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ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。旅やアメリカでの話、趣味のことなどなど・・・自分の覚書を兼ねて。

化粧の力でフレイル予防!東山田ケアプラザ・7月の【談話室】

2025-07-26 15:41:22 | 2023年10月より横浜での日々

 早朝から油照り,眩しすぎる陽光に、蝉たちの声も心なしか、元気がないような気がするのは、このところ、少々体調不良を感じているせいか?エアコンを使い、水分をしっかりとり、余り食欲はないけど頑張って食べてるし、外出は控えて、猛暑に対応しているつもりでも、けだるさを感じるのは、熱中症予備軍?フレイル状態に陥っているのかな?「これじゃいけないな」と思ってはいたのだが。先日【フレイル予防】の話を聞いたばかりなのに。頭での理解と体調とが、なかなか一致しない。困ったものだ。

 月に2度参加させて頂いている【東山田ケアプラザ】7月の【談話室は資生堂の若い美容部員さんによる「お化粧はフレイル予防になる」から、高齢者となってもぜひお化粧をとのお勧めの講座だった。

  

  ※フレイルとは、老いにより心身が虚弱状態になり、健康な状態と要介護状態中間の段階のことをいう

・家にこもりがち・人に会いたくない、・何もしたくない。そんなマイナーな気分になる状態といえばいいかもしれない

 前に住んでいた町の地域公民館で、フレイルとは?その対策などをテーマに専門の方を招いて話してもらったことを思い出した。(その頃はまだ自分には縁遠い言葉だと思っていたけど。今は若干その傾向があるのを自覚している。環境が一気に変化したせいもあるだろうが)

 目の前にお化粧のサンプルが並び、鏡も添えて華やいだ雰囲気だ。美容部員さんの「何故化粧がフレイル予防に良いのか」との説明を聴きながら、指示に従って、顔の拭き取りに始り、基礎化粧品⇒メーク!!迄。最初はいささか恥ずかしかったが、皆さんの間から、楽し気な笑い声がはじけた。。二人の男性ボランティアさんも基礎の手入れなどに参加して、冗談を交えながら盛り上げてくれた。談話室でお会いする皆さんは、いつも生き生き元気に見える。まだフレイル予防は必要ないみたいだが、人間、いつどんなになるか?解らない。色々な話を聞く機会があることは素晴らしいことだし、フレイル状態にならないためにも、意識して前向きに明るい気持ちを保つように心がけることが大事だなと改めて気がついた。

 顔のマッサージ、唾液分泌を促す耳下腺の辺りのポイントなど。また、舌の運動など。化粧する段階での動作で、必要な刺激が与えられ、メークにより「人と会おうかな」「外出しようかな」など、前向きな気分になるという。そういうことがフレイル予防になるという。それにしても今の時代は何でもカタカナ。フレイルという言葉を初めて聞いた方もあっただろうと思う。世の中カタカナ言葉や和製英語が溢れすぎているのではないかしら。AI時代?になって、現状になかなかついて行けないし、理解することさえ難しいことが多い。急速な時代の変化で、仕方がないと言えばそれまでだが。

メーキャップ迄終わり、サッパリして、少し気分が若やぐ。美味しくおやつを頂きながら、装う、化粧するという事は、幾つになっても気持ちを前向きにしてくれる大事なことだなと改めて思った。男性・女性に限らず、身だしなみ・装うという事で、確かに気持ちは前向きになる。

 高村光太郎は【僕の前に道はない、僕の後ろに道は出来る】と詠んだではないか。同じなら美しく、最後の我が道を作りたいものだ。

 (折角化粧することとフレイルの関係などを教えてもらったのに、余りの熱さに気分ダウンの私だが、このブログをUPすることで、少しは気持ちもUP出来るかもしれない。頑張ろう!!)

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七夕を前に、紙灯籠作り(東山田ケアプラザ【談話室】)

2025-07-07 16:28:48 | 2023年10月より横浜での日々

7月3日(木) 相変わらず猛暑の日が続く。

 7日は牽牛(彦星)と織姫の年に一度の逢瀬の夜。果てしなく広がる漆黒の宙に流れるような銀河を見上げたのはいつだったか、昔の夜は闇が広がっていたが、今はもう銀河を観ることもなくなった。沖縄の離島の夜の海辺で、地球は丸いのだと半球型に広がり、きらめく星の中に星座を探し、、銀河を見たのはいつだっただろうか。

七夕を前にいつもの東山田ケアプラザでの高齢者の集まり【談話室】では、和紙を使った灯籠作りがあった。

講師は子育て支援者でもある篠崎圭子先生(親子のサークル・どんぐりころころ代表者)のてきぱきと明るい指導で、竹ひごを通した和紙に、絵の具やクレヨン・千代紙を使って、灯籠を作る。(私は所用があって、途中で抜け出したので、自分のは未完成のを持ち帰った。)出来上がった時には部屋を暗くして灯りを入れて七夕の夜のムードに。

不器用な私は夏休みの工作の宿題が苦手だったなあと、そんなことを思い出してしまったが、皆さん、先生の助言を受けながら、あるいは物つくりに長けていらっしゃる方はさっさと、皆さん、それぞれに楽し気に取り組んでいらっしゃったようである。

 夫が亡くなって4年目。娘宅( マンション)の別棟での独り暮らし。あいにく、横浜には知人も友人もなく、独り静かに暮らす日々。娘が休日の時は、博物館や劇場で楽しむこともあるが。おおむね「お独り様」娘が帰宅して立ち寄るまでは、言葉を口にすることもない時間が続く。マンションの皆さんは、供働きが多いのだろう、人影を見ることもなく、本当に静かこの上ない。誰とも会わず、誰とも話さず、静かに時間が流れていく。それでもすぐ近くに娘一家がいるのは心強いことだ。夫亡きあと独り太宰府の家で過ごしていたら、親戚友人知人は多いけど、不安も募ることだろう。病気もそれなりに抱えているし。やはり横浜に移り住んで良かったと思う。少しずつでもこの地に慣れるため、これからのことなどを考えて、東山田ケアプラザ開催の、月に二度の「談話室(高齢者対象)」に参加させてもらっている。前回は「横浜市歌」があることを知ったし、今回もおやつに出た「八つ橋」の話など、生八つ橋には3つの種類があるといった話などをボランティアの方がして下さったし、七夕の笹もボランティアの方が、竹林で採ってきて下さったとか。お世話頂きながら、少しずつ終の棲家となった都筑区という場所に慣れること。が今後の私の課題かな?涼しくなったら、都筑区アチコチ散歩してみよう。談話室」の皆さんは地元の方が多いようなので、色々教えて頂いて。

  恋ひ恋ひて逢ふ夜はこよひ天の河 霧立ち渡り 明けずもあらなむ  読み人知らず(万葉集より)

  天の河深き契りは頼めども とだえぞつらき かささぎの橋 宜秋門院丹後(古今和歌集より)

古歌には恋人牽彦と織姫が渡る出会いの橋を「カササギが橋のように羽を広げて連なって、道を作った」と歌われているのが多い。万葉集・古今集共に恋歌として多くの恋歌が詠まれていて、ロマンティックな気持ちになる。夜空に銀河を眺め、星を数え、二人の恋に想いを馳せた古代の人達、何と素敵なことだろうとひと時想いははるかいにしえの時代をさまよい、悠久の時の流れを思った七夕の夜だった。

カササギは福岡や佐賀ではみかける小鳥で白と黒の鮮やかなコントラストが印象的でお洒落な感じがする鳥だ

   カササギ

 

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第三日目 横浜へ、帰りま~す

2025-07-02 18:21:48 | 旅&温泉紀行

5月25日(3日目)横浜へ戻る日。

いろんな外国の家族連れなどと、エレベーターで乗り合わせたり、国際色豊か。朝食はバイキングだがこれも国際色豊か、和・洋・中華・見慣れない料理などなど、量も品種もたっぷり並んでいた。といって、朝からそんなには食べられないけどね。アメリカの少年かな。沢山の色とりどりのドーナッツをあれこれ嬉しそうにチョイスしていた。アメリカの人ってドーナツ好きだったなあ。

孫の住む部屋や周辺を散策。浜松感を味わって、「浜松なら鰻が食べたいわ」とリクエストを出していたら、孫が同僚から美味しいと聞いたお店へ案内してくれた。【炭火焼鰻 はじめ】お店の外観はなんていうこともなく道路添いにあった。が行って驚いた。早めのお昼にと出かけたのに、まあ、かなりの人が並んでいる。ここは品物(鰻)がなくなったら、そこで【今日は終わりです】というお店らしい。並んでいても目の前で「終わり」という事にもなりかねないけど。とりあえず並んでみた。太宰府に住んでいた頃は、食べるために並ぶなんて考えもしなかったけど、横浜でも都内でも並ぶのは当たり前みたいだ。だいぶ慣れたが好きではないなあ。お味はなら並んだ甲斐があった。たれの味も私好み。鰻もふかふかときれいに焼けているとここまで書いて~~食べることばかり書いてているなあと我ながらおかしくなった。年取ると食べるよりほかに楽しみがない??のだろうか。

 

浜松といえば、鰻に、うなぎパイ!【春華堂本店】を訪れた。「わあ!」年甲斐もなくこういうのが好きな私、ミニチュアア道具も好きだが、逆のこういう巨大な椅子や箱そのものがお店になっているなんて!孫にリトルハウスをプレゼントしていた時のことなどを思い出し、子供心の儘に楽しんだ。

帰路は少しゆっくり新幹線に娘が切り替えてくれたんで行きには天候が悪くて見えなかった富士山が目前にその姿を見せてくれて、これまた大満足の私。全く単純なんだからとひとりごちた。

今度の旅は伊勢神宮と孫の住む浜松の雰囲気を味わうことと、海鮮と鰻が目的(笑)だったので、全部クリアーした気分で、余り疲れも感じないでの旅だった(ずっと車で回ったから。ドライブは夫と始終行っていたので車に乗ることで疲れるという感じはない)

帰りの新幹線からは、富士山がたっぷりとその雄姿を見せてくれた、銀白ではないが、やはり富士のお山は厳かで見入ってしまう。のんびりゆっくりの小さな旅もいいものだなと娘や孫に感謝した次第である。

   春華堂本店のあるスイーツ・バンク、 実物の30倍の大きさ?

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2日目。伊勢神宮参拝。

2025-07-02 14:56:14 | 旅のつれづれ

5月24日 2日目。、

 空は灰色。雨が降らないうちにと【伊勢神宮】へ。私は初めての参拝。午前中早目だったからか、人出もそれ程でなく、ゆっくり回ることが出来た。全体に素朴な静謐な雰囲気、平安の御代から神聖な宮を守って来た、高い高い樹木が濃い陰を作っていた。

    宴を

(余談だが、明治時代、曾祖父は【富士登山とお伊勢さん詣り】を近所の人たちを引き連れて敢行した。そのことが当時の新聞に、なんと!文語体で掲載されていた。「筥崎宮の浜で宴を張り、水盃を交わして、船出しにけり…」みたいな調子で。無事に旅を終えた祖父たち一行は、博多の守り神【櫛田神社】参道(今は冷泉公園)・太宰府天満宮西門入り口・筥崎宮と、【常夜灯】を寄進している。今も残っている。当時の人達は信仰心が強かったのだろう。無事に旅を終えられたのは神仏のおかげと感謝の念を表した)

伊勢神宮は最も神聖な神社、そのやしろの斎宮には皇族の血筋の若い娘が選ばれる。純真無垢な12,3歳の少女は、次の天皇に時世が移るまでを、このお宮で過ごす。現代の女性達には考えられない事であろう。源氏物語では確か六条の御息所の幼い娘が斎宮に選ばれ、心細い想いをしている娘に、光源氏とのつながりを断つ決心をした御息所が、母親として伊勢へ付き添っていく。そんな場面があったように思う。

 夫の逝去とともに長年続けていた「文学サークル」(古典文学を音読して、自分たちなりに楽しもう)では、「伊勢物語」を終わったところで会を閉じた。伊勢物語では、本来は許されるものではないだろうが、在原業平と伊勢の斎宮の、一夜の恋が描かれている。ヒトは聖人君子ではない。理不尽だと解っていても、愛を恋を知ることも、それによって喜びや悲しみ、憎しみ、辛さなどを知ることも大事なこと。ましてや雅な男女の愛、ストレートな気持ちを柔らかく包みながらも、平安の女性たちはある意味、奔放でもあったのかもしれない。いつの世も、人生には喜びや苦しさ、辛さ哀しみ、後悔などを伴いながら、愛や恋慕の物語があるから、詩歌も小説も生まれて来るのだろう。

五十鈴川はさざ波さえ感じさせず、静かに静かに、曇り空を写していた。徒歩1万5千歩。良く歩いたなあ。

 おかげ通り、門前町では、かの有名な【赤福とお抹茶】をガラス越しに和風な庭を見ながら、ゆっくり賞味。新婚時代は名古屋で過ごしたが、育児などに追われて、伊勢まで来ることは出来なかった。仕事上この辺りにも良く来ていた夫のお土産は、いつも「赤福」たまに「松坂の牛肉」(滅多にない)がり、とてもそんな高価な牛肉など買えない若い私達には、ほんとにごくたまのご馳走だった。孫の好きなアーティストさんの画廊が出来たとのことで立ち寄ったり、名物の「伊勢うどん」(ちょっとびっくり!)など。

【三ケ日ミカンの里】に足を延ばし、信州の友人にお見舞いの100パーセントミカンジュースを送ったり、浜名湖ぐるり廻ったり。

 宿【ホテル・グランドメルキュール浜名湖リゾートホテル】

ネット予約の宿だが着いたら「あら、ここって」以前浜松の孫を訪ね、皆でXmasに泊ったホテルだったのだ。外国資本に売却されて、名前が変っていたので分からなかったと、笑い話のような現実。大きいホテルだが外人客(アジア系・西欧・アメリカなど)の団体も。夕食は孫お勧めの「美味なハンバーク」(故郷のグルメでここでしか食べられないという)待ちがかなり入るお店(さわやか)で。鉄皿でジュワーと湯気を立てる焼きたては、美味しかった。今夜は若者気分。

大風呂と露天風呂が続きなので、適当に温泉を楽しみ、女三代、四方山話に夜は更けた。

 

 

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入梅前の伊勢神宮をめぐる【女三代・小さな旅】一日目

2025-06-21 15:56:45 | 2023年10月より横浜での日々

 勤務先の関係で浜松に住む孫が、6月から東京に長期出張するので、浜松へは行ったことのない私、急遽訪ねることにした。「一人では無理」だからと近くに住む長女が同行。一家で太宰府に帰省した時は、嬉野や久住の温泉に皆を連れて行ったものだが【母娘旅】は無理だった。今は孫達も社会人になったし、私と出かける時間も出来たようだ。

新・大阪で孫と落ち合い、孫娘の車でドライブ感覚の二泊三日の「小さな旅」をすることになった。勿論旅のルートや新幹線・宿の手配は全て二人にお任せ。今迄世話する側が多かった私にとっては、ついて行けばいいだけの旅は、まことに呑気で楽である。

1日目5月23日 8:21 新幹線新横浜⇒浜松駅(孫と落ち合う)⇒伊良湖岬⇒伊勢湾フェリー⇒鳥羽港

 生憎の曇天。富士山大好きな私だが、新幹線からの眺富士山は厚い雲の中。帰りに期待しよう。浜松には孫娘がオレンジ色のお洒落な車(彼女は自動車会社のデザイン部勤務)で待っていてくれた。女性向きの車で乗り心地も上々。伊勢湾フェリーで出発。海好きな私はご機嫌である。曇ってはいたが,踊る白い波を甲板で眺めながら、潮の匂いを、海の彼方を楽しんだ。フェリー出発前に、売店で早速あれこれ物色「まだ始まったばかりなのに」と娘や孫に笑われながら。旅先でご当地の物産やお土産を見るのが好きだから、それも楽しみだから仕方ないでしょ。

ミキモト真珠展示館チラシ&海女さんの実演。曇っていたので水温20度、寒くないかなあ。

真珠工作?体験。阿古屋貝から真珠を取り出し、それぞれにネックレスやイヤリングなどを、想い出にと

作る。記念の品が出来上がった。

・ミキモト真珠島  

 世界で初めて真珠の養殖に成功した御木本幸吉の話は、中学?かの国語の教科書に出てきたような遠い記憶があるが、最近は記憶力も薄れているので、記憶違いかも。

 世界に名だたる逸品や(やはり凄い物がある)ピンク・ブルーなど色々な真珠、養殖の様子などを眺め、海女さんの実演を見て、海女笛を聞いて、今日の行程は終わり。海産物に富むところだから、新鮮な海の幸への期待が大きい(旅は…花より団子。美味しい散策も楽しみの一つ。それに温泉!)

戸田家 

 鳥羽駅より3分、見た目は大型ビル風のホテルだが創業は天保年間とか。私はベッドの方が寝起きが楽なので、洋間をチョイスしてもらった。早めに温泉へ。沢山の露天風呂などがあり(温泉村と名付けられていた)天然のかけ流しを楽しむことが出来た。以前のように温泉巡りをするのは、もう無理なので、幾つかの趣向を凝らした湯舟などがあるところで、ゆっくりと時間を過ごした。宿への到着は早目にを心がけている。団体客などが着く前の、貸し切り状態の温泉が好きだから。このホテルは夫と行く宿よりは近代風で広すぎる感もあったが、外人観光客もなく、落ち着いて過ごすことが出来た。

料理一例:

目にもきれいで、美味な食事は、心身をゆったりと最高に幸せな気分にさせてくれる。たまには・・・こんなひと時を楽しむのも人生の余暇。有難いことだ。

 14階の広々とした展望回転レストランは、雰囲気も良く、料理も期待を裏切らなかった。伊勢海老など海の幸のお刺身は、とても新しく、海鮮大好きな私達は満足だった。料理長さんが「いかがでしょうか」と挨拶に来られた。窓際の席だったので、夜の海を見ながら、いつの間にか展望が変っていくのや、女三人寄ればなんとやら…おしゃべりを楽しみながら。60年前の今日、5月23日は、私達の60回目の結婚記念日。夫がいれば喜んだだろうにと思った。先に逝っちゃったんだもの、仕方ないね。

美味な食事の後は又温泉を楽しんで、ゆっくりと眠りについた。明日は伊勢神宮へ。

 

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