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ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。旅やアメリカでの話、趣味のことなどなど・・・自分の覚書を兼ねて。

天草へ(伊勢海老&五足の靴&温泉)

2010-10-24 17:16:27 | 旅&温泉紀行

  

天草の秋の海です。穏やかでしょう。日頃はこんな風ですが台風などの時には、牙をむきます、がやっぱり海はいいなあ。

 

伊勢海老のポスターに惹かれて(ご隠居も私も海老蟹大好き)天草へ一泊の小さな旅。10月14、15日。寄り道しながら約500キロの車の旅でした。仕事現役時代のご隠居は何度も天草を訪れているので、新しい道路が出来たりして様子が変わったことに、驚いておりました。

 【五足の靴】で詩人の北原白秋・木下杢太郎などが訪ねた跡を少し辿ってみたいなという気持ちもありました(コースがよければ、サークルの【文学散歩】にどうかなと下見の気持ちも大いに動いていました)

 五足の靴・・・・与謝野寛(鉄幹)がまだ学生の身分だった、北原白秋・木下杢太郎・平野万里・吉井勇の4人を連れて旅した時の紀行文をリレー形式で新聞に連載したもの。5人の旅なので【五足の靴】と名付けられた。与謝野鉄幹の雑誌【明星】から生まれた詩人達、この時代の文学は中・高校時代から興味を持って読みふけったのでした。

 五足の靴のコース

 明治40年(1907年)7月28日東京を夜行で発ち、宮島(厳島)→福岡→柳川(白秋の故郷)→佐賀(唐津)鉄道馬車使用→平戸(佐世保経由)→長崎→茂木より船で隠れキリシタンの歴史跡天草へ→大江まで天草西海岸を徒歩で32キロ歩いて、大江天主堂にガルニエ神父を訪ね語らう→島原へ。この後熊本・阿蘇などを訪ね再び白秋の実家のある柳川へ。徳山一泊を経て京都へ。8月19日京都に立ち寄り帰京。

 二十日余りのこの旅で白秋達は、西九州の文人との交流をはじめ、平戸・天草・島原などでキリシタンの受難の跡地などを巡り、夢と多少の無頼を持つ若き詩人の旗手達は、はるか戦国の世からのキリシタンの歴史、異国の香りに熱い想いをかき立てられたようです。

 この旅のち、白秋の【邪宗門】や杢太郎の戯曲【南蛮寺門前(戯曲】【天草雑記】が発表され、文壇に大正異国ロマンの風潮がうまれました。芥川龍之介のキリシタンものも、その影響を受けたといえるでしょう。この伴天連ものといわれる詩の幾つかは、高校生の文学少女傾向の強い私にとって、妙に心惹かれる世界でもありました。特に杢太郎の作品は興味深く感じられたものです。

 第一日目(橋の上からの眺め、小さな島々が点在して、海はあくまで穏やか)                 
天草の島々を結ぶ【天草五橋】を越えて、西海岸の【下田温泉】へ。白秋達が歩いた32キロを車で辿りました。
 

 が、ここで例によってととろサンのドジ!トイレ休憩したサービスエリアで、バックの中を見ながら歩いていた私、駐車場の車止めに気がつかずスッテンコロリン!やっちゃいました!秋色の買ったばかりのマロン・ブラウンのととろサンにしてはちょっとお高いパンツの膝が見事に破れてしまいました。擦り傷もかなり酷く、薬屋さん探し。薬屋さんはなくても、ひなびた道筋にもディリーやセブンイレブンはあるものですね。消毒薬とバンドエイドを買いました。「どこかに行くと何かやるんだから」とご隠居サンに言われてしょんぼり。

 過去にはイタリアでの足首捻挫、バリ行きの直前の手首の捻挫・・・我ながらそそっかしいデス。(パンツ未練があって”かけ継ぎ”に。6000円くらいかかるでしょう。専門に出して見積もりさせます)とのこと。嗚呼!どうしよう!       

晴れたり曇ったりの空は秋というより、春のような感じで、海は漣(さざなみ)もたたず静かに緩やか青く青く広がっています。陽が射すと海面がキラキラと光り、彼方の海と空の境目もおぼろな、そんな風景を眺めているだけで、気持ちは安らぎ旅心が浮き立ってきます。

  天草は【車海老】の養殖も盛んです。昼食は車えびの天丼セット。ご隠居はうに丼セット。大き目の丼からはみ出した大きな車えびが三匹、で~~んと乗っかっていました。生簀から取り出した車海老はピチピチ跳ねてます(ごめんなさい。私の身となり肉となってね。感謝していただきました。美味しい!)アオサのお味噌汁も磯の香りが新鮮で美味。(車えび養殖場は浜辺のすぐ横。車がクルクル海中を回りながら、キレイな酸素を送り込んでいます)

 少しずつ灰色に空が曇ってきて、対岸に見える筈の【雲仙普賢岳】の姿もおぼろに霞んでおりました。「天気が悪くなりそうだからイルカ・ウオッチング、今回はやめておこうね」鬼池港の対岸はもう南島原市口之津港・・・フェリーが出ており、イルカ・ウオッチングの船もここから出ます) 天草四郎が乗船して島原に渡った場所もありました。【島原の乱(キリシタン弾圧の戦】で有名な天草四郎時貞は、天草大矢野町の生まれ。

目的地【下田温泉】

 10軒足らずの宿がある周りをキリシタン伝説に囲まれた、隠れ里のような雰囲気の小さな温泉地である。前には海、後ろは山。お料理は伊勢海老・あわびなど海鮮、天草牛も。天草市天草町の海岸近く、後ろの小高い山近くにあるので、海の傍でも潮湯ではない。温泉の歴史は700年とも800年とも言われている。白鷺が傷を癒したところから【白鷺温泉】とも言われているそうだが、こういう話は原鶴温泉などでも聞いたような気がする。いずれにしても掛け流しの豊かな湯量。

今回の宿は【夢ほたる】歴史の古い宿で建物の風情は昔そのままに残して改修などをしてきたので、落ち着いた和風旅館の佇まい。階段なども従業員用とお客様用の二つがあったりするところが、昔の宿そのままだなと思わせます。経営者が魚屋サン、食材は非常に新鮮、吟味されているようです。まあ、このあたりは海の幸が豊富なので、何処の宿でも食材に当たり外れはないでしょう。後は来泊する人がどんな宿を好むか?でしょうね。?チェックインして荷物を置き「五足の靴遊歩道」に行きたいのですが・・・と訪ねると「普通の  靴では無理かも知れません。山道ですし、草が生い茂っていますから」とのこと。ご隠居サンは山歩き対応できるウオーキング・シューズですが、私は歩きやすい旅用の靴。大抵のところは大丈夫と場所を聞いて宿を出ました。海辺近くまで5、6分。?小高い丘に記念の碑がありました。その傍にこんな看板が。入り口には木で作った階段が続いています。上り始めましたが、上にはうっそうと樹木が茂り、もう完全に山道以外の何物でもありません!そういう山道がかなり続いているようで、登りつめると吉井勇の歌碑が建って海が一望の下だというが・・・

 

 

 

  

 

「えっ、それだけ?」途中文学の道らしいものは何にもないそうです。「ただの山登りだねえ。碑だけ見てもつまらないね」・・・途中で引き返しました。私の靴ではちょっと無理な感じでもあるし。白秋一行がこの山道を越えたのでしょうが、【文学遊歩道】と名づけるなら、もう少し文学の雰囲気を醸し出して欲しいと思いました。例えば、途中に五人の詩人達の詩や文章の一説を、木札でもいいから建てて、登る人がほっと立ち止まり、文学の香りに少しでも触れることが出来るとか。

 

本当にただの、ただの山道なんですね。これでは、文学サークルの仲間との【文学散歩】企画は出来ません。年配の仲間もいるし・・・下見してよかった!

 宿の方の話では【11月にはウオーキング大会】が開かれるので、その時は山道の手入れが行われますが・・・ということだったけど。後で【五足の靴文学散歩案内図】を見たら、下田温泉の入り口から大江までの山越しは2時間はかかるという。トイレも一箇所だけ。う~~ん、観光の目玉や文学愛好者を呼び込もうとするのなら、もう少しきめ細かなやり方をしなくては、そのうちに訪れる人もなくなるのでは?と思ってしまいました。碑のあるところからの見晴らしは↓こんなに素晴らしいのですが。

 宿に引き返して露天風呂へ。先客なし、貸切状態。飲料も可の掛け流し温泉です。 無色透明・無味・無臭。効用(消化器病・肝臓病・糖尿病・痛風・切り傷火傷・筋肉痛など)飲用も出来ます(ナトリウム炭酸水素塩・塩物泉) 画像の温泉が青いのは、底がブルーのタイル使用。温泉自体は無色。温度は出てくる源泉は熱めですが、露天なので程よい湯加減となります。内風呂も薄めず入れます。

さて、お風呂にゆったり浸かったあとは、これぞ目的の伊勢海老コースのお料理なのですが。

 食前酒・先吸(海鮮茶碗蒸)・箱膳(創作八寸・杉板焼と菊薫・モロ胡・ハジカミ・天草産合鴨ロース・黄身煮酢取茗荷)・向付(伊勢海老と天然地魚盛り合わせ)・預り皿(伊勢海老カルパッチョ)・洋皿(伊勢海老ムース仕立て)・蓋物(天然冑アラ炊き)・伊勢海老せいろ蒸し・口直し(天草きびなご酢味噌)・小蓋物(天草大王じぶ煮と秋野菜添え)・ご飯もの(天草天然鯛めし)・留椀(五色椀)・後は果物とお漬物・・・・でした。                                 

 やっぱり伊勢海老の姿活き作りのあの甘みとお刺し身いろいろの新鮮な味が魅力でしたが、カルパッチョも大好きなので嬉しい一皿でした。満足!お値段の割には贅沢な料理だと思います。

 宿の近くに【日本夕陽100選】に選ばれた【西平椿公園(ヤブツバキの群生も見事】】や鬼海ヶ浦展望所があるのですが,夕方から小雨がパラパラ、残念ながら夕陽には巡り会えませんでした。明日は大江の天主堂などへ。もう一つ小さいけど見たい美術展示館があります。晴れますように!

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窯元&キリシタン歴史の跡など

2010-10-24 17:15:41 | 旅のつれづれ

朝ご飯伊勢えび味噌汁 翌日は朝から晴れ上がっていた。朝食には伊勢えびのお味噌汁(これがまた美味)がたっぷりついていた。後はごく普通の温泉朝食でした。旅に出るといつも食欲旺盛になってしまいます。

 

ロビー 宿は至って和風旅館なのですが、ロビーは新しい感じの改装で【白秋全集全40巻】【赤い鳥(1918年大正7年、作家鈴木三重吉によって発刊された童話と童謡の雑誌)】の復刻版が並んでいました。芥川龍之介の【蜘蛛の糸】なども確かこの雑誌に発表されたと思うのですが。

【北原白秋の邪宗門や杢太郎の南蛮寺門前なども古いものが並んでいました。なんだか嬉しい懐かしい気持ちになりました。経営者の奥さんの趣味だとか。戦前の実家や叔母の家で読んだ古びた【赤い赤い鳥復刻版 鳥】・・・福岡大空襲で全て焼けてしまいました。珈琲を飲みながら、赤い鳥のページをめくり、しばし想いに耽っておりました。珈琲カップの白磁の色が余りにつややかな白だったので、この器を焼いた窯元を訪ねたくなりました。この辺りには幾つもの窯元があり、【窯元祭り】なども開催されています。天草陶石の採掘は江戸時代に始まり、その白さと材質は一等・二等などとランクづけられて磁器の材料に使われます。

 


天草は焼き物も

白磁に艶があり薄くて、つい、小皿など求めました。今回は3軒の窯元を訪ねましたが、次回はもっと回ってみようかな・・・と思います。有田などのように有名ではないけれど、素朴な窯元には心惹かれます。

IMG_2086 白磁の白がキラキラ綺麗 キラキラ輝く海を眺めながら山の方にくねくね道を走って小高い丘に建つ大江天主堂をまず訪れました。与謝野鉄幹や白秋がガルエニ神父を訪ねて、キリシタンの歴史に触れたところ。白亜の教会が秋の青空に、映えていました。昔この回り、見下ろす辺りは農村が広がっていたようです。今も住宅の屋根屋根や山が、遠くには海が見えます。農村の佇まいの中にありました。

大江天主堂2 天草に初めてキリスト教が伝わったのは1566年。熱心な布教活動の結果入信者が増えコレジオと呼ばれる神学校も天草に出来たが、その後キリスト教禁止令による280年余りの、厳しい迫害の歴史が続いた。キリシタンの人々は、隠れ部屋に潜みながらオラショ(祈りの言葉)を唱えながら、苦難の中信仰を守り通した。?大江天主堂の横には、日本風な墓でありながら十字を描いた墓が並んでいた。               

 

?大江天主堂でルルドのマリア像 有名なルルドのマリア像。

 再度訪れた吉井IMG_2091 勇の歌碑がありました。

 

ともにゆきし友あらず 我ひとり

 

老いてまた踏む天草の地

 

もう一つの同じような歴史を持つ【崎津天主堂】へ。ここ天草や島原を訪れると、広がる海の彼方の波のうねりの向こうには、異国・伴天連の国があり、渡来した神父の情熱が素朴な村落の人々の心魅了し、やがてキリスト教受難の時代へ。その時代を乗り越えて、今もなお静かにたたずむ天主堂の周りには信仰厚き人たちが暮らしているのだと思うと、若き日の白秋・杢太郎ならずとも、宗教は解らなくとも熱く切ない想いを新たにしてしまったととろサンでした。

この教会は海のすぐ近く漁師町にあります。天草下島の南部、東シナ海に面した湾傍の漁師達の信仰の場所です。崎津天主堂は海の傍に この湾水が澄んでとても綺麗でした。この辺りでも熱帯魚が泳いでいたり、少し沖の方へ行けばテーブル・サンゴが見られるとか。イセエビもすぐ近くで採れますよ。許可なしではダメですが・・・とそんな話を自分で作って売っている、干物売りのご夫婦から聞きました。ご隠居は「来夏は天草でダイビングしよう!!」と張り切っています。(海側からの教会の画像は、ネットからお借りしました)

海の傍の先津店主導 珍しいヨメゴチという地元の干物。みりん味が利いて、ちょっとあぶって酒肴にぴったり。

 


IMG_2183 お土産などに幾つか買いました。干物やサンの猫ちゃん1 干物やサンの猫ちゃん、アメリカの娘宅のサヤによく似ていたので


 パチリと写してしまいました。 二つの天主堂を見て、苦難の歴史と鄙びたところに建つ美しい教会の姿に謙虚で強い心を持った当時の人たちのことを思わずにはいられませんでした。宗教のことは解りませんが、やはりそれほどに強いものなのでしょうね。

もう一つ訪れたいところがありました。カーナビの力を借りながら(但し、カーナビさんは一途に自分の思う道を辿らせようとするところがあるようです。ご隠居は道路が変ったり、増えたりしたとはいえ天草に詳しいので、目指すところに行き着きました。

 【ギャラリー・つる田】天草出身の画家・イラストラートレーター、鶴田一郎サンの実家で148 お姉さんがオーナーの小さなギャラリー。ノエビア化粧品の宣伝にも使われておりました。美人画を得意となさってます。

営業は木曜~~日曜と確認して出かけたのに、残念、しっかりと戸は閉まってクローズ。多分用事が出来て出かけられたのでしょう。(画像はネットからお借りしました)絵葉書欲しかったんですが・・・残念。

 

昼定食 ?ここで町内のTさんからご隠居サンに携帯メールに「お昼まだでしたら、僕が会社時代天草に出張の時泊まっていたビジネスホテルが、食堂をやっています。安くて美味しいですよ」との情報を寄せて下さいました。丁度これから帰路に向かう途中にあるお店(河丁という名前でした)だったので、立ち寄りました。座席のすぐ前に海が広がっています。明るく優しい海を眺めながら定食を食べました。1050円也。安いけどお刺身も新しく、お煮付けに小鉢など、美味しく頂きました。気さくな女将さんで、Tさんのこともよく覚えていらっしゃいました。旅先でそんなちょっとした会話を交わせると、旅の楽しみが倍加します。

今回の天草への一泊旅、行きは晴れたり曇ったり、イルカと夕陽は見ることは出来なかったけど、キリシタンの歴史に伴天連異国情緒を感じ、五足の靴の文学遊歩道にはちょっとがっかりしたとはいえ、若い詩人達の当時の心境などを思いやり、文学的な心も掻き立てられながらも、何よりも伊勢えび!美味しかったなあ!なんて!あはは、やっぱり食い意地が張っています。

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秋晴れの”みあれ祭”&クラス・同窓会

2010-10-13 02:39:41 | 日々の中で

                          みあれ祭り・クラス会(1)丘の上から撮ったので、私のカメラではこれが精一杯でした)
 海の守り神【宗像大社】の秋の大祭(10月1,2,3日)の初日に行われる”みあれ祭”は、大漁祈願・海上安全祈願の神事であり、多くの漁船が御座船に随行する勇壮な情景は、見る者の心を躍らせる。

小学校(福岡市立大名小学校)のクラス・同窓会を”みあれ祭"を鑑賞して新鮮な海の幸に舌鼓!という企画で行った。集合8時。天神日銀(日本銀行)前。この集合パターンは、20代の頃勤めていた会社の春・秋の社員旅行などでお馴染みだから、スムーズに集まってにこやかに"お早う”と挨拶を交わした時には、T君、Mちゃんなどと、もう幼い想い出の時代に、立ちかえってしまう。(食事処のバス 送迎)

祭開始10時より随分早目に着いたが 、もう観光客が三々五々集まっていた。小高い丘の丘の上より高みの見物 上に祭壇が設けられているので、そこで船団を待つ事にした。

 

見事な青空が広がり、見下ろす玄海灘は眩しすぎる程の秋の透明な陽ざしに、キラキラと輝いていた。カメラを構えて待つ人の姿も多い。だんだん防波堤も人人で埋まってきた。

みあれ祭の由来

宗像神社の三女神が集まられる祭で、その昔神宮皇后が三韓征伐の折り、軍船が宗像三神の守護を受けて出兵。首尾よく目的を果たしたという故事にならい、その神防波堤も見物の人人 徳を讃えるため始まったという。いつの頃からか、漁民に受け継がれ、海の祭として盛大だったが、中世以降途絶えていた。昭和37年復活した。はじまりは700年前とか

みあれ祭海上コース

宗像市大島にある大島港から 神湊港まで約1時間かけて、沖津宮のお神輿と中津宮のお神輿を載せた、 2隻の御座船とお供の船団を、神湊から辺津宮の御座船が迎えに出て、三隻の御座船を守るように沢山の漁船が随行し、神湊に入ってくる。港近くで漁船は一隻ずつ御座船に挨拶をして、出迎えの役目を終え、自分の港に戻っていく。

「まだかしら」待つ事しばし「見えてきた!」遠く御座船を先頭に、一列に並んだ漁船団が進んでくる。鐘崎沖からUターンして神湊へ向かってくる。

TVから拝借  色とりどりの大漁旗が風になびき、真っ青な海面を白い波を蹴立てて進んでくる!以前は300隻は出たという漁船も今は150隻と少なくなったというものの、初めて見た私には、美しい壮観な海の祭であった。(画像はTVの画面を拝借)

丘の上に神輿が上がってきた。神事を見る時間は残念ながらなく、でも、【むなかた道の駅】には寄って(ここは大島や神湊から新しいお魚などが入って、いつも賑お神輿2 わっている)アレコレ買物。昼食会場【華杏】に移動。祭と秋の好天気に上気した顔の仲間達と、目前に広がる海を眺めながら、【伊勢海老と平目の活き造り】はじめ、なかなか美味な料理に舌鼓を打つ。玄海灘に面したこの辺りは海鮮の美味しいところとして知られ、この周辺にはそういう料亭から手軽なお店まで沢山ある。(食べるとのお喋りなどなどで、料理の写真を撮るのはすっかり忘れていて、気がついた時はお皿は空っぽであった)

クラス会を計画している時に、担任のF先生の訃報を知らせる電話が奥様から入った。だから今回は、悲しいことだが先生追悼クラス会となった。「でも90歳、長寿全うだもの、明るいクラス会にしようね」皆の気持ちである。先生とのいろんな想い出が飛び出して・・・・。

F先生と私たち

 F先生と私達のクラスは、非常に縁が深い。卒業以来随分長い歳月が経ったのだが、その間私達のクラスは、ずっと先生とのお付き合いが続いた。小学生の頃から先生に連れられてあちこち遊びに行ったものだ。理科が専門の先生だったので、小川での採集など自然の中での遊びや実験なども。 ご自宅にもみんなでよくお邪魔した。すき焼きなどをご馳走になったり(まだ世間一般が貧しい頃だったから、奥様は良く遊びに来るかっての教え子達、その頃は高校生であったか・・・を賄うのにご苦労なさったことだろう。

穏やかで口数少なく、いつもニコニコ見守ってくださっていた、あの優しい笑顔をクラスのみんなは慕っていたものだ。Y君などは幼い頃父親を亡くし、F先生に父親のような想いを抱いていたようで、お葬式参列のため上京した(先生は今は千葉で息子さんご一家と同居なさっていた)4月に90歳のお祝いに【寄せ書きとお花】を贈ったばかりだったのに・・・。最近は家でベッドに横になる生活で時折車椅子で散歩という状態だったのだが、寄せ書きやお花を枕元に置いて、嬉しそうに眺めてくださっていたという。ご高齢だから、こういう別れの時がくることはわかってはいたが、みんな寂しかった。早速お花と弔電を届けた。四十九日忌は福岡の菩提寺で法要が営まれるとのこと、「皆で御参りに行こうね」と、クラス会で約束が出来た。

今こんな感じで生徒と付き合ってくれる先生は、どのくらいいらっしゃるんだろうか?

私達の頃は戦後の貧しい生活が当たり前の時代ではあったけれど、こういう先生がまだまだいらっしゃった。お葬式に参列したY君の話によると、ご長男さんの娘さんが「祖父を見ていて教師になろうと思いました。教え子の方にお会いしたかったです」と涙ながらにおっしゃったそうだ。今勉学中とのこと。とても嬉しい話だった。

 華杏で三時まで・・・かなり長い時間の筈だか、あっという間。【宗像神社】は初日のみあれ祭を皮切りに3日間神事が続く。放生会とあって、境内には露店がずらり。夜賑わうことだろう。
  宗像神社夜店

宗像神社

 

今回は参加者17名(もう、物故者もかなり・・・寂しいけど、そんな仲間の分まで元気でいなくちゃ~~ね。

15名以上だと送迎のバスOKで、みあれ祭の間も待っていて道の駅へ。帰りは宗像大社経由でまた天神へと。楽な移動だった。

幼い頃をともに過ごした仲間は、幾つになっても幼い日に戻れて、なんの屈託もなく楽しく過ごせるものだと思う。秋の海、綺麗だったなあ、海の祭り、勇壮で躍動感があってよかったなあ!神を敬いながら、大漁と海の安全を願い、みあれ祭を続けてきた海人の気持ちが、伝わってくる祭だった。

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夏休みおもしろ塾、最終日は博物館バックヤードツアーへ

2010-10-09 10:02:35 | 草の根地域福祉

 
 今年で9回目の8月の【平成夏休みおもしろ塾も、地域のシニアを先生に、子供達は元気に楽しい時間を過ごしました。最終日は今回の目玉【九州国立博物館・バックヤードツアー】です。塾長をしているご隠居サンが、博物環境ボランティアをしているので、「良い機会だ、子供達にも博物館の裏側を見せてやろう」と企画しました。たまたま福岡県の広報TV番組にほんの少しの時間ですが、出演依頼を受けて子供達大喜び、そして少し緊張気味でした。

 まず最終日は今年も【平和を考えよう】 ととろサンの友人とその仲間の方達が、自分の体験を基に作 った紙芝居3編の中から【さっちゃんの満州】を今年は取り上げました。

  

  子供たちも若いお母さん達も、戦中戦後のことは知りません。満州って?途中で食べたコーリャンって?そんな疑問に答える準備もして、語り手は読み聞かせOBのととろサン。子供たちもお母さん達も真剣に聞いてくれました。

ささやかでも、そういう苦しい時代があって今の世の中があるということ、平和がドンナに大事か、どんな理屈をつけたとしても戦争はいけないものだ・・・ということを、少しでも子供達が感じてくれることを願っています。

(子供達を相手に読み聞かせをしていると、以前娘達が小学生の頃、まだ地域公民館もなく、廃車になったバスを置いて、その中が子供図書館でした。今は中央公民館、図書館、地域公民館もありますが、ととろサンが移り住んだ頃の太宰府は、本当に天満宮中心の観光だけの小さな町村でした。40年くらいの間に随分と変ったものですね。)

これも毎年の【茶道】今年も70代、80代のMさん達が指導して下さいます。道端や畑の草花での  いけばなもなかなか見事に生ける事が出来ました。

  

   

 最終日は先生方やお世話して下った方みんなでお食事。今回はちょっと豪華な”食事処 梅の花”の  お弁当。ご年配の先生方に合わせて和風弁当ですが、ちゃんと子供たちも綺麗に頂きました。日本人の体質に合う、和の食感をしっかり味わう事も大事ですね。

 最後はみんなで自分の地区の公民館を、ちゃんとお掃除して。

    

 さて、お待ちかね・博物館バックヤード・ツアー

 食事の後は、揃って博物館へ移動しました。暫くあじっぱ(アジアの原っぱの意味で名付けられた、子供達がアジア各地の楽器や玩具などを手にとって遊べる場所)】で影絵を実際に演じたりして遊びました。

   

    ( 影絵をやっている子供達とその画面。上手に動かしていました。)

博物館にこういう子供達が楽しめる場所を作るというのは非常に画期的で素晴らしいと思っています。子供の頃から博物館に馴染むというのは、さりげない知的教育として優れた事だと感心しています。博物館って大人でもちょっと敷居が高いというか、襟を正して入館しないといけないような気がするものですが、ここ九州国立博物館は、日本の博物館の常識を破って画期的です。子供の時から、そういう場所でのマナーなども自然と身につけながら、歴史などに興味を持つことは素晴らしいことですね。

  

  

    (インタビュー、少し緊張)             ( サンキュー・兄さんと記念撮影 )             
 

地元タレントのサンキュー・ニイサンとアシスタントの女の子と一緒にボランティアさんの説明を聞きながら【博物館の裏側はどうなっているのかな】と巡る事になります。内部の写真は写せません。

9月30日放映がありました。短い時間でしたが。

耐震設備や保存、保管、修理などなど、日頃表では見られない博物館の綺麗に整頓された内部を見て回る事が出来、目を輝かせておりました。

 特に、埋蔵文化財などをあるがままに再現し、手に取って見ることが出来る「三次元立体カラープリンター」に、目を丸くして驚いていました。

 夏休みの良い体験になったようです。感想?は・・ハキハキ答えていましたよ。

でも、何処の子供会って紹介がなかったのは、ちょっと寂しかったなあとご隠居サンと話したことでした。 (ととろサンはバックヤード・ツアーには参加していませんので、ご隠居の画像と話しで記録として掲載しました。)

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9月の【男の料理教室】

2010-10-09 10:00:41 | 草の根地域福祉

(地域行事は記録としてなるべく残しておきたいと思っている。今回画像は参加者で取材(地区広報のため)のご隠居さん提供)

9月30日(木) 指導 食進会(太宰府市食生活改善推進会・・・発足以来ずっとこのネーミングのようだが、ちょっと古いなという感じをうけないでもないが、意欲的に取り組んでいる組織である。生活習慣病予防などのために、健康で明るい食生活をと)

今回の献立は?

ゴーヤご飯 鯵の南蛮漬け ・そうめんスープ ・茄子コチュジャン和

<出来上がるまで>

 

 

 

共同作業で


・笑顔で盛り付け


真剣に揚げ物挑戦 ご指南役、食進会のお二人

出来ました色鮮やかな鯵の南蛮漬け(赤・黄・緑のピーマンを散らして)

お味はいかが?うん、上出来!!
  後は試食と楽しい団欒が待っていました。勿論後片付けも自分達で。食進会の方が感心していらっしゃいました。

今回ちょっと参加人数が少なかったのは、ゴーヤご飯のせいかな。ゴーヤって好き嫌いがありますからね。
ご隠居サンがお土産にゴーヤご飯のお握りを。試食してみました。なかなか乙な味でしたよ。

ゴーヤは薄切り、熱湯で茹で、絞って水気を切り、薄口お醤油と塩で下味。炊きあがったご飯にたっぷりのいり胡麻とともに混ぜる・・・だけなんだそうですが。菜飯の要領ですね。皆さん会を重ねるごとに包丁捌きも上手になって。友人からの話【料理教室から帰ってくると、夕食の後片付けしてくれるのよ。三日坊主なんだけど。」それでも、定年後の男性が台所に馴染んでくれること!が大事なんです。          

 もしも・・・独り暮らしになったら・・・父さん、どうなさいますか?

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