ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。旅やアメリカでの話、趣味のことなどなど・・・自分の覚書を兼ねて。

愛しき次郎様

2009-02-28 20:40:50 | 日々の中で

 

なんて、いいトシをした庶民のととろおばサンが言ったら、次郎様は呆れられることでしょう。随分以前のことですが、【白洲正子の世界】展を見た時、正子さんのだんな様である次郎さんに一目ぼれ(爆笑)してしまったのです。正子さんの世界を見に行ったのに。(白洲正子

日本人離れした端正な外見、並外れた財力、国際的視野を身につけた英国仕込みのスタイル、流暢な英語で祖国愛を持ってアメリカに膝を屈せず「従順ならざる日本人」といわせた男、戦争を避けようとしたが果たせず、戦時に突入した時すでに敗戦を予測し、野に下って田畑を耕した男、が、時代は次郎を再び中央へ。戦後の憲法草案を巡る息を呑むようなドラマのような苦闘の数々。汚れ役を買って出た次郎、【葬式無用】とか潔さ、本物ののイギリス・カントリィ・ゼントルマンとか、エピソードにも多数。

彼の書いたものの中に「新憲法のプリンシプル(信念)は立派なものである。主権のない天皇が象徴とかいう形で残って、法律的にはなんというか知らないが、政治の機構として何が中心がアイマイな、前代未聞の憲法が出来上がったが・・・・戦争放棄の条項などは、その圧巻である。押し付けられようが、そうでなかろうが、いいものはいいと素直に受け入れるべきではないだろうか」という一文がある。今の時代の政治家サン達見ていると、なお一層白州次郎と言う人や吉田茂など、日本が大きく変わる時期に苦悩し、陸軍に対して身体を張った土性骨のある男らしい男を思い浮かべてしまうのです。緒方竹虎とかも。器の大きさをつい比べてしまうのです。明治維新の頃の人たちも若くして凄かったなあと・・・・。

今夜はその次郎さんを主人公にしたドラマがあるそうなので、さて、誰が演じるのか、どんな風なドラマになっているか、楽しみにしているととろサンです。白洲夫妻が武相荘(ぶあいそう)と名付けて住んだ家が残されている。横浜近くの町田市鶴川、一度足を運びたいと思いながら、まだ実現せずにいる。

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物憂い早春の昼下がり

2009-02-28 17:30:33 | 映画・観劇・コンサートなど

  

            (我が家の庭の白梅)

明日から弥生三月。我が家の白梅もそろそろ盛りを過ぎて、樹の下には一面に小さな小さな花びらが散り敷いている。なんとなく物憂いような昼下がりである。

昨日の東京は霙から雪に変わったとのこと、名残りの雪だろうか。太宰府は随分暖かくなったけれど、まだまだ冬の季節を引きずっているようだ 広島に住む義姉から?があった。食道癌の手術に成功し三年目を迎えた義兄(夫と一つ違い)が、出先で倒れて救急車で運ばれたという。散歩中喉が渇いて自動販売機で、飲み物を買おうとしたとたん、すっと血の気が引いてしゃがみこんだまま意識不明に。幸い頭部のこぶ程度で異常はなかったそうだが、義兄が立ちくらみ状態で倒れるのは、術後二回目である。医者も立った状態で倒れたら、コンクリートの上だし、大変なことになっていただろうと言ったそうだ。原因が解らないというが、同じ状態で二度繰り返すのは、やっぱり何かの異常があるからだろう。血圧が高く降下剤を飲み続けているらしいから、何かその辺にも原因があるのかも。

若い頃から細身で繊細で文学青年だった夫と違い、がっちりとした体格で中学から大学まで柔道の選手でお酒が物凄く強いという、下戸の夫とは全く違う義兄だ。蒲柳の質だった夫は、いつも"転ばぬ先の杖”とばかり、少しの風邪気味や胃腸の調子などにも非常に敏感だった。義兄は病気一つしない、風邪なんて卵酒ぐっと飲んでぐっすり寝たら治るさ・・・というタイプ。だから、難しい手術にも耐えることが出来たのかも知れないが、今は夫の方が健康診断も全て良好で、健康そのもの。義兄は術後体質も変わり、寒がりになり、全てに意欲がなくなってお酒に手を染めることが多くなり、義姉はその点もハラハラ心配している。好きな"野鳥観察”などもやめてしまったようである。義妹一人、義兄一人の三人兄妹。まだまだ今の時代ではトシといえる世代でもない。夫も心配で仕方がないようだ。原因が解って元気を取り戻して、また兄妹 揃って温泉などに行けるようになるといいのだが。

庭の隅で【紅花馬酔木】が花をつけた。30cmくらいの小さな樹木。一昨年鉢物でかったのを、夫が下に下ろした。昨年は花をつけなかったが、今年は可愛らしい鈴蘭に似た壷のようなピンクの花びらの房が下がった。

 紅馬酔木、盛りの時はこんなに・・・・。

あちこちの【雛飾り】のニュースも春近し・・・と告げている。明るい陽春の空の色を見たいな。白ちゃけた曇り空は、なんとなしに人の心を”春愁”へと沈ませてしまうような気がする。

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パソコン 生還。

2009-02-15 20:56:51 | 日々の中で

 2月15日

1昨日【春一番】が吹き荒れた。昨日・今日は春というより初夏の暖かさ、20度近くまで気温は上がったようだ。

梅をはじめ沈丁花や乙女椿も一気に咲き始めた。太宰府に戻ってくると、やはりこの町は"梅の花”が多いなあと思う。我が町内も団地が出来た頃から住んでいらっしゃる方の庭には、白梅・紅梅・枝垂れ梅と”一軒に1本、梅の樹木”のような感じだ。 【太宰府といえば梅の花】だなと改めて思う。 

   東風吹けば匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ  道真

人口に膾炙のこの和歌にある太宰府天満宮の、主を慕って都から飛んできた”飛び梅”は毎年梅の季節のさきがけとして、どの梅より早く花を開く。春は朧・・・といえば美しく響くが、この時期は恒例の【黄砂】が風の流れにのって東アジアの砂漠地帯や黄河流域からやってくる。宝満山も紗の幕を通したようにかすんで見える。修理に出していたパソコンが戻ってきた。5ヵ年保証だったので、保証内での修理で送料もかからなかった。なんだか得したような気分である。修理に出す前に娘にバックアップしてもらった。「わあ、写真とか沢山入っているよ。少し整理した方がいいよ」といわれて、今日はぽかぽか明るい日差しの中で、そんなことに時間を費やした。

ある、ある、アラスカ・クルーズ(初めてカメラを手にした旅。手振れの写真の多いこと)にはじまり、アメリカ在住の次女とのヨセミテ、ブライス・キャニオンなどでのトレッキング、観光の画像、国内の小さな旅、孫達との時間、草花、そして町内などの福祉関係の行事のあれこれ、少しずつ整理していった。福祉関係は後任の人にCDを渡し、総て削除することにした。

もっと前にパソコンに触れていたら、イタリアやカナダ、大好きなバリの画像もここに納めることが出来たのになあとちょっと残念に思ったり、あどけなかった孫達の成長に改めて驚いたり、旅行の思い出にふけったり・・・写真の整理は遅々として進まないが、楽しい時間でもあった。

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