9月23日 秋のお彼岸、今朝は少しひんやりした空気を感じました。白や赤の彼岸花が咲き、友人宅ではお裾分けした「オキナワスズメウリ」の実が可愛い色でぶら下がっていますよとLINEがありました。猛暑でも草花は秋を感じているのでしょう。
昨夜娘が「スマホでお母さんの口座から私の口座へ2万円振り込んで」と言った。1万円札2枚を差し出しながら。私「??」娘「現金持っている必要ないし、持っていることが怖いから」私「??」
娘「現金は念のため、少しお財布にあればいいのよ。」つまり日常の食品などの買い物も含めて、全てスマホ決済で済むから。現金は不要だと。私は逆にいくばくかのまとめた現金がお財布にないと、気持ちが落ち着かない。何か必要が生じるかもと念のための札をそれなりの額、いつも入れている。使ったら補充しながら。娘達一家は銀行口座通帳も持っていない。通帳の必要性がないのだそうだ。確かに発行手数料も払わないといけない時代になった。国をあげてIT化を急いでいる。世界のうちでも日本は遅れているからと。
そう言えば10年程、いやもっと前か、アメリカに住む娘夫婦を訪ねた時、一緒にスーパーへ食品などを買い物に行った時、娘はカードで支払っていた。「えっ、食品もカードで?」と驚く私に「現金はホールドアップされた時のために、少し持ってればいいのよ」と冗談交じりに言ったものだ。現金支払いする人は、カード使用ストップかけられた人達とみなされることが多いとのこと。つまり貧困層ということだろうか。アメリカは不法侵入した人たちも沢山住んでいるところだから。
その頃の日本では、カードでの買い物は、家具や衣類などそれなりの額の品物を、一時払いや分割払いするのに使っていたから。野菜やお肉などの食品スーパーで、カード決済することはなかった。(やればできていたのかも)
大きな買い物はカードで…と思っていた私は本当に驚いた。
時代は流れて、今の日本は何でもスマホ決済。ペイペイだのなんだのと、確かに現金支払いしなくても、あるいはその必要はない時代となったが、私達世代いわゆる「昭和古き時代の人間」は、やはり現金支払いの方が気持ちが落ち着く。友人達も同様。私が銀行間振り込みや買い物にスマホを使っているというと、「あら!凄い」とか言っている。
確かにスマホは便利。LINEでのお喋り・連絡、路線図・検索・銀行関係・支払い・手帳代わり・天気予報・読書などなど。日常世活に必要なことは全て網羅と言っていい位だ。でも、顧客情報が大量に盗まれただの、一見不審とは思えないが、実は個人情報入手のためのメールなどが送り込まれてくる。便利だが怖い存在でもある…と思う私は、ヤッパリ古い時代の人間なのだろうか。必要に応じ、幾つかのパスワードやIDを設定して、それらを記憶しておくのも、記憶力減退著しい私には厳しいことだ。
それでも新札が出来たということは、まだ当分現金併用しても大丈夫。気後れしないで現金主義でいても大丈夫ということなのだろうか。お祝いやご仏前・お布施などは、スマホでという訳にはいかないもの。
行く川の流れは絶えずして、しかも元の水に有らず・・・と徒然草にもある。時は留まることなく流れ、時代は変化するのが当たり前。モタモタしながらも一つずつクリアーしていくしかない。そしてその便利さを甘受できるようにならないといけないんだけど。ただ、大きな変化は許容範囲にとどまって欲しい。地球上の自然界迄最近のように、大きく変貌を遂げることはストップして欲しいものだ。