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ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。旅やアメリカでの話、趣味のことなどなど・・・自分の覚書を兼ねて。

オープンバス初体験・小中一貫校(母校)見学など。

2015-05-16 06:30:10 | 日々の中で

家で静かに過ごしたGWの後は、サークルからのオープントップバス初体験】や福岡市立最初の小中施設一体型連携校】として生まれ変わった母校大名小学校見学(クラス会で)

 (現在の舞鶴小・中一貫校)          (私が通った歴史130年の大名小学校)

小学校(天神、大名小学校)のミニ・クラス会で、昨年(平成27年)4月開校した福岡市立舞鶴小中一貫校を見学することとなった。私は戦後の混乱期、小学校は三回転校した。卒業したのは大名小学校である。やっと生まれたところへ戻って来れたのは、戦後数年経ってからであった。

戦前は博多部の川端が中心街だったが、福岡大空襲後、天神界隈に新天町やスポーツセンター、銀行などが焼野原に次々と経って、福ビルや天神ビルのような大型ビルも出来て、今では福岡市の中心街となっている。そのど真ん中に【大名小学校】はある。現在の【天神西通り】とよばれる若者のファッションで飲食店が立ち並ぶ通りである。私が通っていた頃はその辺りも普通の住宅の通りであった。

創業は明治6年【大明小学校】として開校。当時の町名は大名町。福岡のお城【舞鶴城】の近くである。私の父も小学校半ばで川端から、この辺りに転居。大名小学校に編入。叔父や叔母も卒業生だ。卒業生には名士と呼ばれる人たちも多い。昔から教育大付属小と並んで福岡の名門小学校と言われていたそうである。

商業的繁華街として栄えて来たこともあって、お店はそのままで住宅地を他へ移す人も多くなり、少子化が進み、生徒数も激変。長い歴史に終止符。昨年4月大名・簀子・舞鶴小・中学が同じ建物内に【福岡市立 舞鶴小学校・舞鶴中学校】としてスタートした。名称は福岡城(舞鶴城)から命名。

場所は赤坂門地下鉄駅から海の方へ。近くには福岡検察庁やあいれふ会館など。お城のお堀も近くという元の大名小学校から少し離れた舞鶴2丁目に。

いやあ!びっくり!まるで商業大型ビルのような建物。地上6階・地下1階。6階からははるか博多湾に続く海が広がり、その前方には都市高速が走っている。

先生が校内を案内して下さった。

 

 (広々としたロビーは卒業生の画家たちの絵や、子供たちの絵が) (木造りの下駄箱)

 

(運動場は2階に)                (広々とした体育館)

 

プールは地下1階に。温水プールは地中熱を利用して、水は自動的にクリアーされる。プールサイドも暖房が入って暖かいそうだ。

 

(細長く広い部屋は給食室。下級生と上級生が一緒に食事)  (工作室)

 他に武道場などもあった。校内の腰掛などは木造が多く使われているのは、ビル様式に柔らかさとぬくもりをもたらすからだろう。

   

(明るい図書室)      (各教室ごとに手洗い場)

   

   (正面入り口横の遊び場)

舞鶴小学校 児童数 529人  学級数  19(特別支援学級 1)

舞鶴中学校 児童数 218人  学級数  8(特別支援学級 2)

福岡大空襲では大名小学校は、昭和6年当時としては、モダンな鉄筋コンクリート建てであったこと、敵の目を逃れるため校舎を黒く塗っていたりしたことで、戦火を逃れた。

周りは殆ど焼野原。勿論焼野原。勿論私も【敵機来襲!】の叫びとともに、B29からの焼夷弾の火の粉が舞い散る中を逃げ惑い、命だけは助かった。幼稚園くらいの年齢だったが、戦火の夜、翌朝の煙くすぶる一面の焼け跡の様子は、今もまざまざと目に焼き付いている。

焼け残った学校での授業は再開したものの、大変な時代であった。今時代が変わり、この辺りは高層マンションが幾つも建ち、街の様子もすっかり変わった。そんな中に出来た学校は、耐震性を備えて、もしも大地震などが来た場合には、周辺の住民の避難所として使用する目的も合わせて、建築されているそうだ。隣接して老人の集会場も地域公民館も大きくしっかりしたものがある。少子化、シルバー世代増加のこれからの世の中に合わせて、地域と学校の繋がりを密にとの考えだそうで、【学校・保護者・地域】三位一体の教育が大事、また子供間の縦の繋がりが大事と考える私には、うなずけるものがある。

その反面こういう設備にも恵まれた子供達と、学校にも通えない、勉強したくても出来ない、世界の国々の貧しい後進国の子供達を思い浮かべて、自分達が如何に恵まれているか。【学ぶことの楽しさ、大事さ、学校へ通える幸せ】を考えてくれますように・・・と祈るような気持ちだった。

私達は・・・その新しさや設備の行き届いたことに驚きながらも、やはり古い校舎や昔ながらの木造の学校、土があり、兎などの小動物を育て、草花を植えたりした、のどかな時代を懐かしんだ。「時代は変わったね」と言いながら。

昭和6年建設のい大名小学校(今は双葉小学校が改築するまで、ここを利用している

    昭和4年建設当時としては珍しい鉄筋コンクリートの校舎。赤煉瓦塀が印象的で、この塀を残そうという話がある。階段は大理石。男の子たちは良くこの手すりを滑っては、先生に叱られていたっけ)

<オープントップバス初体験>

先日サークル仲間と「福岡オープントップバス」初体験を楽しんだ。

天神福岡市役所公園口→博多駅(東中洲経由)→櫛田神社→大濠公園・福岡城址→けやき通り→天神市役所公園口(博多街なかコース)他に(シーサイドももちコース・きらめき夜景コースがある) 

二階建てバスからの眺めは、見慣れた福博の街もちょっと違った目線でとらえることが出来る。海からの風も爽やかでひととき暑さを忘れた。可愛いガイドさんの説明付きでざっとではあるが福岡・博多の歴史の跡などを巡った。観光客向けに作られたものだけに、ガイドさんの説明には屋台やもつ鍋の美味しい店などの説明も入る。(ランチはバイキング・中華・和食の三店がある)

 サークルの仲間達も足腰に支障をきたしている人達もいて、徒歩での博多史跡街歩きは無理だろうと、この二階建てオープンバス&ランチ券付きを選んだ。

ランチは和食にする。西鉄グランドホテルの【松風】品よく味付けも良し、量も私達には程よい感じで好評だった。ゆっくりお喋りしながら昼食。2時前には解散。あとはチケットは「本日一日フリーパスバス乗車】なので、それを使って、それぞれ好きな所へ。私とご隠居はバスで福岡市立美術館(大濠公園)へ移動。中国の西湖を模したと言われる大濠公園は、市民の憩いの場でもある。水面を渡る風が柳の葉を揺らし、頬に心地よい。太宰府に住んでからは、来客でもない限り大濠公園や西公園などに足を運ぶこともなくなった。久しぶりで懐かしかった。生まれ育った街も旅気分で回ると、それはそれで面白いものだと思った。ご隠居は街中を走るから、車の排気ガスが気になるから総ガラス張りで、冷暖房を入れた方がいいというけど、そうすると自然の海からの風や新緑の風を感じられないから・・・1時間位だし、歩いても排気ガスはあるのだから、と私は余り拘らないのだが。さて、他の仲間はどうだったのかな。【楽しかったぁ!】と言う声しきりだったけど。

  

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涙をのんで・・・

2015-05-12 13:49:39 | 日々の中で

 ここ数年、GWは家で過ごすことにしている。年々大勢の人出の中でウロウロするのが苦手になっているし【毎日が日曜日族】の我らが、折角の大型連休を満喫しようとしている若い人達の邪魔をすることもないだろうから。で、今年は来泊予定の友人が、直前体調崩して訪ねて来なかったこともあって、ほんとにひま~~な連休だった。

 晴天でPMの少ない日は、冬物や毛布などの洗濯、寝具・衣類の入れ替え。日頃より念入りな掃除。そして断・捨・離。間で手を休めて

録画していた映画やドラマ、読書、散歩を兼ねての新緑三昧。

 後期高齢者(せめて光輝好礼者・・・と言いたいが)の仲間入りをした今年、これからの人生は【余禄】だなと有難く甘受することにして、少しずつ身の回りの整理をしようと、連休はそんなことに時間を使った。

夫の実家が空き家になった時、片づけ役は私だったのだが、随分と大変な作業だった。私の親達の世代は、物を捨てる・処分するということが出来ない世代だ。家の中も小屋も兎に角物が溢れていた。私も舅・姑の想い出に繋がる品を、簡単には処分できず、心身共に疲れてしまった。そういう体験があるので、身辺すっきりして次の世に旅立って行きたいという気持ちがとても強いのだ。

 片づけることは…想い出を辿ることでもあり、ついつい追想の中に身を置いてしまうと、なかなか前へ進まない。でもそれもまた楽しからずや、忘れていたことを思いだしたりできるのだから~と自分に言い聞かせながら。

 ご隠居も【思い切って本を処分しよう】と。これまでその都度処分したつもりでも、大事な本とはなかなか別れることが出来ないものだ。残したいものと処分したいもの、ホントはみんな手元においておきたいのだが。それではいつまでもキリがないから。涙を呑んで。

 今回は文字の小さい本、再読しないであろう本、そんな本に思い切って別れを告げた。ご隠居は中学の頃親に無理を言って買ってもらった【ファーブル昆虫記全集】なども。「これは大杉栄が訳している、稀少本なんだけどなあ」といいながら。

 ハヤカワ・ミステリー文庫や谷崎源氏など古典、司馬遼太郎全集など、ハードブック、文庫、に関わらず、もう古くなったもの、活字の小さいものなど。

 子供会の資源ごみへ出すもの、BookOffへも車で二度ほど運び込んだ。

 二階に天井まで大きく作りつけた本棚が、随分ガランとなった感じだ。成すべきことをやり終えたような安堵感と寂しさ。

藤やツツジが終わり、庭には小さな小さなユキノシタが咲き始めた(ご隠居撮影)GWも過ぎて若い人達も平常通りの生活に戻っていき、夏が近づいた。

 

コメント (8)
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