ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。旅やアメリカでの話、趣味のことなどなど・・・自分の覚書を兼ねて。

マスクなしでウイルス予防

2013-01-30 07:28:53 | 日々の中で

 

今冬もまたインフルエンザが蔓延しているようだ。

冬から花粉症の春・初夏にかけて、マスク着用の姿を見かけることが当たり前となった。今では日本国の象徴の一つが【マスク・スタイル】だという記事をどこかで見かけたような気がするが、そういわれれば、世界の他の国では、こんなにマスク・マスクが溢れていることはないように思われる。

先日我が家に長く来ている【置き薬】のT薬品さんから、こんなものを購入した。

首にかける、あるいは胸のポケットに入れておくだけで【風邪や花粉症対策・マスク替わり】になるというものだ。

空間除菌・消臭、二酸化塩素で強力&スピード除去】とある。効果は二カ月(臨床実験済み。国際特許商品)中のクイシードルをケースに入れるだけで良い(ただし密閉せず空気に触れる状態にすること)

首からぶら下げると「水道の検針に参りましたぁ」みたいな調査員票に見えるのが難だが、ほんとに効き目があるとすれば、眼鏡を曇らせる鬱陶しいマスク姿よ、さようなら・・である。とりあえず今年はこれを使用している。まだ風邪引いていない(うがい・手洗いは勿論やってはいるが)ところをみると、効果があるのだろう。

私は花粉症がないので解らないが、花粉症の人は試してみたはいかが?効果のほどはてきめん判明すると思う。

それにしても、もう少しお洒落なカード入れにして、お洒落なチェーンにすれば、ファッション的にはいいのだが。ちょっと工夫してみようかな。(画像の下にある小さな四角いのが薬剤シールド。それをケースに入れて首にかける)

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梅のつぼみはまだ固いけれど・・・

2013-01-26 17:37:49 | 日々の中で

        

一月中旬、来客を案内して天満宮、九州国立博物館へ。いずれも我が家から10分程度の散歩コースにある。

中・高校生の頃は遠足や初詣で出かけて来た、福博郊外の観光名所だったが、昭和40年代からベッドタウン化。私もここに住んで40余年、生まれ育った福博の街よりずっと長く住むこととなった。太宰府市も今年で市制30周年を迎え、いろんな記念行事も行われる。

一月半ば過ぎの小春日和の日、天満宮はまだ初詣や入試祈願の人たちで賑わっていた。若い娘さんたちがピンク色のおみくじを見ながら、華やいだ声を上げていた。「待ち人来るだって、期待しよう」なんて声も聞こえて来た。初春の賑わいである。

明治神宮・靖国神社などに続いて、お正月三が日での参拝客は200万人という。元旦、二日などに来ると、参道は立錐の余地もないほどで、赤い太鼓橋を渡って本殿まで進むのに2時間くらいかかったりする。

今年も世相的問題山積だが、本殿前に並んでいる人たちの話声や表情は、何となく明るかった。政権が変わって、経済効果などを期待する気持ちが表れているのであろうか。いずれにしても、新しい2014年の向う彼方に明るい希望をと願わずにはいられない。

入試祈願には縁のない今年、娘達一家の健康と日々の安らぎを、心から願って参拝した

この翌日【飛び梅が一輪開花した】とTVで報道された。冷え込む日々だか、庭の樹木の先の木の芽も柔らかな色を増して来た。が、東北あたりは豪雪が続いているようだが、大きな被害画でないことを願うのみ。

 <早くもお雛様 > 春の雰囲気に包まれて。

特別展【ボストン美術展】(元旦~~3月17日まで)開催中の九州博物館も、賑わっていた。等伯の龍虎図屏風絵、蕭白の雲龍図はじめ、見ごたえのある展示で、25日には5万人目の入場者に記念品が渡された。

少し暗い会場でじっくり目を凝らして展示物を眺めたあと、エントランスホールの明るい華やかな色彩が目に飛び込んだ。柳川の「さげもん」はじめ大分臼杵や佐賀などこの周辺の【雛祭り】の歴史あるお雛様などが展示さてていた。2月下旬から3月中、各地での【雛祭り】は女性たちにとって、春を感じる小さな旅、賑わうことだろう。

                 

柳川のさげもん(つるし雛)  大分臼杵雛

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病院暮らしの無聊の慰めは?

2013-01-21 13:49:53 | 日々の中で

 ご隠居が入院して一ヶ月を過ぎた。術後二週間の大学病院は、同室に認知症の出た人もいたりして大変だったようだが、リハビリのために移った近くの個人病院は、二人部屋でゆったりして明るい。いつも買い物に行く五条近くなので、私もこまめに立ち寄ることが出来て有難い。

「病院に花瓶持って行くのは荷物になるけど、これなら使い終わったら捨ててもいいし」と近所の方からいただいたもの。ぺったんこのビニール製で、水を入れるとなかなか洒落た花瓶になる。退院しても家で使えるなあ。陽光が差し込むとブルーの色や模様が美しく、看護士さんや患者さんが”まあ、いいですね”と見に来たり。

 これも慰め?

 病室は窓ガラスが広く冬の陽射しでも、まるでサンルームみたいに暖かく、寒さが苦手なご隠居にとってはしのぎやすい日々となった。

命や症状を心配する病気ではないので、本人も楽な気持ちでプログラムに沿ってリハビリに専念(腱板断裂の場合は特にきちんとしたリハビリがとても大事とのこと)、休日もちゃんとリハビリをしてくれる。そういうリハビリの合間には読書やラジオなど。ただ病院は消灯が早い(9時)ので、私達宵っ張り型にとっては、長い夜を持て余すことになる。

 病室の出窓で、光や灯りが当たると、みどりの葉っぱがゆらゆら、ゆらゆら、ユーモラスに揺れる。これも友人から。「子供だましみたいだけど、見ていると楽しいから」と。これも患者さんや看護士さんたちに人気です。ご隠居の無聊の慰めになっているかも。

私の場合も症状が厳しいキツイ時は、ただただ長い闇に耐えるしかなかったが、痛みなどが少し落ち着いてからの夜は、やはりラジオ・CDでの音楽、朗読CDやテープが無聊を慰めてくれた。若いころから【文庫活動】などで子供達への読み聞かせや、また目の不自由な方のためのテープライブラリーなども少ししたことがあるが、やはりプロの俳優さんたちによる小説の朗読は、耳に心地よい。原作を読んでいても、一言一句耳から入ってくると、心に深く沁みとおる。柳生博と二木てるみによる【鬼平犯科帳】は、出来れば本家本元の吉右衛門さんの声がいいけど、それでもなかなか良かった。

DVDなので病院では見ることが出来ないが、幸田弘子さんの朗読による芭蕉の【奥の細道】も素晴らしいと思う。奈良岡朋子さんのも(この人のセリフや語り口好きなので)、言葉の一つ一つに味がある。

古い話だが、小さいころからラジオの放送劇や朗読が大好きだった。徳川無声の【宮本武蔵】あるいは八代目市川中車(渋いいい声だった。俳優の香川照之が九代目を継いで話題になっている)の朗読や森重久弥・加藤道子の【日曜名作劇場】など・・・これもCDになっている。

ネットで検索したら、最近の俳優さんたちによる朗読CDも出ている顔より声や語り口が気になる方なので、好きな声の人もいればあまりそうでもない人もいて、購入するのをためらっているところだ。結構高いし・・・(笑)

 聞いて楽しむ日本の名作CD

 森繁久彌と加藤道子の日曜名作劇場CD

他にも市原悦子朗読のものなどもある。

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大博劇場の歴史刊行へ(西日本新聞の記事より)

2013-01-10 01:04:48 | 日々の中で

今日1月9日の西日新聞の朝刊に、こんな記事が載った。

【博多っ子親しんだ歌舞伎の殿堂・大博劇場】【大博劇場の歴史刊行へ】という見出しで。

大博(たいはく)劇場は終戦後暫くしてその幕を閉じたが、1920年博多区上呉服町にオープンして以来、博多っ子に親しまれた劇場であった。六代目菊五郎はじめ東京や大阪の著名な役者をはじめ、新派、新国劇なども来演した。

アインシュタインが来日の際、大博劇場で行った講演会の写真は、鈴なり超満員の人であった。また、ロシアの名バレリーナ、【アンナ・パブロア】もこの劇場で踊った。この劇場創立の代表者が私の祖父。この劇場は私の遊び場でもあった。お茶子さんと呼ばれた女性従業員さん達にも可愛がられ、私の幼少時代には、劇場にまつわるいろんなエピソードがある。解らないながらも、舞台も沢山見て、その色彩鮮やかな舞台と音曲に子供の私はいつの間にか魅せられていた。

もともと芝居の世界には全く関わりのなかった曾祖父が、仕事の関係などでよく大阪へ行き、初代中村鴈治郎の舞台を見て「博多のもんにも、こげなよか芝居を見せてやりたか(博多の人にもこんな良い芝居を見せてやりたい)」気持ちが高じて、先祖から受け継いだ土地などを投入して、ど素人なのに芝居興行の世界に手を染めていったのが、そもそもの始まりだった。家族たちはかなり迷惑を蒙ったようだ。この曾祖父は博多っ子らしい逸話の持ち主でもある。町内の有志を連れての【富士登山】などは、明治の新聞に記事になった(その当時は記事も”文語体”だ)

筥崎宮の浜で別れの宴を張って呑めや唄えやのあと、別れの水杯を交わして船出し、出雲大社や伊勢神宮、大阪などを回って富士山へ。かなりの月数の旅だったらしい。全員男性で女性は一人【髪結いのXXさん】が参加などとあるのも面白い。

 私が今【たまには歌舞伎を観よう会】(洒落でそう名付けたのだが)の世話をしているのも、そんな曾祖父からの親子三代にわたる芝居好き家系の血なのかもしれない(私や跡取りの従弟は4代目)

息子二人がそれぞれ医者と会社員という普通の道に進んだので、諸般の事情から当時お茶の水女高師範(今のお茶の水女子大)を出て、同期生で親友の田中澄江(のちに作家)さんなどと脚本の勉強をしていた叔母が呼び返され、最後の幕を下ろすまで劇場のことを任された。

 K教授が「川上音二郎」の話を聞きに叔母(実家の母の妹)のところに行かれた時に、定年後の叔母が【博多の芝居】のことなどを書き綴っていたノートを見て【ぜひ出版を」という話になり、叔母はK教授に沢山のノートを託した。この原稿は、叔母が上京の度に国立図書館などに通って、資料の照らし合わせなどをした正確なものに、自身の眺めてきた大博劇場のことを合わせて描いたもので、読み物としても面白かったから、その出来上がりが楽しみである。

私もささやかながら、その準備の段階でのノートからパソコンに打ち込む作業など手伝いをした。もう一人歌舞伎に関しては専門のI教授の研究室で、周り中に演劇関係の本がどっさりある中での(私の大好きな空間だった)、原稿のチェックや読み合わせ、内容の検討などをするのは、ほんとに楽しかった。明治以来の博多の文化の一端が、記録として読み物として蘇る、今夏の出版が待ち遠しい。亡き叔母もどんなにか喜んでくれるであろう。

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賀春、今年もよろしくお願いします。

2013-01-10 00:28:01 | 日々の中で

      2013年が始まりました。どんな年になるのか・・・

      個人的には 穏やかな安らいだ日々の積み重ねが、  

      明るい望みをもたらす、そんな一年でありたいと願っています。             

(今年も友人がミニ羽子板作ってくれました。長いものが苦手なので、ありきたりな絵柄だけどと。

いつも飾る大きな羽子板は、箱の中のまま。ご隠居が不在なので、つい不精してしまいました)

 ご隠居さんは内視鏡による手術後の経過も順調、五条駅近くの整形外科に転院、リハビリにつとめています。皆様にご心配いただき、有難うございました。

 1月いっぱいは病院生活でしょうが、ゆったりと広い部屋で、ガラス越しの陽差しが明るく暖かく、サンルームのような感じです。超寒がりのご隠居には全館暖房の今の日々は、過ごしやすいかもとはいっても、入院生活はリハビリ中心とはいえ、我が家のようなわけにはいきませんから。本やTVやラジオにも飽きてくることもありますし。けれど、リハビリはしっかりプログラムに従って行わないと、腕が動かなくなるということもあるのですから、しばらくは辛抱してもらわないといけません。買い物の行き帰りに立ち寄れる、近くの病院になって、私も楽になりました   

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