”春はすぐそこに”などの見出しで、桜の名所はじめ観光地へ旅心をいざう新聞全面広告が目に付く。ふらりと歩けば、そこはかとなく沈丁花の香りがただよい、連翹の黄色、白い雪柳などがたわわに枝をたれ、福岡では桜の初咲きが報じられた。季節は冬に別れを告げ、人々も重い衣を脱ぎ捨てて軽やかな明るい色合いへと装いを変えているようだ。
さあ!季節が変ったら、芽吹きの春のような若やい気持ちに切り替えなくちゃあ。蕗の薹・筍・土筆も味わったことだし(”食い気”から春が来たの?って言われそうだが)
それに昨日あたりから【空は朧なかすみ色】といえば、聞こえはいいが、毎年春恒例の【黄砂】が例年より早くやってきたらしい。はるか彼方の中国の砂漠あたりから、風に乗って毎年やってくる黄砂。ただの砂ならいいけど、妙な物質が混じっていないかなと疑いたくなる中国の大量農薬使用、車もこの時期は汚れやすい。歓迎したくないこんな春の風物詩もあるのだ。花粉の飛沫もそうだなあ。マスク姿が多くなった。
今日も卒業式を終えた女子大生の、色を競うきらびやかな袴姿があちこちに。男子学生の羽織袴姿も多い。バッチリ・メークのタレントばりの女子大生に改めて目を見張り(なんと現代の若き女たちのメークの上手いことよ!)男子学生の頼りなげな袴姿に(なんと!派手な!昔なら演歌歌手だよ、お前さんは)とボヤキたくなるのは、ととろサンがトシとったせいかなあ。考えてみれば、私達の若い頃石原裕次郎などが人気で、【太陽族】という言葉が流行り、ロカビリー、グループサウンズの時代には、祖父母の世代は大いに眉をひそめて「今時の若い者は」と嘆いていたようだ。いつの時代も繰り返される新旧の世代の価値観の相違、そうやって世の中は変化していく。だが、願わく少しでも人々が住み易く、他への思いやりを持つ優しさを忘れないでいることのできるような時代であって欲しいものだ。ファッションや趣向は変っても、人としての大切なものまで脱ぎ捨て、忘れてしまってはいけないとしみじみ思う。
さあ、気持ちも春に切り替えて、少しでも明るく、残された日々(わあ、大げさ)を大切に過ごしていこう。