ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。旅やアメリカでの話、趣味のことなどなど・・・自分の覚書を兼ねて。

四国こんぴら歌舞伎・栗林公園・屋島へ、サークルの皆さんと。

2011-04-23 17:30:14 | 旅&温泉紀行

 4月15,16日一泊で四国香川県琴平町(金毘羅さんで有名な)へ。Image70781

サークルの仲間で【レトロな金丸座でのこんぴら歌舞伎】を観たいとの希望があり、チケット入手が難しいので、昨年から四国の知人の方にお願いして実現することとなりました。希望者16名のツアー感覚の小さな旅となりました。IMG_2939 博多駅から岡山駅で、こんな可愛いアンパンマンの列車に乗換えで琴平駅へ。

 皆さん新幹線に乗り込んだ時から、もう嬉しい旅気分。瀬戸大橋を渡ることは曇っていて残念でしたが、それでも広がる海、浮かぶ小島の景観は楽しめました

 駅にはJRのNさんが出迎え、道筋に翻はためく”松本幸四郎さん江””染五郎さん江”などの”幟”に芝居気分が沸いてきます。昼食の後今度の宿【琴参閣】広々として大きなホテルでした。やはり震災後はぐっとお客さんが減ったとのこと。一休みのあと、いよいよ金丸座へ。
IMG_2972金丸座は1835年(天保6年)に建築された、今日本に残る最古の本格的芝居小IMG_2965で重要文化財。ここで年に1回4月に【歌舞伎】が行われます。第一回公演は昭和60年。今回は27回目。毎年好評で全国から観客が集まるので、なかなかチケット入手できません。昨年4月に行った時に知人にチケット購入などをお願いしておりました。私達夫婦は今回で5回目の【こんぴら歌舞伎】観劇となりました。歌舞伎の内容については他の【歌舞伎観たまま・感じたまま】に書くつもりですが、私達の観た【夜の部】は鈴ヶ森・舞踊 藤娘に40年ぶり?の復活狂言 鯉つかみ。

鯉つかみは金丸座の仕掛けをふんだんに使って、染五郎さんが大奮闘の、目に楽しい芝居に仕上がっておりました。二役の美しい小姓と鯉の精は空井戸、すっぽんを使って驚くほどの早さで。

こんぴら歌舞伎「金丸座」場内。 天井は竹を組み合わせて作られていますが(葡萄棚といいます)その梁の上に腹ばいになった裏方さんが、真っ暗な場内に飛ばした姫と小姓の出会う蛍狩りの夜にの、蛍の青い火の乱舞は見事でした。綺麗でした。博多座などの大劇場では出来ないことです。

江戸時代から、いろんな仕掛けがあって、この葡萄棚も、染五郎サンが宙乗りをしたかけすじと呼ばれる滑車を使った天井の仕掛けも、みんな人力で行います。電気などなかったのですから。明かりとり障子や戸の開閉で、日の暮れるまで江戸時代の人達は、芝居を楽しんだようです。役者の顔を照らし出す 面明かりも生まれました。奉書の紙を巻いた中の蝋燭の灯りを、顔に差し出して表情を照らし出します。

人力といえば、いまでは何処の劇場でも普通に行われる廻り舞台も江戸の頃創られました。廻り舞台を作ったのは日本が、世界で初めてです。

文化財なので水が使えないので(本水を使う・・・といいます)、イルージョンみたいに、白い煙?をふんだんに使って水と見立てての水中での大鯉との格闘のシーンはなかなかの迫力、それにしても鯉に扮した役者サン、ほんとにお見事ご苦労様!歌舞伎では主役に絡む立ち回りの捕り手サン達、トンボを切るとか高いはしごに登った主役さんを支えるとか今度の鯉のように被り物の役(馬や蝦蟇など)をする役者サン達や、陰で支える裏方サン達の力も大きく、感動さえ覚えることがあります。

猿之助ワールドのような舞台に、観客席は大いに盛り上がりました。なんと言っても舞台と客席の近さが半端ではありません。花道などでは役者の着物のすそが自分の席に垂れてきたりする距離ですから。江戸時代の人になったような気分に浸れるレトロな芝居小屋の仕掛けをふんだんに使っての舞台は、皆さんを満足させたようでした。

芝居が終わるとホテルでの会食。広い広い部屋に16人・・・広すぎて!お料理はこんぴら歌舞伎特別料理とはいえ、品数の多さ、最期に四国ならではのざるうどんも。残すのは悪いなあと思っても、食べきれない。勿体無いなと思ってしまいます。

そういえば昼も最期におうどんが。昨年は金毘羅歌舞伎の後知人宅に泊まって観光を楽しんだのですが、讃岐饂飩何軒か、地元の美味しい店を案内してもらいました。二人とも讃岐うどんは好きなので、食べ歩き楽しかったけど、地元の方にとっては、饂飩は別腹のようです。IMG_2992 IMG_3002翌日はバスガイドさんの説明を聞きながら、栗林公園へ。曇り勝ちの空でしたが、まだ桜も少し残り、淡いピンクと萌えはじめた新緑のコントラストが何とも言えず綺麗でした。

 屋島ではボランティア案内人の方の説明つきで。屋島神社に詣でたり、海IMG_2994 を見下ろしながら、ここ壇の浦で源氏と平家の興亡をかけた海上での戦いがあったのだと想像するのみでしたが、歌舞伎の「義経千本桜」源平の葛藤をテーマにした物語があり(安徳帝を抱いて海へと飛び込んだ二位の尼や那須与一、佐藤継信・忠信兄弟の故事など、いろんな意味で史実と照らし合わせて、感慨深いものがありました。金田一博士が那須与一について現地で講演したコピーを、案内人の方から頂いたのは嬉しいことでした) 和気藹々、同好の仲間達との短いけど,楽しい旅でした。レトロな江戸そのままの芝居小屋での観劇を、みなさんが喜んでくださってほっと嬉しくなりました。災害のことなど、心ふさぐことの多い日々ですが、元気で明るく前向きに歩かないと!                  栗林公園

IMG_3045保育園の遠足大きなリュックを背負った保育園児たち、遠足で栗林公園に来たのかな?

 

IMG_3023 IMG_3031

 

 IMG_3028

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桜は咲き桜は散り・・・花筏、花筵となって、春から初夏へ

2011-04-14 16:39:57 | 日々の中で

 朝から明るく陽光が射しこむ。今日の最高温度は20度を越し、5月中旬の陽気になるとか。今年も寒暖の差が激しい。

一気に花開き咲き匂っていた桜も散り始め、枝の先にはみずみずしい若緑の葉が柔らかに顔 を出し始めた。毎年桜の開花を待ちかねているのだが、今年は遠出はせず、近場での桜散策となった。町内の庭先にも大木があり、女子大学の桜、市役所脇の川沿いの桜並木、都府楼史跡、四王寺山麓の春の森公園、竈神社・・・など、散歩しながら桜を愛でることが出来る。

     

福岡の【西公園】や【舞鶴公園】は福岡で生まれ育った私には、懐かしい桜の名所だが、今年は訪ねるいとまもなかったら、Iさんがメールに添付して下さった画像で、見事な枝垂れ桜などを楽しむ事が出来た。”花の命は短くて・・・”花開いた桜は、待ちわびた人たちの賞賛の声を浴びたのち、短い花の盛りを春のいたずらな一陣の風に花吹雪となって舞い散り、ピンクの花筵(むしろ)を広げる。

川沿いや池の周りに枝を垂れた桜は、水面に花筏(いかだ)となって漂う。

どちらも、淡い儚い色合いの短い命の花びらならではの言葉。言葉とはなんと美しいのだろう。 こんな美しい葬送は桜だからこそ、ふさわしいと思う。古来 桜は日本人に深く愛され、和歌に句にと詠まれてきた。といっても万葉集には花としては桜よりも梅や萩が多く登場するようだ。桜というとやはり平安の時代だろうか。はかなさやあわれを桜に託して詠まれた和歌は多い。枚挙に暇ないほどといえよう。この時代"花”といえば"桜”のことであった。人口に膾炙した歌だが・・・

花の色は移りにけりな いたずらに わが身世にふる 眺めせし間に(小野小町)

願わくば花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ西行法師)

山郷の春の夕暮れ 来てみれば 入相の鐘に花ぞ散りける(能因法師)というのもある。

作家三島由紀夫の短歌にこんな和歌がある。

 散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐

自害して果てたこの作家のことを思うと、この短歌心に迫るものを感じる。

敷島の 大和心をひと問はば 朝陽ににほふ 山ざくら花  これは誰だったか?

短く咲いて潔く散る】桜のその散り際が、ひときわ美しいだけに、日本人の心情に訴えるものがあるのだと思う。

教科書に 与謝野晶子の 

清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよひ逢ふ人 みな美しき

というのがあったと思う。夜桜の下を歩く、それも祇園をよぎるという言葉に、みな美しくみえるのだろうと夜桜のあでやかさを感じたものだが、桜には美しさとともに、妖しさがただよう。以前一面の桜・桜に囲まれた吉野山を麓から頂上の奥の院まで歩いた時、ふと桜にまかれてしまった怖さのようなものを感じたものだった。美しさがかもし出す恐怖、のようなものを。桜の下には死体が似合う・・そんな言葉を目にしたことがある。解るような気がする。

歌舞伎にも桜は沢山出てくる。

【関の扉】(積恋雪関扉・・・つもるこい ゆきのせきのと)には、年を経た桜の老木が妖しい美しい女人となって登場する。

【吉野山(道行初音旅の通称)】(義経千本桜の4段目)これは義経の愛妾静御前のお供をして佐藤忠信が義経のところへ向かう道中(道行・・・みちゆき)の場だが、舞台の背景は一面の吉野山の桜。この忠信は実は狐だったのだが、この場面、夫婦雛のような美しい二人と背景には一面の吉野山の桜が広がり、実に美しい。

【金閣寺】(祇園祭礼信仰記)国を狙う大悪人松永大膳に捕らえられ、桜の大木に縛り付けられた雪姫が、爪先を使って足元に散り敷いた桜の花びらで、ネズミを描くとそのネズミが本物となって、縛られた縄を解くという、荒唐無稽だが・・・有名な画家雪舟のエピソードから、雪姫は雪村という画家の娘で絵が上手と言う設定になっている・・・縛られた美しいたおやかなお姫様が美しい花びらを使ってつま先で絵を描くという、これも一種妖しの美であろう。

といった具合に桜が登場する歌舞伎は多い。忠臣蔵の判官切腹の場では辞世の句も「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん」と、桜が出てくる。

余談だがこの判官切腹の場は、し~んと静まる中での緊張する美しい場面なので【通さん場】といって、この場の上演中は途中で観客が席につくことは出来ない。観客を通さないことになっている。毎年 桜の頃には何か書きたくなるのは、私もやはり桜に魅せられてしまってるのだろうか。

東北大災害のあの荒廃した震災地に、倒木の桜に一枝ニ枝の桜の花が咲いていた場面をTVで みた。その優しい花びらに復興へ歩みの中でほっと心を休めた人もいたことだろう。庭先では紅葉が若い葉を伸ばした。季節は春から初夏へと歩みはじめた。緑の輝く候となる。

PS:サークル仲間のGサンより、・・・誰の作だったか・・・に対してメールいただきました。

本居宣長の作。寛政2年(1790年)8月、61歳のときに描いた自画像に自賛した歌。国学者宣長の思想の原点を象徴的に表現した作品として名高い。「大和心」は日本人としての心情であるが、それを宣長がこよなく愛した山桜によって象徴的に詠んだ。
とありました。(名歌名句鑑賞辞典)

そうでした!おまけに、初句は”もののふ”ではなく、”敷島の”でした。

そう書いたつもりで全く気がつきませんでした。一応文章は読み直しはしてUPしたのですが、粗忽者のととろサン丸出しです。もののふ・・・の心を詠んだ和歌として私の中にインプットされていたので、無意識に書いてしまったのでしょう。お恥ずかしい限りです。歴史にお詳しいOさんからもご教示いただきました。感謝です。有難うございました。打てば響く知人友人が傍にいて下さるって嬉しいなと思ったことでした。

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桜咲く児童公園で

2011-04-03 20:19:28 | 草の根地域福祉

4月3日(日)                  

 地域の児童公園で今年も【子供会】の歓送迎会が行われ、お招きを受けて参加。
今春より中学に進学する子と小学校新入生の紹介などのあと、区長サン、民生委員サン、福祉ひまわり会会長サンに対して「毎日登校下校を見守ってくれて有難うございました」私達夫婦には【夏休みおもしろ塾】有難うございました・・と子供達からお礼の言葉。地域のオトシヨリと子供達の交流を!とご隠居が区長時代に一緒に始めた「おもしろ塾」も今年で10年目を迎える。小さかった子供達が大学生や高校生になり、道ですれ違うと今も「今日は」と声を掛けてくれるのは嬉しいものだ。子供達の成長振りには、驚かされる。

昨年は風に乗って桜の舞い散る中だったが、今年は寒さが厳しかったせいだろう、桜は八部咲きというところか。式のあとは、パパさん達が出番!のバーベキュー。子供達の笑顔に包まれ、若い皆さんと談笑しながらいただく。今年は4名子供会も増えた。少しずつだが若い世帯が増えてきた・・・嬉しい傾向だ。だがこれは世代交代の現象と考えると、なにかしら寂しい気がしないでもないが、今年も子供達と関わり、地域の子供達の成長を見守りながらつつがなく過ごせたら、有難いことだと思う。災害地の子供達にも、こんな笑顔が早く戻る日を心から願わずにはいられない。

子供会歓送迎会・ありがとう子供会歓送迎会・縄飛び

 

 BBQ大会

 

 

 

 

 

 

子供会歓送迎会1

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