ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。旅やアメリカでの話、趣味のことなどなど・・・自分の覚書を兼ねて。

思い出の座間味・・・海の中の世界

2008-07-30 18:01:02 | 沖縄へ。

 Dsc00057 連日の猛暑、パソコンのデスクトップの座間味の美しい海、波の揺らぎにせめてもの涼を感じたりしても、現実にはなんという暑さ、狂暑(そんな言葉を創り出したくなる)

民宿で一緒になり、夫サンや”マサ君&めい”がダイビングを共にしたFさんから、メールに添付されて水中写真が送られてきた。

「わあ、すてき!」と思わず歓声。夫サンが一枚一枚説明などしてくれる。「海亀と目があったよ」とか。海の上にプカプカ浮いてのシュノーケリングでも、それなりに楽しむことは出来るが、やはりダイビングとなると【海の世界に身をゆだねるのだから。

Fさんご夫妻のダイビング暦はもう15年余。ご主人様は70歳を過ぎていらっしゃる。ご夫婦共にとてもきれいな潜り方だと娘が感心していた。座間味にも、随分の回数を通っておいでのようだ。奥様は大病の後の初めてのダイビングだったとか。でも、無事にちゃんと楽しむことが出来て、自信回復なさったことだろう。

そのチャレンジ精神、大いに見習いたいと思ったことだった。(私のブログに、画像掲載の許可をいただいたので、いそいそと写真をUPしているととろサンです。Fさん、有難うございました。

Dsc00092 Dsc00236 ”マサ君とめい””クマノミ”



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もの作り(工芸)見学・・・沖縄・これでオシマイ

2008-07-21 16:41:58 | 沖縄へ。

「飛行機の時間は」「5時半」「じゃあ、もう少し、どこか希望は」と運転手のKさん。

”物作り”に関心のある娘はそういうところを・・・とリクエスト。

「ポピュラーだけど、」と琉球ガラスと紅型工房へ案内してくれた。       

 充実した時間を過ごし、那覇空 港へ。

5泊7日の夏を先取りの旅は終わった。 代表的なブーゲンビリア

3人とも真っ黒。ととろサンは、それなりに日焼けはしたけど、ダイビングした夫やマサ君・”めい”には比べようもない。海大好き、ダイビングインストラクターのマサ君は、しきりに珊瑚の荒れたことを案じていた。海水浴客がうかつに珊瑚の上に足を乗せたりしないよう、ちゃんと注意書きなどを立てたほうがいいなあとか。夫や娘の関心も、今後の沖縄の海の行方を中心に話が広がる。

 座間味でも『美ら島(ちゅらしま)を守ろう』と随分前から、ダイビングの人たちを中心に頑張っている。訪れる外部の者たちも、その心を大切に自然を傷つけない、壊さない気持ちをしっかり持って訪れなければと改めて思ったことだった。

 戦争の悲劇、基地問題などを思うと安穏と観光気分にもなれないのだが、それでも観光は沖縄の大きな財源。訪れることことが沖縄を少しでも理解することが、本土に住む私たちの責務なのかもしれない。だが、余りに観光化された戦跡には、何度も足を運ぶ気持ちになれず、心の中で密かに沖縄の受難の歴史を想い、二度と『戦世(いくさゆ)のない』ことを願うばかりである。

 つか・・・ブログに書く日も来るかもしれないが、ととろサンにとって沖縄は美しい自然への憧れと同時に、以前住んだ時に医療の遅れ、担当が若い未熟な医者だったために受けた悲惨な体験を生涯引きずることになった場所でもある(その頃の沖縄はまだ医療も本土より10年くらい遅れていたという)苦いやりきれない思い出だ。随分と辛いことだった。これも”定め”かもしれないし、命を取り留めただけでも良しとしなければと、思えるようになるまで長い年月がかかった。当時小学三年生になったばかりの長女には、本当に悲しい辛い思いをさせた。今度沖縄に同行した次女は、まだ幼稚園に入ったばかりで、今は朧にしか覚えていないだろうが。

     

その頃は、小学校の図書室に一冊の本もない時代で、私はそれ前の経験を生かして、『自宅開放文庫』を近所の子供たちのために開いていた。近くの海上保安庁の社宅にいらしたY・Tさんなども手伝ってくれており、私の入院中などは娘達を一家をあげて助けて下さった。

 近所の方たちも、夫の会社の人たちも優しかった。その優しさは、本当に嬉しかったが、それでも、沖縄で受けた恐怖ともいえる体験は、正しい診断とそのあとのフォローがきちんとなされていたら~~と、思わずにはいられないような、あと数日遅れていたら、今こうしてここに私は存在しなかったかもしれない・・・そんな状況で、福岡に急遽送り返された私を診た総合病院の医者は、唖然としてカルテを要求。だか、その病院からはカルテは送ってこなかった。入院中、看護婦(その頃はまだ士でなく婦)さんが「ここは、野戦病院みたいなものだから、早く本土に帰った方がいいですよ」とこっそり耳打ちしてくれた、そんな状況に沖縄は置かれていたのだった。無論今の沖縄の話ではない、30数年前のことだ。

花は「ハマユウ」とその上のは「アサヒカズラ」(ネット仲間のホマンさんから教えていただきました)

『お母さんが生きていて良かった!』時折長女が口にする言葉である。

今は、こうして沖縄へ来ることを、楽しめるようになった。胸が苦しくなることもなくなた。時の流れというのは・・・何よりもの癒しなのであろう。

 ・元気なオトシヨリ・・・といえば、沖縄に来るたびに立ち寄る『かめ・天ぷら』と幟のある小さな間口の店。沖縄ではポピュラーなお菓子『サーターアンダギー』(砂糖菓子)を専門にしている店で、老夫婦でやっている。天ぷらといっても、料理の天ぷらではない。揚げ菓子を作っている店のことである。揚げるのはおじいちゃんの亀市さん。帰る日に訪ねた。亀市さんは6時早朝の仕事を終えて姿が見えなかったがおばあちゃん、いや奥さんというべきかは元気で『看板娘』の写真を撮らせてくれた。4年ぶりだったが、元気な姿をみてほっとする。友人などは他からも貰ったりしたが、ここのが一番美味しい!という。まとめて発送を依頼。ひもちのするお菓子である。

「小麦粉が値上がりして、やめようかと思ったけど、お客さんが続けてくれって」と済まなさそうな顔で70円になったといいながら、5個もおまけに~~とくれる。ここでも沖縄だな・・・と温かいものを感じた。実家まで連れて行って、観光化していない自然を紹介してくれた運転手さん、沖縄の人の大らかな温かさを今回も感じた旅であった。今回は買い物はなし~~の筈だったが、壷屋焼きのお茶碗・琉球ガラスの大き目のカップ・紅型など記念やお土産に求めた(やっぱり・・・笑)

  

那覇空港

娘夫婦は名古屋(マサ君の実家)へ。私達は福岡へと。私たちも殆ど同じ時刻の出発。

『今度はいつ会えるかな』

『いつでも来て、何ヶ月でも滞在して』と娘夫婦。

今の時代、メール・電話・携帯などと便利で、それこそ、今日の夕飯何にしたの?なんて他愛ない母娘の会話だって瞬時に彼の国へ飛んでいく。横浜の長女だって孫達だってそうだ。パソコンにカメラを取り付ければ、顔を見ながら話もできる。有り難いことだなあとしみじみ思う。

それでもハグして別れたあとは・・・胸が熱く寂しくなったととろサンでした。戻ってきた福岡には、まだ低く重たい梅雨空が広がっておりました。(沖縄の旅・おしまい)

 <おまけ>

I先生のところでの最後のゆんたくの時に『うみうし』の話が出た。マサ君が「うみうし大好きなんですよ。潜ると探します」

「あら、それなら、沖縄のウミウシ研究の第一人者が近くに」と。その話が出た直後、一台の車が「あら、ちょっと待ってね」T子さんが車の方へ。

 『この方よ』帰宅した男性を伴ってゆんたくの席に。

小野 篤司(おの・あつし)さん上智大学卒業後伊豆海洋公園・〔株〕益田海洋プロダクションを経て、現在は座間味島でダイビングガイド業。日本貝類学会会員。図書・雑誌への写真提供多数・・・・という【うみうし】写真の第一人者。

 早速パソコンを開いて、最近の画像を見せてくださった。ととろさんは、「うみうし」は余り~~ではあるが(実際に見たことがないので)、その色彩や形のなんとさまざまなこと!驚くばかりだ。海の中の小さな生きもの”うみうし”が大好きというマサ君、夫サンも昆虫大好き人間だから、早速大いなる興味を示す。

思いがけない巡り合いがまた一つ。おかげで、小野さんの著作【沖縄のウミウシ】(掲載種類600種・写真枚数1200枚】を分けていただき、二人とも大喜びだった。

人生は人と人との出会いの積み重ねである】という言葉が好きだ。素敵な巡り合いは、素敵な人生を作り出していく。それには、自分も何かを他の人に与えるものを、持たないといけないなあ。たとえ、それが小さなものであっても。特別な才能でなくても、思いやりやいたわりや優しさ、元気さ、明るさといった誰でも出来ることであってもいい。

私は他の人に、何かをもたらして生きてきたのだろうか。改めて振り返ってみたととろサンであった。今からだって、遅くはないのだから。

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再び那覇へ(その6)座間味に別れを告げて

2008-07-21 15:47:39 | 沖縄へ。

 

最後の日はシュノーケリングをみなで楽しみ、夕方の舟で那覇の泊港へ。民宿のチェックアウトは11時だが、「いいですよ、一部屋あけておきますから、使ってください」沖縄の温かさ、おおらかさに感謝。

Iさんご夫婦、いつまでもいつまでも手を振って別れを惜しんでくださった。来年の再会を約束して(次回は孫達との約束、下の孫がシュノーケル出来るようになったら座間味に連れて行く・・・を果たすつもりだ。『ゆうちゃん、出来るようになったよ』と言っていたから)

 いつものホテルに舞い戻り、夜はフロントの紹介で、「やっぱり居酒屋だね」と。ここもよかった。かなり次々に注文して、美味しいお酒もオリオンビール(沖縄のビール)もいただいたけど。”当たり”である。琉球料理(料亭など)より気楽な居酒屋の方が、地元の料理を味わえるようだ。

かぁ~ら家

お酒を沢山は飲めない体質だし、酔うほど飲むと気分が悪くなる夫サンが珍しく、ちょっと足元ふらっと。言葉が「あれ?少しもつれているよ」結婚以来初めて夫の酔った姿を見た。娘たちもびっくり、大いに囃し立てた。沖縄でダイビング。それもマサ君や娘と一緒に実現できたのが、よほど嬉しかったのだろう。酔ったことのない亭主の酔った姿、いやあ、面白かった!

7月3日 沖縄を離れる日

夕刻の出発までの時間をミニ・観光。3時間ほどタクシーをチャーター。余りに観光化したところは苦手なのでと。10年以上沖縄も仕事で担当していた夫サンは、沖縄に詳しく運転手さんと話が弾む。

金城の石畳>                                        

首里城近く(首里城は除虫作業中で休み)琉球石灰岩(通称泡石)で舗装された道。 日本の道百選にも選ばれた、琉球王朝時代を偲ばせる石畳の道。尚真王の時代(1477~1526)に首里城から南部への主要道路として作られた。途中に朝どら「ちゅらさん」に使われた家があるので有名。沖縄にいた頃も、この道の風情が好きだった。運転手のKさんが『観光地じゃないところ、海がお好きなら』と連れて行ってくれたのが奥武島(おうしま)沖縄本島南部、南城市にある離れ島。周囲約2?。車で走ると5分くらいで一周できる程の小さな島。本島とは短い橋がかかっている。以前は船で渡っていたそうだ。

  

金城の石畳。(石は沖縄特有の泡石)               ドラマ「ちゅらさん」のモデルの家。



丁度引き潮でこんな風景が広がっていた。

2メートル以上ももあるような岩が、満ち潮になると海の中に隠れてしまうそうだ。貝でも探しているのだろうか、遠くには人の姿があった。水溜りの中では小魚たちが。浜辺には烏賊を干す風景。ここは漁業の島である。Kさんが小高い家から手招きする。「ここは嫁さんの実家、まあ、一休みして」と。冷たいサンピン茶と黒糖菓子が。「冷たい!美味しい!」ほっとして汗をぬぐう。

奥さんのご両親というおじいさんとおばあさん、「まだ漁をやっているよ。素もぐりもするよ」背筋がピンとして元気そう。なんと92歳、奥さんは88才。沖縄のおとしよりは本当に元気である。平和市場のおばあたちも『お幾つですか』『まだ、若いよ80とちょっと』なんて答えが返ってくる。内臓は40代だってよ。素もぐり続けて耳が遠くなっている以外は健康そのものさ」とKさん。海と綺麗な空気の中で、身体を使いながらの日々。人として一番素直な生き方なのかもしれない。お元気で100歳を迎えてくださいね。

ここにもハーリー船があった。

Kさんに『お昼をどこかで』と尋ねたら、「この辺は魚が新しいからね。お刺身買ってお握り買って~というのもいいよ」

そういうの大好き!   

 「そこにイトコが魚屋やっているから。新しく有名だよ」烏賊・鮪・白身(鯛・・・多分マーマチという鯛の一種かな)などを白いトレーに入れたのを買う。安い!「これも美味しそう」とつぶ貝の刺身をみていたら、「いいよ。おまけ」と。お店の前の屋根張ったテーブルで、海を眺め潮風を受けながらオリオンビール。楽しくって美味しかったなあ。

ゴミは・・・『そこの柱にでもぶら下げておいたら、島の人が片付けてくれるから』なんと大らかで親切なこと!お言葉に甘えて、ぶら下げました。

烏賊を干した風景。

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最後の夜はBBQで、賑やかに(沖縄その5)

2008-07-21 15:39:08 | 沖縄へ。

ご隠居と娘夫婦はダイビングなどを楽しむ。

ととろサンは見送り。行ってらっしゃい!!

海三昧だった座間味、最後の夜になりました。庭のテーブルで宿泊客達とバ

ーベキュー。一明さんが『お肉焼けましたぁ』などと声を張り上げる。鮪の刺身もたっぷり。ここはダイビングの常連の方が多いとか。Fさんご夫婦はご主人は70歳過ぎていらっしゃるけど、奥様ともどもダイビング暦は15年以上、座間味にもずっと通い続けていらっしゃるようだ。他の方たちもベテランの方たち。『銀座でここ【パティオの忘年会】を毎年やって、次の年はいつ来るか、決めるんですよ』とのこと。趣味を共有する素的な仲間たち・・・という雰囲気である。

      

 (パティオの食事。素朴だけど品数多く味付けもいい。ご主人が板前さんだったそうな。これに汁椀がついていた)

まだまだ盛り上がっているBBQをあとに、今宵も「ゆんたく」へ。お別れゆんたくである。

    散歩中のご隠居サン

座間味島は海も景色も空気も人も、良いところだけど、台風の時の話や雨が降らず水不足の話は・・・人は何かを甘受するためには、何かを耐えること、対処していく心構えが必要だなと思う。(屋上の貯水タンク。あちこちで見受けられた)

さがり花>民宿のご主人が『珍しい花が今夜咲きますよ』と教えてくれた。

 

夜咲いて夜明けにはしぼんでしまう一夜限りの花。『月下美人』と一緒だな。疲れて寝てしまい、未明に慌ててカメラを向けた。

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夕焼け・ゆんたく・星空(沖縄その4)

2008-07-21 10:08:42 | 沖縄へ。

海の落日


Iさんの奥様(T子さん)の案内で、近くの『神の浜展望台』に、夕焼けを見に行く。ぎんぎんに冷えたビールやチーズを用意して下さってた。「ここからの景色が大好きで来客を案内するんですよ」とおっしゃるだけあって、幾つもの島々が浮かぶ景色は実に美しい。天気の良い時は久米島も見えるそうだ。冷たいビールが”わあ、最高!”外人のカップルにチーズおすそ分け。質問にT子サン、滑らかな受け答え。娘が「綺麗な発音ですね」と。いいなあ・・・いつになったらととろサンの英会話は、”なんとか使い物”になるのだろう。最近はすっかりサボっているし。

少しずつ夕暮れが近づく。雲の色、空の色が変わっていく。壮大な夕焼け。言葉もなく眺めていた。(画像を見てくださいね。余計な言葉は要らないって感じでした.

    

ゆんたく

『飲み会』とでも訳しましょうか。陽気で明るいウチナンチュ2人以上集まれば、家や店の前などで”ゆんたく”がはじまる。

ゆんたくをやっていますから、いつでもどうぞ』とお招きを受けた。前回訪れた時もお邪魔したものだ。Iさんの家の前には長いゆんたく用のテーブルと腰掛があり、夕暮れともなれば、何処からか近所の人が集まって、勿論飲むのは沖縄の古酒。酒の肴はそれぞれが何かを持って来られるようだ。

通りかかった人に「寄っていかんね」と声をかけたり。私たちも早速に皆さんの仲間入りさせてもらった。T子さんが『近所の方が160キロのカジキを釣ったので、お刺身で!』と仰って下さった。ご主人が採ってきてくださった貝(ティジャラ)も酒肴に最高。小さい巻貝なので中身を取り出して綺麗にするのは、手間ひまいるそうだI先生は穏やかで静かな方。関西で歯医者さんを開業なさっていたのだが、たまたまご夫婦で座間味に旅して、その海の景色の余りの美しさに魅了されて、ここの島に移り住んでしまったという。

離島などを訪れると『こんなところで暮らせたら』と思う人は多いものだが、それを実行するとなると、並大抵ではない。かかる経費も半端ではない。が、父親がNHKのアナウンサーであちこち転勤が多く、高校時代から大学までアメリカ留学(当然英語はぺらぺら)なさったT子さんはバイリンガル。積極性も行動力も柔軟性も充分、ご主人も自然に添った生き方を~~と想いは一つ。ととうとう実現させてしまわれたそうだ。座間味島で歯科医院を開き、住む家を定め、島の生活や習慣に同化して、自然体で過ごしている素敵なカップルである。勿論ご苦労も多かったと思う。

真っ黒に日焼けして、島の人たちに遜色をとらない顔色のご主人は、病院を終えると家のすぐそばの海辺で一泳ぎ。その様子を拝見、実に綺麗な泳ぎに驚いたが、大学時代水泳部でしたとの答えに、なるほどと納得したものだ。

<星 空>

ゆんたく・・・の後、今回も浜辺に行った。足元を懐中電灯で照らしながら、打ち寄せる波に誘われるように浜辺へと出る。空には・・・宝石箱をひっくり返したようなという月並みが表現そのものの星空が広がっていた。ちょっと湿り気を帯びた砂の上に寝転んで、星空に向かい合う。星座も星の数が余りに多すぎて、幾つかしか見つけることが出来ない。こんなに夜空に星があったなんて!暗い海面の向こう、水平線の辺りから半球型に星空が広がっている。

『地球は丸いんだ』・・・前に来た時も実感したことを、改めて再認識。聞こえるのは寄せては返す波音のみ。天の川、そして満天の星を眺めていると、大げさなようだが宇宙の中に抱かれて、己の魂のままに今存在しているんだ・・・そんな気持ちになってしまう。

以前アメリカの娘を尋ねて、一緒に訪れた大自然の中で、やはり星空に包まれてしまった思い出がある。このときは原始の世界に身を置いているような気持ちだった。海辺では波の音が、子守唄のように優しく感じられる。年甲斐もなく、ロマンチックいや哲学的(わおう!)になってしまったととろサンでした。

座間味の星空は素晴らしかった!

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