ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。旅やアメリカでの話、趣味のことなどなど・・・自分の覚書を兼ねて。

🎵梅は咲いたか、桜はまだかいな🎵春の陽気・・・。

2024-01-28 12:07:04 | 2023年10月より横浜での日々

1月28日(日)今日もポカポカ、春が来たような陽気

“揺れたぁ”

  居間のガラス戸越しに、満開となった紅梅(薄ピンクの色が可愛い)の枝垂れ梅を眺めながら「春近し」と食後の紅茶タイムを独り楽しんでいたところへ、ぐらつ、ぐらっと!東京湾が震源地で震度4。娘達はもう慣れていて、驚きもしない。

私の住んでいた太宰府や福岡は地震には無縁で、大きな揺れを体験したのは、熊本などで地震災害が起こるようになってからのこと。子供の頃は全くと言っていい程記憶がない。

だから・・・地震の揺れのたびにビックリ!飛び上がる。ただ揺れるだけでさえそうだから,東北や阪神大地震はじめ今度の能登地震に遭遇した方達の気持ちはどんなにかと想像し、私の想像以上の現実なんだと改めて思う。寒さも厳しい地方だからと胸が痛く、突き刺さるものがある。一刻も早い復興を願うのみである。

 この画像はご隠居さんの【花の写真集より。私がスマホでパチリのベランダ外の紅梅の画像は…ただ、写しただけ。お恥ずかしい次第。

富士山の画像

  孫子市に住む従弟からのLINEに、「マンションからの富士山」の画像があった。私は「富士山大好き人間」元気を貰えたような気がする。

(従弟に貰った富士山の画像。やっぱり富士山は素敵!!)

 最近の女性たちはよく「独り旅」をするようだが、私の若い頃は「娘が一人で旅するなんて」と親も許さず、自分自身もそういうものだと思っていたので、独身時代に独り旅の経験はない。結婚してからは、いつも夫と一緒の旅だった。【クルーズ・観光・登山・温泉・海外】アメリカに次女が住んでいるので、アメリカでは「ショートステイ」してアチコチへの旅・・・夫は「生きているうちに楽しもう」タイプの人。老後は家一軒残れば何とかなると言っていた人。普通のサラリーマンの妻の私は資金調達係、やりくり担当者。一人残された現在は「もう少し蓄えを残しておけばよかった』と今もなおヤリクリと縁が切れないが、夫と楽しんだ時間は良い想い出だから、後悔はない(かな?)今は、旅をしたいという気持ちは全くない。もう十分だと思っている。

 結婚してからの「独り旅」は横浜に住む長女宅へ来た時に、「富士山に会いたくて」2泊3日。夜明けの【赤富士・湖にくっきり移る逆さ富士・雲がぐるりと輪を描い笠富士・夕映えの富士】など、天候に恵まれていたので、その悠然としてかつ鋭く聳える姿に、敬虔な想いを抱きながら、大満足な気分で見入ったことを思い出す。

その富士山も・・・いつかは休火山の時代から抜け出すことがあるかも。火山帯の上に営まれる細長い島国日本の行く末は?私が案じても仕方のないし、地球・自然という巨大なスケールの上に組み込まれたものと解ってはいても。それを上回る人間の知恵があればよいなと思う昨今だ。

今月の観劇

 暮れから体調を壊したので、初春の観劇はあきらめていたが、少し身体の調子が戻ってきた気がするので、にわかに思い立って【新・国立劇場】へ。ほんとは他にも観たい舞台が幾つかあったのだが。欲張らないことにした。我が家から乗り換え・乗り換えで「初台」という駅で下車して・・・地下鉄は便利だが沢山の路線があるので、無事目的地に着けるか否か、いつもドキドキ、スリル満点の感覚である。今回は無事帰ってくることが出来た(苦笑)だけど、そういう体験をどこかで未知の地への「小さな旅」として喜んでいる自分がいる。

ここは日ごろはオペラやクラシックバレーなどが上演される劇場だが、国立劇場が建て替えに入り、急遽「新春歌舞伎」はここの中劇場で幕をあげた。花道のない劇場での歌舞伎を観るのは初めてでちょっと戸惑いはあったが。前列との間がゆったりしていて、前の人の頭が邪魔になったりせず見やすかった。新春らしい舞台、菊五郎・菊之助・彦三郎さん達役者による新春の縁起物の「撒き物(役者さんのサイン入りの手ぬぐい)」もあったが、前列までは届いたが、9列目の私の席には届かなかった。残念。菊五郎一門の子役たちの踊や所作のうまさ・可愛らしさに、観客席は多いに盛り上がっていた。小さい頃からの修業が確実に、役者としての力を備えていくのが解る。ちびっ子と思っていた丑之助:眞秀:大晴:亀三郎君達がしっかりと舞台を務めるのに、今更ながら驚く。歌舞伎界も色々あったが・・・先行きは明るいと思えて嬉しかった。ロビーには能登地震のための募金箱が設置されていた。貧者の一灯を投じる。せめてもの・・・。

観劇記はいずれ「歌舞伎ブログ」に。こちらもずっとお休み状態。そろそろ復活させようと思っている。自分自身の記録と楽しみのためにも。

 新・国立劇場、演目、立て看板。

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【黙阿弥と寄席芸】…抽選当たりましたぁ。早稲田大大隈記念講堂へ。

2024-01-21 13:40:50 | 2023年10月より横浜での日々

1月19日 

昨年11月に早稲田大演劇博物館での展示会【河竹黙阿弥没後130年記念展】に行き、充実した展示内容を楽しんだが、その関連イベントの【黙阿弥と寄席芸】という催しに、娘が申し込んでくれてたら、当たりましたぁ。申込者が多いので急遽【大隈記念大講堂】に変更しての記念行事だった。

   我が家から早稲田大まではかなりの距離、娘にくっついてメトロ乗り換えて6時開催の大隈記念講堂へ。満席だったが、やはり私などに近い世代の人達が多いのは仕方ないかなぁと思う。

・講談 一龍齋貞橘「鉢の木」(馬方問答から)

・落語 桂 藤兵衛 (三遊亭円朝 作)「粟田口 笛竹」より「佐賀町河岸」

・対談  一龍齋貞橘・桂藤兵衛・今岡健太郎(武蔵野美大)・児玉竜一(演劇博物館館長)

黙阿弥は江戸幕末から明治にかけて、活躍した歌舞伎の狂言作者。白浪物と言われる弁天小僧などの盗人物はじめ沢山の作品があり、黙阿弥調と言われる七・五調の台詞には、名台詞と言われるものが多い。講談や落語に題材をとった作品も多く、その関連での今回の企画だったようだ。

私にとっては、数年ぶりの生の落語であり、講談だったので、それだけでも面白かった。4氏による黙阿弥と寄席芸との関連などの話も興味深く楽しかった。児玉館長さんは歌舞伎の批評家としても、雑誌「演劇界」などで私にもなじみの方であった。歌舞伎好きな私にとっては、横浜に来たから参加出来たのだと思わずにはいられなかった。ただ、慣れない乗り物乗り継いでの夜の外出は、思いがけない程疲れてしまった。娘が一緒でなければ、冬の夜、こういう時間に外出するのは、もう無理だなとわが年齢をしみじみと感じてしまった。数年前までは、歌舞伎座だ新橋だ浅草だと上京した時は、幾つかの劇場や寄席を回ったりしたものだが。これからは欲張らないで、一つ一つを大事にゆっくり楽しむこととしよう。

 

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もう一月も半ばとなって。

2024-01-11 08:41:17 | 2023年10月より横浜での日々

1月16日

 気が付いたらもう鏡餅開きも終わり、1月も半ばとなった。冬はに晴れていても鈍色の白っぽい空の多かった太宰府の空に比べると、突き抜けるような高い澄んだ青空と眩しさの冬日だ。だが暖かそうな光りに誘われて散歩に出ると、空気はきりりと冷たくて「やっぱり冬だ!」と思わずマフラーで顔半分覆う。青い冬空に突き刺さるように伸びている葉をすっかり落とした枝は、小気味よく美しい。

   近くの児童公園に1本だけある白梅の赤い莟が可愛い、花も何輪か開いている。

 冬来たりなば 春遠からじ。少しでも早く春が近づいて欲しい。能登などの地震災害の方達の寒い中での避難所を思うと心が痛むことしきりだ。年金生活で高齢者の私には、想いを馳せ、祈ることと、ささやかな貧者の一灯、少しの寄付くらいしかできることはない。自然の猛威が鎮まりますように。

 太宰府天満宮の【飛梅】はもう開花しただろうなあ。いつも飛梅が開花するのを合図のように、梅苑の様々な種類の梅が開き始め、馥郁とした優しい香りがあたりに漂う。第2の故郷として半世紀住んだ太宰府の地や友を懐かしみながら過ごす春を待つ日々である。

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