と(私もだが)、いたずらな風に翻弄されて、舞い落ちる桜の中に暫し佇んだ。一気に咲いて、一気に散っていく桜は、日本人の心情なのかもしれない。(最近は願ってなくても、長生きせざる得ないけどなあ 

       桜の中をいつもの池のある公園へ。鴨たちが柔らかな陽射しの中で気持ち良さそうに、春を楽しんでいるようだ。

 空蝉の 世にも似たるか 花さくら

       咲くと見し間に 散りにけり     (古今集より)

 うすべにに 葉はいちはやく 萌いでて

         咲かんとすなり 山桜花    (若山牧水歌集より)

 もう7,8年前になるだろうか、次女が帰国して、夫と三人、まさに満開の【京都の桜】をしっかりと堪能したことがある

      清水へ 祇園をよぎる 星月夜 今宵会う人 みな美しき  (与謝野晶子)

    教科書にも載っていたこの和歌のような感慨を覚えた、京都桜盛りの祇園の夜だった。

遠く離れて暮らす娘、健康で穏やかな生活を、今浮かび上がる京都の春の宵とともに、心から願う私である。

  あと数日 混沌たる世情から心を解き放って、はらはらと降り注ぐような櫻花の美しさに酔ってみたい。

毎年歩いた大分久住の山路に、凛として花咲かせていた山桜の古木は、今年もまだ健在だろうか。夫と毎年通った、九重や湯布院の樹林を高原が鮮やかに蘇る。

敷島の大和心を 人問はば 朝日に匂う 山桜花

新芽も芽吹いて、短い春は駆け足で過ぎていくようだ。

 暫しとどめよ、薄紅の桜花。見上げる人の心を癒して。           

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小江戸「川越」&「清華堂浮世絵展」へ

2025-03-24 16:02:10 | 2023年10月より横浜での日々

  弥生の月もあと僅か、いよいよ桜の季節にバトンタッチ、マンションの乙女椿や白木蓮も花開いた。急な寒さの後の暖かな今年最後のの休日に、娘が「ドライブでも」と誘ってくれた。「行きたいところは?」「う~ん、なんか川越って江戸の風情が残っている町らしいから」と漠然とした答えの私に「川越かあ」と言いながら車を走らせてくれた。運転は出来ないが「助手席の女」大好きな私。くっきりと晴れ上がった空と、初夏を思わせる雲のさまを眺めながら助手席に身をゆだねるだけで心地よい。

【川越】川越藩の城下町。江戸とは川越街道や新河岸川の舟運で結ばれ、物流の要として繁栄を極め、「小江戸」と称されていた。その面影を今も残す街づくりが行われ、都内から1時間で行ける観光地となっている。

  かなり混むよ」と聞いたので早めに家を出た。幸い駐車場もゆっくり余り人影もなく、ぶらぶら街中を歩いてみた。一言でいえば私が今迄住んでいた近くの「太宰府天満宮」の参道と同じ感じ。道幅ははるかに広く、車もゆっくりとではあるが入って来る。「お菓子横丁」だのなんだのとの名称の街筋があり、とにかく食べ物の店・お土産の店などなど。蔵や記念館もあるにはあるが、やっぱり観光地だなあ。11時過ぎると観光客がどっと増えてきた。名物と言われる食べ物を食べながら左右を見回し、店を覗きといういわゆる観光客スタイル。外国からの人達も多い

 路地の奥には、お稲荷さんも。ここはハート形に愛の願いを書いて奉納とかで、若い人たちのお詣りが多いらしい。帰りに寄るつもりだったが駐車場も満員で素通りした「氷川神社」は魚の鯛の形のお守りが有名だとか。何処の地でも「人をよぶ」工夫がなされている。「日本は観光で生きていく国」を目指すと、国を導く方達が仰っているから。観光で生きる・・・それだけでいいのかなと、昭和生まれの私は???の気持ちをぬぐえないのだが。余計な老婆心なのだろう。

これ以上人にぶつかるような混み方は嫌だなと早めにランチ「川越なら鰻でしょ」と江戸から続く老舗に。幸い入店出来たが、あと少し遅れると「行列」の一員にならないといけない。ネットなどで話題に上がっているお店は若いお人達が行列を作っている。鰻料理は美味しかった。お昼にはちょっと高いお値段ではあったが、まあ、いいでしょ。たまの行楽だから。味は関東風で塩気・醤油がきついのかなと思ったけど、そうでもなく、程よい味だった。女性の旅?は【美味しい物】に巡り合うことも楽しみの一つである。どこかに出かけたら、奮発しても美味しい物・ご当地名物などを賞味したいと思っている。

 一通り見たら「もういいかな」という感じで、早めに引き上げることにした。やはり「作られた町」感じが強い。仕方のないことだろうが。形を残すというだけでもそれなりの価値はあるのだから。

さて、午後の時間がかなりある。「どうしようか」

都内に戻り【静嘉堂文庫】に寄ることにした。【歌舞伎を描く浮世絵展】というテーマの展示会。

 

最終日も近いし、休日とあってここも大混雑。それでもじっくり観たいので、かなりの時間を要した。古文書を読みデーターベース化するようなことが専門の娘が、私が見落とす落款のことなど教えてくれた。面白かったが、やはり疲れた。最近は読書やこういう展示を見ることは、以前と違って後に疲れが残る。無理して目を使っているからだとは解っているが。それでも演劇やこういう類のものに接することは、私の喜びなので、翌日は余り目を使わないようにと気を付けても、観ることにしている。「見たて絵」というのが面白かった。舞台で演じる役者ではなく、演じたことのない役や役者同士の顔合わせを「見たて細工」みたいに浮世絵の画家が想像で描き出した絵。全体にすり色の赤色の鮮やかさが目に付く。今大河ドラマで一躍有名にバッタ【蔦屋重三郎】が版元のもあった。花開く江戸時代の文化は、殿上人や公家・武家などではなく、市井の人達によって創られ、いわゆる【下々(しもじも)の人達】も楽しめた。そこには今までの時代にはない、躍動感や熱っぽさがあるように感じられる。それが江戸時代の面白さだろう。

 それにしても展示の浮世絵にある、歌舞伎の外題を見ていると、今は上演されなくなったものが、沢山あるなあと改めて思う。国立劇場が「掘り起こし狂言」として新たに手を入れ上演することがある。が、今国立劇場は「立往生」状態。文化の継承の大切さを、国を導く人たちは感じていないのだろうか。世界が混沌とした状態であってもそういうものは、きちんと残すべき大切なものだと心から思う。 

コメント (2)
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