ネジバナ
昨年の我が家の狭い庭には、ポコポコといたるところに蝉の這い出た穴があった。アチコチに沢山の抜け殻が。福岡の中心街でもクマゼミの鳴き声かしましく、店での会話が聞こえにくい程だったという。
今年は・・・早朝目覚めても、降るような蝉の鳴き声はない。ここ数日やっと少しずつ蝉が生まれでている。ご隠居さんは早速カメラ片手に夕暮れの庭先を蝉の羽化を探して(羽化したばかりの蝉。撮影はご隠居サン)
七年もの長い間地中で過ごし、あの硬い地面に穴を開けてこの世に姿を現す。樹木の葉の陰などでゆっくりゆっくりと羽化が始まる。生まれたての蝉の羽は薄く薄く、淡いエメラルド・グリーンに輝き、なんとも言えず美しい。今も心は昆虫少年のご隠居サンならずともその生命誕生の瞬間には、心が震える程の感動を覚える。
七年かけて生まれて、この夏を限りと精一杯羽を震わせて啼いて次世代を残すための儀式を終えて、蝉は短い短い命を終える。なんという凝縮した生命の燃焼だろう。時にして自然界のなせる業の残酷なほどの定めに、心おののく想いである。
過日 N響コンサートへ。大編成のオーケストラは久しぶりだった。最近は室内楽やピアノソロコンサートなどが多かったので、それぞれの音の大いなる美しいハーモニーに酔った。スザンナさんの指揮もすてき!黒のパンツスーツの外人にしては細身ですっきりとした文字通り私の好きな「ハンサム・ウーマン」といった感じの女性。最近は指揮にも女性の進出があり、日本人では西本智実さんなど。嬉しいことだ。
樫本大進さんのヴァイオリンも、とても繊細で素晴らしかった。ご隠居は若い頃からクラシックが大好きで必然詳しいし、もともと耳がいいようだ。私は付き合い始めてその影響で好きになり・・・といっても、知識も耳もさっぱり駄目だが、ただ聞くのが好き!歌舞伎や文楽は私がご隠居サンを感化したもので(すんなり入ってきてくれたのが、結婚決意の一つ??かも)付き合い始めてお互いの趣味を共有しあったもので、山歩きはこれもご隠居サンに教わったといえる。
舅は今生存なら百歳を越したところだが、なかなかの趣味の持ち主で、会社人時代はゴルフはシングル、麻雀負けなし?囲碁も。大学時代はテニスの選手、戦前当時の朝鮮に仕事で赴任している間は猟も楽しんだという。ただしダンスは全く駄目だったとは、姑の話。
今回のコンサートの【スペイン交響曲】はその舅の好きな曲だったそうだ。
N響コンサート、詳しいことはまたもや 蟋蟀庵便り でご一読下さい。
夫婦・・・縁あって伴侶として長い人生を共に歩いてきたが、もともと生まれも育った環境も違う異性同士の結びつき、趣味は共有できても、性格やその他諸々??ということもあったし、これまでの人生には「なんだ坂、こんな坂」ともう登るのも歩くのもやめようか・・・と思ったことがなかったわけではない。それはどの夫婦も多かれ少なかれ体験することだろう。そうこうしているうちに、振り返ると長い私達の歩いてきた道が凸凹しながらも自然と出来ていた。
高村光太郎の詩に確か【僕の前に道はない、僕の後ろに道は出来る】という一節があったような。【道程】だったか?恥じることも後悔することもあった人生、だけどいつもひたむきに歩いてきたことには後悔はない。
終わりよければ全て良し】穏やかな日々に感謝しながら、今夏もなんとか酷暑・猛暑乗り切って涼風立つ季節の到来を待つとしよう。夏が来れば秋が来る、自然の理。四季のある日本ってやっぱりいいな。寒い冬があるから暖かな春が嬉しい、暑い夏があるから、爽やかな秋が嬉しい。四季折々の中で、今年も自然体で過ごすこと!改めてそう思った今朝であった。
ネジバナが咲いた。一つ一つの花の可愛さ、楚々とした立ち姿の可憐さ。風に揺れながら灼熱の木陰でひと時の涼やかさを感じさせてくれる。