梅雨に入ったが、晴れたり降ったりと目まぐるしく天候が変化する。昨日は灰色の空、雨の一日、今朝はカラリと晴れ上がって、昼間は30度を超すそうだ。
「降るかな」と空を見上げながらも、出来るだけ早朝散歩と途中の公園での6:30からのラジオ体操は続けることにしている。小さな池だが睡蓮の咲く池があり、この時期は立ち寄るのが楽しみだ。睡蓮にもいろんな種類があるようで、この池の睡蓮は比較的花が小さく、白い花が多く、間に紅色のも花開いている。
薄く朝日が広がる中に、静かに花開いた睡蓮と濃い緑の一面の葉をしばし眺める、早朝のひととき。
睡蓮は古代エジプトで【太陽のシンボル】として親しまれていたという。
花言葉は【信頼・信仰・清純な心・優しさ・甘美】とある。絶世の美女クレオパトラが睡蓮の花を手にした姿…が浮かんで「絵になるなあ」
私の父は俳句を趣味としていたので、吟行のつもりだったのだろう、お供に小学生の私を連れて、舞鶴城のお濠に睡蓮の花を見に行った。日曜日に早起きさせられた私は有難迷惑ではあったが、「睡蓮は花が開くときにポンと音がするそうだ」の一言に、そのポンが聴きたくて、目がパッチリ覚めて、いそいそと父について出かけた。黒田の殿様のお城の濠一面に睡蓮の葉が浮かび、仏のうてなのような花は、子供心にも気高く感じられた。が、幾ら耳を澄ませても「ポン!」という音は聞こえず、また花が開く瞬間を上手く見ることはできなかった。
のちになって、開花の時に「ポン!」と音がするというのは、実験などの結果、通説で実際には何の音もしないということで巷の説にけりが着いたそうだ。父の俳句作り・吟行のお供で、太宰府にも良く行った。結婚して太宰府に住むことになり、博多は第1の故郷、太宰府は第2の故郷になった。自然に恵まれ、古き大和の歴史・筑紫万葉の里太宰府は、亡き夫もお気に入りの土地となった。娘達が幼いころから、宝満山や四王寺山によく登ったものだ。多くの長年の友人達も出来て、現在初めての地、横浜を終の棲家とした私をLINEや℡などで元気づけてくれる。人に恵まれ、その点では良き半生を過ごせたと思っている。
恋するや 遠き国をば思へるや このたそがれの睡蓮の花 与謝野晶子
さて、明日も梅雨の晴れ間かな?雑木林の中の小径「緑道」を散歩しながら、睡蓮の花を愛でるとしよう。
瞬間豪雨などがない梅雨でありますように!災害のないことを願うのみ。