今日で1月も終わる。今朝6過ぎの部屋の温度は12度だった。
庭に一本ある八朔の木。今年はなぜか実が良く落ちる。落ちた実を灯篭の上に置いていると毎日メジロさんがやって来てついばんでくれる。ガラス窓越しに眺めて、楽しませてもらっている。可愛いこと!メジロさんも春の使者。天満宮の梅も間もなく開くことだろう。
小さな我が家の庭も春到来となれば、ささやかながらいろんな花が目を楽しませてくれるだろう。待ち遠しいことだ。
2月3日は節分。4日は立春最近は豆まきより、恵方巻きをその年の方角に向かってかぶりつくのが定着して、あちこちで【注文承ります】などをみかける。
もともと福岡や博多にはこういう習慣はなかったのだが・・・バレンタインのチョコレートと一緒で何処やらに【仕掛け人】がいるらしい。巷の話では全国チェーンのセブンイレブンあたりから広がったとか。
このまま暦通りに春になることはない、名残り雪、忘れ雪も一度か二度は降るだろうし、冷たい北風もやって来るだろう。でも、小さな庭先は冬の赤い椿や白い侘助とともに、水仙や黄色い蝋梅も盛りとなり、樹木の枝先には赤い柔らかな新芽が膨らみ始めた。
春はそこまで忍び寄っている。
春立てば 消ゆる氷の残りなく 君が心は われにとけなん (古今集 詠み人知らず)
立春になればきっと愛する人が、自分に向かって心を開いて、想いを受け止めてくれるだろう。
われにとけなん・・・ロマンティックでちょっと官能的。いにしえの歌の中にはドキッと胸ときめく表現が多いように思える。
【音読しながら古典を味わおう】そんな感じで、サークルで枕草子を何年がかりかで全巻読んでいる。と言っても後半は仲間たちとのお喋りなども。先日は手作りおぜんざいなどを楽しんだ。講師は仲間の1人、もと高校国語教諭のGさん。心強い講師である。この春で多分読み終えるだろう。
枕草子を通しても感じることだが、いにしえの人々は季節を感じることにとても敏感だ。行事や習わしのみならず、食べ物などにも、四季折々の変化や兆しを身体で心で受け止める。自然の在りように人間が合わせて日々の暮らしを営んでいる。春のうららかさも夏の暑さも秋のものがなしさを伴う風情も、冬の厳しい寒さの中に雪の美しさを愛でる心も、森羅万象素直に受け入れて生きているように思う。
今はどうだろう?食べ物に季節感がなくなり、寒ければ暖房、暑ければ冷房、私もそれを甘受しているので、何も言えないけど・・・。
インフルエンザなど早く終息して春の足音に耳をすませたい。でも・・・寒く冷たい冬の中にほっこり暖かな陽光の日があるのもいいな。(画像はご隠居さん)