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ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。旅やアメリカでの話、趣味のことなどなど・・・自分の覚書を兼ねて。

これでおしまい、結婚50周年セレモニー

2016-04-27 21:06:55 | 旅のつれづれ

2月半ばのある日。

新聞を読んでいたご隠居が『これ、いいね。C型ウイルス退散と50周年祝いを兼ねて申し込もうか』

昨秋から今年2月迄、C型ウイルス退治のために、ハーボニー錠を毎日薬飲み続け、外出など控えて、紅葉にも温泉にも縁のない日々が続いていましたから。

【飛鳥Ⅱで航く春の博多・横浜4月の企画。「四月だったら観たい歌舞伎もあるし」と遊ぶことに否やはない私。2月20日ホテル・オークラでの説明会に参加。その場で申し込みました

歌舞伎【明治座花形公演(菊之助・勘九郎・七之助)】は、久しく菊之助さん、博多に来演していないので、観たくて。NHK講座で親しくなったSさんが音羽屋(菊五郎劇団)さんの後援会に入会していらっしゃるので、とても良い席をゲットしていただきました

 荷物は小さ目のキャリーバックそれぞれ一つずつ。身軽に行きましょう!長い船旅ではないので。

 4月18日 博多港乗船。19日終日クルージング。

 20日朝 9時横浜下船、フリータイム。ホテルニューグランド泊。

 21日羽田空港から帰宅

    

 クルーズと言って【超】の字が付く、船泊2日間だけの船旅ですが、穏やかで明るい春の海を、船内も料理も評判の良い飛鳥Ⅱでゆったり過ごすのは最高だなと期待感も高まりました。

・・・がその後、チョットした事件(前に書いた足くるぶしの捻挫+ヒビ)で、孫のブラスバンド演奏会に上京の予定も直前キャンセル。

医者から「クルーズに行ってもいいが、サポーターをして足に負担のかからぬ靴で」と。わあ、それじゃあ、お洒落出来ないじゃない…折角のクルーズなのに。(でも、短いクルーズなので、フォーマルの日はなく、【イン・フォーマル】だった)

更に4月14日、突然の震度7の地震が熊本を襲い、余震で納まると思っていたのに翌15日夜半に又大きな揺れが(こちらが本震だった由)。その災害の混乱状態の中、遊びに出かけるのはチョットと躊躇う気持ちも大きかったのですが、経費やチケット代もすでに納金済み。心を被災者の人達に残しながらも、太宰府市役所で義捐金をして、出かけることにしました。

ネット仲間のなえもんさんは、何度も飛鳥Ⅱを体験した方で、色々情報を下さいました。それを参考にまず乗船したら、部屋に行かず11階の【パームコート】でウエルカム・ドリンク。ワインを片手にのんびり。鵜来島(うぐしま)を傍に見て、シーホークホテルなどもだんだん小さくなって、さあ、博多湾を抜けて春のうららな空の下、波もなく穏やかにキラキラ光る海を眺めながら。余り足に負担を掛けられないので、出来るだけゆっくり過ごすつもりです。

さあ、出発です。

(シーホークホテルや福岡ドーム・福岡タワーが遠ざかります)

春の海は穏やか。

乗客の人達は、シニア夫婦、親孝行でしょう、車椅子にはお母さん、押しているのは娘さんでしょうか。若い女性達のグループ、やはり多いのは私達世代かそれ以上の方達。とにかくみんな日本人というのが、何だか変な感じでした。前に経験した【カリブ海クルーズ】【アラスカクルーズ(2006年)】が殆どヨーロッパやアメリカの人達ばかりで、日本人はほんの僅か。カリブ海クルーズの時は、もう20年以上前で、日本人の姿はなかったように思います。

けれど、日本人ばかりだから、安心できるとおっしゃっていた方もありました。

乗務員さん、レストランのボーイさん達は、フイリッピンの人が多く、ウエイトレスは白人の女性達も。皆日本語での丁寧な応対。たどたどしいところはあっても、きちんとした日本語です。感心しました。

夕食の時間まで身軽な格好で、船内一通り見学。エレベーターで11階まで上がるとデッキ。プール・アルコール以外は飲み物・ミニケーキ無料の【ビスタラウンジ】【パームコート】レストラン・寿司などが。12Fには大浴場やスパ・美容室・フイットネス・バトルテニスコートなども。

  

 (二日目はちょっと波が出て、プールの水もこんなにローリングしていました)

10階から7階までが客室。6階にはお店・ラウンジ・図書室・映画館・大ホール(アトラクションやショーなど)・カジノ・将棋や囲碁室など楽しめるようになっています。ダンス教室など習い事?も。乗客が終日楽しめるようにと、まあ、あれこれ企画が並んでいて、のんびり・ゆったりクルーズが好きな私達は、だいぶ割愛しました。

それでも、私が「あ、もう一つお土産を」とついお店に入り浸ったりするので、今度もご隠居さんから「お土産買いに来たんじゃないぞ」、でも私にとって、差し上げる人の顔を思い浮かべながらの買い物は、旅の楽しみなんです(笑)

 

(お定まりのらせん階段での記念写真、御隠居サンいささか酔っています)(図書室)

毎日部屋に届けられる船内新聞の中から、観たいもの、したいことなどをチェックして。なえもんさんが「部屋にいる時間は少ないから、デッキ付きでなくてもいいわよ」と仰っていた通り、部屋で過ごすのは入浴と就寝。お風呂の湯量もたっぷりでした。

 昼は水平線の彼方、広がる優しい光の海を眺め、空を染める壮大な夕焼けが夜の帳へと変わって行くさまを楽しみ、夜はきらめくライトの中でのピアノやジャズの生演奏を、カクテル片手に楽しみました。至福の時が流れます。ワインやカクテル片手にというと、呑み助みたいですが、一杯でご隠居さん真っ赤な顔に変貌。2人とも雰囲気を楽しむというだけです

 

(夕焼けが海を染めて)

 

夕食時間は2回に分かれていて、私達は後半の19:45からなので、ちょっと小腹がすくと、お寿司をつまんだり(ここは有料)、リドカフェでコーヒーやデザートを。

  

   

 ショーは大ホールの舞台で、飛鳥専属の歌手やダンサー達によるクルーズエンターテーメント。一日目はミュージカル映画などをテーマのショー。二日目はマジシャンを中心の舞台。洒落た趣向で音楽・色彩・光のきらめきの中で外人タレントによるショーを楽しみました。

夜のピアノバーでは、曲をリクエストOK。ふと思い出したのが最初の【カリブ海クルーズ】のこと。アメリカに住む娘がマイアミから出るクルーズに招待してくれました。私達の最初のクルーズです。もう20年以上前の事ですが。

その時、同じようにピアノバーで「ジョージア・オン・マイマインド(わが心のジョージア)」を娘がリクエスト(その頃アトランタで勤めておりました)。その後さりげなくピアニストにカクテル進呈したことがあります。

我が娘ながら【粋なことするなあ】と感心したことを思いだし、御隠居から同じ曲をリクエストしてもらい、バーテンダーさんに彼女(ピアニスト)の好みを聞いて貰ったら【赤ワインを】とのこと。リクエスト曲を聞いた後、プレゼント。ちょっと真似してしまいました。

他に同じ会場での【大ビンゴ大会】なども、ビンゴ!の商品は飛鳥Ⅱにちなんだ品色々。私達は・・・聞かないで下さいませ。あはは、宝くじ同様籤運には縁のない夫婦です。

部屋は9階のバルコニー付きの部屋。それほど広くはありませんが、シャワーのお湯も豊富で清潔な部屋でした。バルコニーに立つと潮の匂いと何処までも広がる海、四国足摺岬の灯台も遠くに見えました。二日目はかなり風が出て、海面には兎が飛んでいました。

夕食の時にお話ししたご年配のご夫婦は、北九州からとのことで、軽い船の揺れに地震を想いだして眠れなかったとか。

今度のツアーは旅行何社かが、飛鳥Ⅱクルーズを入れて、それぞれに企画しているらしく、横浜下船後、横浜一日観光や他の観光地へというようなプランもあったようです。私達は横浜フリータイムなので好きなように動けて良かったなと。横浜には娘一家がいるので、今更観光ツアーというのは・・・。

何しろ船中二泊の短い船旅ですから、あっと言う間に横浜桟橋へ。

横浜ベイブリッジの下をくぐりました。

今回は食事など食べ物の写真がありません。意識してとらなかったわけではないけど。

飛鳥Ⅱのツアーについては、四国在住のなえもんさんが何度も乗船体験があって、写真もとても上手な方で、克明な素敵な画像をブログに掲載しておいでです。船内の様子やお料理など色々、詳細に解ります。是非ご覧ください。

   なえもんのポケット

19日 9時下船。桟橋には従弟が迎えに来てくれていました。従弟は青学の理学部卒、IT関係の会社に就職したのですが、高校の時にバンドを組んでいて、音楽の道断ちがたく、歌とドラムで著名な【つのだ・ひろ】さんのところでドラム叩いています。もう何回か飛鳥Ⅱにはアトラクションで乗船。海外のクルーズの時も乗っているようです。丁度スケジュールが空いていたので車で。私の足が今一つ、不安な状態なので、ほんとに助かりました。ランチしながら喋ったりして、新橋の明治座迄送ってくれました。有難う!

19日は【夜の部」を。翌20日には、娘夫婦がホテル(山下公園前のニューグランドホテル)迄来てくれて、一緒に朝食。婿は仕事。娘は休みとってくれて久しぶりに歌舞伎【昼の部】一緒に観劇。嬉しかったぁ。羽田迄送ってくれました。午後6時の飛行機で帰宅。

 

ととろサンのC型ウイルス撲滅祝いと、結婚50周年記念セレモニー、これにて幕と致しましょう。

<ととろサンのドジ>

船の中ではドジもなく、迷い子にもならずに済みましたので、今回は大丈夫!と思っていたら、横浜泊の夜、明治座から戻ってホテルで、服をハンガーに掛けようとしたら・・・

「あ、上着がない!」

アンサンブルの上に、コートを羽織っていたのですが、アンサンブルの上着がなく、コートだけしか着ていません。

「何処で?」よくよく考えたら、迎えに来た従弟とまず【ティタイム】した時に、店内が暖かだったので、上着を脱いでブラウスだけに。その時椅子の背に掛けたままだったようです。慌てて従弟に℡。家に帰って来てるから(従弟の家も横浜)取りに行ってくるよ」

お店は締りかけていたそうですが・・・ホテルに届けてくれました。「ごめん!」「まあ、よくあること」と笑っていました。Kちゃん、N姉ちゃんドジでごめんなさいね。

翌日娘に「お母さん、認知症になったのかしらん、情けない」言ったら、娘笑って「昔からよく旅先で忘れ物したじゃない。阿蘇の大観峰のお店に携帯忘れたのは、どなたでしたっけ。雲仙にカメラ忘れたのは?」と次々に。いやですねえ。

私が忘れていることを、よくまあ、覚えていること(笑)忘れ物事件、もっとあります!

『認知症じゃなくて、もともと忘れっぽいのよ』と。これは慰めですね。それにしても私の旅にはやっぱりドジがつきものです。

・もう一つのクルーズ 

2005年の【アラスカクルーズ】(ダイヤモンド・プリンセス号)、カリブ海クルーズですっかりクルーズに魅了されたのと、アラスカは星野道夫さんの写真やエッセイで、一度行きたかった!それに費用が安かった!もう一つ大事なことは丁度積立保険が満期になって…。サラリーマンの私達には贅沢かも知れないけど、思い切って出掛けました。

クルーズの魅力は、船の個室が旅の間は自分の部屋。そこからオプションで興味のあるところを選んで、又船へ帰ってという、住居自体が動いて運んでくれ、船の中でも色々な楽しみがあるというのが魅力ではないでしょうか。

 アラスカ・クルーズで。フォーマル。ご隠居も

ドレスシャツなどで決めておりますが、ロングドレス、その時だけで・・・ドレッサーに眠っております(苦笑)

飛鳥Ⅱは日本船籍のクルーズ船。日本人向きの料理など、趣向を凝らして。でも、長いクルーズはお値段も高いですね。それでも毎回楽しむ人達もいるというから、日本にもオカネモチがいるんだなあ。今回はチョット飛鳥Ⅱ気分を味わうツアー旅。参加しやすいプランだったようです。

 ととろさんのアラスカ・クルーズ   

クルーズの魅力は【脱日常】【非日常性】いろんな国の人達が周りにいる【異邦人感覚】グローバルとまでは云いませんが。船旅の間中個室を我が住居として。そこから出かけ、又船に戻る。荷物も着替えなども移動させる必要なし。 そんなところかなと私は思いますが、飛鳥Ⅱのように、日本人だけ、あるいは日本人が殆ど…ということで安心できるからいいとおっしゃる人もいます。

旅に対する考え方もヒトそれぞれですね。

TVでは熊本から大分方面まで広がった地震の報道が!目が離せず、何だか飛鳥Ⅱ旅もアップする気持ちにならず、今日までグダグダしておりました。私には何が出来るか、長い復興の間に、私が出来ることを・・・考えていきます。周辺の湯布院始め温泉や観光地も、キャンセルが続きいているとか。訪れるのも救援、今日も買い物に行くと、熊本や阿蘇産地の食品に手が出ます。それも救援かと)

嬉しいメールが。ネットを通じて親しくなったネット仲間、お会いしたことはなくても、その人柄などに触れて長年のお付き合いがある方達が、少数ですがあります。Hさんが病いに倒れられて、心配な状態で案じていましたが、症状に変化が。明るい明日が見えて来ました。

友人の中にも抗癌剤投与の辛さに耐えている人がいましたが、頑張って投与終了、自宅で暮らせるようになったとのこと、こんな変化が数日留守した間に起こっている、これも嬉しい知らせでした。

喜びや悲しみ、辛さ、様々なことが交錯して現れます、それが人生なのだけど、希望の見える知らせはほんとに嬉しいものです。地震も収束して、少しでも明るい明日がやってきますように。

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春の海はきらきら輝いて。海・ほたる、九十九里浜、

2015-03-30 21:49:41 | 旅のつれづれ

 弥生も末の23日、ご隠居さんと私は、いつもは飛行機を利用するのだが「たまには新幹線からの富士山に会いたいな。のんびり駅弁でも食べながら旅気分を味わうのもいいね」と、博多駅から新幹線で、新横浜まで出かけた。目的は孫達の 【吹奏楽定期演奏会】を聴く(見ること)、志望校T美大に合格した孫へのお祝い。おまけ?は歌舞伎座と一泊の孫達との旅。遠く離れて暮らしていると、たまのそんな機会は、小躍りするほどに嬉しいものだ

今度の旅で会えた富士山。雪はだいぶ少なくはなっていたが、その姿はやっぱり凛として美しかった。富士山大好きな私としては満足、満足だった。

飛行機の中から。

 

・新幹線の中から。               ・海・ほたるから。

 

(横浜への道すがら)

 中・高一緒の演奏、今回は卒業生の大学生のOG.OBの参加もあって、レベルの高い素敵な演奏だった。間に吹奏楽演奏をバックに、全て生徒達の手による寸劇(毎回演奏第Ⅰ部とⅡ部の間に上演される)も楽しく、孫二人の真剣な演奏の姿に、ウルウルしてしまったととろオバアだった。

  

翌日は歌舞伎座のチケットがゲット出来たので【菅原伝授手習鑑】昼の部・夜の部通し狂言(昼に前半・夜に後半上演)。通しで上演されるのは13年ぶりとのこと。あれからもう13年も経ったのか・・・と前の舞台も観た私は感無量だった。次に通しでのこの演目を観ることは私にはもうないだろう。仁左衛門・秀太郎・孝太郎・左團次・染五郎・菊之助・愛之助などなど、なかなかの顔ぶれでの佳い舞台だった。やはり仁左衛門さんの菅公は追従を許さない気品と風格だった。秀太郎・孝太郎・菊之助さん、いいなあと思わせる舞台だった。詳しい感想などは例の如く新歌舞伎ブログ(私の歌舞伎観覚え書)にいずれまとめるつもり。

ご隠居さんは、歌舞伎座で【大向こう】”松嶋屋!””音羽屋!”なんて【掛け声】かけることが出来て気分るんるん・・・。

折角上京したから~と海・ほたる(海の上にこんな一大アミューズメント兼ねたパーキングエリアを作ってしまう、人間の技に驚く)通って房総半島へドライブ。鴨川の海の見える宿で一温暖で眩しい程の陽光と高く晴れた青空は、日頃PM2・5などでグレイ色の空が多い太宰府と比べて、如何にも春らしく気持ちが明るくなった。大きなビニールハウスいっぱいに咲き誇る花達、切り花の安いこと!近くなら買って帰りたいと思ってしまった。

  

 

   

海を眺めながらの露天風呂・海鮮中心の料理もなかなか良かった。夕食後温泉に入り、心地よさに【ちょっと横になった】つもりがそのまま爆睡。こんなことは珍しい。孫達と遊ぶつもりが・・・ちょっと恥ずかしかった。やっぱり疲れていたんだなあ。

九十九里浜は行って見たかったところ、下の孫は鴨川シーワールドに行きたかったようだが、時間の関係で割愛(前に一緒にイルカのショーなど楽しんだ)。何しろ26日中には帰らないと、翌日の27日午前中に欠かせないサークルがある(今季はご隠居が講師を引き受けているので、休むわけにはいかないのだ)

九十九里浜には初めて訪れた。60キロにも及ぶ海岸線が続く。キラキラと眩しく光る海!細かい細かい砂浜(さすがに沖縄や九州のように真っ白ではなかったけど)、思わず両手を広げて海の空気を胸いっぱいに吸う。なんという気持ちの良いこと!地引網には出会わなかったが、漁師さんと一緒に網を引く体験も出来るらしい。

 

(右の画像は娘のを拝借。腕の違いとカメラの違いかな。)

高村光太郎の自筆の【千鳥と遊ぶ智恵子】が描かれている。(心を病んだ智恵子はこの九十九里浜にある妹宅で静養をしていたという)

若い頃何度もこの詩集、読んだものだ。青春の時代には、この詩集純粋な二人の愛情がとても美しく神々しいものに思われて。

房総は海鮮が美味しいところ、途中牡蠣うち小屋に立ち寄って、牡蠣や蛤サザエなどを焼いて貰った。海鮮を使った丼物も安くて美味しかった。牡蠣大好きなご隠居は大喜び。私はC型肝炎以来もう数十年、貝類や青物の魚の生は医者から【やめておいた方がいいでしょう】と言い渡されているので、いつも横眼で眺めるだけである。でっかい海老フライを頼んで我慢(笑)貝類・鯵や鯖の活き作りな土大好物なんだけど・・・。しめサバなどは自分で美味しく作っても、口には出来ない。でも仕方がないことだ。

 

 

 

美味な海鮮に舌つづみ、一路空港へ。シニアにしては過密スケジュールの旅だったが、孫達の大学・高校進学を祝い、一緒に行動出来、ジジ・ババとしては満足な【春の旅】だった。翌日26日にはちゃんと読書サークルに、2人で出席しましたよ。「結構元気なんだな。私達」とちょっぴり自己満足した次第。

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佐賀県【武雄市図書館】へ。

2015-03-20 09:56:48 | 旅のつれづれ

翌日3月19日。まだ小雨模様だが、お昼ごろには晴れるという。

武雄温泉街楼閣見学のあと【武雄市図書館】へ。開館当時から大きな話題となった新様式ともいうべき図書館である。(内部の撮影は禁止なので・・・館内の画像はネットから拝借。あらかじめ許可をとればOKだそうだ)

ショッピングモールなどのある武雄の中心地に斬新な形の図書館があった。図書館大好きな私、わくわくドキドキしながら扉を押した。

広い!目に入ったのは平ら一面にずらっとおかれた本達、ガラス窓に面したブースに座りながら珈琲を楽しみつつ、読書している人達。

二階は半円形に広がっている。背面にはずらっと本・本・本。いつか映画の中でこんな図書館を見たなあと思いながら、案内所の女性に色々尋ねる。実は文学サークルでここを見学するという案の下見のつもりもあったので。懇切丁寧に教えてくれ、お昼の食事のお店一覧まで【図書館栞】に添えてくれた。事前に武雄市役所FaceBook課に連絡すると、見学案内・解説の人を付けてくれるという

  

(明かりを取り込む天井のドーム状のガラスもお洒落!)

この斬新な図書館が出来て今年の3月で2年。日本各地から、あるいは海外からも見学者が絶えないという。勿論閲覧者も多く、広い駐車場で間に合わず、車の苦情も出る位。

1300年前からの【武雄温泉】があるが、周囲に目立った観光地があるわけでなく、静かなローカルの小都市(人口現在5万弱)だが、現在45歳という若い市長は、街づくりアドバイザーのような存在でもあり、画期的なこの図書館(蔦屋とタイアップした形式)を創ったことでも有名である。車で市街地を走ると、実に立派な新しい建物の病院なども目につく(屋上にはヘリポートも)これも市長さん関連事業だろうか。

温泉街の人も【図書館が出来たので武雄に来る人たちが多くなりました】と。町興し頑張っているなという感じが伝わって来た。

丁度お昼時になったので、館内1F閲覧室にあるスタバで、サンドウイッチと珈琲の軽食をとる。皆さんそれぞれに読書にふけったり、食事をしたり、寛いだ時間を過ごしている様子が見ていても心地良かった。図書館マナーが浸透しているのだろう。多くの人達が本を載せた台の中の間を歩いたり、文具雑貨を(そういうものもあるのだ)購入したりしているのだが、うるさくもなく館内は至って静かである。

二階は半円状にずらっと本棚が並び、その前の通路、丁度劇場の二階から階下を見下ろすような感じで、デスクが作ってあり、パソコンなどを使っている人がいる。学習室も幾つかあって、本棚の前で調べ物や勉強しているらしい学生さん達の姿がある。

実際に本を借り出したわけでなく、専ら雰囲気を眺めたに過ぎないので、図書館としての資質や利用の良しあしは解らないが、とにかく今までにない民間タイアップの図書館であり、お洒落で斬新で、居心地が良かったことは確かだ。一日中ここにいても飽きないだろうなあ。

今度は武雄温泉(図書館から近い)に泊まる時には、本を借りて翌日温泉街などにも、返却Boxがあるので、その入り口からポトンと本を返却すればいいのだ。何だか嬉しくなって、また訪ねようと思った。

(温泉街も頑張っていました)

<おまけ>

近くに武雄神社がある。奈良時代に建立された神社。その杜に日本で7番目の大楠(樹齢3千年とも言われる)の古木があるので尋ね本殿から右に竹林を過ぎたあたりに、大きなウロのある大楠が。その大きさは後ろの樹木と比べると少しは解るだろうか。

 

 

小さな旅ともいえない程の旅だったが、とても実り多い充実した時間を過ごした気持ちが強く満足感を覚えた。次の小さな旅は?山野草探訪かな。

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興味津々だったアノ【武雄市図書館】へ(温泉モニターで武雄温泉泊)

2015-03-19 17:50:58 | 旅のつれづれ

<まず武雄温泉へ> 3月18日

 昨年温泉モニターに応募、武雄温泉一泊が当たって、設立当時から行きたかった【武雄市図書館】にも行ける!と思っていたのに、いつのまにか忘れて、気がついたら3月中で期限が切れる。慌てて予約を入れた。出来るだけゆっくり出来る日をとお願いした。

18日午後ご隠居の車で。高速で我が家からちょうど1時間。佐賀県武雄市、武雄温泉へ。モニターの宿は、大正浪漫の【京都屋】さん。玄関前には真っ赤なクラシックカーが。武雄駅までの出迎え用だとのこと。

   

大正ロマン、オルゴールの宿が特徴だけに、フロントに入るとレトロな風情に包まれる。100年以上前のオルゴールなどアンティックなものが溢れている。、ソファー、デスク、飾り棚の中の陶器なども、そういう雰囲気一色だ。女性に好まれるのもうなずける。流れていたのはエンヤ、心が柔らかくなるような気がする。オールドなオルゴールも聞かせてもらえるとのこと、嬉しいなあ、るんるん!

 

   こんな感じです。部屋はゆったり。

 

お風呂の作りは内湯も露天風呂も至ってシンプル。早目に着いたのでいつもの如く、貸切状態でまずはゆったりと温泉を楽しむ。湯質はアルカリ性単純温泉で、美肌の湯というだけにとても柔らかくお肌すべすべ!ほんとに気持ちが良い。

<武雄温泉>の始まりは、1300年前に書かれた【肥前風土記】にも登場、古くは神功皇后も入浴されたと伝えられ、また、朝鮮出兵の時に唐津の名護屋城に集められた多数の兵士達が、この温泉を訪れたので、秀吉の【入浴心得】も残っている。江戸時代や明治時代に出来た宿が多い(もちろん建て替え手はいるけれど)

宮本武蔵・シーボルト・伊達政宗・伊能忠敬なども入浴した記録が残っている。宮本武蔵が滞在して【五輪の書】の案を練った宿もある。

風呂の後はお食事。いつも「温泉宿ってどうしてこんなに品数が多いのだろう。品数を少なく、量より質でシニア向き献立を作ってくれるといいのだが」と 友人達とも話すことが多い。シニアコースを用意している宿もないわけではないが、一般的に少ない。今回は10品。それでも少ない方で、一皿の量も少な目。ただ・・・ちょっと味付け濃いめのがあったりして、お料理は申し訳ないがごく普通といったところかな。 

だが、喫茶室においてある大きなアンティークなオルゴールは、蓄音機とオルゴール二つの働きが出来るという珍しいもの。沢山集められたクラシックやジャズのSPのレコードをかけてくれた。針の音がかすかに交る昔懐かしい音色に包まれた嬉しい時間だった。

  

(通常一泊料金¥11,000のところ、モニター料金で¥7,700の温泉楽しんだ旅でした)

売店であれこれ買い物したりしたので・・・結局は普通の温泉旅だったのかな(笑)けれど、アンティクな音色に惹かされて、リピーターになるような気がしている。

3月19日

チェックアウトの後、武雄温泉の歴史のシンボル【楼門&新館】へ。

<楼門・新館>

 

歌舞伎【五三の桐】で盗賊石川五右衛門が、長い長いキセルを手に【絶景かな、絶景かな】という名場面を思いだすような楼門だった。

歌舞伎と言えば、昨晩宿で一緒になった素敵な母娘二人旅の方達、お二人ともお芝居お好きで、思いがけないところで役者さん話など盛り上がった。今日も楼門でばったり。どうぞ良い旅を!

まるで竜宮城のような楼門と新館は、武雄温泉入り口にある。えっとびっくり!だが、釘を一本も使っていない天平式楼門は、東京駅や日本銀行本店などの設計で有名な建築家佐賀(唐津)出身の辰野金吾(1854~1919)の手によるもの。

大正4年(1915)建設。平成17年国重要文化財指定。2015年で100周年を迎えた(平成25年に大修理)

新館は今は温泉記念館として当時の湯船や休憩室などがそのまま残されているが、昭和40年代まで実際にお風呂として営業していたそうだ。新築当時はタイル張りの美しいお風呂だったらしい。

四国の道後温泉を思わせるような佇まいだった。共同風呂は新館の周りに、蓬莱湯・鷺之湯・家老湯・などなど。今も現役でわざわざ遠くから立ち寄り湯として来る人たちも多いようだ。記念館には古来からの、武雄温泉の歴史の数々が紹介されていた。

 他にも【立ち湯」という立ったままで入浴するスタイルのもあったり、当時の音泉の賑わいが偲ばれて面白い。

  

嬉野・原鶴に押され勝ちな武雄温泉、頑張っているなと感じた小さな旅でした。温泉街には珍しい皮製品専門のお店も素敵でしたし、やっぱりもう一度来てみたいなと思った温泉でした。

付録 秀吉が出したご朱印の【入浴心得】

(勿論原文でなく、来館者に解りやすいように口語体にしてありますが、秀吉がこういう規則を出したということは、如何に兵士たちに温泉が好まれ、刀や弓の傷を治すのに役立ったかと云うことですね。温泉などを訪れて、その歴史を辿ると、歴史上の人々の姿が現身のように浮かんできます。そういうのが私は好きで・・・。その時代が身近に感じられます)

 

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調音の滝と林檎と葡萄の樹

2014-09-22 05:43:48 | 旅のつれづれ

観光温泉ホテルだけど、アットホームな宿を出て【調音の滝】へ。”うきは”は【棚田と赤い曼珠沙華】が有名です。里山風景、いいものですね。

    

公園になっており、"調音の滝""魚返りの滝""斧渕の滝"を中心に作られた耳納連山の渓谷スポットで、林野庁が定める"水源の森百選"にも選ばれています。水のある風景が好きな私、滝も大好き、平日とあって静かで気持ちの良いひとときを過ごしました。

茶店には元気なオトシヨリが二人「夏休みは賑わったけど。」と手持無沙汰。お二人手作りの熱々”よもぎ饅頭”ヨモギの香りとあんこがいっぱいで、美味しく頂きました。

吉井の白壁の町へ。

 

 

お洒落なお菓子屋さんがあったので、入ってみました。筑後川河童伝説にちなんだお菓子もいろいろ、二代目の店主が集めたという河童の置物が沢山ありました。アレコレもてなし用のお菓子を買って、次は

林檎と葡萄の樹へ。山道をくねくね登ると、果樹園の中に古民家風な建物が。駐車場は御昼どきだからでしょう。車がいっぱい。平日なのに人気の店です。林檎パイが有名です。

隣接の【りんご庵】パスタとピザ。ここでお昼を。私は葡萄の巨峰を使ったシーズン物のパスタにも惹かれましたが、結局昔懐かしい【レトロナポリタン】に。子供の頃はスパゲティと言えばナポリタン!パスタなんて言い方はしていなかった時代です。

 窓の外は林檎園が広がっています。

   

ゆっくり寛ぎ、ランチタイムを過ぎて、静かになった【林檎と葡萄の樹】で、お土産にこの店の名物美味しい【林檎パイ】を買って、家路へ。近場温泉の旅は、往復走行110キロでした。

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