4月15日(土)
博多座さんから12時~13時参道”お練り”→大鳥居で挨拶→太鼓橋をわたって本殿で6月襲名披露公演の無事と成功を祈願→献梅。の連絡が入っていたので出かけた。
昼の部の【車引(くるまびき)】(獅童・橋之助・福之助・歌之助)は菅原道真公にちなんだ狂言の中の一幕(歌舞伎らしい様式美に溢れる舞台である)だから、太宰府天満宮でのお練り・祈願の実現になったのだろう。演じる三人の息子さん達は、憧れの役だったので、飛び上がっても足りない程の喜びだったそうな。夜の部の【親子連獅子】は父新・芝翫さんと。華やかで勇壮な舞踊、毛振りなど大変だがどのように見せてくれるだろうか。
会員の皆さんにもお近くの人にはメールなどで知らせた。いつもの「博多座大向こう飛梅会」の足立会長がお見えになれないとのことで、お祝いに色を添えるためご隠居も「掛け声」に一役買うことに。南区から来られたNさんや「たまにま歌舞伎を観よう会」の仲間にも何人か出会った。
初夏のような陽気の中、参道は溢れんばかりの人達。アジアなどの観光客も「珍しいイベント」にカメラを向けている。私の傍にいた東北や長崎などから来ていた人なども喜びの声を上げていた。
大宰府駅で出番を待つ人力車。 「お練り」の始まり。参道は凄い人出。
八代目芝翫。
長男四代目橋之助
次男三代目 福之助
三男 四代目歌之助。
【成駒屋!】かなり声も掛かっていた。女性の声も混じる。ご隠居もカメラと掛け声、張り切っていた。人の波も人力車のゆっくりとした歩みにつれて、天満宮へと入る。太鼓橋のたもとで、旧知の西高辻宮司ご夫妻もも息子さんと一緒に出迎えられた。西高辻宮司さん夫婦は、ご隠居の小・中・高の後輩、世の中は人の繋がりが思いがけないところで解ってびっくりするやら楽しいやら…なことも多い。今日ご一緒したNさんのお嬢さんは宮司さんのお嬢さんと学生時代からの仲良し、Nさんと奥様お互いに「あら、お久しぶり、お世話に・・・」と挨拶を交わされて「Tさん(私)とおしりあい?」と。そんなことが私の周りにはよく起こる。面白いことだ。
本殿での祈願のあと、献梅の儀式が行われた。
間近で少し芝居の話など言葉を交わした新・芝翫さんは、驕りのない気取りのない気さくさ、温かい人柄、橋之助さん時代、いやもっと前のコーチャン時代を観たことのある私には、懐かしささえ感じた。三人の息子サン達は、行儀のよい言葉使いのきちんとした、素直でさわやかな若者だった。 役者としてはまだまだこれから!!400年余続いた歌舞伎という世界も認める古典芸能を、しっかりと精進して身に着けて欲しいと願う。新・芝翫さんと握手をしたご隠居は「やわらかで大きな手だった」と言っていた。
襲名披露は役者にとって大きな大きな公演の舞台となる。そのための努力は大変なもの。観客にとってもXXの襲名披露公演を観たというのは、一つの誇りでもある。六月公演は演目建てもなかなか興味深く、芝翫さんの周りの出演者も大物から脇まで、役者の層が厚いので(それだけ襲名には熱意がこもっているということだ)見応えのある、おもしろい舞台となるだろう。それにしても25日間昼夜出演する役者さんたちの、体力気力はほんとにすごいなと、いつも感心してしまう。
【お練り】を動画で紹介しているT・Yさんのアドレスです。画像は我が家のを提供したのもありますが、興味のある方はご覧ください。臨場感が味わえます。
Yさんの八代目芝翫さん親子のお練り動画。
★新・芝翫さんは子役時代は本名中村幸二で名子役だった。父は七代目芝翫、名優六代目菊五郎の薫陶を受けた名女形。新・芝翫さんは故中村勘三郎さんの義弟にあたり、中村屋一門として、勘三郎さんとともに、古典歌舞伎を大事にしながらも、コクーン、平成中村座などでニューヨーク出演など様々な試みで、若い観客層を動員した。一回り貫禄のついた8代目芝翫さんの風貌は、江戸の歌舞伎役者の錦絵のような古典的顔立ちで、舞台映え役者さんだ。
六月公演の成功を願いながらの帰り道、汗ばんだ顔に当たる風が心地よかった。