ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。日々の生活、旅する心、アメリカ滞在のつれづれを書き綴っていきたいと思っています。

こんな見事な大根!家庭菜園恐るべし

2012-01-27 14:43:05 | 草の根地域福祉

 年の暮れに町内のTさんより頂いた家庭菜園の大根、無農薬で育てた見事な大根、験しに計ったみましたら2,8キロ!瑞々しくてとても美味しく、早速おでんなどに大活用。作って下さったご本人にも「おでん」おすそ分けしました。その後頂いたのはもっと大きかったけれど、これも美味でした。葉っぱも炒め煮にして美味でした。
他にも家庭菜園なさっている方から大根頂いて、我が家は大根長者(夏はゴーヤ長者となります)来宅していた友人にもおすそ分けして、喜んでもらいましたで、即効で出来る【大根のべったら漬け風】を作り、今年最初の町内行事【井戸端サロン】に差し入れ。新年で手作りおぜんざいが出ましたので、箸休めとして好評でした。何人か「漬け方教えて」と。私も以前友人から教わって以来毎年大根を頂く度に漬けています。

すぐ出来る【大根のべったら付け風】ほんとに簡単です。よろしかったらお試しあれ。

 ・大根3~4本(皮をむいて縦割り) {砂糖800グラム ・塩、酒、酢それぞれ1/2cap。}の液に漬け込む。お酒の代りにご主人の焼酎をちょっと頂いて代用してもOKです。

  大根の量が少ない場合は、調味料もそれにあわせればいいので、半本でもタッパで漬けることが出来ます。

大根から水が出て4,5日すれば、食べられます。

柚子の皮を千切りにして入れると風味が増します。

<今年初めての”井戸端サロン”>今回の新春の集まりは、一番年長の方が91歳、いつも綺麗にお洒落なさって、少しお耳が遠いだけで心身ともに(頭脳も)明晰な方です。Hさんは今日が80歳の誕生日。急遽【ハッピーバースデイ】を歌ってお祝いしました。【キャン・ドウ(100円ショップ)】【ジャン・ドウ(高級ケーキ屋さん)の名前を取り違えての話などに大笑いしながら、楽しいひと時を過ごしました。いろんな話題が飛び出し、賑やかな笑いの渦となり、ひまわりサン手作りのぜんざいを美味しく頂きました。 ”笑う角には福来る”皆さんの笑顔素的でした。

 今年も明るく和気藹々と過ごしましょう!

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冬籠り・・・たま~に外出、

2012-01-22 17:58:50 | 日々の中で

1月22日

小寒(1月3日頃)から立春2月3日頃)の前日までは【寒の内】一年中で一番寒い時期だという。

北海道や東北は酷寒で積雪の多さも報道されるが、太宰府は余り寒くもない、ただ冴えない鈍色の重たげな空の日が多い。この団地に移り住んだ頃には、膝くらいの積雪の日もあったが、最近は積もっても10センチ程度である。確かに地球温暖化で日本の気象図も年々変わって来ているようだ。

昨日1月21日(土)は大寒。訪ねて来た友人に付き合って遅ればせの年始詣り【竃(かまど)神社】へ。若い友人は昨年願いが叶ったことがあって、この神社で求めた達磨に目をいれてお礼言上の奉納に。明るい空と暖かな陽ざし、宝満山登山口にある竃神社は下山してきた登山姿の人たちや、初詣客でかなりの賑わいだった。ちなみに、太宰府天満宮は縁切り(道真公が妻を都に残して太宰府に流刑され、独り身の悲しさのうちに亡くなられたから、二人連れには余りよくないらしい・・・という)竃神社は逆に縁結び。恋や結婚を願えば成就するという。二人連れは天満宮に詣でたあとは、竃神社まで足を伸ばすのがいいと。

小さな庭の【素心蝋梅も盛りとなった。青い空をバックに、黄色い小さな花達の姿が冬の季節に色添えて、甘やかな香りが漂い、優しい気持を誘う。我が家のご隠居は冬・寒さ大の苦手。「春が来たら起こして」などと啓蟄を待つ虫のようなことをノタマウ(虫好きだからかな)最近は私もだんだん同化(笑)して来たようで、冬の間は【コタツ猫】状態の【冬籠り】の日々である。
ご隠居は【女子駅伝】TV観覧中、私は横目でチラチラと見ながら伊坂幸太郎の本を読んで過ごした。なんともスローライフなシニアの我らである。

た、そんな冬籠りの時間は【たまには歌舞伎を観よう会】の会報作りなども楽しい。今年の二月【若手歌舞伎】は市川亀治郎を中心に、猿之助一門の出演。江戸時代、出雲の阿国の念仏踊りに始まり、400年以上の歴史を持つ歌舞伎という演劇、能などと違って当時の権力者などの後ろ盾もなく、むしろ河原乞食と卑しめられ、叩かれながらも、江戸の庶民の娯楽となって現代まで存在し続けた日本の伝統芸能、そこには人情の機微、武家社会のありよう、庶民の息吹などが描かれている。

  亀治郎の紋。

子供の頃からごく自然に歌舞伎というジャンルに馴染んできた私、今は100名近くなった人たちのチケット配布などのお世話を楽しみながら続けている。これはもう、道楽というべきだろうか。元文学青年いや今もかな、のご隠居は私に感化されて(自然に馴染んだようだ)今は三階大向こうから【中村屋!】【音羽屋!】などと【掛け声】を楽しんでいる。二月の亀治郎クンの屋号は【澤潟屋(おもだかや)】市川亀治郎も中村勘太郎などとともに、大活躍の若手というより、もう中堅に近い上手い役者さんである
役者サンにはそれぞれ家紋があり、衣装などにも使われている。(紋は亀治郎サンの八重澤潟)

ご隠居が定年を迎え太宰府に戻って、最初は自分達だけでの観劇だったが「チケット買いに行ったりするのが面倒」とか「歌舞伎みたことがない」というサークル仲間に、団体(15名以上)でチケット購入し、芝居の内容や出演役者について【会報】を作り出して、もう6,7年になるだろうか。

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文庫連35周年お祝いの会

2012-01-22 17:35:57 | 日々の中で

1月15日 IMG_4967

中央公民館で太宰府市文庫連絡協議会35周年祝賀会が行われた。長く続いたその活動にして太宰府市からの表彰があった。それを祝って、現在文庫をやっているお母さん達が手作りで【祝いの会】を企画して下さった。

35年前の頃、一緒に【子供文庫】などをやっていた友人達に混じって私もお招きを受けた。私は転勤などもあって、ずっと関わったわけではないが、お母さんの「どうしたら子供が読書好きになるでしょうか」と相談を受けた時「子供に本を勧めるなら、お母さん達が読書している姿を見せることも大切かも」と大人の【読書会】をGさんと立ち上げ、私はそちらの世話をして来た。

その当時の太宰府市(まだ太宰府町)には【図書館】がなかった!福岡市内で中学・高校の頃市の図書館を学校の図書室とともに、大いに利用していた私にすると、【図書館がない】のは考えられないことだった。やはり同じようなことを考えた自分も本好きで子供達に本を!と思う若い30代のお母さん達を中心にバス文庫から【図書館建設】へと大きな目標を持って市への働きかけが始まった。Nさん、今は亡きWさん、Gさん達を中心に。頭に頂いたのは貞刈先生(祝いの会に出席なさっていた。まだまだお元気だ)私は沖縄転勤になったご隠居について子供達ともども沖縄に移り住んだ。日本に返還後3年後。まだまだ生活などは不便な頃であった。

その沖縄時代は、近くに小学校は出来て【図書室】はあったが、入れ物の教室だけで、本は一冊もない状態。本好きな娘達(幼稚園と小学生)のためにも、急遽【自宅開放文庫】を週に一日だが開いた。本は沖縄県と那覇市の教育委員会にお願いして、まずは100冊ずつ借り出した。沖縄は子沢山。お母さんは働いている家が多いので、小学生のおにいちゃん、お姉ちゃんに連れられて、幼稚園以下の小さな子供達も沢山やってきた。近所で知り合いになり、今もずっと交流の続いているやはり本土から転勤してきていたTさんも手伝ってくださって。

ほぼ私設保育園状態(笑)だったが、ついでに宿題もみてやったり、ケーキを一緒に作ったり、読み聞かせなどに瞳を耀かせていた子供達の表情の可愛かったこと!私が沖縄で生活している間に、太宰府では大変な苦労をしながらも、図書館建設への歩みが進んでいた。担当の市職員のWさんなど、市会議員さんに党派を超えて図書館建設という必然的な文化時事業に取り組むよう働きかけてくれたそうだ。

35年前の子供達への読み聞かせや本の貸し出しは、当時はは地域公民館もなかったから、西鉄の廃車バスを借りての【バス文庫】や自宅を開放しての【自宅文庫】が主だった。太宰府がベッドタウンとなり、他地方から移り住む人が増えて、人口もみるみる増加した頃の話である。文庫立ち上げ当時から図書館が完成するまでの、当時の文庫の様子や苦労が語られたが、皆さんにとって素晴らしい思い出でもあり、楽しそうな表情であった。最も功労者の一人、Nさんが目の具合が悪く、やむなく欠席だったのがほんとに残念だった。

久しぶりにお目にかかるかっての仲間の人も、又、今でも私達仲間で続いている読書会(お母さんの読書会)、そして現在は三つになってしまった【子供文庫】・・・現代の子供達は色々と忙しく、また子供を取り巻く状況も変化して、地域公民館の子供文庫に来る子供達の数は減少するばかりだ。文字を読む、本を通していろんな感情や知識に触れる、考える、これは幾ら世の中が進み、新しい分野のPC関係のものが出来たりしても、子供達の心を豊かに育てる基礎だと思う。そういう子供が減少している現在、どうそれを打破していけばよいのか?難しい問題だが、今も文庫に関わっているお母さん達がいらっしゃることに、感謝したい気持でいっぱいになった。

IMG_4973余興として可愛い指人形芝居などを見せてくださった。楽しい集いだった。お世話して下さった現子供文庫のお母さん方、本当に有難う。

中央公民館(図書館も併設)から、三笠川沿いに歩きながら、仲間達とのお喋りが弾んだ。幸い天気もよく、川では水鳥が三々五々、柔らかな冬の陽ざしのなかで心地良さそうだった。

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今日は小正月

2012-01-15 08:41:41 | 日々の中で

お正月も終わった。まずは無事なスタートだ。昨年は病室での迎春だったが、体調も良く術後一年を待たずに次女の住むアメリカでの40日余りの滞在が出来たことは嬉しいことである

小正月(15日)を迎えると注連縄や正月飾りを片付ける。床の間に出した【羽子板】も・・・片付けねばならないけど、まあ、いいか旧正月まで飾っておこうとそのままにしてある。玄関の壷に投げ入れた正月の花もまだ生き生き、勿体無いからこれもまだそのままでいいや・・・とだんだんズボラになるシニアの私である。

友人が干支の辰にちなんで、龍をあしらった小さな羽子板を作ってくれた。縦15センチ位かな。龍の顔がなんとも可愛いいい。高く青空に舞い上がる龍の勢いとまではいかなくても、そのエネルギーに少しでもあやかりたいと願う新春だった。今日15日は小正月。子供の時から祖父母に「お十五日は女正月」と聞かされていた。父の代にはサラリーマンとなったが、祖父の代までは博多商人だったから、1日は「おついたち」15日は「お十五日」と言って朝食には紅白のおなますが添えられる習慣が長年続いていたものだった。

15日の【女正月】は地方によっては、暮れからお正月をバタバタと忙しく過ごしてきた主婦達女性をゆっくり休ませてやろうと、夫はじめ男性達がその日は家事を一手に引き受け、女達は一献傾けながら、年改まって初めての「ゆっくり過ごす日」を楽しんだという。

が、私の実家では母が父の妹・弟嫁を招いて、【博多雑煮】をメーンに、一日女正月を過ごした。母は決して料理上手ではなかった、むしろ下手の部類に入るだろう、当時の女性にして頭脳明晰すぎて(笑)家事は不得意だったようだ。が、博多雑煮は本当に美味しかった。

黒豆もふっくら艶々と上手だった。義妹達は「義姉さんのお雑煮はほんなこと、美味しかあ」と少しのお酒で、はしゃぎがちなお喋りに興じていた光景を、新年を迎える度に思いだす。笑い声が弾けるたびに「なんが そげん 面白かっちゃろうか(何がそんなにおかしいのだろうか)」と子供の私は思ったものだった。

戦後は生活も大変だったので、そういうお客様ごとにはお金もかかるし・・・と病気がちの祖母を抱えて苦労している母を知っているだけに、これまた子供心に我が家の経済を心配したりしたものだった。それでも、明るいおば達の笑い声は、私の心も明るく楽しくさせたものだった。

母は長男の嫁だったから、年始客を迎える立場だったので、母自身の【ゆるりと過ごすお正月】は一生なかったのではないだろうか。実家に年始に帰るといっても同じ市内だし、いつも慌しく行っては帰って来ていたようだ。母が家を留守にすることは滅多になかった。「ただいま」といえば「お帰り」と母の声が返ってくるのが当たり前の日々だった。学校から帰って母の「お帰り」を聞き、祖母に「ただいま」と声をかけ、お仏壇に向かって「ただいま」美味しそうなお菓子が供えてあると「誰か来んしゃったと?」と祖母に聞いたりして・・・おやつにいただいたものだった。

小正月の今日、まだ私の中には正月気分が残っているらしい。今年の旧正月は23日?ご隠居もお雑煮好き(我が家の雑煮は関東風と博多風が混ざったものになっている)なので旧正月にはお雑煮をいただく。どうもそれまで私は「ゆたゆた」とお正月気分の中にいるだろうな。

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年改まりて

2012-01-06 08:16:25 | 日々の中で

 迎春準備を終え大晦日の年越し蕎麦、遠く聞こえる【観世音寺】の鐘の音、TVでは賑やかに新春番組が始まった。新しい年2012年のはじまり。我が家の新春は毎年【光明禅寺】で百八煩悩を払う鐘を撞き、その足で太宰府天満宮へ初詣して始まるのだが、今年は残念ながら”鐘を撞くことができない”

和尚さんや信者代表の方が炊く赤々と燃えるかがり火の熱さを頬に感じながら、新しい年への想いや願いを胸にかじかんだ手でご~~んと鐘を撞く。大好きな毎年の我が家の迎春行事だったのだが。太宰府天満宮すぐ横手の【光明禅寺】は九州の苔寺とも言われ、四季折々の庭の佇まいの素晴らしさで知られている。が、前の和尚さんが亡くなられ、新しい方が後を継がれて以来、長年続けられてきた【年越しの鐘】を撞く行事はなくなってしまった。孫達も帰省するたびに、この寺での鐘つきを楽しみにしていたのだけど。

朽ち欠けた歴史を刻む土塀は、今真っ白に塗られ修復されている。古色蒼然とした趣はなくなった。以前は朝の散歩の時などに、誰もいないお寺の階に座り、苔の緑や紅葉の色を重ねる美しさを愛でながら、しばし静寂に身を置くことは、至福の時であったのだが。これも時の流れ、世の移り変わりなのだろうか。

お正月三日目 年始客を案内して太宰府天満宮へ初詣。例年三が日で200万人の参拝客というが、今年は少し少なかったような気がした。赤い太鼓橋を渡って本殿までの行列は、進むのにそれ程時間がかからなかった。曇り空かなり空気は冷たかった。毎年の恒例、【福かさね】を買って、茶店で【梅が枝餅と甘酒】 甘酒の温かさにほっとする。

未曾有の災害後が修復でき、人々が本当に安らぐ日まではまだまだ沢山の日数が必要だが、新しい年2013年は政治的混乱などが少しでも少なく、一丸となって日本復興へ進む年になりますように!

 我が家も我が家の周辺も、昨年はいろんなことがあった。心配なこと、気がかりなことも起こった。今年は辰年、朝日輝く空に向かって、”天高く駆け上る”力強い龍にあやかって、希望の持てる年になりますように! と心から祈りながら新しい年を歩みはじめた。庭では遅咲きの【素心蝋梅】が今年はびっしり蕾をつけている。まもなく黄色い可愛い花が開き、優しい甘やかな香りが辺りに広がることだろう。

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