1月28日(日)今日もポカポカ、春が来たような陽気
“揺れたぁ”
居間のガラス戸越しに、満開となった紅梅(薄ピンクの色が可愛い)の枝垂れ梅を眺めながら「春近し」と食後の紅茶タイムを独り楽しんでいたところへ、ぐらつ、ぐらっと!東京湾が震源地で震度4。娘達はもう慣れていて、驚きもしない。
私の住んでいた太宰府や福岡は地震には無縁で、大きな揺れを体験したのは、熊本などで地震災害が起こるようになってからのこと。子供の頃は全くと言っていい程記憶がない。
だから・・・地震の揺れのたびにビックリ!飛び上がる。ただ揺れるだけでさえそうだから,東北や阪神大地震はじめ今度の能登地震に遭遇した方達の気持ちはどんなにかと想像し、私の想像以上の現実なんだと改めて思う。寒さも厳しい地方だからと胸が痛く、突き刺さるものがある。一刻も早い復興を願うのみである。
この画像はご隠居さんの【花の写真集より。私がスマホでパチリのベランダ外の紅梅の画像は…ただ、写しただけ。お恥ずかしい次第。
富士山の画像
孫子市に住む従弟からのLINEに、「マンションからの富士山」の画像があった。私は「富士山大好き人間」元気を貰えたような気がする。
(従弟に貰った富士山の画像。やっぱり富士山は素敵!!)
最近の女性たちはよく「独り旅」をするようだが、私の若い頃は「娘が一人で旅するなんて」と親も許さず、自分自身もそういうものだと思っていたので、独身時代に独り旅の経験はない。結婚してからは、いつも夫と一緒の旅だった。【クルーズ・観光・登山・温泉・海外】アメリカに次女が住んでいるので、アメリカでは「ショートステイ」してアチコチへの旅・・・夫は「生きているうちに楽しもう」タイプの人。老後は家一軒残れば何とかなると言っていた人。普通のサラリーマンの妻の私は資金調達係、やりくり担当者。一人残された現在は「もう少し蓄えを残しておけばよかった』と今もなおヤリクリと縁が切れないが、夫と楽しんだ時間は良い想い出だから、後悔はない(かな?)今は、旅をしたいという気持ちは全くない。もう十分だと思っている。
結婚してからの「独り旅」は横浜に住む長女宅へ来た時に、「富士山に会いたくて」2泊3日。夜明けの【赤富士・湖にくっきり移る逆さ富士・雲がぐるりと輪を描い笠富士・夕映えの富士】など、天候に恵まれていたので、その悠然としてかつ鋭く聳える姿に、敬虔な想いを抱きながら、大満足な気分で見入ったことを思い出す。
その富士山も・・・いつかは休火山の時代から抜け出すことがあるかも。火山帯の上に営まれる細長い島国日本の行く末は?私が案じても仕方のないし、地球・自然という巨大なスケールの上に組み込まれたものと解ってはいても。それを上回る人間の知恵があればよいなと思う昨今だ。
今月の観劇
暮れから体調を壊したので、初春の観劇はあきらめていたが、少し身体の調子が戻ってきた気がするので、にわかに思い立って【新・国立劇場】へ。ほんとは他にも観たい舞台が幾つかあったのだが。欲張らないことにした。我が家から乗り換え・乗り換えで「初台」という駅で下車して・・・地下鉄は便利だが沢山の路線があるので、無事目的地に着けるか否か、いつもドキドキ、スリル満点の感覚である。今回は無事帰ってくることが出来た(苦笑)だけど、そういう体験をどこかで未知の地への「小さな旅」として喜んでいる自分がいる。
ここは日ごろはオペラやクラシックバレーなどが上演される劇場だが、国立劇場が建て替えに入り、急遽「新春歌舞伎」はここの中劇場で幕をあげた。花道のない劇場での歌舞伎を観るのは初めてでちょっと戸惑いはあったが。前列との間がゆったりしていて、前の人の頭が邪魔になったりせず見やすかった。新春らしい舞台、菊五郎・菊之助・彦三郎さん達役者による新春の縁起物の「撒き物(役者さんのサイン入りの手ぬぐい)」もあったが、前列までは届いたが、9列目の私の席には届かなかった。残念。菊五郎一門の子役たちの踊や所作のうまさ・可愛らしさに、観客席は多いに盛り上がっていた。小さい頃からの修業が確実に、役者としての力を備えていくのが解る。ちびっ子と思っていた丑之助:眞秀:大晴:亀三郎君達がしっかりと舞台を務めるのに、今更ながら驚く。歌舞伎界も色々あったが・・・先行きは明るいと思えて嬉しかった。ロビーには能登地震のための募金箱が設置されていた。貧者の一灯を投じる。せめてもの・・・。
観劇記はいずれ「歌舞伎ブログ」に。こちらもずっとお休み状態。そろそろ復活させようと思っている。自分自身の記録と楽しみのためにも。
新・国立劇場、演目、立て看板。