天草の秋の海です。穏やかでしょう。日頃はこんな風ですが台風などの時には、牙をむきます、がやっぱり海はいいなあ。
伊勢海老のポスターに惹かれて(ご隠居も私も海老蟹大好き)天草へ一泊の小さな旅。10月14、15日。寄り道しながら約500キロの車の旅でした。仕事現役時代のご隠居は何度も天草を訪れているので、新しい道路が出来たりして様子が変わったことに、驚いておりました。
【五足の靴】で詩人の北原白秋・木下杢太郎などが訪ねた跡を少し辿ってみたいなという気持ちもありました(コースがよければ、サークルの【文学散歩】にどうかなと下見の気持ちも大いに動いていました)
★五足の靴・・・・与謝野寛(鉄幹)がまだ学生の身分だった、北原白秋・木下杢太郎・平野万里・吉井勇の4人を連れて旅した時の紀行文をリレー形式で新聞に連載したもの。5人の旅なので【五足の靴】と名付けられた。与謝野鉄幹の雑誌【明星】から生まれた詩人達、この時代の文学は中・高校時代から興味を持って読みふけったのでした。
五足の靴のコース
明治40年(1907年)7月28日東京を夜行で発ち、宮島(厳島)→福岡→柳川(白秋の故郷)→佐賀(唐津)鉄道馬車使用→平戸(佐世保経由)→長崎→茂木より船で隠れキリシタンの歴史跡天草へ→大江まで天草西海岸を徒歩で32キロ歩いて、大江天主堂にガルニエ神父を訪ね語らう→島原へ。この後熊本・阿蘇などを訪ね再び白秋の実家のある柳川へ。徳山一泊を経て京都へ。8月19日京都に立ち寄り帰京。
二十日余りのこの旅で白秋達は、西九州の文人との交流をはじめ、平戸・天草・島原などでキリシタンの受難の跡地などを巡り、夢と多少の無頼を持つ若き詩人の旗手達は、はるか戦国の世からのキリシタンの歴史、異国の香りに熱い想いをかき立てられたようです。
この旅のち、白秋の【邪宗門】や杢太郎の戯曲【南蛮寺門前(戯曲)】【天草雑記】が発表され、文壇に大正異国ロマンの風潮がうまれました。芥川龍之介のキリシタンものも、その影響を受けたといえるでしょう。この伴天連ものといわれる詩の幾つかは、高校生の文学少女傾向の強い私にとって、妙に心惹かれる世界でもありました。特に杢太郎の作品は興味深く感じられたものです。
第一日目(橋の上からの眺め、小さな島々が点在して、海はあくまで穏やか)
天草の島々を結ぶ【天草五橋】を越えて、西海岸の【下田温泉】へ。白秋達が歩いた32キロを車で辿りました。
が、ここで例によってととろサンのドジ!トイレ休憩したサービスエリアで、バックの中を見ながら歩いていた私、駐車場の車止めに気がつかずスッテンコロリン!やっちゃいました!秋色の買ったばかりのマロン・ブラウンのととろサンにしてはちょっとお高いパンツの膝が見事に破れてしまいました。擦り傷もかなり酷く、薬屋さん探し。薬屋さんはなくても、ひなびた道筋にもディリーやセブンイレブンはあるものですね。消毒薬とバンドエイドを買いました。「どこかに行くと何かやるんだから」とご隠居サンに言われてしょんぼり。
過去にはイタリアでの足首捻挫、バリ行きの直前の手首の捻挫・・・我ながらそそっかしいデス。(パンツ未練があって”かけ継ぎ”に。6000円くらいかかるでしょう。専門に出して見積もりさせます)とのこと。嗚呼!どうしよう!
晴れたり曇ったりの空は秋というより、春のような感じで、海は漣(さざなみ)もたたず静かに緩やか青く青く広がっています。陽が射すと海面がキラキラと光り、彼方の海と空の境目もおぼろな、そんな風景を眺めているだけで、気持ちは安らぎ旅心が浮き立ってきます。
天草は【車海老】の養殖も盛んです。昼食は車えびの天丼セット。ご隠居はうに丼セット。大き目の丼からはみ出した大きな車えびが三匹、で~~んと乗っかっていました。生簀から取り出した車海老はピチピチ跳ねてます(ごめんなさい。私の身となり肉となってね。感謝していただきました。美味しい!)アオサのお味噌汁も磯の香りが新鮮で美味。(車えび養殖場は浜辺のすぐ横。車がクルクル海中を回りながら、キレイな酸素を送り込んでいます)
少しずつ灰色に空が曇ってきて、対岸に見える筈の【雲仙普賢岳】の姿もおぼろに霞んでおりました。「天気が悪くなりそうだからイルカ・ウオッチング、今回はやめておこうね」鬼池港の対岸はもう南島原市口之津港・・・フェリーが出ており、イルカ・ウオッチングの船もここから出ます) 天草四郎が乗船して島原に渡った場所もありました。【島原の乱(キリシタン弾圧の戦】で有名な天草四郎時貞は、天草大矢野町の生まれ。
目的地【下田温泉】へ
10軒足らずの宿がある周りをキリシタン伝説に囲まれた、隠れ里のような雰囲気の小さな温泉地である。前には海、後ろは山。お料理は伊勢海老・あわびなど海鮮、天草牛も。天草市天草町の海岸近く、後ろの小高い山近くにあるので、海の傍でも潮湯ではない。温泉の歴史は700年とも800年とも言われている。白鷺が傷を癒したところから【白鷺温泉】とも言われているそうだが、こういう話は原鶴温泉などでも聞いたような気がする。いずれにしても掛け流しの豊かな湯量。
今回の宿は【夢ほたる】歴史の古い宿で建物の風情は昔そのままに残して改修などをしてきたので、落ち着いた和風旅館の佇まい。階段なども従業員用とお客様用の二つがあったりするところが、昔の宿そのままだなと思わせます。経営者が魚屋サン、食材は非常に新鮮、吟味されているようです。まあ、このあたりは海の幸が豊富なので、何処の宿でも食材に当たり外れはないでしょう。後は来泊する人がどんな宿を好むか?でしょうね。?チェックインして荷物を置き「五足の靴遊歩道」に行きたいのですが・・・と訪ねると「普通の 靴では無理かも知れません。山道ですし、草が生い茂っていますから」とのこと。ご隠居サンは山歩き対応できるウオーキング・シューズですが、私は歩きやすい旅用の靴。大抵のところは大丈夫と場所を聞いて宿を出ました。海辺近くまで5、6分。?小高い丘に記念の碑がありました。その傍にこんな看板が。入り口には木で作った階段が続いています。上り始めましたが、上にはうっそうと樹木が茂り、もう完全に山道以外の何物でもありません!そういう山道がかなり続いているようで、登りつめると吉井勇の歌碑が建って海が一望の下だというが・・・
「えっ、それだけ?」途中文学の道らしいものは何にもないそうです。「ただの山登りだねえ。碑だけ見てもつまらないね」・・・途中で引き返しました。私の靴ではちょっと無理な感じでもあるし。白秋一行がこの山道を越えたのでしょうが、【文学遊歩道】と名づけるなら、もう少し文学の雰囲気を醸し出して欲しいと思いました。例えば、途中に五人の詩人達の詩や文章の一説を、木札でもいいから建てて、登る人がほっと立ち止まり、文学の香りに少しでも触れることが出来るとか。
本当にただの、ただの山道なんですね。これでは、文学サークルの仲間との【文学散歩】企画は出来ません。年配の仲間もいるし・・・下見してよかった!
宿の方の話では【11月にはウオーキング大会】が開かれるので、その時は山道の手入れが行われますが・・・ということだったけど。後で【五足の靴文学散歩案内図】を見たら、下田温泉の入り口から大江までの山越しは2時間はかかるという。トイレも一箇所だけ。う~~ん、観光の目玉や文学愛好者を呼び込もうとするのなら、もう少しきめ細かなやり方をしなくては、そのうちに訪れる人もなくなるのでは?と思ってしまいました。碑のあるところからの見晴らしは↓こんなに素晴らしいのですが。
宿に引き返して露天風呂へ。先客なし、貸切状態。飲料も可の掛け流し温泉です。 無色透明・無味・無臭。効用(消化器病・肝臓病・糖尿病・痛風・切り傷火傷・筋肉痛など)飲用も出来ます(ナトリウム炭酸水素塩・塩物泉) 画像の温泉が青いのは、底がブルーのタイル使用。温泉自体は無色。温度は出てくる源泉は熱めですが、露天なので程よい湯加減となります。内風呂も薄めず入れます。
さて、お風呂にゆったり浸かったあとは、これぞ目的の伊勢海老コースのお料理なのですが。
食前酒・先吸(海鮮茶碗蒸)・箱膳(創作八寸・杉板焼と菊薫・モロ胡・ハジカミ・天草産合鴨ロース・黄身煮酢取茗荷)・向付(伊勢海老と天然地魚盛り合わせ)・預り皿(伊勢海老カルパッチョ)・洋皿(伊勢海老ムース仕立て)・蓋物(天然冑アラ炊き)・伊勢海老せいろ蒸し・口直し(天草きびなご酢味噌)・小蓋物(天草大王じぶ煮と秋野菜添え)・ご飯もの(天草天然鯛めし)・留椀(五色椀)・後は果物とお漬物・・・・でした。
やっぱり伊勢海老の姿活き作りのあの甘みとお刺し身いろいろの新鮮な味が魅力でしたが、カルパッチョも大好きなので嬉しい一皿でした。満足!お値段の割には贅沢な料理だと思います。
宿の近くに【日本夕陽100選】に選ばれた【西平椿公園(ヤブツバキの群生も見事】】や鬼海ヶ浦展望所があるのですが,夕方から小雨がパラパラ、残念ながら夕陽には巡り会えませんでした。明日は大江の天主堂などへ。もう一つ小さいけど見たい美術展示館があります。晴れますように!