横浜在住の長女宅へ、3泊4日の駆け足で出かけた。今回の目的は姉孫のT美大【卒業制作展】と、妹孫のS大のゼミ発表の舞台、オペラ【カルメン(全四幕)】を観るため。
第1日目 オペラ【カルメン】観劇でゴザイマシタ。
・羽田空港には娘と姉孫のちいちゃんが迎えに来てくれて、空港で昼食、そのまま会場であるS学園大のホールへ。婿も直接学校に来て合流。
なんとまあ!モダンな建物にびっくり。衣装・舞台装置など全て生徒の手作り。オーケストラボックスには、やはり生徒たちで構成された楽団が。大学の先生や卒業生のプロの歌手も出演。
妹孫のゆうちゃんは、まだ一年生。ジプシーの女工さんの一人。勿論コーラスのみだが、全幕出ていてなかなかうまく自分の役柄を表現している。
勿論将来歌手を目指すとかではなく、あくまで大学授業の一環としての出演だ。この大学を選んだのは、音響関係に興味があったかららしい。なじみのある有名な「カルメン」だが、「通し」で全幕観る機会はなかなかないので、おもしろかった。メーキャップや衣装もプロ並みで、現代の若い人たちは、こういう才能やセンスを遺憾なく発揮して、生き生きしているなあ。クラシック大好きなご隠居、孫娘の艶やかな変身ぶりや学生達が創り上げた舞台に、大いに感心していた。若さのパワーに元気を貰って気持ちが弾んだ。
・三日目 T美大卒業制作展へ。
・姉娘「ちいちゃん」の卒業制作作品を観に、T美大へ。こちらもモダンな建物があるが、自然の中なので色々な樹木や池や芝生がある。
正式な卒業制作展は、青山のどこだかでもうすでに済んでいて、今回は学校の構内での展示だった。全てを見るのは体力的に無理かもと、孫の【テキスタイル科】や工芸・ガラスなどを見て回った。ここでも若い感性が溢れていて、楽しかった。
テキスタイル棟は、明るい鮮やかな色合いがいっぱい。糸を染めること、布を染めること(ろうけつなど)学んで来た様々の知識と技を使って、一から全てを創り上げた作品が並ぶ教室を一つずつ見て回る。
発想の面白さ、ここも若い斬新な感覚が!!若いって無限の可能性があるってことだなと、ほんとに楽しくて、時間の経つのを忘れた。孫の作品は相当大きな作品だった。住宅や公共施設・車両内装・衣類など様々なテキスタイルの分野で、皆さん、良い仕事を・・・頑張って欲しい。
孫の作品名は【透き間】作品の説明には・・・「プライバシーに敏感になった今の社会では、個人のスペースは閉鎖的なものになる傾向にある。故に、より広く光を感じる、風通しの良い、心地よさを公共の場では求められるのではないかと思う・・・以下省略。そういう想いで作ったらしい
歌舞伎座へ。
二日目。
折角の上京の機会に歌舞伎観ない!なんて出来ないととろサン、ご隠居のヘルペスのこともあり、昼の部にはあまり食指が動かなかったので、今回は【夜の部】のみ。
(歌舞伎座と木挽き広場入り口)
歌舞伎座上階のギャラリーには、今月の演し物【白波五人男】稲瀬川勢ぞろいの場の人形。
お弁当は私ごひいきの【辨松】のお赤飯と煮物。煮物の味がよく、歌舞伎座に行くと必ずこの店(歌舞伎座道挟んで向かい側)で一度は買う。
・盛綱陣屋・・・仁左衛門、雀右衛門、秀太郎、孝太郎、左團次、勘太郎、寺島 眞秀 他
仁左衛門さんの盛綱はいいなあ!おチビちゃんの勘太郎くんが親は舞台に出ていないのに、小四郎と言う台詞も多く、非常に難しい役を見事に演じていた。
役者の子は役者!お父さんの勘九郎君にしっかり鍛えられているし、18代目勘三郎さんの遺伝子をしっかりと受け継いでいるようだ。
寺嶋しのぶさんの坊や眞秀くんも元気で頑張っていた。親から子へ子から孫へ、400年続いた江戸時代の芸能【歌舞伎】はこうして受け継がれていく。能や茶道のように、時の権威者の大いなる援助もなしに、庶民の中から生まれた雑草のような芸能、歌舞伎。だからこそ面白いと言えよう。
・雷船頭・・・・幸四郎、鷹之資 幸四郎さんは爽やか二枚目ぶり。鷹之資君は、親の富十郎さんが亡くなって、バックアップがなくなり、どうしているかなと案じていたが、やはり踊りは見事。幸四郎さんもそういえば踊りの家元サン。天から落ちてきた雷といなせな船頭の、ユーモラスで粋な踊りが楽しかった。
・白浪五人男・・弁天小僧菊之助&南郷力丸を【幸四郎&猿之助】が「日替わり」で演じている。
私が観たのは、菊之助を猿之助が、南郷力丸を幸四郎が演じた日だった。理屈抜きに楽しめる演目で、会場も沸いていた。猿之助の弁天、お定まりの利かせ文句「知らざあ言って聞かせやしょう。浜の真砂と五右衛門が・・・」黙阿弥の七五調の台詞も切れがよく、気持ちよい芝居見物の宵だった。
いずれもう一つのブログ【歌舞伎観たまま想うまま】に詳細な観劇感想はUPするつもり。歌舞伎に興味ある方はどうぞ(笑)
孫達の成長ぶりを目にした喜びや、今春から家を離れて社会人となる姉孫にエールを送り、皆で祝宴めいた食事を楽しんだ三泊四日は、あっという間に過ぎた。次回はもう少しゆっくりと思うものの、さて体力などがついてくるのだろうか?
今回は往路・復路とも富士山は霞の彼方。見ることかなわず・・・・残念だったが。やはり空気の澄んだ2月ごろまでが、くっきり見えるのだろう。